Pandolfo IV Malatesta

パンドルフォ4世・マラテスタ

生没:1475年7月~1534年6月
在位:リーミニの君主 1482年~1500年、1503年、1522年~1523年
父:ロベルト・マラテスタ
妻:ヴィオランテ・ベンティヴォーリオ
子:シギスモンド・マラテスタ
  ロベルト・マラテスタ
  イザベッラ・マラテスタ
  アンニーバレ・マラテスタ
  ジネヴラ・マラテスタ
  マラテスタ・マラテスタ
  ガレオット・マラテスタ

概要

 パンドルフォ4世・マラテスタは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

年表

1500年8月8日
アレクサンデル6世リーミニの君主パンドルフォ4世・マラテスタペーザロの君主ジョヴァンニ・スフォルツァファエンツァの君主アストッレ3世・マンフレディを破門し、その教皇代理の職を奪う小勅書を発して、チェーザレ・ボルジアのこれら各地の攻略に名分を与え、正統化。
1500年10月
初めの週に妻ヴィオランテ・ベンティヴォーリオと子供たちを、義父ジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオボローニャに送る。パンドルフォ4世・マラテスタは要塞にこもる。
1500年10月
リーミニの評議会から意図を尋ねられ、評議会は最善の対応をするようにと答える。チェーザレ・ボルジアに使者を送り、町と城を明け渡すことを申し出る。評議会も同じく降伏を申し出る使者をチェーザレ・ボルジアと、チェゼーナにいるジョヴァンニ・オリヴィエーリに送る。
1500年10月10日
リーミニにて、チェーザレ・ボルジアの代理ジョヴァンニ・オリヴィエーリとパンドルフォ4世・マラテスタが講和条約調印。自身と家族の安全通行のためとして、3千ドゥカートと、要塞にある大砲の価値相当。サルジーナとメドーラとモンターニャの要塞と引き換えに5千5百ドゥカートの支払いを受ける。
1500年10月
金の受け取り場所であるラヴェンナに向かい、船でリーミニ出発。安全保障のため、チェーザレ・ボルジアの弁務官の息子ジョヴァンニ・バッティスタ・バルダッサーレを連れていく。
ヴェネツィア共和国に逃亡。
1503年9月6日
リーミニに、バルトロメオ・ダルヴィアーノ指揮のヴェネツィア共和国軍の支援の下で復帰。
1503年9月8日
弟カルロ・マラテスタを自分の代理として、ウルビーノグイドバルド・ダ・モンテフェルトロのもとに送り、反ボルジア同盟を呼びかける。
1503年10月1日
チェーザレ・ボルジア軍にリーミニを奪われる。

在位

 リーミニの君主 1482年~1500年
  先代:ロベルト・マラテスタ
  次代:チェーザレ・ボルジア
 リーミニの君主 1503年
  次代:ヴェネツィア共和国領→教皇領
 リーミニの君主 1522年~1523年
  次代:ウルビーノ公国領

別表記

 Pandolfaccio

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
マラテスタ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで