- 生没
- 1450年頃~1512年5月21日
- 父
- バルトロメオ・ペトルッチ
- 妻
- アウレリア・ボルゲーゼ
- 子
- ジューリオ・ペトルッチ
アルフォンソ・ペトルッチ
ボルゲーゼ・ペトルッチ
ルドヴィーコ・ペトルッチ
ファビオ・ペトルッチ
ジローラマ・ペトルッチ
スルピツィア・ペトルッチ
フランチェスコ・ペトルッチ
ジューリア・ペトルッチ
フランチェスカ・ペトルッチ
ポルツィア・ペトルッチ
概要
パンドルフォ・ペトルッチは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
在位
シエナ君主 1487年~1512年
次代:ボルゲーゼ・ペトルッチ
年表
1487年
追放されていたシエナの貴族パンドルフォ・ペトルッチ(1450年頃~1512:在位1487年~1512年)ら亡命者たち、シエナを制圧。弟ヤコポ・ペトルッチと共に支配権を握る。
1493年4月25日
アレクサンデル6世、ルドヴィーコ・イル・モーロ及びヴェネツィア、ルドヴィーコ・イル・モーロとその弟、枢機卿アスカーニオ・マリーア・スフォルツァの主導により、前年のフェッランテ・ダラゴーナとピエロ・イル・ファトゥオの連携に抗すべく防衛同盟を締結。ルドヴィーコ・イル・モーロとヴェネツィアはヴィルジーニオ・オルシーニが取得したチェルヴェーテリとアングイララの奪回のための軍事負担に同意し、アレクサンデル6世の身辺警護の軍を派遣。
間もなくこの同盟にシエナのパンドルフォ・ペトルッチ、ヤコポ・ペトルッチ兄弟、フェッラーラのエルコーレ1世・デステ、マントヴァのフランチェスコ2世・ゴンザーガも加わる。
1498年9月
シエナ方面からフィレンツェを攻めようとするヴェネツィアの作戦を阻止すべく、シエナの君主パンドルフォ・ペトルッチとかなりの譲歩を含む5年間の休戦協定を結ぶ。
1502年9月末
アントーニオ・ダ・ヴェナーフロを代理として、マジョーネの会合に送る。
1502年10月
書記官をチェーザレ・ボルジアに送り、「公に敵対する者たちに協力するつもりはない」ことを伝える。
1502年
1503年1月
シエナでパンドルフォ・ペトルッチに対する陰謀が発覚し、市民22名を拘束。直ちに首謀者3名を絞首刑に処す。
1503年1月8日
チェーザレ・ボルジア、アッシジでシエナの使節に接見。使節に対し、その君主パンドルフォ・ペトルッチを追放する決意を表明すると共に、シエナ市民自らが彼を追放するよう市民を説得せよと厳命。
1503年1月10日
チェーザレ・ボルジア、トルジャーノでフィレンツェの使節ニッコロ・マキアヴェッリに対し、パンドルフォ・ペトルッチはフィレンツェ及び自分の共同の敵であり、その追放は両者の安全にとって不可欠であると協調し、そのために共に行動するよう強く要求。
1503年1月18日頃
1503年1月28日
パンドルフォ・ペトルッチ、シエナを逃亡。
1503年3月24日頃
シエナ、パンドルフォ・ペトルッチ派と反パンドルフォ・ペトルッチ派の2党に分裂。
1503年3月29日
パンドルフォ・ペトルッチは、ルイ12世を後ろ盾としてシエナに復辟。
1505年3月
この頃?、ルイ12世が瀕死の重病に陥り、アスカーニオ・マリーア・スフォルツァはミラノ奪還の策動を開始。ユリウス2世、ヴェネツィア、ヴィテッリ家、オルシーニ家、パンドルフォ・ペトルッチ、フィレンツェの傭兵隊長の一人ジャンパオロ・バリオーニを巻き込み、当面はメディチ家のジョヴァンニ・デ・メディチ、ジュリアーノ・デ・メディチ兄弟のフィレンツェ復帰を図る。軍事行動の指揮はバルトロメオ・ダルヴィアーノが担当。
1505年5月28日
1505年7月
反フィレンツェ策動の中心人物の1人パンドルフォ・ペトルッチからバルトロメオ・ダルヴィアーノのフィレンツェ攻撃計画について通報を受ける。パンドルフォ・ペトルッチのもとにニッコロ・マキアヴェッリを派遣。
1510年12月2日
シエナの君主パンドルフォ・ペトルッチのもとへニッコロ・マキアヴェッリを派遣し、期限の迫った休戦協定を更新する意志のないことを通告。
1511年5月1日
シエナのパンドルフォ・ペトルッチのもとへ、新協定の締結及びモンテプルチアーノの獲得に関する交渉のためニッコロ・マキアヴェッリを派遣。
1512年5月21日
パンドルフォ・ペトルッチ死。——子ボルゲーゼ・ペトルッチ、シエナの君主となる(在位1512年~1516年)。
ルイ12世と神聖同盟の間で動揺していたマクシミリアン1世、ユリウス2世の説得を容れてヴェネツィアと休戦し、神聖同盟に加入。スイス連邦軍のティロル通過の承認、ルイ12世軍の精鋭をなしていたドイツ人歩兵全員の召還など反ルイ12世の方針を打ち出す。
1512年6月4日
パンドルフォ・ペトルッチの葬儀にニッコロ・マキアヴェッリを派遣。
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『君主論』
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
『フィレンツェ史』
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『Lucretia Borgia』
『The Life of Cesare Borgia』
記載日
2005年5月29日以前