Pius III

ピウス3世

生没:1439年5月9日~1503年10月18日
出身:シエナ
没地:ローマ
在位:枢機卿 1460年3月5日~1503年9月22日
       任命した教皇:ピウス2世
   第215代教皇 1503年9月22日~1503年10月18日
    先代:アレクサンデル6世
    次代:ユリウス2世
父:ナンニ・トデスキーニ
母:ラウドミア・ピッコローミニ

概要

 フランチェスコ・トデスキーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。第215代教皇ピウス3世。

年表

1503年9月16日~1503年9月22日
コンクラーヴェに参加。
1503年9月22日
教皇に即位しピウス3世を名乗る。
1503年9月
チェーザレ・ボルジアの支持、協力で即位したため、チェーザレ・ボルジアのこれまでの地位、領国を全て改めて承認。
1503年9月23日
ヴェネツィア大使アントーニオ・ジュスティニアーニに、ヴェネツィア共和国のロマーニャへの企てに対する不満を表明。
1503年9月
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿の甥フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレセニガッリアを認めず。
ラッファエーレ・サンソーニ枢機卿の母方のいとこオッタヴィアーノ・リアリオらにイーモラフォルリを認めず。
1503年9月25日
勅書を発し、反ボルジア同盟に対し、教会への反抗をやめるよう要求。
1503年9月26日
チェーザレ・ボルジアの傭兵隊長たちとロマーニャの領民に対し、彼に忠誠を尽くすよう命令(1503年9月25日)。
1503年10月3日
オルシーニ家が反乱し、2人の子供と共にサンタンジェロ城に避難。
1503年10月8日
勅書を発し、チェーザレ・ボルジア教会の旗手であることを追認する。
1503年10月18日
夜12刻、在位26日間で病死。

関連項目

 The Borgias: 101, 102, 107, 108, 109, 201

本名

 フランチェスコ・トデスキーニ、Francesco Todeschini

別表記

 Cardinal Piccolomini

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 JDA's Family Tree
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 THE BORGIAS wiki

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
トデスキーニ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで