Prospero Colonna

プロスペロ・コロンナ

生没:1460年頃?~1523年12月30日
没地:ミラノ
在位:トラエット公
    次代:ヴェスパシアーノ・コロンナ
父:アントーニオ・コロンナ
母:インペリアーレ・コロンナ
妻:イザベッラ・ディ・ジョヴァンニ・カラーファ
子:ヴェスパシアーノ・コロンナ
  エルシリア・コロンナ

概要

 プロスペロ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長、トラエット公。

年表

1501年1月・1501年2月
ナポリゴンザロ・デ・コルドバにより、ローマへ送られる。
1501年3月
ファブリツィオ・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。
1501年6月
マリーノとロッカ・ディ・パーパを任せ、ナポリ防衛のために出発。
ロベール・スチュアート・ドオービニイと戦うが、ゴンザロ・デ・コルドバの指示により、あまり強く抵抗せず。
2千人と共に降伏。イスキアへ逃亡したフェデリーコ・ダラゴーナを追うが、フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。
1503年8月22日
ローマにて、チェーザレ・ボルジアと協定を結ぶ。
1503年9月1日
チェーザレ・ボルジア、フランス王ルイ12世と新たに協定を結ぶ。
1503年9月2日
サンタンジェロ城に幽閉されていたサンチャ・ダラゴーナに伴い、ナポリへ向けローマ出発。
1515年
この頃?、レオ10世の強い支持を得て対フランス同盟側についていたジェノヴァのドージェ・オッタヴィアーノ・フレゴーソフランソワ1世によるイタリア侵攻軍の目覚しい強化、結集に怯えて彼と秘密裡に協定を結ぶが、すぐ露見。
傭兵隊長プロスペロ・コロンナ指揮のミラノ軍が、スイス連邦軍と共にジェノヴァ攻撃に向かうが、オッタヴィアーノ・フレゴーソの訴えを受け入れたレオ10世に制止される。
1515年8月12日
フランソワ1世軍は、ミラノ軍、スイス連邦軍をヴィッラフランカで撃破し、その指揮官プロスペロ・コロンナを捕虜とする。後、カルロ・ディ・サヴォイアの盛大な歓迎を受けてトリノに軍を結集。
1521年8月1日
第二次イタリア戦争:レオ10世は、マントヴァ候フェデリーコ2世・ゴンザーガ指揮の自軍とペスカーラ候フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロス(1490年~)指揮のカール5世をボローニャに集めて同盟軍を結成し、その総指揮官にプロスペロ・コロンナを、前線総監にフランチェスコ・グィッチャルディーニを当て、間もなくジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ指揮の軍も加え、フランソワ1世のミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワに宣戦布告。フランソワ1世カール5世のヨーロッパ覇権を巡る対立、イタリアでも公然たる戦争に発展し、第二次イタリア戦争始まる(~1559年)。
1521年8月29日~9月2日
プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(教会軍、フィレンツェ軍、カール5世軍)は、パルマを攻撃し一時、支配するが、新たにフェッラーラ軍の支援を受けたミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍を前にして後退。
1521年11月19日
プロスペロ・コロンナやペスカーラ候フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロスらに指揮され、教皇特使ジューリオ・デ・メディチを加えた同盟軍の進撃を前に、ミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍及びTeodoro Trivulzio(1474年~1551年)ら指揮のヴェネツィア軍は、城塞に守備隊を残してミラノを撤退。同盟軍は、ミラノ公フランチェスコ・マリーア・スフォルツァの名でミラノを制圧。
以後、同盟軍は、ナヴァーラ、アスティ、アレッサンドリア、パヴィア、ローディ、クレモーナ、パルマ、ピアチェンツァを相次いで占領し、パルマ、ピアチェンツァを教会領に併合。
1522年3月初旬
本国から援軍を得たロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍は、ヴェネツィア軍をも加えて、ミラノを奪還すべくロンバルディアに出撃。プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(主力はカール5世軍)と各地で激戦を展開。
1522年5月25/26日
同盟軍は、クレモーナを攻撃。守備していたフランソワ1世軍はやむなく同盟軍指揮官プロスペロ・コロンナと協定を結び、クレモーナ、ミラノ、ノヴァーラの3市の城塞を保持する他はロンバルディアから全面的に撤退することを約束。プロスペロ・コロンナはフランソワ1世軍の帰国の安全を保証。
1522年5月30日
同盟軍は、1513年ジェノヴァから追放されたジローラモ・アドルノ(1483/1489年~1500年代前半)、アントニオット・アドルノ兄弟を同道してジェノヴァを攻略。ジェノヴァはフランスの支配を脱し、新たにアントニオット・アドルノをドージェに選出(在位~1527年)。
1523年9月上旬~中旬
Guillaume de Bonnivet指揮のフランソワ1世軍は、アルプスを経てアスティ、アレッサンドリア、ノヴァーラを占領した後、1523年9月半ば、ロンバルディアに進軍してミラノに迫る。病身のプロスペロ・コロンナが指揮する同盟軍が、急ぎミラノ防衛態勢をとる。
1523年12月30日
プロスペロ・コロンナ死。彼に代わる同盟軍の指揮官にカール5世によって任命されたそのナポリ総督Charles de Lannoyは、すでに12月半ばロンバルディアに到着。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前