La Pace di Lodi

ローディの和

概要

 ローディの和とは、1454年4月9日に結んだ和平協定。これがイタリア五大国のイタリア同盟へと繋がり、諸都市国家間の戦争に終止符を打った。

発端

 イタリアはそれまでルネサンスの時代を迎えていたが、一方でイタリアの覇権を巡って戦乱の絶えない時代でもあった。しかし、1430年代からキリスト教国の脅威となっていたオスマン・トルコによって、ついに1453年5月29日、ビザンティン帝国が滅ぼされる。コンスタンティノープルの陥落である。イタリア諸都市国家はにわかに危機感を強めることとなった。

経過

 ニコラウス5世は、オスマン・トルコの進出に対するキリスト教諸国の結束を図るべく、1453年7月18日、ナポリフィレンツェヴェネツィアミラノに枢機卿を使節として送り、諸国間の和を結ぶ使節をローマに送るよう強く指示。
 ニコラウス5世の召集したイタリア諸国、諸君主の和平交渉がローマで続けられながらも成果を得られないでいる中、教皇の使節アウグスティヌス会修道士シモーネ・ダ・カメリーノの精力的な仲介によってミラノフランチェスコ1世・スフォルツァヴェネツィアの交渉が妥結。この間の戦争で奪い合った領地を相互に返還すること、各自の同盟者をこの同意に加えていくことなどを、1454年4月9日、ローディで協定。コジモ・イル・ヴェッキオフィレンツェ首脳を除く他の戦争当事者も存知するに至らない内に結ばれた。
 1454年4月14日、フィレンツェが加入すると共に、この和が公表される。
 突然、和平の成立を知らされたナポリアルフォンソ5世・デ・アラゴンは、これに加わることを強く拒否し、戦闘継続を宣言。

参加国

 ローマ教皇国(ニコラウス5世
 ミラノ公国(フランチェスコ1世・スフォルツァ
 ヴェネツィア共和国
 フィレンツェ共和国(コジモ・イル・ヴェッキオ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

別表記

 ロディの平和、ロディの会議

記載日

 2006年7月16日

更新日

 2008年5月31日