Sancia d'Aragona

サンチャ・ダラゴーナ

生没年:1478年頃~1506年
出身:ガエタ
没地:ナポリ
父:アルフォンソ2世・ダラゴーナ
母:トルージア・ガッツェッラ
夫:ホフレ・ボルジア

概要

 サンチャ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアのン女性。

容姿

 褐色の肌、黒髪、青緑色の目。

年表

1478年頃
ガエタで生。
1487年頃
オノラート・カエターニと婚約。
1493年9月
オノラート・カエターニとの婚約破棄。
1493年
ローマにて、ホフレ・ボルジアと婚約。
1494年5月11日
カステル・ヌオーヴォ内の聖堂で、ホフレ・ボルジアと結婚式。
1496年5月20日
聖霊降臨節。夫ホフレ・ボルジアと共に10時頃ローマに到着。6人の道化によって活気を添えられた王家の行列を率いる。互い違いの帯を巻かれ、ビロードと黒のサテンの馬衣を着せられた儀式用の馬に乗り、南部地方特有の、たっぷりした袖がついた黒地の礼服を着用。ラテラーノ門で供を連れた義姉ルクレツィア・ボルジア、外交官、枢機卿、役人、貴族たちに出迎えられ、ヴァティカン宮殿へ付き添われる。「極めて美しい姫」との伝説を信用しすぎていた人々の中に失望の気配があったが、「彼女はほどほどであり、しぐさも風貌も雌羊であり、容易に狼の欲望に従うだろう」。お付の少女たちについては、「彼女らは女主人に見劣りせず、美しい学校ができるだろうと人々は公然と口にしている」と当時の年代記作家は記す。
サン・ピエトロ大聖堂で、ルクレツィア・ボルジアは教皇の右に、自身は左に、緋のビロードのクッションの上に座る。スペイン人高位聖職者が長々と話している間、おそらくサンチャ・ダラゴーナの方の思い付きで、ルクレツィア・ボルジアと共に祈祷席に上り、彼女たちの随行員たちもそれに続く。このいたずらに人々は驚く。
1497年6月14日
フアン・ボルジアが暗殺される。
1499年8月2日
アルフォンソ・ダラゴーナローマを逃亡。
1499年8月
義父アレクサンデル6世から即刻ナポリに戻るよう命じられる。ローマを去ろうとしないでいると、力で「外へ放り出す」と脅迫され、出発。
1500年7月15日
アルフォンソ・ダラゴーナが襲撃され、重傷を負う。
1500年8月18日
アルフォンソ・ダラゴーナが暗殺される。
1503年
サンタンジェロ城に幽閉される。
1503年8月18日
アレクサンデル6世死。
1503年9月2日
釈放され、プロスペロ・コロンナに護衛され、ナポリへ向けローマ出発。
1504年4月28日
チェーザレ・ボルジアナポリに到着。
1506年
ナポリで病死。

関連項目

 The Borgias: 104, 105, 106, 107, 109

チェーザレ・ボルジア数

 夫ホフレ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいアルフォンソ・ダラゴーナ→妻ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいフェッランディーノ・ダラゴーナ→妻ジョヴァンナ・ダラゴーナ→母フアナ・ダラゴーナ→母フアナ・エンリケス→きょうだいエンリケ・エンリケス→子マリーア・エンリケス→夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 Sancha

外部リンク

 世界帝王事典
 チェーザレ・ボルジアに守護された楽園ローマ
 ボルジア解体新書
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE BORGIAS wiki
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
トラスタマラ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで