Pius IV

ピウス4世

生没:1499年3月31日~1565年12月9日
在位:枢機卿 1549年4月8日~1559年
       任命した教皇:パウルス3世
   第224代教皇 1559年~1565年
    先代:パウルス4世
    次代:ピウス5世
父:ベルナルディーノ・ディ・ジャン・ヤコポ・デ・メディチ
母:チェチリア・セルベッローニ

概要

 ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、第224代教皇

年表

1559年7月半ば
高齢のパウルス4世の死期が迫る中、枢機卿ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ(1499年~1565年:教皇在位1559年~1565年)フィレンツェに入り、コジモ1世・デ・メディチと教皇選出枢機卿会議について協議を開始。トスカーナの「王」たらんとする野望実現のため教皇位を利用したいコジモ1世・デ・メディチフィレンツェのメディチ一族ではないが一族と認められたいジョヴァンニ・アンジェロ・メディチに一族の紋章の利用を認めるなど、ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチの教皇擁立の準備を進める。
1559年12月25日
枢機卿ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ(1499年~:在位1549年~)、教皇に即位し、ピウス4世を名乗る(在位~1565年)。
1560年1月31日
ピウス4世、教皇即位(1559年12月)にあたって絶大な尽力・支援を得たコジモ1世・デ・メディチへの見返りとして、その次男ジョヴァンニ・ディ・コジモ・デ・メディチ(1543年~1562年)を枢機卿に叙任(在位1560年~1562年)。
1560年1月31日
ピウス4世、甥カルロ・ボッロメオ(1538年~1584年)を枢機卿に叙任し、さらに1560年2月8日ミラノ大司教に叙任(在位~1584年)。
1564年3月24日
ピウス4世、禁書目録(1559年)が厳格すぎて実効性に乏しく適用されないことが多いため、その取締り基準を緩和しながら実効性を上げるべく新禁書目録を公布。
1565年12月9日
ピウス4世死(1499年~:在位1559年~)。
1566年6月19日
クレメンス7世の書記官を務めた(1533年)が後に改革派(Valdés派)に傾斜したためパウルス4世の下で再三、異端審問に晒され、一旦は有罪判決を受け(1558年)ながらも、パウルス4世の死後ピウス4世の下でコジモ1世・デ・メディチの仲介により判決を取り消され(1560年)、この頃コジモ1世・デ・メディチの客としてフィレンツェに招かれていたPietro Carnesecchi(1508年~1567年)について、新教皇ピウス5世の下のローマ異端審問所、その身柄を引き渡すようコジモ1世・デ・メディチに要求。
1566年末
この頃?、教皇ピウス5世、故ピウス4世がトレント公会議の決議に基づきその甥・枢機卿カルロ・ボッロメオの監修下で4名の神学者に執筆させた主任司祭用の教理問答書を、最終的に校閲させラテン・イタリア両語で、ローマで刊行させる(Catechismus Romanusローマ公教要理)。
1564年3月24日
ピウス4世の新禁書目録に依然としてニッコロ・マキアヴェッリの全作品が登録される。

本名

 ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ

別表記

 ピオ4世、Giovanni Angelo Medici di Marignano

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ローマ教皇検死録』

記載日

 2005年5月29日以前