Raffaele Sansoni

ラッファエーレ・サンソーニ

生没:1461年5月3日~1521年7月9日
在位:枢機卿 1477年12月10日~
       任命した教皇:シクストゥス4世
   ピサ大司教 1479年9月17日~1499年6月3日
    先代:フランチェスコ・サルヴィアーティ
    次代:チェーザレ・リアリオ
   ピサ大司教 1518年9月3日~1518年9月10日
    先代:チェーザレ・リアリオ
   アレッツォ教区長 1508年7月7日~1511年11月5日
父:アントーニオ・サンソーニ
母:ヴィオランテ・リアリオ

概要

 ラッファエーレ・サンソーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

性格

 全く無能。

教養

 フィレンツェの人文主義者ヤコポ・ブラッチョリーニが家庭教師を務めていた。

年表

1461年5月3日
生。
1477年12月10日
枢機卿に任命される。大学生で、ピサで学びながらフランチェスコ・サルヴィアーティ大司教の邸宅で暮らす。
1478年3月5日
パッツィ家のヴィッラ・ラ・ロッジャに到着。聖職者としての地位が高いため、それに相応しい正式な歓迎を受けなければ街に入れない事情から、フィレンツェ周辺に1ヶ月以上にわたって滞在した。
1478年3月30日
モントゥーギで書簡をしたためる。
1478年4月26日(日)
朝ヴィッラ・ラ・ロッジャを出発して馬でフィレンツェに向かった。一行はフランチェスコ・サルヴィアーティ大司教、ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モンテセッコヤコポ・ブラッチョリーニ
メディチ宮殿で馬を降りる。彼らは直接サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行くものと思われていたので、出迎える者は誰もいなかった。
パッツィ家の陰謀サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、昇天祭ミサを彼が執り行い、その後宮殿で宴会が催される予定だった。
1478年
逮捕、投獄される。
1478年6月7日
釈放される。フィレンツェの執政官及び多くの市民が、ヴェッキオ宮殿からサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂へ歩く彼に同行した。40名の護衛に付き添われていた。
1478年6月12日
フィレンツェ出発。
1478年6月13日
シエナ到着。
1499年11月21日
狩りに行くと装い、ローマから逃亡。モンテ・ロトンドへ、次いでサルザーナへ。
1521年7月9日
没。

肖像

 シクストゥス4世によってヴァティカン図書館司書に任命されたバルトロメオ・プラティナ

別表記

 サン・ジョルジョ枢機卿、リアリオ枢機卿、ラファエロ、ラファエッロ・リアーリオ、Raffaele RiarioRaffaele Sansoni Galeoti RiarioCardinal Sforza-Riario

外部リンク

 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前