Roberto Malatesta

ロベルト・マラテスタ

生没:1440/41年~1482年9月10日
没地:ローマ
在位:リーミニ領主 1468年~1482年
父:シギスモンド・マラテスタ
母:Vannetta Toschi
妻:エリザベッタ・ダ・モンテフェルトロ
子:パンドルフォ4世・マラテスタ
  カルロ・マラテスタ
  トロイロ・マラテスタ
  ドロテア・マラテスタ

概要

 ロベルト・マラテスタは、15世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

年表

1468年10月9/13日
シギスモンド・マラテスタ、死(1417年~1468年:リーミニの君主在位1429年~1468年:ファーノ・シニガリアの君主在位1429年~63年)。パウルス2世、リーミニの教会帰属を宣言。
シギスモンド・マラテスタの庶子でパウルス2世の反マラテスタ戦陣の先頭にあった(1460年~1463年)傭兵隊長ロベルト・マラテスタ(1440/1441年~1482年)、パウルス2世にリーミニを返還すると約束しながら密かにフェッランテ・ダラゴーナと通謀してリーミニに入り、奸策により自らの支配権を樹立。
1469年5月28日
ロベルト・マラテスタフェッランテ・ダラゴーナの密謀が明らかとなって驚愕したパウルス2世とヴェネツィア、攻守同盟を結び、軍の最高指揮官にアレッサンドロ・スフォルツァを据える。
1469年7月
アレッサンドロ・スフォルツァ指揮の教皇軍・ヴェネツィア軍、リーミニ周辺に進撃。
これに対し、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロガレアッツォ・マリーア・スフォルツァフェッランテ・ダラゴーナ及びフィレンツェ、ロベルト・マラテスタに援軍を送る。
1469年8月下旬
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ率いるロベルト・マラテスタ陣営軍、アレッサンドロ・スフォルツァ指揮の教皇軍・ヴェネツィア軍をリーミニ近郊で破る。
1478年9月8日
フィレンツェ陣営の最高指揮官として雇い入れたフェッランテ・ダラゴーナの女婿エルコーレ1世・デステが到着。直ちに軍を整えて出陣。
この頃?、さらにリーミニの君主ロベルト・マラテスタ、ボローニャの君主ジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオ及びサルッツォ候ルドヴィーコ2世(?~1504年:在位1475年~1504年)が、それぞれ小軍を率いて陣営に加わる。
しかしこれら小軍によっては教皇軍、フェッランテ・ダラゴーナ軍に十分対抗することはできず、フィレンツェ陣営の劣勢は続く。
1482年5月3日
ヴェネツィアがフェッラーラに宣戦。ヴェネツィアにシクストゥス4世、リーミニのロベルト・マラテスタ、ジェノヴァなどが、フェッラーラにナポリのフェッランテ・ダラゴーナ、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロ、ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ、ボローニャのジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオ及びフィレンツェが加勢し、ほぼイタリア全土に戦線が拡大する。
1482年8月18日
教会軍司令官ロベルト・マラテスタはコッリ・アルバーニに向かって駐屯していたサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノから、ナポリ軍と同盟するコロンナ家サヴェッリ家と戦うため、進軍。
1482年4月21日
カンポモルトの戦い:ローマ近郊ヴェッレトリの山地カンポモルトで、カラブリア公アルフォンソ2世・ダラゴーナ指揮のフェッラーラ加勢軍と激戦し、完勝(1482年8月15~20日)。
1482年9月10日
義理の父フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが没する。
ポンティーネ沼地で罹患したマラリアで(赤痢と消耗で)死。

関連項目

 リーミニの戦い

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『傭兵の二千年史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前