Paolo Guinigi

パオロ・グイニジ

生没:1376年~1432年
出身:ルッカ
没地:パヴィア
在位:ルッカの領主 1400年11月21日~1430年
父:フランチェスコ・グイニジ
妻:マリーア・カテリーナ・アンテルミネッリ
  イラリア・デル・カッレット

概要

 パオロ・グイニジは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

年表

1429年11月
ジェノヴァと同盟関係を保ち、ジェノヴァを支配するミラノ公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの側に立ってきたものの、そのフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティがトスカーナへの不介入を約したため、ルッカは孤立していた。ヴォルテッラ平定後間もなくミラノやヴェネツィアのように支配領を拡大、強化する必要性が認識されてきたフィレンツェ共和国で、ルッカを今こそ制圧せよとの声が急速に高まる。
1430年2月18日
以降、フィレンツェ共和国軍がルッカ近郊に陣を敷く。
1430年春
フィレンツェ共和国軍がルッカを包囲。フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ及びシエナに支援を求める。
1430年7月
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの指示を受けたフランチェスコ1世・スフォルツァが、4千5百の兵と共にトスカーナに入り、各地を占領しながらルッカに至る。このためフィレンツェ軍は、ルッカ包囲網を大幅に後退。
フランチェスコ1世・スフォルツァ軍に敵し得ないと判断したフィレンツェ共和国は、多額の資金の提供を条件に撤兵を提案し、フランチェスコ1世・スフォルツァはこれを受け、ルッカをルッカ人の手に戻さないことを約して撤兵。
フィレンツェ共和国によるこのフランチェスコ1世・スフォルツァ買収後、ルッカ市内に、パオロ・グイニジもまたフィレンツェに多額の金でルッカを売り渡そうとしているとの噂が反グイニジ派により広められる。
1430年8月14日
フランチェスコ1世・スフォルツァと結んだルッカの反グイニジ派に捕縛され、子共々フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティのもとに送られる。(1430年8月15日)

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2012年10月18日