Pompeo Colonna

ポンペーオ・コロンナ

生没:1479年5月12日~1532年6月28日
在位:枢機卿 1517年7月1日~1532年
       任命した教皇:レオ10世
父:ジローラモ・コロンナ
母:ヴィットーリア・コンティ
女:ジューリア・ディ・フォンディ
子:ジョヴァンニ・コロンナ

概要

 ポンペーオ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

年表

1526年9月20~21日
コロンナ一族は、ウーゴ・デ・モンカーダ指揮の軍と共にローマを急襲しヴァティカン宮殿を略奪。クレメンス7世サンタンジェロ城に逃亡。かねてからクレメンス7世に敵対していた枢機卿ポンペーオ・コロンナ(1479年~1532:枢機卿在位1517年~1532年)がクレメンス7世を廃して教皇位を襲うための行動と広く信じられる。
1526年9月21日
やむなくウーゴ・デ・モンカーダと、4ヶ月間の休戦、ロンバルディアにある教皇軍のポー河以南への撤退、コロンナ家の赦免、カール5世軍、コロンナ家軍のローマ及び教会領からナポリへの撤退などを協定。
この後、クレメンス7世、直ちに密かに軍を集め、コロンナ家領及びナポリへの侵攻態勢を整えると共にコロンナ一族を教会に対する反逆者と宣言し、ポンペーオ・コロンナの枢機卿位を剥奪。
他方でクレメンス7世、ロンバルディアの同盟軍に書簡を送り、4ヶ月の休戦期間終了後はこれまで以上にカール5世と戦うと告げる。
1526年11月21日
1526年9月のコロンナ一族によるヴァティカン宮殿襲撃の参加者の処罰を進めてきた教皇庁は、召喚にも応じないポンペーオ・コロンナの聖職剥奪を宣言。
1527年3月15/16日
軍資金に窮して自軍の兵士の憤懣、脱走を止められない中でシャルル・ド・ブルボン指揮のカール5世軍の南下を見たクレメンス7世、やむなくCharles de Lannoyと8ヶ月間の休戦協定を結び、自軍のナポリ領及びコロンナ家領からの撤退、コロンナ家の赦免、ポンペーオ・コロンナの枢機卿への復位、カール5世軍への資金の提供、カール5世軍の教会領及びフィレンツェ領からの撤退、ヴェネツィア及びフランスによる本協定承認後のカール5世軍のイタリアからの撤退を約定。
これによりクレメンス7世は形式上コニャック同盟から離脱。

別表記

 ポンペオ、ポンペイオ

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンスの女たち』
 『イタリア史Ⅴ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

記載日

 2005年5月29日以前