概要
1468年10月9/13日、リーミニを支配していたシジスモンド・マラテスタが死去する。教皇パウルス2世はそのリーミニの教会帰属を主張。しかし、1469年8月29/30日、リーミニ攻囲戦においてマラテスタ陣営軍が勝利し、庶出の息子ロベルト・マラテスタが支配権を維持することになる。
陣営
リーミニ領主ロベルト・マラテスタ陣営
■フィレンツェ(ピエロ・イル・ゴットーソ)
ロベルト・サンセヴェリーノ
■ナポリ(フェッランテ・ダラゴーナ)
カラブリア公アルフォンソ2世・ダラゴーナ
■ミラノ(ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ)
少数の兵を派遣。
■ウルビーノ
ウルビーノ伯フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
教皇パウルス2世陣営
■ペーザロ
ペーザロ領主アレッサンドロ・スフォルツァ・・・最高指揮官
■ヴェネツィア
フランチェスコ・グイッチャルディーニ著『フィレンツェ史』によれば援軍は派遣されなかったとされているが、ここでは派遣されたものとして記述する。
経過
リーミニはシジスモンド・マラテスタの愛人だったイゾッタと、ロベルト・マラテスタの異母兄弟であるサルスティオとヴァレリーノが支配していた。そこへ、ロベルト・マラテスタは百姓に身をやつして入り、教皇パウルス2世の名の下にリーミニを奪取。が、フェッランテ・ダラゴーナと通牒していたロベルト・マラテスタは、すぐに自らリーミニを支配するようになる。
リーミニ返還の約束が反故にされたパウルス2世は、リーミニの教会帰属を宣言。ロベルト・マラテスタを破門する。
1469年5月28日、パウルス2世は、ヴェネツィアと攻守同盟を結び、軍の最高指揮官にアレッサンドロ・スフォルツァを据え、教皇軍をリーミニに派遣。
一方、1467年1月4日の同盟国であるフィレンツェ、ナポリ、ミラノはロベルト・マラテスタがヴェネツィアに走ることや、リーミニがヴェネツィアに奪われることを危惧し、彼を支持。
ローマ派遣大使
ミラノ公の大使たちと共にフィレンツェは、オットー・ニッコリーニとヤコポ・グイッチャルディーニを、パウルス2世の元に派遣。
戦闘
1469年6月8日、アレッサンドロ・スフォルツァ指揮の教皇軍及びヴェネツィア軍は、リーミニに近いサン・フレディアーノの村を占領。
1469年7月、教皇軍は、リーミニ周辺に進撃。
アルフォンソ2世・ダラゴーナはトロントを越え、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと合流。フィレンツェからはロベルト・サンセヴェリーノが、ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの少数の兵と共に派遣され、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの指揮下に入る。
1469年8月29/30日、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ率いる同盟軍は、教皇軍をリーミニ近郊で破る。
別表記
リーミニの戦い
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
記載日
2006年7月24日