Rocca di Nepi

ネピの要塞

州:ラツィオ
県:ヴィテルボ県
コムーネ:ネピ

概要

 ネピの要塞は、ネピにある建物。今では4本の塔がかろうじて残っているくらいの廃虚となっている。
 四角い塔は11世紀まで遡ることができ、本丸は14世紀に記録が見られる。1474年教皇シクストゥス4世が復元と修復を推進するが、抜本的に図面を変えてしまう一連の増改築が始まるのは1479年になってからのことである。1479年から1499の間に円筒形の塔が四隅に建てられ、ボルジア家の紋章がつけられる。また、2つの主要な塔を結ぶ壁に沿って開廊が建てられる。1499年から1503年にアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオが設計を担う。
 1450年代にロドリゴ・ボルジア枢機卿が教皇カリストゥス3世によりネピの知事に任命され、1483年には要塞の増築を委任されている。教皇となったアレクサンデル6世は、1495年1月1日にアスカーニオ・マリーア・スフォルツァ枢機卿にネピ知事の地位を与えるも、教皇の政策転換の結果、枢機卿は1499年7月13日にローマを逃亡。
 その後、夫アルフォンソ・ダラゴーナを亡くしたルクレツィア・ボルジアが、息子ロドリゴ・ダラゴーナと共に1500年に数か月の間居住している。なぜかルクレツィア・ボルジアは居住用の四角い塔ではなく、軍事用の丸い塔の方に住んでいた。また、1階下まで壁の一部がくり抜かれて吹き抜け状態になっていて、これは彼女がそこから下にいる侍女に話しかけるため空いている穴だそうである。しかしながら、彼女が過ごした部屋は残っていないという話もあって、真偽のほどは明らかではない。ちなみに、内部はかなり狭いのだとか。
 ネピは1501年にインファンテ・ロマーノに封ぜられている。1503年にはコンクラーヴェローマからの退去を求められ、マラリアの高熱はおさまったもののまだ衰弱していたチェーザレ・ボルジアが、ヴァノッツァ・デイ・カッタネイホフレ・ボルジアルイーズ・ボルジアロドリゴ・ダラゴーナネピインファンテ・ロマーノを伴って、1か月弱ネピの要塞に避難。
 1520年ベルナルド・アッコルティネピ公となる。これをパウルス3世が取り上げ、息子のピエル・ルイジ・ファルネーゼに1537年与え、ネピはカストロ公国の一部となる。ピエル・ルイジ・ファルネーゼはカストロ公国の全要塞を修復するため、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネを招いている。








別表記

 ボルジア要塞、ラ・ロッカ、La Rocca dei BorgiaRocca Borgiana

外部リンク

 Google Maps
 Wikipedia

記載日

 2006年7月24日