黄金の薔薇 Rosa d'Oro
概要
黄金の薔薇は、四旬節の第4日曜日に教皇から贈られる金の置物。1049年の教皇勅書で初めて言及されたが、この伝統はグレゴリウス1世の在位中に始まったという。
ヌーシャテル伯ルドルフ3世 1316~1334年 ヨハネス22世
ルッカ共和国 1564年 ピウス4世
シエナ大聖堂 1658年 アレクサンデル7世
受領者
フルク4世・ダンジュー | 1096年 | ウルバヌス2世 |
アルフォンソ7世 | 1148年 | エウゲニウス3世 |
ルイ7世 | 1163年 | アレクサンデル3世 |
ウィリアム1世 | 1182年 | ルキウス3世 |
ライモンド・オルシーニ | 1227年 | グレゴリウス9世 |
サン=ジュスト教会、リヨン | 1244年 | インノケンティウス4世 |
サン・ドメニコ教会、ペルージア | 1304年 | ベネディクトゥス11世 |
ヌーシャテル伯ルドルフ3世 | 13??年 | ヨハネス22世 |
ルイジ・ディ・ターラント | 1348年 | クレメンス6世 |
ラヨシュ1世 | 1348年 | クレメンス6世 |
ニッコロ・アッチャイウオリ | 1350年 | インノケンティウス6世 |
ヴァルデマー4世 | 1362年 | ウルバヌス5世 |
アメデーオ6世・ディ・サヴォイア | 1364年 | ウルバヌス5世 |
ジョヴァンナ1世・ダンジオ | 1368年 | ウルバヌス5世 |
サン・ピエトロ大聖堂 | 1369年 | ウルバヌス5世 |
ライモンド・オルシーニ・デル・バルツォ | 1389年 | ウルバヌス6世 |
アルベルト5世・デステ | 1391年 | ボニファティウス9世 |
アストッレ1世・マンフレディ | 1393年 | ボニファティウス9世 |
ウゴリーノ3世・トリンチ | 1398年 | ボニファティウス9世 |
カルロ1世・マラテスタ | 1399年 | |
ニッコロ3世・デステ | 1410年 | アレクサンデル5世 |
シャルル6世 | 1411年 | ヨハネス23世 |
ルドヴィーコ・アリドージ | 1413年 | ヨハネス23世 |
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク | 1415年 | ヨハネス23世 |
フィレンツェ共和国 | 1419年 | マルティヌス5世 |
グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ | 1420年 | マルティヌス5世 |
ラヌッチョ・ファルネーゼ | 1434年 | エウゲニウス4世 |
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク | 1435年 | エウゲニウス4世 |
ヘンリー6世 | 1444年 | エウゲニウス4世 |
ポーランド王カジミェシュ4世 | 1448年 | ニコラウス5世 |
フリードリヒ3世 | 1452年 | ニコラウス5世 |
エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル | 1452年 | ニコラウス5世 |
シャルル7世 | 1457年 | カリストゥス3世 |
シエナ共和国 | 1459年 | ピウス2世 |
ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ | 1477年 | シクストゥス4世 |
ジルベール・ド・ブルボン | 1485年 | インノケンティウス8世 |
スコットランド王ジェームズ3世 | 1486年 | インノケンティウス8世 |
スコットランド王ジェームズ4世 | 1491年 | インノケンティウス8世 |
イサベル1世・デ・カスティーリャ | 1493年 | アレクサンデル6世 |
ヴェネツィア共和国 | 1495年 | アレクサンデル6世 |
ゴンザロ・デ・コルドバ | 1497年 | アレクサンデル6世 |
チェーザレ・ボルジア | 1500年 | アレクサンデル6世 |
ポーランド王アレクサンデル | 1505年 | ユリウス2世 |
ポルトガル王マヌエル1世 | 1506年 | ユリウス2世 |
アルフォンソ1世・デステ | 1508年 | ユリウス2世 |
ヘンリー8世 | 1512年 | ユリウス2世 |
ポルトガル王マヌエル1世 | 1514年 | レオ10世 |
ザクセン選帝侯フリードリヒ3世 | 1518年 | レオ10世 |
ヘンリー8世 | 1521年 | レオ10世 |
ヘンリー8世 | 1524年 | クレメンス7世 |
フェデリーコ2世・ゴンザーガ | 1537年 | パウルス3世 |
エルコーレ2世・デステ | 1543年 | パウルス3世 |
カトリーヌ・ド・メディシス | 1548年 | パウルス3世 |
ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガル | 1550年 | ユリウス3世 |
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 | 1551年 | ユリウス3世 |
メアリー1世 | 1555年 | ユリウス3世 |
マリア・エンリケス・デ・トレド | 1557年 | パウルス4世 |
メアリー・スチュアート | 1560年 | ピウス4世 |
アンナ・ヤギェウォ | 1561年 | ピウス4世 |
ルッカ共和国 | 1564年 | ピウス4世 |
シャルル9世 | 1572年 | ピウス5世 |
フアン・デ・アウストリア | 1574年 | グレゴリウス13世 |
イサベル・クララ・エウヘニア | 1591年 | グレゴリウス14世 |
アンリ4世 | 1592年 | クレメンス8世 |
マルガレーテ・フォン・エスターライヒ | 1598年 | クレメンス8世 |
フェルディナンド2世・デ・メディチ | 1626年 | ウルバヌス8世 |
マリーア・マッダレーナ・ダウストリア | 1628年 | ウルバヌス8世 |
ルクレツィア・バルベリーニ | 1654年 | インノケンティウス10世 |
シエナ大聖堂 | 1658年 | アレクサンデル7世 |
別表記
金のバラ、ローザ・ドーロ、Golden Rose、Rosa Aurea
外部リンク
参考文献
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンスの女たち』
『ルネサンスの華』
『The Life of Cesare Borgia』
ゲオルギウス Georgius
- 記念日
- 4月23日
概要
ゲオルギウスは、伝説上の戦士聖人、殉教者。小アジアのカッパドキアに生まれ、3世紀末頃パレスティナのリッダで没したと言われる。早くから特にギリシア正教会で崇敬された。西ヨーロッパで一般に知られるようになるのはようやく13世紀頃からである。彼はヴェネツィアをはじめヨーロッパのいくつかの都市の守護聖人で、1222年にはイングランドの、その約1世紀後にはガーター騎士団の守護聖人にもなっている。
異教を象徴である竜を倒すことによって、女性に擬人化されたカッパドキアの信仰による征服を示した。しかし、『黄金伝説』では犠牲に供せられようとする王の娘を救うため、城壁の外の海岸で竜と戦ったことになり、場所もリビアのシレナとなっている。他の典拠ではペルセウスの冒険が行われた地ベイルートとされている。
持ち物
鎧、純潔を象徴する白馬、剣、槍、赤い十字の旗
題材作品
登場
ヤコポ・ヴァラジーネ著『黄金伝説』
別表記
ゲオルギオス
外部リンク
教会の旗手 Gonfaloniere della Chiesa
概要
中世、ルネサンス期の教会の旗手一覧。
別表記
ゴンファロニエーレ・デッラ・キエーザ、ゴンファロニエーレ・デッラ・キェーザ、Gonfaloniere of the Holy Roman Church
外部リンク
教皇庁 Curia Romana
概要
教皇庁は、教皇の下に全世界のカトリック教会を統治する行政機構の総称。
元々教皇の御付司祭とローマ近隣の司教たちから成っていたが、教会が発展していく過程で拡大、分化し、11世紀以降従来の慣用的表示であるラテラノ宮廷からローマ教皇庁と呼ばれるようになった。
パウルス6世による1967年の改革以前は、5つの行政機関である尚書院、会計院、掌璽院、国務省、文書書簡庁と、3つの法務機関である内赦院、控訴院、大審院と、12の聖省を中心に構成されていた。
尚書院 Cancelleria Apostolica
別表記:教皇官房庁
教皇庁書記局。教皇勅書の起草、送付、保管を担当。実質的には教皇の事務局としての役割を担う。
11世紀に尚書院の組織化が始まり、教皇勅書の形式が規格化され、文字や書体が統一された。尚書院長は特許状の精査と確認、発給文書の正確な写しの保存と管理に責任を負った。教皇の旅行には常に同行した。
また、尚書院は教皇官房の地位に高められることになる。尚書院長は常に枢機卿から選ばれ、12世紀には教皇に就任した尚書院長が少なくない。尚書院長は教皇行政に大きな発言権を有し、教皇の枢機卿人事にもしばしば介入した。
副尚書院長の住居は最初はスフォルツァ・チェザリーニ宮殿で、1517年からはカンチェッレーリア宮殿にある。
1532年からサン・ロレンツォ・イン・ダマーゾ司祭枢機卿の称号は副尚書院長が所有。
副尚書院長 Vice Cancelliere
別表記:聖庁尚書院副主事、教皇庁尚書官代理ロドリゴ・ボルジア
アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ
ガレオット・フランチオッティ
シスト・ガラ
ジューリオ・デ・メディチ
ポンペーオ・コロンナ
イッポーリト・デ・メディチ
アレッサンドロ・ファルネーゼ
会計院 Camera apostolica
別表記:聖庁財務院、教皇財務庁、Apostolic Chamber
教皇庁会計院は、財政管理に関する部門。教皇庁の収入と支出、教皇領の税収の管理を担当し、聖座献金や各地の修道院から徴収される貢納金はここに納入された。
11世紀前半のラテラノ宮廷財務局は多数の聖俗役人が入り乱れ不統一で、会計簿さえも満足に付けられていない状態であったが、1080年代後半になると教皇庁の収入目録をその権原と共に記録され始める。ウルバヌス2世が新たに教皇庁会計院を創設。教皇は即位直後に腹心を会計院長に任命するのが慣例になり、エウゲニウス3世以後は会計院長には主として枢機卿が任命された。
会計院長 Camerlengo di Santa Romana Chiesa
別表記:財務院長官、侍従、教皇代行
教皇庁会計院の長官、カメルレンゴ。また、教皇逝去時にはその手続きとコンクラーヴェの準備を担う。
教皇の額を銀の小槌で軽く叩き、「(教皇の洗礼名)よ、眠っておられるのか」と3度問いかける。こうして、死を公式に確認し、宣言。故人の薬指から漁師の指輪を外し、破壊し、公的な文書に使用される印章を無効にする。
ルドヴィーコ・スカランピ
ラティーノ・オルシーニ
ギヨーム・デストゥトヴィル
ラッファエーレ・サンソーニ
インノチェンツォ・チーボ
フランチェスコ・アルメッリーニ
内赦院 Penitenzieria apostolica
別表記:赦免院
教皇庁で最も古い司法機関の1つで、信者の良心、赦しの秘跡や贖宥に関する問題を扱い、神と信徒の信仰的関係を調整する。
内赦院長 Penitenzieri maggiori
別表記:内赦院長判事、大判事、内赦院長官
ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス
フランチェスコ・デリ・アッティ
ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス
ギヨーム・バラゴス
ニコラ・ダイローラ
エティエンヌ・ド・ポワシー
ジャン・ド・クロス
エレアザリオ・ダ・サブラーノ
ニッコロ・カラッチオーロ・モスキーノ
フランチェスコ・カルボーネ
アントーニオ・カエターニ
ジョヴァンニ・ドミニチ
ジョルダーノ・オルシーニ
アントーニオ・コルレール
ニッコロ・アルベルガーティ
ジュリアーノ・チェザリーニ
ジョヴァンニ・ベラルディ・ディ・タリアコッツォ
ドメニコ・カプラーニカ
フィリッポ・カランドリニ
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ
ペレ・リュイス・リャンソル
レオナルド・グロッソ・デッラ・ローヴェレ
ロレンツォ・プッチ
アントーニオ・プッチ
ロベルト・プッチ
ラヌッチョ・ファルネーゼ
カルロ・ボッロメオ
掌璽院 Dataria apostolica
別表記:教皇授恵庁
聖職録支給を審査し、聖職禄授与の教皇勅書を発行する機関。贖宥と聖職売買による収入を管理した。
掌璽院長 Datario di Sua Santità
ジャンバッティスタ・メッリーニ
ジョヴァンニ・バッティスタ・チーボ
アルディチーノ・デッラ・ポルタ
アントニオット・パッラヴィチーニ
フアン・ロペス
ジョヴァンニ・バッティスタ・フェッラーリ
ファツィオ・ジョヴァンニ・サントーリ
アントーニオ・フェッレーロ
フランチェスコ・アルジェンティーノ
ロレンツォ・プッチ
シルヴィオ・パッセリーニ
ルイジ・デ・ロッシ
控訴院 Tribunale della Rota Romana
大審院 Segnatura apostolica
別表記
ローマ教皇庁、法王庁、聖庁、Roman Curia
外部リンク
グアダルーペの聖母 Nuestra Señora de Guadalupe
概要
グアダルーペの聖母とは、スペインとメキシコの町グアダルーペでみられた聖母マリアの出現のこと。スペインでは13世紀後半から14世紀前半に、メキシコでは1531年12月9日に姿を現したとされる。
英語
Our Lady of Guadalupe
外部リンク
コンクラーヴェ Conclave
概要
コンクラーヴェとは、枢機卿団による教皇選出の会議のことである。
煙突・煙
コンクラーヴェで3分の2の票数を獲得した枢機卿が新教皇として即位するが、その決定の有無を知らせるために煙が焚かれる。決定なら白い煙、決まらなかった時は黒い煙。
1492年8月6日~11日 アレクサンデル6世
参加者23名
ロドリゴ・ボルジア
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ
オリヴィエーロ・カラーファ
ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノ
ジョヴァンニ・ミキエル
ジョルジョ・コスタ
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ
ラッファエーレ・サンソーニ
ドメニコ・デッラ・ローヴェレ
パオロ・フレゴーソ
ジョヴァンニ・デ・コンティ
ジョヴァンニ・ヤコポ・スキアッフィナーティ
フランチェスコ・ピッコローミニ
ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジョヴァンニ・バッティスタ・オルシーニ
アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ
ロレンツォ・チーボ
アルディチーノ・デッラ・ポルタ
アントニオット・パッラヴィチーニ
マッフェオ・ゲラルディ
ジョヴァンニ・デ・メディチ
フェデリーコ・サンセヴェリーノ
非参加者4名
リュイス・ジョアン・デル・ミラ
ペドロ・ゴンサレス・デ・メンドーサ
André d'Espinay
Pierre d'Aubusson
1503年9月16日~22日 ピウス3世
枢機卿45名中参加者37名
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ
ジョルジョ・コスタ
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ
オリヴィエーロ・カラーファ
アントニオット・パッラヴィチーニ
ロレンツォ・チーボ
フランチェスコ・ピッコローミニ
ラッファエーレ・サンソーニ
ジョヴァンニ・コロンナ
アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ
ジョヴァンニ・デ・メディチ
フェデリーコ・サンセヴェリーノ
ジャナントーニオ・サンジョルジョ
ベルナルディーノ・カルバハル
ジュリアーノ・チェザリーニ
ドメニコ・グリマーニ
アレッサンドロ・ファルネーゼ
ルドヴィーコ・ダラゴーナ
フアン・デ・カストロ
ジョルジュ・ダンボワーズ
アマニュー・ダルブレ
ペレ・リュイス・リャンソル
ハイメ・セッラ・イ・カウ
フランセスク・デ・ボルジャ
フアン・デ・ヴェラ
Ludovico Podocathor
アントーニオ・トリヴルツィオ
マルコ・コルナーロ
ジャンステファノ・フェッレーロ
フアン・デ・ボルハ
フランシスコ・デ・レモリンス
フランチェスコ・ソデリーニ
ニッコロ・フィエスキ
Francisco Desprats
アドリアーノ・ダ・カステッレジ
ジャウメ・デ・カザノヴァ
フランシスコ・ガルセラン・デ・ロリス
非参加者8名
リュイス・ジョアン・デル・ミラ
レイモンド・ペラウルド
イッポーリト・デステ
ギヨーム・ブリソンネ
フィリップ・ド・リュクサンブール
Tamás Bakócz
ピエトロ・イスアレス
メルヒオール・フォン・メッカウ
1503年10月31日~11月1日 ユリウス2世
枢機卿44名中参加者38名
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ
ジョルジョ・コスタ
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ
オリヴィエーロ・カラーファ
アントニオット・パッラヴィチーニ
ロレンツォ・チーボ
ラッファエーレ・サンソーニ
ジョヴァンニ・コロンナ
アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ
ジョヴァンニ・デ・メディチ
フェデリーコ・サンセヴェリーノ
ジャナントーニオ・サンジョルジョ
ベルナルディーノ・カルバハル
ジュリアーノ・チェザリーニ
ドメニコ・グリマーニ
アレッサンドロ・ファルネーゼ
イッポーリト・デステ
ルドヴィーコ・ダラゴーナ
フアン・デ・カストロ
ジョルジュ・ダンボワーズ
アマニュー・ダルブレ
ペレ・リュイス・リャンソル
ハイメ・セッラ・イ・カウ
ピエトロ・イスアレス
フランセスク・デ・ボルジャ
フアン・デ・ヴェラ
ルドヴィーコ・ポドカタロ
アントーニオ・トリヴルツィオ
マルコ・コルナーロ
ジャンステファノ・フェッレーロ
フアン・カステリャール
フランシスコ・デ・レモリンス
フランチェスコ・ソデリーニ
Niccolò Fieschi
Francisco Desprats
アドリアーノ・ダ・カステッレジ
ジャウメ・デ・カザノヴァ
フランシスコ・ガルセラン・デ・ロリス
非参加者8名
リュイス・ジョアン・デル・ミラ
レイモンド・ペラウルド
ギヨーム・ブリソンネ
フィリップ・ド・リュクサンブール
Tamás Bakócz
メルヒオール・フォン・メッカウ
別表記
法王選挙
外部リンク
三位一体 さんみいったい・さんいいったい
概要
三位一体とは、キリスト教において父と子と聖霊の3つが1体であるとする教え。
外部リンク
祝福された剣 stocco pontificio
概要
祝福された剣は、降誕祭にサン・ピエトロ大聖堂で教皇から、キリスト教世界の擁護を称えてカトリックの君主に贈られた、聖別された剣。聖ペテロがゲッセマネの園でイエス・キリストを守るために剣を使った聖書の物語に由来する。
歴史
教皇が祝福された剣と帽子を贈る伝統は、教皇からのもう1つの贈り物である黄金の薔薇ほど古くはないが、遅くとも14世紀に遡る。1386年にウルバヌス6世からルッカ共和国のゴンファロニエーレであるフォルティグエッラ・フォルティグエッリに贈られたのが、最初の確実な記録である。しかし、1357年にはすでに贈り物の制作に対する支払いが記録されており、当時から習慣として根付いていたようである。
マルティヌス5世以降、毎年の剣と帽子の制作に関する詳細な記録が存在するが、受領者は必ずしも分かっているわけではない。ある年に、教皇の名前と日付が入っていたにもかかわらず、評価に値する君主が見つからずに剣が翌年に持ち越されることがあり、その場合、授与した教皇の名前と日付が実際とは異なるということも起こり得る。
15世紀に入ると、降誕祭にローマを訪れた貴族や王族に剣と帽子を贈る習慣から、キリスト教世界とカトリック教会の利益を守るための褒美や激励として遠方の君主に送るようになる。オスマン帝国に対抗する軍事同盟を推進するためにこの慣習をニコラウス5世は積極的に活用した。
剣
祝福された剣は全て両手持ちであり、長さは2メートルを超える場合もあった。柄は銀製で、精巧な金の装飾で覆われていた。柄頭には教皇冠とパリウムで囲まれた教皇の紋章が描かれていた。刃は複雑に彫刻されており、教皇の名前と聖別された年が刻まれていた。
付属の鞘と帯も同様に装飾的で、絹織物で覆われ、宝石が散りばめられ、教皇の紋章が付いていた。
一方、受取人の紋章は剣に刻まれなかった。これは、教皇自身が信仰の真の擁護者であり、剣を授けられた君主は単に教皇の武器にすぎないという教会の立場に起因する。又は、贈る相手を直前に決定するため、制作の都合上という単純な理由かもしれない。
ストッコ Stocco
祝福された剣の種類はストッコと呼ばれる、中世の片手剣が進化した、14世紀に欧州に広まった鎧通しである。長さは約1メートルで、特に鍔に近い部分が厚い、三角形または四角形の断面の、非常に尖った刃を持ち、突きや突進の攻撃を行うために設計されたもの。この剣で行う突きの攻撃をストッカーテと呼んだ。
儀式
降誕祭の前日か当日朝に、ヴァティカン宮殿の私設礼拝堂又はサン・ピエトロ大聖堂の聖具室で、教皇は剣と帽子に聖水を振りかけ、香を三度燃やして聖別。聖堂に到着すると、教皇は短い口上を述べ、贈り物の意義を説明。受領者は教皇の手と履物に接吻し、剣と帽子を身に着ける。朝課が始まる。受領者は帽子を取って従者に渡し、剣を抜いて地面に3度打ちつけ、3度振りかざして鞘に戻す。そして、第5課か、受領者が皇帝の場合には第7課を歌う。朝課が終わると、祝福された剣と帽子を持った侍従に先導され、枢機卿、高位聖職者、教皇侍従、教皇庁大使に続かれ、受領者は帰還する。
受領者欠席の場合、剣と帽子は祝福された後、祭壇に置かれる。贈り物と教皇の書簡が教皇特使によって発送される。特使が目的地に到着したら、受領者は宿泊地まで護衛するために代表団を派遣。儀式は通常、日曜日又は主要な祝日に街の主要な教会で開催され、黄金の薔薇の場合を参考にした、教皇庁外の式典で対象者に贈呈される。
作品
受領者
スコットランド王ウィリアム1世 | 1202年 ?年 | インノケンティウス3世 |
アラゴン王ペドロ2世 | 1204年 ?年 | インノケンティウス3世 |
カール4世 | 1347年 1347年 | クレメンス6世 |
ルイ1世・ダンジュー | 1365年 1365年 | ウルバヌス5世 |
ジャン1世・ダルマニャック | 1366年 1366年 | ウルバヌス5世 |
ルイ1世・ダンジュー | 1371年 1371年 | グレゴリウス11世 |
フォルティグエッラ・フォルティグエッリ | 1386年 1386年 | ウルバヌス6世 |
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク | ?年 1414年 | ヨハネス23世 |
シャルル7世 | 1419年 ?年 | マルティヌス5世 |
ルイ3世・ダンジュー | 1422年 ?年 | マルティヌス5世 |
ヴワディスワフ2世・ヤギェウォ | 1432年 ?年 | エウゲニウス4世 |
フィレンツェ共和国 | 1434年 ?年 | エウゲニウス4世 |
ヴワディスワフ3世・ヤギェウォ | ?年 1443年 | エウゲニウス4世 |
フアン2世・デ・カスティーリャ | 1446年 ?年 | エウゲニウス4世 |
フランチェスコ・フォスカリ | 1449年 1450年 | ニコラウス5世 |
オーストリア大公アルブレヒト6世 | 1450年 1450年 | ニコラウス5世 |
ナポリ王国大使サンタンジェロ伯 | ?年 1454年 | ニコラウス5世 |
ルドヴィーコ・ベンティヴォーリオ | 1454年 1455年 | ニコラウス5世 カリストゥス3世 |
シャルル7世 | 1456年 1457年 | カリストゥス3世 |
エンリケ4世・デ・カスティーリャ | 1457年 1458年 | カリストゥス3世 ピウス2世 |
フリードリヒ3世 | 1458年 1459年 | ピウス2世 |
アルブレヒト1世・フォン・ブランデンブルク | 1459年 1460年 | ピウス2世 |
フィリップ・ル・ボン | 1460年 1461年 | ピウス2世 |
ルイ11世 | 1461年 1462年 | ピウス2世 |
クリストフォロ・モーロ | 1462年 1463年 | ピウス2世 |
スカンデルベグ | 1466年 1466年 | パウルス2世 |
エンリケ4世・デ・カスティーリャ | 1467年 ?年 | パウルス2世 |
フリードリヒ3世 | 1468年 1468年 | パウルス2世 |
マティアス・コルヴィヌス | 1470年 1471年 | パウルス2世 シクストゥス4世 |
ボルソ・デステ | ?年 1471年 | シクストゥス4世 |
フィリベルト1世・ディ・サヴォイア | 1474年 1475年 | シクストゥス4世 |
アルフォンソ2世・ダラゴーナ | 1477年 1477年 | シクストゥス4世 |
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ | 1480年 1480年 | シクストゥス4世 |
イングランド王エドワード4世 | 1481年 1482年 | シクストゥス4世 |
アルフォンソ2世・ダラゴーナ | 1482年 1482年 | シクストゥス4世 |
フランチェスコ・ダラゴーナ | 1484年 1484年 | インノケンティウス8世 |
フェルナンド2世・デ・アラゴン | 1484年 ?年 | インノケンティウス8世 |
イニーゴ・ロペス・デ・メンドーサ | 1486年 1486年 | インノケンティウス8世 |
ジャン・ヤコポ・トリヴルツィオ | 1488年 1488年 | インノケンティウス8世 |
ヴィルヘルム1世・フォン・ヘッセン | 1491年 1491年 | インノケンティウス8世 |
フェデリーコ・ダラゴーナ | 1492年 1492年 | アレクサンデル6世 |
マクシミリアン1世 | 1493年 1494年 | アレクサンデル6世 |
フェルディナンド・ダラゴーナ | 1494年 1494年 | アレクサンデル6世 |
フェリペ1世 | 1496年 1497年 | アレクサンデル6世 |
ポメラニア公ボギスラフ10世 | 1497年 1497年 | アレクサンデル6世 |
ルイ12世 | 1498年 1498年 | アレクサンデル6世 |
スコットランド王ジェームズ4世 | 1506年 1507年 | ユリウス2世 |
ウラースロー2世・ヤギェウォ | 1508年 1509年 | ユリウス2世 |
スイス連邦 | 1510年 1511年 | ユリウス2世 |
ヘンリー8世 | 1513年 ?年 | レオ10世 |
ポルトガル王マヌエル1世 | 1514年 ?年 | レオ10世 |
フィレンツェ共和国 | 1515年 ?年 | レオ10世 |
フランソワ1世 | 1516年 ?年 | レオ10世 |
マクシミリアン1世 | 1517年 ?年 | レオ10世 |
ポーランド王ジグムント1世 | ?年 1525年 | クレメンス7世 |
カール5世 | ?年 1529年 | クレメンス7世 |
スコットランド王ジェームズ5世 | 1536年 1537年 | パウルス3世 |
ポーランド王ジグムント2世 | ?年 1540年 | パウルス3世 |
フェリペ2世 | ?年 1554年 | ユリウス3世 |
エルコーレ2世・デステ | 1555年 1558年 | パウルス4世 |
フェリペ2世 | ?年 1560年 | ピウス4世 |
カルロス・デ・アウストリア | ?年 1563年 | ピウス4世 |
フェルナンド・アルバレス・デ・トレド | ?年 1566年 | ピウス5世 |
フェルディナンド2世・フォン・ハプスブルク | 1567年 1568年 | ピウス5世 |
フアン・デ・アウストリア | 1568年 1571年 | ピウス5世 |
ステファン・バートリ | ?年 1580年 | グレゴリウス13世 |
フェルディナンド2世・フォン・ハプスブルク | 1581年 1582年 | グレゴリウス13世 |
アレッサンドロ・ファルネーゼ | 1585年 1586年 | シクストゥス5世 |
フェリペ3世 | ?年 1591年 | グレゴリウス14世 |
フェリペ3世 | ?年 1594年 | クレメンス8世 |
フェリペ4世 | ?年 1618年 | パウルス5世 |
ポーランド王ヴワディスワフ4世 | ?年 1625年 | ウルバヌス8世 |
外部リンク
聖座 Santa Sede
概要
聖座とは、教皇と教皇庁をまとめた呼称。
別表記
Sancta Sedes、Holy See
外部リンク
聖年 Giubileo universale della Chiesa cattolica
概要
聖年は、カトリック教会において、罪の赦し、和解、回心、そして秘跡的な悔悛の年である。定められた周期に基づく通常の聖年と、特別な出来事に際して宣言される特別聖年の2種類がある。通常の聖年は、前年の降誕祭12月25日から翌年の公現祭1月6日までが期間である。
ローマ巡礼者に特別の赦しを与え、巡礼することのできない者に対しては、同等の効果を与えるとして贖宥状が出された。
起源
聖年の起源は、50年毎に休耕させる年を定めるユダヤの伝統にあった。次の作物をより豊かにする実用的な目的があり、極端な貧富の差を生まないように没収された土地の返還や奴隷の解放も行われた。聖年の開始を知らせるために、ヘブライ語でヨベルと呼ばれる雄羊の角笛が吹かれた。このヨベルという言葉が、ジュビレオの語源となっている。
ルカによる福音書4章18-19節においてイエス・キリストはナザレに赴き、古代のヨベルの年を成就する者として、「主の恵みの年を告げ知らせるため」(イザヤ書61章1-2節)に来たと述べている。
ボニファティウス8世は、1300年2月22日に発布した教皇勅書によって、初めての聖年を制定した。当時は3月25日が新年とされていたためである。この勅書では、ローマ市民は30回、外国人は15回、サン・ピエトロ大聖堂とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂を訪れることで完全な贖宥が与えられることが定められ、聖年は今後百年毎に繰り返されることが決められた。
ダンテ・アリギエーリは『神曲』地獄篇第18歌28-33行で、ローマに集まった巡礼者たちの多さにより、サンタンジェロ城前の橋の歩行者の進行方向を調整する必要があったことを記している。
1350年、教皇クレメンス6世はユダヤの聖年の周期と合わせるため、50年に短縮した。ウルバヌス6世はイエス・キリストの地上での生涯にちなんで33年に、教皇パウルス2世はさらに25年に縮めた。
聖なる扉の開放
最も知られる儀式は聖なる扉の開扉で、聖年の間だけ開かれ、それ以外の年には封印されている。
聖なる扉はローマの四大バシリカ、すなわちサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に設けられている。
開扉は信徒に救いへの特別な道筋を示す象徴的な儀式で、初日にサン・ピエトロ大聖堂で行われ、他のバシリカの扉は数日後に開かれる。
サン・ピエトロ大聖堂の開扉儀式に関する確実な記録は、1500年の教皇アレクサンデル6世の時代から残されている。
聖年
1330年:ボニファティウス8世
1350年:クレメンス6世
1390年:ボニファティウス9世
1400年:ボニファティウス9世
1425年:マルティヌス5世
1450年:ニコラウス5世
1475年:シクストゥス4世
1500年:アレクサンデル6世
1525年:クレメンス7世
1550年:ユリウス3世
1575年:グレゴリウス13世
1600年:クレメンス8世
1625年:ウルバヌス8世
1650年:インノケンティウス10世
1675年:クレメンス10世
1700年:インノケンティウス12世
1725年:ベネディクトゥス13世
1750年:ベネディクトゥス14世
1775年:ピウス6世
1825年:レオ12世
1875年:ピウス9世
1900年:レオ13世
1925年:ピウス11世
1950年:ピウス12世
1975年:パウロ6世
2000年:ヨハネ・パウロ2世
2016年:フランシスコ
2025年:フランシスコ
特別聖年
1423年:マルティヌス5世、アヴィニョン捕囚からローマへの教皇庁復帰を記念
1585年:シクストゥス5世、その教皇職の開始を記念
1655年:アレクサンデル7世、その教皇職の開始を記念
1745年:ベネディクトゥス14世、キリスト教君主たちの間の平和を祈念
1829年:ピウス8世
1886年:レオ13世
1933年/1934年:ピウス11世、キリストの贖罪1900周年を記念
1966年:パウロ6世、第2ヴァティカン公会議の閉幕を記念
1983年/1984年:ヨハネ・パウロ2世、キリストの贖罪1950周年を記念
2015年/2016年:フランシスコ、第2ヴァティカン公会議の閉幕50周年を記念
外部リンク
テネブラエ Tenebrae
概要
テネブラエとは、復活祭の前の週の聖木・金・土曜日の3日間に行なう朝課・賛課のこと。キリストの受難と死を記念して行なわれる。
この儀式では灯された蝋燭が1本また1本と消されていき、残った1番上の1本も最後には消されてしまう。これは使徒たちが磔刑に処されるキリストを見捨てて逃げたことを暗示している。
マインツ大聖堂の燭台
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天使
概要
天使を表すエンジェルという言葉は、ヘブライ語のマラークのギリシア語訳に発し、本来は「神の影の国」を意味したが、後に使者を意味するようになった。
位階
熾天使
智天使
座天使
主天使
力天使
能天使
権天使
大天使
天使
題材作品
外部リンク
熾天使 してんし
概要
天使の階級、第1位。ヘブライ語で単数形はセラフ、複数形はセラフィムとなる。
別表記
セラフ
外部リンク
智天使 ちてんし
概要
智天使は、天使の一種。偽ディオニシウスに由来する天使の階級では第2位に位置づけられる。
旧約聖書の創世記3章によると、主なる神はアダムとエヴァを追放した後、罪のある状態のままで永遠の命を得てしまわないように命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともに智天使を置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。
エゼキエル書10章21節によれば、4つの顔と4つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。
題材作品
別表記
ケルビム、cherub、כרובים
外部リンク
座天使 ざてんし
概要
天使の階級、第3位。
別表記
トロウンズ、ソロネ・スローンズ(Thrones)、オファニム(Ofanim)、ガルガリン(Galgalim)
外部リンク
主天使 しゅてんし
概要
天使の階級、第4位。名は「統治」「支配」の意。神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。
持ち物
笏。
主天使
ザドキエル、ハシュマル、ヤーリエル、ムリエル。
別表記
ドミニオンズ、キュリオテテス、Dominions、Κυριοτητες
外部リンク
ハシュマル חַשְׁמַל
概要
ハシュマルは、主天使に属する天使の1体。炎を発する天使。
外部リンク
力天使 りきてんし
概要
天使の階級、第5位。
別表記
ヴァーチューズ、ヴァーチュース(Virtues)、デュナメイス、デュミナス
外部リンク
能天使 のうてんし
概要
天使の階級、第6位。
別表記
パワーズ
外部リンク
権天使 けんてんし
概要
天使の階級、第7位。
別表記
プリンシパリティーズ
大天使 だいてんし
概要
天使の階級、第8位。
外部リンク
ミカエル Michael
- 位階
- 大天使
概要
ミカエルは、旧約聖書の『ダニエル書』、新約聖書の『ユダの手紙』『ヨハネの黙示録』、旧約聖書外典『エノク書』に登場する天使。
外部リンク
七つの大罪 Septem Peccata Mortalia
概要
七つの大罪とは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指し、虚栄、嫉妬、怠惰、憤怒、食欲、色欲、淫蕩の7つとされる。
別表記
Seven deadly sins
外部リンク
七つの美徳 Septem virtutes principales
概要
七つの美徳は、カトリック教会の教義における7つの基本的な徳のこと。対神徳は慈愛、信仰、希望の3つで、枢要徳は賢明、節制、正義、剛毅の4つである。対神徳は新約聖書の『コリントの信徒への手紙一』13章13節「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と慈愛と、この3つである。この内で最も大いなるものは慈愛である」に由来し、枢要徳はプラトン著『国家』第4巻で理想都市国家の市民に求められる美徳として記され、これを初期キリスト教会の教父たちがキリスト教の美徳と公認し、聖体拝領によって授かる恩恵であるとした。
慈愛 Carità
慈善、博愛とも。対神徳。ルネサンス期に最重要視される。持ち物は赤、炎、子ども。
慈愛とは神の愛と隣人愛を指し、前者なくして後者は真の価値を持たないとされる。
ゴシック美術には『マタイ福音書』25章35-37節にある慈悲の6つの行いをなす女性像が見られる。空腹の者、渇いている者、旅人、裸である者、病気の者、獄にある者を世話している女性である。
13世紀にボナヴェントゥーラは、神の愛に光又は燃える炎という表現を与えた。以降イタリア美術では、慈愛は炎と共に表されるようになり、慈愛が手に持つ壺から炎が出ている。あるいは蝋燭を持つ。14世紀以降には、燃える心臓を高く掲げていることもある。
14世紀前半のイタリアで、おそらく授乳の聖母から派生した、2人の幼児に乳を含ませる女性という型が登場し、燃える心臓や蝋燭といった旧来の題材と組み合わされた。
信仰 Fede
信念とも。対神徳。中世に最重要視される。持ち物は白、十字架、聖杯、入信の儀式のための洗礼盤、開かれた聖書、異端者の攻撃から身を守る兜、手を胸に押し当てる。彼女の足が角石に載せられているのは揺るぎない土台を表す。
希望 Speranza
対神徳。最後の審判で生まれ変わる希望の意。持ち物は緑、合掌して天を見上げる姿勢、未来の栄光への希望を表す冠。
賢明 Prudenza
思慮分別、知恵、知識、貞節とも。枢要徳。持ち物は自らを振り返る鏡、蛇。蛇は 『マタイ福音書』10章16節の「蛇のように賢くあれ」に由来する。
節制 Temperanza
枢要徳。持ち物は水と葡萄酒を調合。又は手綱、剣に紐を巻きつける。
正義 Giustizia
公正とも。枢要徳。持ち物は罪を計る天秤、又は地球儀、裁くための剣。目隠しは後世に付けられた。
剛毅 Fortezza
勇気、力、堅固、不屈、忍耐、自制とも。枢要徳。持ち物は鎧を着た女性、武器、柱。又はヘラクレスが棍棒で獅子を殴打。
柱は『ヨハネの黙示録』3章12節に由来し、精神の強靭、不屈さを示す宗教的象徴である。
題材作品
別表記
七元徳
外部リンク
参考文献
『西洋美術解読事典』
ベリアル Belial
概要
ベリアルは、ユダヤ教とキリスト教における悪魔の1体。地獄の領域の一部であるシオウルを支配する君主。ベリアルという名前は「無価値」を意味する。
外部リンク
ベルフェゴール Belphegor
概要
ベルフェゴールは、ユダヤ教とキリスト教における悪魔の1体。七つの大罪の怠惰と、好色を司る地獄の公爵。
前身は古代モアブで崇められた神バアル・ペオルであるが、権天使だったとされることもある。
駐仏大使でもあり、ルーブル美術館を夜中に歩き回るという。
外部リンク
記載日
2006年7月15日
更新日
2024年12月23日