Piero Capponi

ピエロ・カッポーニ

生没:1446年8月18日~1496年9月21日
父:ジーノ・ディ・ネリ・ディ・ジーノ・ディ・ネリ・カッポーニ
母:マッダレーナ・マンネッリ
妻:ニコローザ・グィッチャルディーニ
子:ニッコロ・カッポーニ
  ジュリアーノ・カッポーニ
  ジーノ・カッポーニ
  マッダレーナ・カッポーニ

概要

 ピエロ・カッポーニは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1466年7月5日
ニコローザ・グィッチャルディーニと結婚。
1494年11月4日
シニョーリアは、コンシーリオ・デル・セタンタを召集し、対策を諮問。ピエロ・カッポーニ(1446年~1496年)がピエロ・イル・ファトゥオを支配者として相応しくないと断定し、彼の幼稚な専制支配を終わらせて市民の自由を回復せよと強調するなど、メディチ派の有力者たちがメディチ支配に公然と反抗し始める。
1494年11月5日
百人委員会は、前日のコンシーリオ・デル・セタンタでのピエロ・カッポーニの発言に基づき、ジローラモ・サヴォナローラピエロ・カッポーニなど5名の使節をシャルル8世の元に派遣し、反フランス政策への転換はピエロ・イル・ファトゥオ個人の責任であること、ピエロ・イル・ファトゥオをフィレンツェの公式の代表とは認めないこと、を言明してピエロ・イル・ファトゥオを慰撫することを決議。5名の使節出発。ジローラモ・サヴォナローラは、初めて政治の全面に登場。
1494年11月
ジローラモ・サヴォナローラピエロ・カッポーニらフィレンツェ使節は、ピサでシャルル8世と交渉するが、何の回答も得られず、失敗。ピサ市民に追われるように帰る。
1494年11月12日
ピサが、フィレンツェからの独立を目指して反乱。フィレンツェはピサ制圧戦争をまた始める(1494年~1509年)。
1494年11月14日
ジローラモ・サヴォナローラら代表団は、ピエロ・カッポーニの別荘で再びシャルル8世と交渉するが何の回答も得られずに終わる。
1494年11月17日
シャルル8世は、軍と共に厳かに市内に入り、自身はメディチ宮殿に投宿。自身に譲歩したピエロ・イル・ファトゥオを復辟させ、自身をピエロ・イル・ファトゥオの上に立つ大君主と見なすよう要求。
ジローラモ・サヴォナローラを除くピエロ・カッポーニら4名の代表団は、シャルル8世の脅迫的要求を拒否。交渉決裂。市内にフランス軍による略奪、蛮行の不安、恐怖広まる。
1494年11月25日
シャルル8世は、先の要求を緩和。ピエロ・カッポーニら代表団と、ナポリ制圧後可能な限り速やかにピサをフィレンツェに返還すること、フィレンツェは彼にナポリ制圧のための多額の軍事金12万ドゥカーティを3回に分割して支払うこと、ピエロ・イル・ファトゥオ及びその兄弟をフィレンツェから追放しその財産を没収すること、などについて合意し、協定。
1496年9月21日
ピエロ・カッポーニ、ピサ戦線で死(1446年~)。

別表記

 ピエール、ピエロ・デ・カポーニ

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンスの歴史』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『イタリア史』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

記載日

 2005年5月29日以前