Prospero Adorno

プロスペロ・アドルノ


生没:1428年~1486年
出身:ジェノヴァ
没地:ナポリ
父:バルナバ・アドルノ
母:ブリージダ・ジュスティニアーニ
妻:クレメンツァ・マラスピーナ
子:ベルナルド・アドルノ
  マリーア・アドルノ
  フランチェスカ・アドルノ
  ダーリア・アドルノ
  ブリージダ・アドルノ
  ルイジア・アドルノ

概要

 プロスペロ・アドルノは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1461年3月9日~1461年3月10日
フランス支配下で重税に不満を高めてきたジェノヴァの民衆、大司教パオロ・フレゴーソ(1430年~1498年)の巧妙な策に導かれ武装蜂起。たちまちシャルル7世総督府の者たちを城塞に追いやる。
間もなくパオロ・フレゴーソ及びプロスペロ・アドルノ(1428年~1485年)がそれぞれ武装農民を率いて市内に入る。長年の宿敵フレゴーソ家とアドルノ家、対立を残しながらも和を結んでフランス支配に反抗し、シャルル7世軍守備隊を城塞に追い込む。
1461年3月12日
プロスペロ・アドルノが、ジェノヴァのドージェに選出される。
パオロ・フレゴーソ、自らミラノに赴いてフランチェスコ1世・スフォルツァに支援を求め、ジェノヴァからシャルル7世の勢威を排したいフランチェスコ1世・スフォルツァから十分な支援の約束を得る。
1461年7月17日
フランチェスコ1世・スフォルツァから新たに支援の将軍3名が到着してフランチェスコ1世・スフォルツァの全面支援を信じたパオロ・フレゴーソ・プロスペロ・アドルノ指揮のジェノヴァ市民、総反撃しフランス軍を撃退。シャルル7世のジェノヴァ支配、事実上、終わる(1458年~1461年)。
間もなくフレゴーソ、アドルノ両家の対立、激化。前者が主導権を握り、元ドージェ(在位1448年~1450年)ルドヴィーコ・フレゴーソ(1406年頃~1489年)がドージェに復帰(在位1461年~1463年)。
1477年4月30日
ジェノヴァの反乱、ミラノ軍に鎮圧される。——元ドージェ、プロスペロ・アドルノ(在位1461年3月~1461年7月)をミラノ総督としてジェノヴァを統治(1477年~1478年)。
1478年3月27日
ミラノ公のジェノヴァ総督プロスペロ・アドルノは、シクストゥス4世フェッランテ・ダラゴーナの同盟に加盟。ミラノは直ちにプロスペロ・アドルノを排すべく使節をジェノヴァに送る。
1478年6月25日
シクストゥス4世フェッランテ・ダラゴーナは、ミラノのフィレンツェ支援を阻止する策の一つとして、ミラノ配下のジェノヴァに乱を起こすべくプロスペロ・アドルノにミラノに対する反乱を起こさせる。
1478年8月7日
ジェノヴァのプロスペロ・アドルノによる反乱鎮圧に送られたミラノ軍、ジェノヴァ軍に破れる。
これに対しボーナ・ディ・サヴォイア、アドルノ家の宿敵フレゴーソ家のバッティスタ2世・フレゴーソ(1453年~1504年)を、彼の独立のドージェとしてジェノヴァを統治することを認めかつ周辺の城塞を与えた上で市内に送り込む。
1478年11月25日
この日バッティスタ2世・フレゴーソが、アドルノ陣営の内部の分裂を利してプロスペロ・アドルノら首脳を追放し、自らドージェとなる。ミラノのジェノヴァ支配終わる(1464年~1478年)。

外部リンク

 Geneanet
 Google Books
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

記載日

 2010年8月25日