アルテンプス宮殿 Palazzo Altemps

- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
- 地区
- ポンテ
- 設計
- メロッツォ・ダ・フォルリ
- 施主
- ジローラモ・リアリオ
概要
アルテンプス宮殿は、ローマにある建物。
ジローラモ・リアリオがメロッツォ・ダ・フォルリに依頼して建設された。カテリーナ・スフォルツァがローマに嫁いだ1477年に間に合わず、完成は1480年以降だった。
1511年フランチェスコ・ソデリーニ枢機卿が購入し、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオとバルダッサッレ・ペルッツィに増築、装飾させた。
1513年から1518年まではインノチェンツォ・チーボ枢機卿が所有。
ピアッタイアの間 Sala della Piattaia
所蔵品
外部リンク
Google Maps
RomArtGuide
Roma Città delle Meraviglie
Wikipedia
ヴェスコヴィーレ宮殿 Palazzo Vescovile
- 所在地
- イタリア共和国トスカーナ州シエナ県ピエンツァ
外部リンク
カルマニョーラ宮殿 Palazzo Carmagnola
概要
カルマニョーラ宮殿は、ミラノにある建物。15世紀初めにヴィスコンティ家によって別荘として建てられた。
1415年ミラノ公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティによって、フランチェスコ・ブッソーネに提供され、1420年から1425年の間に抜本的な建て替えが行われる。1432年にフランチェスコ・ブッソーネがヴェネツィアで処刑されると、娘が相続する。ルキナ・ブッソーネから相続したピエトロ・ダル・ヴェルメが1485年に死に、ルドヴィーコ・イル・モーロが没収。1492年頃にチェチーリア・ガッレラーニに与えられ、ブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチが装飾を施す。
別表記
Palazzo del Verme
外部リンク
サンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿 Palazzo di Santa Maria in Portico
- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
概要
ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノ枢機卿が1483年に建てた。彼の教会の名を取って、この名前で呼ばれる。ヴァティカン宮殿に隣接、サン・ピエトロ大聖堂の階段の左にあり、異端審問所のほとんど向かいにあった。ヴァティカン宮殿入り口の左側に位置する通路は、両方の建物を繋いでいる。そして、サン・ピエトロ大聖堂内の私設礼拝堂を通り、システィーナ礼拝堂の戸口を経て、教会を抜けることによって行き来することもできた。2階に特別回廊がつけられ、15世紀末の館に似て、仕切り枠あるいは円型アーチのついた窓が並び、快く規則的な部屋の続く美しい館だった。1493年頃には、アドリアーナ・デル・ミラ、ジューリア・ファルネーゼ、ルクレツィア・ボルジアが暮らしていた。しかし、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの柱のためにその辺りの外観は変わっており、もはやそれと分からなくなっている。
別表記
サンタ・マリア・イン・ポルティコの館
外部リンク
ジューリオ・デステの宮殿 Il Palazzo Giulio d'Este
- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県フェッラーラ
- 設計
- ビアージオ・ロッセッティ?
- 注文
- エルコーレ1世・デステ
- 建設
- 1496~1499年
概要
ジューリオ・デステの宮殿は、フェッラーラにある建物。
エルコーレ1世・デステがビアージオ・ロッセッティに作らせたこの宮殿は、庶子ジューリオ・デステに与えられたが、彼は1506年に謀反の罪で投獄され、イッポーリト・デステ枢機卿の手に渡る。その後カルピ領主が所有し、ピオ家の資産となる。
外部リンク
EL BLOG PRINCIPAL DE DALIANEGRA.
FEdetails.net
Google Maps
MuseoFerrara
Wikipedia
スフォルツァ・チェザリーニ宮殿 Palazzo Sforza Cesarini
- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
- 地区
- ポンテ
概要
スフォルツァ・チェザリーニ宮殿は、ローマにある建物。
外部リンク
チェーザレ・ボルジアとその周辺
ボルジア解体新書
Google Maps
Palazzo Sforza Cesarini
Rome in the footsteps of a 1750 traveller
テ宮殿 Palazzo Te

- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県マントヴァ
概要
テ宮殿は、マントヴァにある建物。
所蔵品
外部リンク
ディアマンティ宮殿 Palazzo dei Diamanti

- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県フェッラーラ
- 設計
- ビアージオ・ロッセッティ
- 施主
- シジスモンド・デステ
- 建設
- 1493年~1503年
概要
ディアマンティ宮殿は、フェッラーラにある建物。1492年にビアージオ・ロッセッティが設計。
所蔵品
別表記
フェッラーラ国立絵画館
外部リンク
Diario del Viajero
Google Maps
Matthew Felix Sun
Wikipedia
Wikipedia
バルベリーニ宮殿 Palazzo Barberini
- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
- 地区
- トレヴィ
概要
バルベリーニ宮殿は、ローマにある建物。
所蔵品
外部リンク
ペーザロ・ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale di Pesaro
- 所在地
- イタリア共和国マルケ州ペーザロ・エ・ウルビーノ県ペーザロ
概要
ペーザロ・ドゥカーレ宮殿は、ペーザロにある建物。
外部リンク
チェーザレ・ボルジアとその周辺
Google Maps
Pesaro Cultura
Provincia di Pesaro e Urbino
Wikipedia
ペニテンツィエリ宮殿 Palazzo dei Penitenzieri
- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
- 地区
- ボルゴ
概要
ペニテンツィエリ宮殿は、ローマにある建物。
外部リンク
ベンティヴォーリオ宮殿 Palazzo Bentivoglio
- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州ボローニャ県ボローニャ
概要
ベンティヴォーリオ宮殿は、ボローニャにある建物。
別表記
ベンティヴォリオ城
外部リンク
Google Maps
JSTOR: Mitteilungen des Kunsthistorischen Institutes in Florenz
Wikipedia
マッテイ・カエターニ宮殿 Palazzo Mattei Caetani


- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ローマ県ローマ
- 建設
- 1564年
- 設計
- バルトロメオ・アンマンナーティ又はナンニ・ディ・バッチョ・ビージオ
- 注文
- アレッサンドロ・マッテイ
概要
マッテイ・カエターニ宮殿は、ローマにある建物。現在はカミッロ・カエターニ財団の本部で、イタリア百科事典の本部。
1564年頃パガーニカ公アレッサンドロ・マッテイのためにバルトロメオ・アンマンナーティ又はナンニ・ディ・バッチョ・ビージオの設計に従って建造されたもの。その後ネグローニ家が取得し最終的にはカエターニ家の手に渡る。
マッテイ・カエターニ宮殿はボッテーゲ・オスクーレ通りにあり、この辺りにはルドヴィーコ・マッテイのために建てられたマッテイ・パガニーニ宮殿、マデルノが1596年から1611年にかけて建てたマッテイ・ディ・ジョーヴェ宮殿と3つのマッテイ家の館がある。
所蔵品
別表記
パラッツォ・カエターニ、カーサ・ガエターニ、Casa Caetani、Casa Gaetani
外部リンク
メディチ宮殿 Palazzo Medici
- 所在地
- イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ
- 設計
- ミケロッツォ
- 建設
- 1444~1462年
- 施主
- コジモ・イル・ヴェッキオ

概要
メディチ宮殿は、フィレンツェの旧ラルガ通り、現カミッロ・カヴール通りにある建物。
コジモ・イル・ヴェッキオが追放先のヴェネツィアから戻った後、1444年から1462年にかけて建造される。当初はフィリッポ・ブルネッレスキに委託されたものだったが、最終的にはこの有名作家の作品を退けて、ミケロッツォを起用。というのは、豪奢な建物を建てることでいっそう市民の反感を買わないようにとの配慮だったと言われる。
しかしながら、メディチ宮殿はその後のルネサンス宮殿建築の規範となる。3階建ての1階ごとの壁面装飾(ブニャート)にその特徴がある。1階の壁面はごつごつした石が突き出るルスティカ積みとし、2階は少し凸凹が緩和されたリショ積みで、3階をピアット積みと言ってさらに平たくする。これによって下から見上げた時に一種の遠近法効果が生じ、建物がさらに高く感じられるのである。
ミケロッツォはこのメディチ宮殿以前にすでにサン・マルコ修道院の改築に成功しており、メディチ家の人々の絶大な信用を勝ち得ていた。さらにこの宮殿を造るにあたっても、万全の体制で臨んだ。彼はピエトラ・フォルテの石切場まで出かけて行き、宮殿に使用する材料に印をつけて回った。それは時には直径5センチほどの丸であったり、ドリルで開けられた簡単な穴だったりした。よく見ると現在でもこれらの刻印は、宮殿の壁面に残されている。
1459年にはほぼ完成し、メディチ家の私邸兼、メディチ銀行の本社として使われた。ピッティ宮殿、ストロッツィ宮殿、ルチェッライ宮殿と並ぶ、フィレンツェ建築の四大傑作の一つ。





所蔵品
別表記
メディチ・リッカルディ宮殿、パラッツォ・メディチ・リッカルディ、Palazzo Medici Riccardi
外部リンク
ラジオーネ宮殿 Palazzo della Ragione

- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県フェッラーラ
概要
フェッラーラ大聖堂の右側面の通りの向かい側にある建物。1315年から1326年に建てられ、第二次世界大戦後の火事でほぼ倒壊しかけたが、現在では元の見事な姿に戻っている。Google Mapsのストリートビューで見る限り、1階にマクドナルドが入っている。
外部リンク
リドルフィ邸 Palazzo Ridolfi

- 所在地
- イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ
概要
リドルフィ邸は、フィレンツェにある建物。
入口

表札

外部リンク
バルジェッロ宮殿 Palazzo del Bargello

- 所在地
- イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ
概要
バルジェッロ宮殿は、フィレンツェにある建物。
高い塔のある城塞風の建物で、1255年、塔のある中核部分が建設された。最初はポデスタの官邸兼役所だったが、その後検察長官の官邸、牢獄などに使用された。
所蔵品
旧名
ポデスタ宮殿、Palazzo del Podestà
別表記
バルジェロ宮、バルジェッロ国立美術館、Museo Nazionale del Bargello
外部リンク
ドージェ宮殿 Palazzo Dogale
- 所在地
- イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア
概要
ドージェ宮殿は、ヴェネツィアにある建物。
コッレージョの間 Sala del Collegio
別表記
ドゥカーレ宮殿、Palazzo Ducale
外部リンク
ミラノ公宮殿 Palazzo Ducale di Milano
- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県ミラノ
概要
ミラノ公宮殿は、ミラノにあった建物。現在はミラノ王宮が建っている。
別表記
Palazzo Reale di Milano、Corte Vecchia、Corte dell'Arengo、Palazzo del Broletto Vecchio
外部リンク
Google Books
Google Maps
Lombardia Beni Culturali – Palazzo Reale
Storia di Milano - L'evoluzione urbanistica della piazza
Wikipedia - Palazzo Reale
コムナーレ宮殿 Palazzo Comunale di Forlì
- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州フォルリ・チェゼーナ県フォルリ
概要
コムナーレ宮殿は、フォルリにある建物、市庁舎。以前はシニョーリア宮殿。
外部リンク
スキファノイア宮殿 Palazzo Schifanoia
- 所在地
- イタリア共和国エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県フェッラーラ
概要
スキファノイア宮殿は、フェッラーラにある建物。


月暦の間 Salone dei Mesi
外部リンク:Wikipedia
mariateresalupohomepage
所蔵品 月暦の間
別表記
スキファノイア離宮、スキファノーヤ宮殿、Schifanoja
外部リンク
カプラローラのファルネーゼ宮殿 Palazzo Farnese di Caprarola
- 所在地
- イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県カプラローラ
概要
カプラローラのファルネーゼ宮殿は、カプラローラにある建物。

当初は要塞として、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿がアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネに設計を依頼。1530年頃建設が開始されるが、1534年に枢機卿が教皇パウルス3世として即位して興味を失い、基礎工事と外壁までできていたものの中断されてしまう。孫のアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿がヴィニョーラに委嘱し、1559年に工事が再開され、1573年にヴィニョーラが没するものの、1575年ようやくこのマニエリスム建築は完成された。

宮殿としては珍しい五角形であるのは、星型要塞として計画されていたものをヴィニョーラが利用したことに起因していると考えられる。ウフィッツィ美術館にはアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネの設計草案が2点(inv. A 500, 506)、助手のバルダッサーレ・ペルッツィの設計図が1点(inv. A 775, del C)が保存されている。
正面

アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネによる設計図案

バルダッサーレ・ペルッツィによる設計図

間取り図

公式サイト
外部リンク
ウィキペディア
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Canino Info
Dalla Realtà al Progetto - Dal Progetto alla Realtà
マントヴァ公宮殿 Palazzo Ducale di Mantova
- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県マントヴァ
概要
マントヴァ公宮殿は、マントヴァにある建物群。カピターノ宮殿(コルテ・ヴェッキア)、ドムス・ノヴァ、コルテ・ヌオーヴァ、パラティーナ・ディ・サンタ・バルバーラ聖堂、サン・ジョルジョ城で構成されている。
外部リンク
カピターノ宮殿 Palazzo del Capitano di Mantova
- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県マントヴァ
概要
カピターノ宮殿は、マントヴァにある建物。マントヴァ公宮殿の建物群の1つ。

外部リンク
ドムス・ノヴァ Domus Nova
- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県マントヴァ
概要
ドムス・ノヴァは、マントヴァにある建物。マントヴァ公宮殿の建物群の1つ。
坩堝の間 Sala del Crogiuolo
外部リンク
サン・セバスティアーノ宮殿 Palazzo di San Sebastiano
- 所在地
- イタリア共和国ロンバルディア州マントヴァ県マントヴァ
概要
サン・セバスティアーノ宮殿は、マントヴァにある建物。
坩堝の間 Camera del Crogiolo
保存状態の良い1階にある部屋で、正式な歓待に使われていた。天井の中央に描かれている坩堝はフランチェスコ2世・ゴンザーガに関連しており、1495年のフォルノーヴォの戦いの後に起こった出来事を指す。勝利にもかかわらず、フランチェスコ2世・ゴンザーガは逃亡中のフランス軍を追撃せず完勝に導かなかったとして、ヴェネツィア元老院から反逆罪で告発された。自己の行動を弁護したものの解任されて投獄。裁判の後無罪となった。この苦悩の時を記憶するために、彼は個人的な記章として、炎で舐められる壺の中に入っている金の棒の束を採用した。これには、「主よ、あなたは私を探り、私を知り尽くされました(詩篇139:1)」という銘句が伴う。
天井の中心から小さな炎の大雨が降り注ぎ、壁に沿って途切れることなく続いている。ルネットの、アンドレア・マンテーニャのような果物と花からなる2本の花綱の間のリボンにぶら下がる盾は、候妃イザベッラ・デステに結びつく。音楽の象徴、熱烈な愛(アモーレ)という意味の燃えるA、燭台。テネブラエの際に用いるものと似通った三角状の枝付き燭台は、1525年に候妃が採用したもので、息子のフェデリーコ2世・ゴンザーガが廷臣らと共に愛人イザベッラ・ボスケッティのもとへ走ったため、マントヴァ宮廷ですっかり孤立してしまった彼女自身の境遇を示している。
外部リンク
記載日
2008年12月14日
更新日
2021年1月27日