Scrittore

文筆家

レオナルド・ブルーニ Leonardo Bruni

生没
1370年頃~1444年3月9日
出身
アレッツォ
没地
フィレンツェ
ドナート・ブルーニ
概要

 レオナルド・ブルーニは、アレッツォ生まれの外交官、書記官、政治家、人文主義者、古典学者、歴史家。ルネサンス初期の最も重要な人文主義者の歴史家とされ、最初の近代歴史家とも呼ばれる。おそらくイタリアとヨーロッパで最初に、古代ギリシア語を正確に理解した文人。

在職

 フィレンツェ共和国書記官長 1410年~1411年、1427年~1444年
  後任:カルロ・マルズッピーニ

翻訳

 アリストテレス著『政治学

年表

1370年頃
アレッツォにて、生。
1???年
1405年~1414年
教皇秘書。
1410年~1411年
コルッチョ・サルターティの後任として、フィレンツェ共和国書記官長に任命される。
1427年~1444年3月9日
再び、フィレンツェ共和国書記官長に就任。
レオナルド・ブルーニは高い地位を占めてはいたものの、アルビッツィ家メディチ家に比べれば、権力はなかった。
1440年
この年頃、歴史の名に値する最初のフィレンツェ史と言われるHistoriarum florentini populi libri XII(フィレンツェ人の歴史12篇)を完(1415頃年~)。(1610年ストラスブルクで刊)。
1444年3月9日
1470年
ドイツ・マインツの印刷業者Johann Numeister(1400年代半頃~1522年頃)、ウンブリアのFolignoに開設した印刷所から初の印刷本、レオナルド・ブルーニDe bello Italico adversus Gothos(イタリア人とゴート人の戦争)を刊行。
1473年8月17日
レオナルド・ブルーニの『Historiarum florentini populi libri Ⅻ』(1440)のイタリア語訳『フィレンツェ史(Storia fiorentina)』完了。1476年ヴェネツィアで、1479年ローマで刊。
1475年
レオナルド・ブルーニの遺作Commentarius rerum suo tempore gestarum(同時代史:1440年執筆)、ヴェネツィアで刊。

埋葬地

別表記

 レオナルド・アレティーノ、リオナルド、Leonardo Aretino

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンス夜話』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネッサンス百科事典』

フィリップ・ドゥ・コミーヌ Philippe de Commynes

生没
1447年~1511年10月18日
概要

 フィリップ・ドゥ・コミーヌは、15世紀~16世紀の男性、年代記作家、政治家、外交官。

年表

1447年
この頃、現フランス・ベルギー国境のコミーヌに生。
1494年10月11日
パヴィア到着。
1498年
Mémoires(回想録)全8篇を完成(1489年~1498年)。(1524~1528年パリで刊行)。
1511年10月18日
現フランス西部Argentonで死。

別表記

 フィリップ・ダルジャントン、コミンズ、ComminesComines

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『The Life of Cesare Borgia

ヴィンチェンツオ・カルターリ Vincenzo Cartari

生没
1531年~1571年頃
没地
レッジョ・エミリア
概要

 ヴィンチェンツオ・カルターリは、16世紀のイタリアの男性、神話学者、外交官。

著作

 『古代の神々の像について

別表記

 ヴィンツェンツォ

外部リンク

 Wikipedia

バルダッサーレ・カスティリオーネ Baldassare Castiglione

生没
1478年12月6日~1529年2月2日
出身
カザーティコ
没地
トレド
クリストフォロ・カスティリオーネ
アロイジア・ゴンザーガ
イッポーリタ・トレッリ
概要

 バルダッサーレ・カスティリオーネは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、外交官、宮廷人、著作家。

著作

 『宮廷人

年表

1478年12月6日
マントヴァ近郊カザーティコに生。
1513年
この年頃から1516/1518年までに宮廷人を完成。
1529年2月2日
スペイン、トレドで死。

肖像

 アテナイの学堂

別表記

 バルダッサーレ・カスティリョーネ、バルダッサレ、バルダサーレ、バルダッサルレ・カスティリオーネ伯

外部リンク

 ウィキペディア
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『君主論』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネサンス百科事典』
 『ルネサンス舞踊紀行』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・カンビ Giovanni Cambi

生没
1458年9月21日~1497年
出身
フィレンツェ
ネロ・カンビ
概要

 ジョヴァンニ・カンビは、15世紀頃のイタリアの男性。

著作

 『イストリエ』

年表

1497年8月5日
メディチ派の陰謀。メディチ家復辟の陰謀が発覚し、官職の指導的地位を占める有力者を含む多数の者が逮捕される。
陰謀の首謀者として死刑を宣告されたベルナルド・デル・ネロニッコロ・リドルフィジャンノッツォ・プッチロレンツォ・トルナブオーニ、ジョヴァンニ・カンビの5名、1495年3月19日の法によりコンシーリオ・マッジョーレへ提訴。
緊迫した険悪な空気が広まる中で市民の陰謀への恐怖と首謀者への憎悪募り、その提訴権の否認、反逆者への復讐の声が高まる。

別表記

 ジョヴァンニ・ディ・ネロ・カンビ、Giovanni CamboNero di Cambio

外部リンク

 Storia di Firenze
 Treccani

参考文献

 『イコノロジー研究
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アンジェロ・ポリツィアーノ Angelo Poliziano

生没
1454年7月14日~1494年
出身
モンテプルチャーノ
没地
フィレンツェ
概要

 アンジェロ・ポリツィアーノは、15世紀のイタリアの男性、詩人、人文主義者、古典学者、教育者。

著作

 『オルフェオ
 『ジュリアーノ殿下の騎馬槍試合の詩
 『詩森
 『雑俎

年表

1454年7月14日
シエナ近郊モンテプルチャーノに生。
1478年4月26日
シクストゥス4世の甥で枢機卿の叙任されたばかりのラッファエーレ・サンソーニ(1460年頃?~1520年)がシクストゥス4世の指示により教皇特使としてフィレンツェを訪れてパッツィ家の別荘に逗留し、陰謀について知らされぬままサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂でミサを行っている最中、同席していたフランチェスコ・デ・パッツィベルナルド・バンディーニジュリアーノ・デ・メディチに、2名の聖職者がロレンツォ・イル・マニーフィコに切りかかる。ジュリアーノ・デ・メディチは殺され(1453年~)、ロレンツォ・イル・マニーフィコは危うく聖具室に逃れ、アンジェロ・ポリツィアーノの協力を得て難を回避。
同じ頃フランチェスコ・サルヴィアーティは、兄弟、甥、その他一族の者と共に数十名の武装兵を率いてヴェッキオ宮殿を襲撃。この期の正義の旗手チェーザレ・ペトルッチを殺害してヴェッキオ宮殿を占拠しようとするが失敗し、逆に武装を解かれ捕らえられる。
同時にヴェッキオ宮殿外でヤコポ・デ・パッツィは「自由を!」と叫んで市民を先導し決起を促すが、市民の呼応を得られず失敗し、捕らえられる(1444年~)。
間もなく大聖堂での事件が伝えられ、フランチェスコ・サルヴィアーティ、その兄弟、甥、ヤコポ・デ・パッツィらは首を絞められ、ヴェッキオ宮殿の窓から吊るされる。
自邸に戻っていたフランチェスコ・デ・パッツィも邸を襲撃した民衆によってヴェッキオ宮殿に引き出され、直ちに首を絞められて窓から吊るされる。
ベルナルド・バンディーニが逃れた以外、事件への関与者、関与者と見なされた者ないし反メディチと見なされた者はレナート・デ・パッツィなど無実の者も含めて(70名余?)ことごとく惨殺され、遺体は痛めつけられる。その他、枢機卿ラッファエーレ・サンソーニらが逮捕、投獄されるなど、激しい復讐が続く。
1478年
アンジェロ・ポリツィアーノDe conuratione pactiana commetarii(パッツィ家の陰謀)においてメディチ家を擁護し、パッツィ家の陰謀・決起を非難。
1478年
1480年6月
アンジェロ・ポリツィアーノ、演劇Favola d'Orfeo(オルフェウス物語)を執筆。
1485年
レオン・バッティスタ・アルベルティの遺作De re aedificatoria(建築論)、アンジェロ・ポリツィアーノの序文を付してフィレンツェで初めて刊行され、ロレンツォ・イル・マニーフィコに献呈される。
1489年
アンジェロ・ポリツィアーノ、古典言語100の注釈Miscellaneorum centuria prima(雑録)をフィレンツェで(?)刊行。
1494年9月28日
フィレンツェで死(1494年9月29日)。

肖像

本名

 Angiolo Ambrosini

別表記

 アニョーロ・ポリツィアーノ、Angolo PolizianoAngelus Politianus

外部リンク

 ウィキペディア
 紀伊國屋書店
 Treccani.it

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

バルトロメオ・プラティナ Bartolomeo Platina

Bartolomeo Platina
生没
1421年~1481年9月21日
概要

 バルトロメオ・プラティナは、15世紀の男性、人文主義者

著作

 『キリストと全教皇の生涯』

年表

1468年2月末
この頃、Giulio Pomponio Letoの主催するAccademia Romana、反教会的、異教的、共和政的秘密結社と化して反パウルス2世の陰謀を企んだと見なされて閉鎖され、Giulio Pomponio Letoを初めバルトロメオ・プラティナら人文主義者が逮捕される。しかし各自反論し、翌1469年5月頃までに釈放される。
1475年11月
この頃までにシクストゥス4世、バルトロメオ・プラティナをヴァティカン図書館長に任命し、教皇列伝の執筆を依頼。
1479年
バルトロメオ・プラティナ、シクストゥス4世の依頼により執筆していたLiber de vita Christi acomnium pontificum(キリストと全教皇の生涯)を完成。
1481年9月21日
この日?、バルトロメオ・プラティナ、ローマで死。

肖像

 シクストゥス4世によってヴァティカン図書館司書に任命されたバルトロメオ・プラティナ

本名

 Bartolomeo Sacchi

別表記

 プラチーナ、プラーティナ、Il Platina

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

コンスタンティーノ・ラスカリス Constantino Lascaris

生没
1434年~1501年
出身
コンスタンティノポリス
没地
メッシーナ
概要

 コンスタンティーノ・ラスカリスはビザンツの文法学者、写本収集家。

年表

1434年
コンスタンティノポリスに生。
1476年
イッポーリタ・スフォルツァのために書いたErotemata((ギリシア語文法)抜粋)をミラノで刊行。ギリシア語の最初の印刷本となる。
1495年3月8日
Erotemataの再版を、アルドー・マヌツィオが最初の出版物としてヴェネツィアで刊行。
1501年
メッシーナで死。

別表記

 ラスカリフ、Konstantinos LaskarisConstantinus Lascaris

外部リンク

 Catholic Encyclopedia
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia

クリストフォロ・ランディーノ Cristoforo Landino

生没
1424年~1498年9月24日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
バルトロメオ・ランディーノ
ルクレツィア・デリ・アルベルティ
概要

 クリストフォロ・ランディーノはフィレンツェ生まれの人文主義者

年表

1459年
ルクレツィア・デリ・アルベルティと結婚。子供7人をもうける。
1472年
De nobilitate animate(魂の高貴さについて)を執筆。
1475年
この頃、『カマルドリ論議』を執筆。(1480年頃フィレンツェで刊)。
1481年
ボッティチェッリのイラスト入りのCommento alla Commendia di Dante(ダンテ『神曲』の註解)をフィレンツェのシニョーリアに献呈。
1487年
ドイツの印刷業者Andreas Freitagローマ近郊ガエタに開設した印刷所から、クリストフォロ・ランディーノのFormulario de epistole vulgare de ornati parlamenti(典雅な俗語手紙文例集)を刊行。
1498年9月24日

著作

 キリストの聖体を記念して
 真の高貴について
 カマルドリ論議
 クサンドラ
 典雅な俗語手紙文例集

註解

 神曲

翻訳注解

 博物誌

肖像

別表記

 Cristoforo di Bartolommeo Landini

外部リンク

 ウィキペディア
 CiNii
 Google Books
 Google Books
 Treccani.it

参考文献

 『イコノロジー研究
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ダンテ・アリギエーリ Dante Alighieri

生没
1265年~1321年9月14日
出身
フィレンツェ
没地
ラヴェンナ
アリギエーロ・アリギエーリ
ベッラ
ジェンマ・ドナーティ
ジョヴァンニ・アリギエーリ
ヤコポ・アリギエーリ
ピエトロ・アリギエーリ
アントーニア・アリギエーリ
概要

 ダンテ・アリギエーリは、13世紀~14世紀の男性、イタリア最大の詩人。グエルフィとギベッリーニに分かれて反目しあうフィレンツェの教皇派の貴族の家に生まれる。
 ダンテ・アリギエーリの幼少期はあまり知られていないものの、有名な逸話がある。彼が9歳の時、ベアトリーチェ・ポルティナーリという裕福な家庭の娘に一目惚れしてしまい、生涯を通して愛を捧げることを決める。彼女への愛の詩を処女作として、文壇に登場した。当時のイタリアでは、隣国フランスの吟遊詩人の流れを汲んだ詩作が極めて盛んであり、ダンテ・アリギエーリもこれらの詩の研究に没頭したらしい。
 フィレンツェの白派と黒派の紛争においてダンテ・アリギエーリが属する白派が敗北し、陰謀の嫌疑でフィレンツェからの永久追放を宣告され、以後放浪の生活を送ることになる。
 この流浪の中で書いた詩『神曲』が彼の名前を不朽のものにした。構成は天国、煉獄、地獄の三部に分かれ、それぞれ三十三歌の三行韻という「三尽くし」であり全部で1万5千行にもなる大作である。特に有名なのは煉獄や地獄の様子を描いた部分であり、例えば地獄の最深部では下半身氷付けになったルシフェルが、3つの顔のそれぞれに、マルクス・ユニウス・ブルートゥスネロ、カシウスを噛み砕いているのだそうである。
 内容もさる事ながら『神曲』の功績はこの詩がラテン語ではなくイタリア語で書かれていたということが上げられる。当時の多くの詩はラテン語で書かれており、俗語であるイタリア語の地位は相対的に低かった。ダンテ・アリギエーリはイタリア語を文学の領域に押し上げるのに大きく貢献しているのである。ダンテ・アリギエーリを「イタリア語の父」と呼ぶ研究者もいる。

著作

 『新生』
 『神曲
 『饗宴』
 『俗語論』
 『帝政論

年表

1265年5月21日~6月21日
フィレンツェにて、生。『神曲天国篇で双子座とある。建物は取り壊されて残っていないが生家の場所はおそらく現在のトラットリア・デル・ペンネッロ
1266年3月27日
洗礼を受け、ドゥランテと名付けられる。
1274年5月1日
五月祭にサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会ベアトリーチェ・ポルティナーリと出会う。具体的な交流はないに等しかったが、彼女はダンテ・アリギエーリに詩作の霊感を与え続けることになる。
1302年
フィレンツェ市から追放。
1305年
神曲』執筆開始
1472年7月18日
印刷業者Federico de' Conti、アンコーナ近郊イェージに開設した印刷所から初の印刷本、『神曲』を刊行。

肖像画

関連項目

正式名

 ドゥランテ・アリギエーリ

別表記

 アリギエリ、詩聖ダンテ

外部リンク

 ウィキペディア
 歴史データベース

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『サイレント・マイノリティ』
 『サロメの乳母の話』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『服飾の中世』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネッサンス夜話』
 『錬金術』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia

エラスムス Erasmus

生没
1469年~1536年
概要

 エラスムスは、人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。

著作

 痴愚神礼讃

年表

1466年10月28日
人文主義者エラスムス、ネーデルランドのロッテルダムに生(1466年~1536)。(但し1465年、1469年生の異説あり)。
1500年6月末/7月
エラスムスAdagiorum collectanea(格言集)をパリで刊行。
1504年2月15日
エラスムスEnchiridion militis christiani(キリスト教兵士提要)(Lucubratiunculae(螢雪余論)所収)をアントウェルペンで刊行。(但し1503年刊の異説あり)。
1508年9月
エラスムスAdagiorum collectanea(格言集)を増補しAdagiorum chiliades(多数の格言集)と改題の上、ヴェネツィアで刊行。
1509年8月
エラスムスEncomium moriae(痴愚神礼讃)の稿をトマス・モアに献呈。
1511年6月10日
この頃、エラスムスEncomium moriae(痴愚神礼讃)をパリで刊行。
1516年2月
エラスムス新約聖書ギリシア語校訂本文に教会公認訳によらない自身のラテン語訳を付したNovum instrumentum(校訂ギリシア語新約聖書)をバーゼルで刊行。新約聖書ギリシア語原文の最初の印刷本となる。
間もなくこれを、かねてから恩恵を受けてきたレオ10世に献呈。
1516年4月~1516年8月
エラスムスOpera divi Eusebii Hieronymi(聖ヒェロニムス著作集)全9巻をバーゼルで刊。
1516年5月
エラスムスInstitutio principis christiani(キリスト教君主教育)をバーゼルで刊行。
1517年3月27日
ヨハネス・ロイヒリン、主著De arte Cabbalistica(カバラ研究)をドイツ・ElsaßHagenauで刊行し、エラスムスに献呈。
1517年12月
エラスムスQuerela pacis(平和の訴え)をバーゼルで刊行。
1518年3月30日
エラスムスEncomium matrimonii(結婚礼賛)、Encomium artis medicae(医学礼賛)、ブリュッセル近郊ルーヴェンで刊行。
1518年11月
エラスムスColloquia(対話集)をバーゼルで刊行。
1519年3月28日
マルティン・ルターエラスムスに書簡を送り、教会との対決を支援するよう間接的に要請。
1519年5月30日
エラスムスマルティン・ルターに返書を送り、彼の著書はなお未読なので彼への賛否は決しかねるとした上、自分は学問に身を捧げる、「性急さ」よりも「謙虚さ」によってこそ目的を達し得る、と述べて彼を支持できないことを間接的に伝える。
1522年12月1日
自分のかつての神学講義の聴講生エラスムスから、自分の教皇即位後に、彼のカトリック信仰を証言する書簡を受け取っていたハドリアヌス6世、この日、彼にその学識をマルティン・ルターに向けるよう要請する書簡を送る。
1522年12月23日
エラスムス、この日付の書簡をハドリアヌス6世に送り、ルター派への対応について、自分の態度は語らず、教会の不名誉となるような弾圧はしないよう要望。
1523年1月23日
ハドリアヌス6世エラスムスに再び書簡を送り、彼をローマに招くと共にマルティン・ルターを論駁するよう重ねて要請。
1523年3月22日
エラスムスハドリアヌス6世に書簡を送り、一派に与して争いに加わるよりは死を選ぶとマルティン・ルター論駁を冷たく断る。
1524年2/3月
この頃までにエラスムス、「黙示録」を除く新約聖書の釈義を完成し、バーゼルで刊行。
1524年4月15日
マルティン・ルターエラスムスに書簡を送り、「我々の悲劇の単なる傍観者」に留まって欲しいと述べて自分への批判を差し控えるよう間接的に要請。
1524年9月1日
エラスムスDiatribe de libero arbitrio(自由意志論)をバーゼルで刊行し、マルティン・ルターを論難。
1525年末
マルティン・ルターDe servo arbitrio(奴隷的意志論)をヴィッテンベルクで刊行してエラスムスに反論し、彼と決別。マルティン・ルターの孤立化、深まる。
1526年2月20日
この月、自分に対するマルティン・ルターの反論を入手して一読したエラスムス、直ちにHyperaspistes adversus servum arbitrium Lutheri(ルターの奴隷的意志論に対する反論)を執筆し、この日に序文を付して印刷に回す。1526年2月または1526年3月バーゼルで刊行。
1526年4月11日
エラスムスマルティン・ルターに書簡を送り、自分に対する彼の「気狂いじみた罵言」、「攻撃」を指摘した上、「要するにあなたは聖俗一切の事柄を混乱に投げ込むように福音の旗印を押し立てている」と厳しく批判。
1526年4月16日
エラスムスフェルディナンドの側近、ウィーン司教Johannes Faberに書簡を送り、ローマ教会とルター派の相互不干渉、共存を勧奨。
1526年5月16日
パリ大学神学部、エラスムスColloquia(対話集:1526年2月刊)を禁書とする。
1526年6月14~23日
エラスムス、直接フランソワ1世、パリ高等法院及びパリ大学神学部に書簡を送り、思想検察に慎重を期すよう勧奨。
1527年3月30日
エラスムストマス・モアに書簡を送り、自説を展開した上、マルティン・ルターに対する反論の続編を執筆する意図を披瀝。
1533年8月末/9月初旬
エラスムスDe sarcienda ecclesiae concordia(教会の美しき協調について)をバーゼルで刊行し、新・旧両教派に互譲の精神を求め教義の差異に拘らないよう説くが、両派から批判を受ける。
1536年7月11/12日
深夜、エラスムス、バーゼルで死(1469年~)。
1547年7月
イングランド王Edward VI、勅令を発し、各教区教会に英語訳聖書、エラスムスの新約聖書釈義(1524年)の英語訳T. CranmerThe Book of Homilies(説教集:1547年刊)の備付及び偶像崇拝の対象となる聖像壁画の破壊を命じ、イングランド国教会のプロテスタント化に着手。
1559年1月
禁書目録の公表:パウルス4世ローマの異端審問所を初めとする全ての異端審問所が全キリスト教徒を防衛するための、検閲及び刑罰の恐怖を与えるべき著者と書籍の目録(Index librorum prohibitorum(禁書目録))を公表。この中にエラスムスニッコロ・マキアヴェッリの全作品などが登録される。

別表記

 Desiderius Erasmus

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『サイレント・マイノリティ』
 『修道院』
 『性病の世界史』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『傭兵の二千年史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『Lucretia Borgia

フランチェスコ・ペトラルカ Francesco Petrarca

生没
1304年7月20日~1374年7月19日
出身
アレッツォ
没地
アルクァ(アルクァ・ペトラルカ)
ペトラッコ
概要

 フランチェスコ・ペトラルカは、14世紀の男性。

著作

 『凱旋歌集

年表

1470年
1469年ヴェネツィアに印刷所を開設したドイツ人JohannWendelin von Speyer (da Spira)兄弟の内のWendelin (Vindelino)フランチェスコ・ペトラルカCanzoniere(カンツォニエーレ)の初の印刷本を刊行。

本名

 フランチェスコ・ぺトラッコ(Francesco Petracco)

別表記

 Petrarch

関連項目

 The Borgias: 107

外部リンク

 ウィキペディア
 Francesco Petrarch - Father of Humanism

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『新世紀ビジュアル大辞典』
 『性病の世界史』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『メディチ家』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネサンス舞踊紀行』
 『ローマ教皇検死録』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Eros the Bittersweet
 『Lucretia Borgia

フランソワ・ラブレー François Rablais

生没
1483年~1553年4月9日
出身
シノン近郊の村
没地
パリ
概要

 フランソワ・ラブレーは作家、人文主義者

年表

1494年
この年頃、フランス・シノン近郊La Devinièreに生(~1553年)。(但し1483年?生の異説あり。)
1532年11月
この頃?、Pantagruel(第2の書、パンタグリュエル)を、換字変名を付してリヨンで刊行。
1534年秋
この頃?、Gargantua(第1の書、ガルガンチュワ)を、換字変名を付してリヨンで刊行。
1546年1月
この頃?、Le Tiers Livre de Pantagruel(パンタグリュエル、第3の書)を初めて本名を付して(以下同じ)パリで刊行。
1552年1月28日
Le Quart Livre de Pantagruel(第4の書、パンタグリュエル)をパリで刊行。
1553年4月9日
パリで死(1494年頃~)。
1564年
フランソワ・ラブレーの遺作Le Cinque livre de Pantaguel(第5の書、パンタグリュエル)、刊行地・刊行者を伏せられて刊。(但し他者の偽作の疑いあり)。

外部リンク

 ウィキペディア
 ロワール渓谷地方のポータルサイト
 Wikipédia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史12 ルネッサンス』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『中世の食卓から』
 『服飾の中世』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジャン・ジョルジョ・トリッシーノ Gian Giorgio Trissino

生没
1478年7月8日~1550年12月8日
出身
ヴィンチェンツァ
没地
ローマ
概要

 ジャン・ジョルジョ・トリッシーノは人文主義者、劇作家、詩人。

年表

1478年7月8日
ヴェネトのヴィチェンツァに生。
1515年
1514年から1515年にかけて、悲劇Sofonisba(ソフォニスバ)を執筆。
1515年
ローマSofonisba上演。
1524年
Sofonisba刊。
1547年
抒情詩L' Italia liberata da' Goti(ゴート族から解放されたイタリア)を脱稿し、翌1548年にかけて刊行。
1550年12月8日
ローマで死。

別表記

 トリッシノ

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ジョヴァンニ・ポンターノ Giovanni Pontano

生没
1426年5月7日~1503年9月
出身
Cerreto
没地
ナポリ
概要

 ジョヴァンニ・ポンターノは人文主義者、詩人、政治家。

年表

1426年5月7日
おそらくこの年月日、ウンブリアのCerretoに誕生。
1491年11月
アンジュー家のナポリ王位要求権を継承しているとして当の王位を狙うシャルル8世インノケンティウス8世との関係が親密化しつつあるとの報を得たフェッランテ・ダラゴーナにより、インノケンティウス8世との関係改善を目指し、特使としてローマに派遣される。
1494年5月8日
アルフォンソ2世・ダラゴーナナポリ王戴冠式で、王の訓示を読み上げる(1494年5月7日)。
1503年9月
ナポリで死。
1509年
遺作De bello Neapolitano et de sermone(ナポリ戦役)、ナポリで刊行。

別表記

 ジョヴィアーノ・ポンターノ、ジョヴァンニ・イオヴィアーノ・ポンタノ、Jovian. Pontan.Gioviano Pontano

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ギヨーム・ド・マショー Guillaume de Machaut

生没
1300年頃~1377年4月13日
概要

 ギヨーム・ド・マショーは、14世紀の男性、作曲家、詩人。

プロセルピナの誘拐

 『confort d'ami』 1372~1377年 ランス フランス国立図書館所蔵 ms. Français 1584, fol. 144


クピド、彼の子供たちを詩人ギヨーム・ド・マショーに紹介する

 『prologue』 1377年 パリ フランス国立図書館所蔵 ms. Français 1584, fol. D.


木の頂のクピド

 『dit du verger』 1372~1377年 ランス フランス国立図書館所蔵 ms. Français 1584, fol. 1 v.


関連項目

 『イコノロジー研究3 時の翁4 盲目のクピド

外部リンク

 ウィキペディア  Bibliothèque nationale de France
 Bibliothèque nationale de France
 Bibliothèque nationale de France
 Bibliothèque nationale de France

ヨハン・ブルカルト Johann Burchard

生没
1450年頃~1506年5月16日
概要

 ヨハン・ブルカルトは、15世紀~16世紀の男性、教皇庁の儀典長。見聞したことを詳細にしたためた彼の日記は高い資料的価値を持つ。

著作

 『ヨハン・ブルカルトの日記

年表

1494年5月8日
アルフォンソ2世・ダラゴーナナポリ王戴冠式に参列(1494年5月7日)。
1503年8月18日(金)
晩課の時刻(現19時51分)、教皇アレクサンデル6世、死。
ミケーレ・ダ・コレーリアヴァティカン宮殿の入口の全ての扉を閉め、財産を確保。
召使が、教皇の肘掛け椅子、座布団、壁布を残し、箪笥の中のものを全て着服。
7刻(現14時51分)、ヨハン・ブルカルトの同僚がヴァティカン宮殿に到着し、承認され中に通される。教皇の死を知り、聖具室付き召使と教皇の召使に遺体を洗わせる。全て日常着用していた服と、生前1度も袖を通すことのなかった裾なしの白い外套を着せる。諸教皇の間の控室で棺台に寝かせ、真紅の絹と敷物を被せる。
8刻(現15時51分)、再び扉を開かれ、教皇の死が知れ渡る。
8刻、同僚に呼ばれ、ヨハン・ブルカルトがヴァティカン宮殿に到着。この間、外にいる枢機卿たちにも報告が届くが、誰も行動を起こさず。
ヨハン・ブルカルトがオリヴィエーロ・カラーファ枢機卿に切迫した危機に備えることを提案。9刻過ぎ、オリヴィエーロ・カラーファが秘書を通して全枢機卿に、翌朝サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂に集まってもらえるよう伝える。
ヨハン・ブルカルトが遺体に錦の赤い長衣、短い腕帛、上祭服、長靴下を着せる。靴には十字がなかったので、真紅のビロードの愛用だった履物を代わりに履かせ、かかとに2本の紐で金の十字を結びつける。指輪は行方不明。
諸教皇の間私的謁見の間を通り、鸚鵡の間に遺体を運ぶ。真紅の覆いと敷物をかけた、棒の長さの机を用意する。錦の座布団4つと真紅のビロードの座布団1つを調達するが、古いビロードは使わず、遺体の肩、両脇、頭の下に置き、その上に敷物をかける。
2つの松明のみで、夜通し遺体に付き添う者は誰もいず。
1503年8月19日(土)
夜12刻(現19時51分)過ぎ、宮殿警備8人に付き添われて、町に戻る。教区、修道問わずローマの全聖職者に、アレクサンデル6世の遺体にシスティーナ礼拝堂からサン・ピエトロ大聖堂に付き添うため翌朝9刻にヴァティカンに集合と知らせるよう、副長官としてカルロら急使に、できなければ職を失う条件で指示を出す。教皇随行のための松明が2百本準備される。
ヴァティカン宮殿鸚鵡の間に棺を運び、遺体を中に横たえる。袖なしの外套を着た副助祭が十字架を運ぶため待機したものの、教皇の十字架は見つからず。
盾持ちと部屋付きの召使が集められ、内赦院の4人の役人と共に、松明43本を持つ。夜の間、彼らは窓の長椅子に腰掛け、棺台の上に手を乗せ、鎮魂歌を歌う。教皇を見るために周りに立つ貧者が続ける。
ヨハン・ブルカルトが棺の中に2つの敷布団を入れ、その上に薄紫色のビロードの新しい司教外套と教皇アレクサンデル6世の紋章の刺繍が施された覆いを被せる。遺体を横たえ、敷物をかけ、肩の下に古い枕を、頭の下には2つの座布団を入れる。金色の紐がついた2つの真紅の帽子は、ヨハン・ブルカルトが家に持ち帰る。
棺は儀典室の従僕が運ぶが、ヴァティカン宮殿の外まで担ぎ出せるか不安を感じ、礼拝堂付き聖職者でセッサ司教マルティーノ・ザパータに監督を任せる。
ローマの全修道司祭、サン・ピエトロ大聖堂所属聖職者、十字架を持った司教座聖堂参事会員のいるシスティーナ礼拝堂へ、教皇を運ぶ。
サン・ピエトロ大聖堂に向かい、初めに十字架が、次にサントノフリオの修道士、パウロ会修道士、フランチェスコ会修道士、アウグスティーノ会修道士、カルメル会修道士、ドミニコ会のみ3人の修道士、サン・ピエトロ大聖堂所属聖職者、ストラとピヴィアーレを着たローマの聖職者の侍従、数人の司教たちが行く。サン・ピエトロ大聖堂所属の聖職者と受禄者が大部分、教皇の従僕と雇用者が、約1百40の松明を掲げる。その後、アレクサンデル6世の棺が来て、聖職者と受禄者は無秩序に教皇を囲む。システィーナ礼拝堂の中にいた貧者によって棺は運ばれ、4人か6人の司教座聖堂参事会員がそばで棺台に手を乗せながら歩く。4人の執事で高位聖職者、つまり、サモーラ司教ディエゴ・デ・デーサ、カリーノラ司教ペドロ・ガンボア、ナルニ司教ピエトロ・グスマン、セッサ司教マルティーノ・ザパータが、2人ずつ棺の後ろを続く。
サン・ピエトロ大聖堂の中央に棺を据えると、「Non intres in judicium」云々が朗誦されるが、本がなく、それを待つ間聖職者が応唱「Libera me, Domine」を歌う。聖歌が歌われている間、宮殿警備の兵士たちが松明を数本着服しようとする。聖職者たちは抵抗するが、兵士が武器を向けたため、聖歌を中断して聖具室へ逃げ、教皇はほぼ1人にされてしまう。ヨハン・ブルカルトが他3名と棺台を担ぎ、主祭壇と教皇座へ運び、頭を祭壇に向けて置き、棺の後ろの聖歌隊席を閉める。教皇に害された者が復讐するかもしれないとして、マルティーノ・ザパータが人々が死者に近づけば不祥事が起こる可能性を懸念。それ故、棺を再び動かすよう指示し、階段の間の礼拝堂の入り口に据える。最下段は柵は近く、扉は柵の間からやすやすと手の届く。終日、その柵に狭く囲まれた場所に留まる。
8刻(現3時49分)には、故アレクサンデル6世の顔の腐敗と黒さが進行。
その間、9刻(現4時49分)過ぎ、枢機卿16名がサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂に集合。ラグーザ(ドゥブロヴニク)大司教ジョヴァンニ・サッコをローマ知事に任命し、兵士を2百人を与える。式武官長にフアン・デ・ヴェラを任命。この2名にローマの門、民衆、聖職者の監督を信任。彼らの立会いの下、アレクサンデル6世の鉛製印章が教皇勅書封書官によって破壊される。教皇の指輪を教皇庁掌璽院に引き渡すよう指令され、ハイメ・デ・カサノヴァがこれにあたる。その間、アントニオット・パッラヴィチーニ枢機卿とボルジア枢機卿(フランチェスコ・ボルジア又はペドロ・ルイス・ランソル)が教皇の部屋の所有物の目録作成にあたる。この集まりは3刻(現10時49分)頃終わる。
食事後、枢機卿は部屋付き聖職者と共に、銀製品と高額な調度品の目録を作成。教皇冠と2つの小冠、教皇がミサや全ての司宰で使用していた指輪全部が見つかり、大きな収納箱8つに詰める。ヴァティカン宮殿ボルジアの間の裏にある第1室には、ミケロット・ネーリが見落としていたさらなる銀杯がある。同じく見落としていた緑の布に覆われた桧の箱には、約2万5千ドゥカート相当の宝石と指輪、枢機卿たちの誓約書やナポリ王国叙任の勅書やその他文書の大量の紙が入っている。
ヨハン・ブルカルト不在の間に、部屋付き聖職者フェルナンド・ポンツェットが大工のミケーレとブッチョに、サン・ピエトロ大聖堂の真ん中の霊柩台を長さ15スパン(約3.42 m)、幅12スパン(約2.74 m)、高さ6スパン(約1.37 m)に手配。側廊に霊柩台を除く50本の松明を支えるための柵と1百40本のかがり火を、会葬者と高位聖職者1百名が座る長椅子を手配。垂木1本1ドゥカートで、総額1百50ドゥカート。加えてフェルナンド・ポンツェットは、聖餐式執行司祭のための祭具机を手配し、翌終日にわたり執行司祭が棺台他全てを執り行うようにする。
その間、教皇は主祭壇の柵に囲まれ、4つの松明が灯されている。ヨハン・ブルカルトが見た時には漆黒の布か黒人のように斑が広がり、鼻は腫れ、口は肥大し、舌は腫れて唇から出始め、 口は開いていた。かつて誰も見たこともないほど恐ろしい姿だったという。
夜9刻(現16時49分)過ぎ、しきりに冗談を言ってアレクサンデル6世をほのめかす6人の運搬人によって、サンタ・マリア・デッレ・フェッブリ教会に運ばれ、祭壇の左の壁の隅に置かれる。松明などの灯りが使われず、司教などが見守ることもなく、ミトラを教皇のそばに置き、古い敷物を被せ、2人の大工によって作られた棺は狭く短かったため遺体を押し込めるように入れる。

別表記

 BurcardoGiovanni Burckardt

関連項目

 The Borgias: 101, 102, 103, 108, 109

外部リンク

 THE BORGIAS wiki
 Wikipedia

参考文献

 『サイレント・マイノリティ』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ヨハネス・ロイヒリン Johannes Reuchlin

生没
1455年~1522年
没地
Liebenzell
概要

 ヨハネス・ロイヒリンは、15世紀~16世紀の男性。

著作

 カバラの術について

年表

1498年
ローマ到着。
1514年3月
各地から寄せられた著名学者の書簡を一巻に纏めたClarorum virorum epistolae(名士書簡集)をテュービンゲンで刊行。
1517年3月27日
主著De arte Cabbalistica(カバラ研究)をドイツ・ElsaßHagenauで刊行し、エラスムスに献呈。
1522年
ドイツ・バイエルンのLiebenzellで死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『Lucretia Borgia

ロレンツォ・ヴァッラ Lorenzo Valla

生没
1407年~1457年
出身
ローマ
概要

 ロレンツォ・ヴァッラは、15世紀のイタリアの男性、人文主義者、言語学者。

年表

1431年
De volptate(快楽について、別題De vero bono(真の善について))をパヴィアで執筆。
1435年
1440年
アルフォンソ5世・デ・アラゴンの秘書官として主君の利権を擁護するためDe falso credita et ementitia Constantini donatione declamatio(誤って信じられてきたコンスタンティヌスの寄進状が偽作であることについて)を著し、教皇の現世支配権の根拠とされるコンスタンティヌスの寄進状を偽作と証明、主張。
1444年
Elegantiarum latinae linguae libri VI(ラテン語の優雅さ6篇)完成(1435年~)。(1471年ローマで刊)。
1449年
Adnotationes in Novum Testamentum(新約聖書校註)を執筆。(1505年パリで刊)。
1457年8月1日
ローマで死(1407年~1457年)。
1499年
遺作Dialecticae disputationes contra Aristotelicos(反アリストテレス主義者弁証論議)、ヴェネツィアで刊行。
1519年
De volptate、バーゼルで?刊。
1521年
この年頃、遺作Historiarum Ferdinandi regis Aragoniae(アラゴン王フェルディナンド誌)刊。

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『The Life of Cesare Borgia

ルカ・パチョーリ Luca Pacioli

生没
1445年頃~1517年1月19日
出身
ボルゴ・サン・セポルクロ
没地
ローマ
概要

 ルカ・パチョーリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、数学者、フランシスコ会修道士。

年表

1445年
この年頃、アレッツォ近郊ボルゴ・サン・セポルクロに生(1447年頃)。
1477年10月
1477年11月~1480年6月
ペルージア大学にて教鞭を取る。
1480年
ヴェネツィア共和国ツァラ(ザダル)に行く。
1494年
Summa de arithmetica, geometria, proportioni e proportionalià(算術、幾何、比例及び比例全面)をヴェネツィアで刊行。
1497年
ルドヴィーコ・イル・モーロに招聘され、ミラノで幾何学と数学を教える。また、レオナルド・ダ・ヴィンチと協力して研究。
1509年
レオナルド・ダ・ヴィンチによる遠近法の図解入りの著De divina proportione(神聖比例論)をヴェネツィアで刊行。
1517年1月19日
ローマにて、死(1509年以降、1520年頃)。

別表記

 フラー・ルーカ・パッチョーロ、Fra Luca Bartolomeo de PacioliLuca di Borgo

外部リンク

 ウィキペディア
 Treccani

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

ルイジ・プルチ Luigi Pulci

生没
1432年8月15日~1484年
出身
フィレンツェ
没地
パドヴァ
ルクレツィア・デリ・アルビッツィ
概要

 ルイジ・プルチは、15世紀のイタリアの男性、詩人。

著作

 『モルガンテ

年表

1432年8月15日
1466年3月12日
フィレンツェでロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。
1469年
1469年2月7日にロレンツォ・イル・マニーフィコが開催した騎馬槍試合を歌ったLa Giostra di Lorenzo de' Medici(ロレンツォ・デ・メディチの騎馬槍試合)を作詩。
1470年代初め
1473年9月
生まれ故郷ミラノへ帰るロベルト・サンセヴェリーノに同行し、その旅の記録を北部の方言を真似た風刺的なソネット2編に残した。
1474年2月
ロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。マルシリオ・フィチーノに対する中傷的内容の手紙。
1477年1月3日(金)
ロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの死について言及し、ロレンツォ・イル・マニーフィコの利益になるようにロベルト・サンセヴェリーノに働きかけることを申し出ている。
1477年2月半ば
ミラノに向けて発つ。
到着後は彼自身がフィレンツェ政府のスパイによって監視されていた。
1477年3月
ロレンツォ・イル・マニーフィコに密書を送ろうとした時、チッコ・シモネッタの要請により、その密書を現地のフィレンツェ大使に盗み見られていた。
1477年4月
フィレンツェに戻る。
1483年
1484年
パドヴァで死。

外部リンク

 レオナルドとルイジ・プルチ
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

マリン・サヌード Marin Sanudo

生没
1466年6月22日~1536年4月4日
出身
ヴェネツィア
没地
ヴェネツィア
概要

 マリン・サヌードは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、歴史家、政治家。

著作

 『日記

年表

1466年6月22日
ヴェネツィアに生(1466年5月22日)。
1483年
Itinerario per terraferma veneta(ヴェネト地方内陸部旅行記)を執筆。
1484年
Commentari della guerra di Ferrara(フェッラーラの戦役註記)を執筆。
1493年
Vite dei dogi((歴代)ドージェ伝)を完成。
1495年12月31日
La spedizione di Carlo VIII(シャルル8世のイタリア遠征)をジェノヴァのドージェ、アゴスティーノ・バルバリーゴに献呈。
1496年1月1日
日記』の執筆を開始。
1497年7月21日
ローマにて、手紙を書く。「アスカーニオ・マリーア・スフォルツァがガンディア公フアン・ボルジアを殺害したのは確かです」
1497年12月
ローマにて、手紙を書く。フアン・ボルジアを暗殺したのはオルシーニであることを示唆する。
1498年2月20日
日記』:ローマからの手紙に、ペドロ・カルデロンが数日行方不明になっていたが、「彼の溺死体がテヴェレ川で発見された」と書かれていた。
1503年10月19日
日記』:ヒヒの姿で部屋から跳び出そうとしている悪魔が見られた。ある枢機卿が捕まえようと走り出し、捕らえたなら教皇アレクサンデル6世に差し出しただろうが、「放っておけ、放っておけ。それは悪魔だ」と教皇は言い、その夜病に倒れそして死んだ。
1533年9月30日
日記』、この日をもって終わる。(1879年~1902年刊)。
1536年4月4日

別表記

 Marino Sanutoil Giovane

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『サイレント・マイノリティ』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

パオロ・ジョヴィオ Paolo Giovio

生没
1483年4月19日~1552年12月11日
出身
コモ
没地
フィレンツェ
ルイジ・ジョヴィオ
エリザベッタ・ベンツィ
フェリチアーノ・ジョヴィオ
概要

 パオロ・ジョヴィオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、歴史記述家。

著作

 『偉人伝
 『軍事と愛のインプレーザについての対話

年表

1483年4月19日
コモに生。
1550年
Historiarum sui temporis(同時代史)をフィレンツェで刊行(~1552年)。
1552年12月10日

別表記

 パーオロ・ジョーヴィオ、Paul. Jovius

外部リンク

 ウィキペディア
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ポッジョ・ブラッチョリーニ Poggio Bracciolini

生没
1380年2月11日~1459年10月30日
出身
テッラヌオヴァ・ブラッチョリーニ
ヤコポ・ブラッチョリーニ
概要

 ポッジョ・ブラッチョリーニは、古典収集家、学者、著作家。

著作

 フィレンツェ史

年表

1429年
De avaritia(吝嗇について)を完成(1428年~)。
1440年
ポッジョ・ブラッチョリーニDe nobilitate(貴族論)執筆(1489年Antwerpenで刊)。
1440年
ポッジョ・ブラッチョリーニDe infelicitate principium(君主の不幸について)執筆。
1448年
ポッジョ・ブラッチョリーニDe Varietate fortunae(運命の変遷について)を完成(1431年~)。(1723年パリで刊)。
1452年
ポッジョ・ブラッチョリーニLiber facetiarum(風刺寓話集)を完成(1435年~1452年)。(1470年頃、ローマ及びニュルンベルクで刊)。
1455年
ポッジョ・ブラッチョリーニDe miseria humanae conditionis(人間の悲惨な状態について)を執筆。
1459年10月30日
ポッジョ・ブラッチョリーニ、フィレンツェで死(1380年~1459年)。

別表記

 ポッジオ・グッチオ・ブラチョリーニ、ブリッチオリーニ、ブラッチリオーニ、Gian Francesco Poggio Bracciolini

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネサンス百科事典』
 『ルネッサンス夜話』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

トルクワト・タッソー Torquato Tasso

生没
1544年~1595年
出身
ソッレント
ベルナルド・タッソー
概要

 トルクワト・タッソーは、詩人。

著作

 『アミンタ』
 『トッリスモンド』
 『解放されたエルサレム』
 『征服されたエルサレム』

年表

1544年3月11日
ソッレントに生。
1560年
叙事詩Gerusalemme liberata(エルサレム解放)の執筆を開始(~1575年)。(1580年Il Goffredoの仮題でヴェネツィアで、1581年「エルサレム解放」と改題してパルマで刊行)。
1562年
叙事詩Rinaldo(リナルド)を刊行。
1573年春
牧歌劇Aminta(アミンタ)を執筆・完成。
1573年7月31日
この日?、トルクワト・タッソーのAminta(アミンタ)、作者自身の監督の下でフェッラーラエステ城で上演される。(1580年以降ヴェネツィアフェッラーラなどで次々と刊)。
1580年
『解放されたエルサレム』。

別表記

 トルクヴァート・タッソ

外部リンク

 ウィキペディア
 エステ大辞典
 Treccani.it

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

テオーフィロ・モーキ Teofilo Mochi

生没
1474年~1530年
概要

 テオーフィロ・モーキは、15世紀~16世紀の男性。

参考文献

 『君主論』

アブー・マーシャル Abū Maʿshar

生没
787年8月10日~886年3月9日
出身
バルフ
概要

 アブー・マーシャルは、8世紀~9世紀の男性。

著作

別表記

 アブ・マシャル、Abu Maʿshar

外部リンク

 オカルトの部屋
 星のささやき ~ 月夜のダイアリー ~
 夢と星の幸せ占いサイト Angel's wing
 Wikipedia

アキッレ・ボッキ Achille Bocchi

Achille Bocchi
生没
1488年~1562年11月6日
出身
ボローニャ
没地
ボローニャ
概要

 アキッレ・ボッキは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義作家、ギリシアの歴史家・講師、詩人。

著作

 『象徴的探求の宇宙

別表記

 アキレス・ボッキウス

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究

オウィディウス Publius Ovidius Naso

生没
紀元前43年~紀元17年
概要

 オウィディウスは、紀元前1世紀~紀元1世紀の男性。

著作

 恋の歌
 恋愛術(恋の技法)
 恋愛治療
 名婦の書簡
 転身物語
 祭暦
 哀歌(悲しみの歌)
 黒海からの手紙
 イービス

別表記

 オヴィディウス、オーヴィッド

外部リンク

 ウィキペディア
 山下太郎のラテン語入門

参考文献

 『イコノロジー研究
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの華』
 『ルネッサンスの光と闇』

ハルトマン・シェデル Hartmann Schedel

著作

 『Nuremberg Chronicle

Nuremberg Chronicle』1493年 フィレンツェの眺め

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

プロティノス Πλωτνος

生没
205年?~270年
概要

 プロティノスは、3世紀の男性。

著作

 『エネアデス

別表記

 プロティヌス、Plotinos

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

ホメロス Όμηρος

概要

 ホメロスは、紀元前8世紀末の男性。

著作

 イリアス
 オデュッセイア
 キュプリア
 アイティオピス
 小イーリアス
 イーリオスの陥落
 帰国物語
 テーレゴニアー

別表記

 ホメーロス、ホーマー、HomerosHomer

外部リンク

 ウィキペディア

ナターレ・コンティ Natale Conti

生没
1520年頃~1582年
概要

 ナターレ・コンティは、16世紀の男性。

著作

 『Mythologiae

別表記

 Natalis Comes

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究

ピエリオ・ヴァレリアーノ Pierio Valeriano

生没
1477年~1560年
概要

 ピエリオ・ヴァレリアーノは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

著作

 『ヒエログリフィカ

別表記

 ヴァレリアノ

外部リンク

 CAMENA

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンス宮廷大全』

アリストテレス Αριστοτέλης

生没
紀元前384年~紀元前322年3月7日
出身
Stageira
概要

 アリストテレスは、紀元前4世紀の男性。

著作

 自然学
 形而上学
 ニコマコス倫理学
 動物誌
 詩学
 アテナイ人の国制
 デ・アニマ(魂について)
 政治学

肖像

 アテナイの学堂

別表記

 アリストートル、AristotelesAristotle

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『Eros the Bittersweet

ルキウス・アンナエウス・セネカ Lucius Annaeus Seneca

生没
紀元前4年?~紀元後65年
概要

 ルキウス・アンナエウス・セネカは、紀元前1世紀~1世紀の男性。

著作

悲劇

 『パエドラ』
 『狂えるヘルクレス』
 『トロイアの女たち』
 『メデア』
 『フェニキアの女たち』
 『オエディプス』
 『アガメムノン』
 『テュエステス』
 『オエタ山上のヘルクレス』(偽作の疑い)
 『オクタウィア』(偽作)

随筆・書簡

 『怒りについて』(De Ira)
 『寛容について』(De Clementia)
 『賢者の不動心について』(De Constantia Sapientiis)
 『心の平静について』(De Tranquillitate Animi)
 『人生の短さについて』(De Brevitate Vitae)
 『幸福な人生について』(De Vita Beata)
 『神慮について』(De Providentia)
 『善行について』(De Beneficiis)

別表記

 小セネカ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界大百科事典』
 『ルネサンス宮廷大全』

チェーザレ・リパ Cesare Ripa

生没
1555年~1622年1月22日
出身
ペルージア
没地
ローマ
概要

 チェーザレ・リパは、イタリアの図像学者。

著作

年表

1555年
ペルージアにて、生(1560年)。
1622年1月22日
ローマにて、死。

別表記

 チェーザレ・リーパ

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『西洋美術解読事典』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンスの光と闇』

プラトン Πλάτων

生没
紀元前427年~紀元前347年
概要

 プラトンは、紀元前5世紀~紀元前4世紀の男性、古代ギリシアの哲学者。

著作

 『ソクラテスの弁明』
 『クリトン』
 『プロタゴラス
 『ラケス』
 『リュシス
 『ゴルギアス』
 『メノン』
 『メネクセノス
 『饗宴
 『国家
 『パイドロス』
 『パイドン』
 『パルメニデス』
 『テアイテトス』
 『ソピステス』
 『政治家』
 『ピレボス
 『ティマイオス
 『クリティアス』未完
 『ヘルモクラテス』未筆
 『法律

肖像

 アテナイの学堂

別表記

 Platon、Plato

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『情報エネルギー化社会』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『Eros the Bittersweet

キケロ Cicerō

生没
紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
概要

 古代ローマの政治家、文筆家、哲学者。

著作

 『神性について

別表記

 マルクス・トゥッリウス・キケロ、Mārcus Tullius Cicerō

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』

エウクレイデス Ευκλείδης

生没
紀元前365年?~紀元前275年?
概要

 エウクレイデスは、紀元前4世紀~紀元前3世紀の男性。

肖像

 エウクレイデスの肖像

別表記

 ユークリッド、EuclidEukleidesEuclides

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『ルネサンス宮廷大全』

ジョン・ダン John Donne

生没
1572年1月22日?~1631年3月31日
概要

 ジョン・ダンは、16世紀~17世紀の男性、形而上詩人。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『オーランドー』
 『Eros the Bittersweet

ペルシウス Persius

生没
34年12月4日~62年11月24日
出身
ヴォルテッラ
没地
ローマ
外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス精神の深層』

トマス・アクイナス Thomas Aquinas

生没
1225年~1274年
概要

 トマス・アクイナスは、13世紀の男性。

別表記

 トンマーゾ・ダクィーノ、アクィナス

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

アンドレア・アルチアーティ Andrea Alciati

生没
1492年5月8日~1550年1月12日
出身
アルツァーノ
没地
パヴィア
概要

 アンドレア・アルチアーティは、人文主義者、ローマ法学者。

著作

 『エンブレマータ

年表

1492年5月8日
コモ地方アルツァーテに生。
1530年
Libellus de ponderibus et mensuris(度量衡論)をHagenau (Haguenau)で刊行。
1550年1月11日
パヴィアで死(1550年1月12日)。
1582年
Opere omnia(全著作集)全4巻、バーゼルで刊。

別表記

 アルチャーティ、Alciato

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

アンドレア・ベルナルディ Andrea Bernardi

生没
1450年~1522年
出身
サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェート
没地
フォルリ
概要

 アンドレア・ベルナルディは、イタリアの歴史家、年代記作者。

著作

 『Cronache Forlivesi

外部リンク

 Google Books
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

アントーニオ・トゥッチ・マネッティ Antonio Tucci Manetti

生没
1423年7月6日~1497年5月26日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
概要

 アントーニオ・トゥッチ・マネッティは、イタリア人文主義者、建築家、数学者。

別表記

 アントーニオ・ディ・トゥッチョ・マネッティ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス精神の深層』

アントーニオ・パノルミータ Antonio Panormita

生没
1394年~1471年
出身
パレルモ
没地
ナポリ
概要

 アントーニオ・パノルミータは、詩人、人文主義者、Accademia Antoniana(アントニオ学園、後Accademia Pontaniana ポンターノ学園)の創立者。

年表

1425年9月
ラテン語詩Hermaphrodius(ヘルマフロディーテ)をボローニャで公表。
1455年
De dictis et facilis Alphonsi regis Aragonum(アラゴン王アルフォンソ誌)を完成。
1471年1月19日
ナポリで死。
1485年
De dictis et facilis Alphonsi regis Aragonum、ピサで刊。

本名

 Antonio Beccadelli

別表記

 Il Panormita

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アントーニオ・テバルデオ Antonio Tebaldeo

生没
1463年~1537年
出身
フェッラーラ
没地
ローマ
概要

 アントーニオ・テバルデオは、詩人、人文主義者、医師、文学者、ルクレツィア・ボルジアの秘書。

別表記

 テヴァルデオ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ヒッポのアウグスティヌス Augustine of Hippo

生没
354年11月13日~430年8月28日
モニカ
概要

 ヒッポのアウグスティヌスは、4世紀~5世紀の男性、四大ラテン教父の1人。

持ち物

 司教冠、書物、燃える心臓。

著作

 『告白
 ?年~417年『三位一体論』
 ?年~419年『ヨハネ福音書注解』
 ?年~426年『神の国』

肖像

本名

 Aurelius Augustinus

関連項目

 The Borgias: 101, 106

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『西洋美術解読事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの華』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Eros the Bittersweet
 『Lucretia Borgia

ベルナルディーノ・コリオ Bernardino Corio

生没
1459年3月8日~1519年
出身
ミラノ
概要

 ベルナルディーノ・コリオは歴史家。

著作

 『祖国の歴史』(La patria historiaHistoria di Milano

年表

1459年3月8日
ミラノに生。
1503年7月15日
La patria historia(祖国の歴史)をミラノで刊行。
1503~1512年
死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『April Blood
 『The Life of Cesare Borgia

ベルナルド・タッソー Bernardo Tasso

生没
1493年11月11日~1569年9月5日
トルクワト・タッソー
概要

 ベルナルド・タッソーは詩人。

年表

1493年11月11日
ヴェネツィアに生(~1569年)。
1560年末
叙事詩集Amadigi(アマーディジ)をヴェネツィアで刊行。
1569年9月5日
マントヴァ近郊オスティーリアで死(1493年~)。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

ボナヴェントゥーラ Bonaventura

生没
1221年?~1274年7月15日
概要

 ボナヴェントゥーラは、13世紀の男性。

本名

 ジョヴァンニ・デ・フィデンツァ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』

カッサンドラ・フェデーレ Cassandra Fedele

生没
1465年頃~1558年
出身
ヴェネツィア
没地
ヴェネツィア
アンジェロ・フェデーレ
バルバラ・レオーニ
概要

 カッサンドラ・フェデーレは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

別表記

 Fedeli

参考文献

 『Lucretia Borgia

外部リンク

 Italian Women Writers
 Wikipedia

チェリオ・カルカニーニ Celio Calcagnini

生没
1479年9月17日~1541年
概要

 チェリオ・カルカニーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

クリストファー・マーロー Christopher Marlowe

生没
1564年~1593年
概要

 クリストファー・マーローは、劇作家、詩人、翻訳家。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『オーランドー』
 『中世の食卓から』

コルッチョ・サルターティ Coluccio Salutati

生没
1331年2月16日~1406年5月4日
概要

 コルッチョ・サルターティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、人文主義者。政治的、文化的指導者。

在職

 フィレンツェ共和国書記官長 1375年~

年表

1375年
官僚の最重要地位であるフィレンツェ共和国書記官長に任命される。

別表記

 コッチオ・サルターティ、コルッチョ・ディ・ピエロ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『ルネサンス宮廷大全』

デメトリオ・カルコンディラス Demetrio Calcondilas

生没
1423年8月~1511年1月9日
出身
ギリシア、アテネ
没地
ミラノ
概要

 デメトリオ・カルコンディラスは人文主義者、ギリシア語学者。

年表

1423年8月
アテネにて、生(1424年)。
1491年
ルドヴィーコ・イル・モーロに招聘され、ミラノで教鞭をとる(1492年)。
1493年
Erotemata(ギリシア語文法)を執筆。
1494年
Erotemata、ミラノで刊。
1511年
ミラノで死。

肖像

別表記

 カルコンディラ、Demetrius Chalcondyles

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの華』

ディエゴ・ロペス・デ・エストゥニーガ Diego López de Estúñiga

生没
1350年頃~1417年
概要

 ディエゴ・ロペス・デ・エストゥニーガは、14世紀~15世紀の男性。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ドメニコ・マリピエーロ Domenico Malipiero

生没
1445年~1513年10月30日
出身
ヴェネツィア
没地
ヴェネツィア
概要

 ドメニコ・マリピエーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、年代記作者。

年表

1445年
ヴェネツィアにて、生(1428年)。
1497年6月17日
手紙を書く。ルクレツィア・ボルジアフアン・ボルジアと近親相姦を犯しているとの噂について。
1513年10月30日
ヴェネツィアにて、死(1515年)。

別表記

 マリピエロ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

エルヴィン・パノフスキー Erwin Panofsky

生没
1892年3月30日~1968年3月14日
概要

 エルヴィン・パノフスキーは、19世紀~20世紀の男性。

著作

 『イコノロジー研究』

関連項目

 『イコノロジー研究』図版集

外部リンク

 ウィキペディア
 成城大学大学院文学研究科

エウリピデス Ευριπίδης

生没
紀元前480年頃~紀元前406年頃
概要

 エウリピデスは、紀元前5世紀の男性。

著作

 メデイア
 アンドロマケ
 アウリスのイピゲネイア

別表記

 Euripides

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『サイレント・マイノリティ』
 『ルネサンスの華』

フェリーチェ・ロマーニ Felice Romani

生没
1788年1月31日~1865年1月28日
概要

 フェリーチェ・ロマーニは、18世紀~19世紀の男性。

著作

 『ルクレツィア・ボルジア

外部リンク

 ウィキペディア

フェルディナンド・グレゴロヴィウス Ferdinand Gregorovius

著作

 『Lucretia Borgia

別表記

 グレゴロビウス

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

フランチェスコ・ダ・バルベリーノ Francesco da Barberino

生没
1264年~1348年
出身
バルベリーノ・ヴァル・デルサ
没地
フィレンツェ
概要

 フランチェスコ・ダ・バルベリーノは、13世紀~14世紀のイタリアの男性。

著作

 愛の神についての記録

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『ルネサンス宮廷大全』

フランチェスコ・ベルリンギエリ Francesco Berlinghieri

生没
1440年~1501年
概要

 フランチェスコ・ベルリンギエリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

著作

 地誌

外部リンク

 corbis
 THE BORGIAS wiki
 Wikipedia

フランチェスコ・マタラッツォ Francesco Matarazzo

生没
1443年~1518年8月21日
概要

 フランチェスコ・マタラッツォは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

フランチェスコ・マリーア・モルツァ Francesco Maria Molza

生没
1489年6月18日~1544年2月28日
出身
モデナ
没地
モデナ
概要

 フランチェスコ・マリーア・モルツァは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、詩人。

年表

1489年6月18日
モデナにて、生。
1544年2月28日
モデナにて、死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フランキーノ・ガッフーリオ Franchino Gaffurio

生没
1451年1月14日~1522年6月25日
出身
ローディ
没地
ミラノ
概要

 フランキーノ・ガッフーリオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、音楽理論家。

著作

 『音楽提要

年表

1484年1月22日
ミラノ大聖堂の楽長に就任。
1492年
Theorica musicae』出版。
1496年
音楽提要』出版。
1518年
De harmonia musicorum instrumentorum opus』出版。

別表記

 ガフリウス、Franchinus Gaffurius

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンスの華』

フランシスコ・デリカード Francisco Delicado

生没
1480年頃~1535年頃
出身
コルドバ
概要

 フランシスコ・デリカードは、15世紀~16世紀の男性。

外部リンク

 摂南大学
 Wikipedia

フランソワ・ヴィヨン François Villon

生没
1431年?~1463年以降
概要

 フランソワ・ヴィヨンは、15世紀のフランスの男性、詩人。

著作

 『形見の歌』
 『遺言詩集』

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネッサンスの光と闇』

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス Gaius Plinius Secundus

生没
22/23年~79年8月24日
概要

 ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、1世紀の男性。

著作

 『博物誌

別表記

 大プリニウス、老プリニウス

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンスの華』
 『ルネサンス精神の深層』

ジェフリー・チョーサー Geoffrey Chaucer

生没
1343年頃~1400年10月25日
概要

 ジェフリー・チョーサーは、14世紀~15世紀の男性。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究

ジョージ・ゴードン・バイロン George Gordon Byron

生没
1788年1月22日~1824年4月19日
エイダ・ラブレス
概要

 ジョージ・ゴードン・バイロンは、18世紀~19世紀の男性、詩人。
 ルクレツィア・ボルジアの髪を1本盗んだことがあるという。

在位

 第6代バイロン男爵

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

リーリオ・グレゴーリオ・ジラルディ Giglio Gregorio Giraldi

生没
1479年6月14日~1552年2月
出身
フェッラーラ
没地
フェッラーラ
概要

 リーリオ・グレゴーリオ・ジラルディは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『Lucretia Borgia

ガイウス・サッルスティウス・クリスプス Gaius Sallustius Crispus

生没
紀元前86年~紀元前34年?
概要

 ガイウス・サッルスティウス・クリスプスは、紀元前1世紀の男性。

別表記

 サルスティウス、Sallust

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

ヘシオドス σοδος

生没
紀元前750年頃~650年頃
著作

 神統記

別表記

 Hesiod

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界大百科事典』

ヒエロニムス Hieronymus

生没
340年頃~420年9月30日
概要

 ヒエロニムスは、4世紀~5世紀の男性、四大ラテン教父の1人。

持ち物

 獅子。

肖像

別表記

 Sophronius Eusebius HieronymusJerome

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ホラティウス Horatius

生没
紀元前65年12月8日~紀元前8年11月27日
概要

 ホラティウスは、古代ローマ時代の南イタリアの詩人。

正式名

 クィントゥス・ホラティウス・フラックス、Quintus Horatius Flaccus

別表記

 ホラチウス、Horace

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス精神の深層』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

フーゴー・フォン・トリンベルク Hugo von Trimberg

生没
1230年頃~1313年以降
出身
Ober又はNiederwerrn
没地
バンベルク、Theuerstadt
概要

 フーゴー・フォン・トリンベルクは、13世紀~14世紀の男性。

著書

 『走者

外部リンク

 Wikipedia

ダマスコのイオアン Ιωάννης Δαμασκήνος

生没
676年頃~749年12月4日
概要

 ダマスコのイオアンは、7世紀~8世紀の男性。

作品

 Sacra Parallela

別表記

 Iohannes Damascenus

外部リンク

 ウィキペディア

イシドルス Isidro

生没
560年~636年4月4日
出身
カルタヘナ
没地
セビリャ
概要

 イシドルスは、6世紀~7世紀の男性。

別表記

 イシドール

関連項目

 The Borgias: 103

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究

ヤコブス・ティポティウス Jacobus Typotius

生没
1540年~1601年
概要

 ヤコブス・ティポティウスは、16世紀~17世紀の男性。

著作

 『神と人間の象徴

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究

ヤコポ・フィリッポ・フォレスティ Jacopo Filippo Foresti

生没
1434年~1520年6月15日
出身
ソルト・コッリーナ
没地
ベルガモ
概要

 ヤコポ・フィリッポ・フォレスティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

著作

 『Supplementum chronicarum』 1483年ヴェネツィア
 『De plurimis claris selectisque mulieribus』 1497年フェッラーラ

    カテリーナ・スフォルツァの初の伝記が収録されている。
 『Confessionale seu interrogatorium』 1520年ヴェネツィア

別表記

 Jacopo da Bergamo

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

ヤコポ・サンナザーロ Jacopo Sannazzaro

生没
1456年~1530年
概要

 ヤコポ・サンナザーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、詩人。

年表

1456年7月28日
ナポリに生。
1504年
田園詩Arcadia(アルカディア)を刊行。
1530年4月24日
ナポリで死。

別表記

 Iacopo SannazzaroSanazzaro

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ヨハンネス・デ・サクロボスコ Johannes de Sacrobosco

生没
1195年頃~1236年頃
概要

 ヨハンネス・デ・サクロボスコは、12世紀~13世紀の男性。

著作

 『天球論

別表記

 ジョン・オブ・ハリウッド、ジョヴァンニ・デ・サクロ・ボスコ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ルネサンス宮廷大全』

ジョン・フレッチャー John Fletcher

生没
1579年~1625年
概要

 ジョン・フレッチャーは、16世紀~17世紀のイングランドの男性、劇作家。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『オーランドー』

レオーネ・エブレオ Leone Ebreo

生没
1460年頃~1530年頃
出身
リスボン
没地
ナポリ
概要

 レオーネ・エブレオは、15世紀~16世紀の男性。

著作

 『愛の対話』

別表記

 イェフダ・レオネ・アブラバネル

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス精神の深層』

ローレンツ・ベーハイム Lorenz Beheim

生没
1457年頃~1521年4月11日
出身
ニュルンベルク
没地
バンベルク
ローレンツ・ベーハイム
概要

 ローレンツ・ベーハイムは、15世紀~16世紀のドイツ人の男性、人文主義者、占星術師、医師、錬金術師。ジューリオ・ポンポーニオ・レトのローマ学院の一員。

別表記

 Behaim

外部リンク

 elsBorja
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

ルカ・ランドゥッチ Luca Landucci

生没
1436年?~1516年
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
アントーニオ・ランドゥッチ
サルヴェストーラ・パーニ
概要

 ルカ・ランドゥッチは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェの薬種業者、年代記作家。祖父は同名のルカ・ランドゥッチ。

著作

 『フィレンツェ日誌』(Diario fiorentino

年表

1436年
この年?、フィレンツェに生(1435年)。
1516年6月2日
この日以前、、フィレンツェで死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ルクレティウス Lucretius

生没
紀元前99年頃~紀元前55年
概要

 ルクレティウスは、紀元前1世紀の男性、ローマ共和政末期の詩人、哲学者。

著作

 『事物の本性について

正式名

 ティトゥス・ルクレティウス・カルス、Titus Lucretius Carus

外部リンク

 ウィキペディア

マヌエル・クリュソロラス Μανουὴλ Χρυσολωρᾶς

生没
1355年頃~1415年4月
出身
コンスタンティノープル
没地
コンスタンツ
概要

 マヌエル・クリュソロラスは、14世紀~15世紀の男性。ギリシア古典を西ヨーロッパに広めた。

別表記

 Manuel ChrysolorasChrysolerasEmanuele Crisolora

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『Lucretia Borgia

マリオ・エクイコーラ Mario Equicola

生没
1470年~1525年7月26日
出身
アルヴィート
没地
マントヴァ
概要

 マリオ・エクイコーラは人文主義者、著作家。

年表

1470年
この年頃、ラツィオのフロジノーネ近郊アルヴィートに生(~1524年)。
1525年
De natura de amore(愛の本質について)をヴェネツィアで刊行。
1525年7月26日

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

マルティアヌス・カペラ Martianus Capella

概要

 マルティアヌス・カペラはアフリカ生まれのローマ人文筆家で、西暦410年のヴァンダル人のローマ略奪の後に『文献学とメルクリウスの結婚』を書いた。

著作

 『文献学とメルクリウスの結婚』

別表記

 マルティアーヌス・カペッラ

関連項目

 マルティアヌス・カペラについての注解

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

マスッチォ・サレルニターノ Masuccio Salernitano

生没
1420年頃?~1475年
出身
サレルノ
没地
サレルノ
概要

 マスッチォ・サレルニターノはサレルノ生まれの著作家、小説家。

年表

1475年
サレルノで死。
1476年
マスッチォ・サレルニターノの遺作Novellino(小話集)、ナポリで刊。

本名

 Tommaso Guardati

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マッテオ・バンデッロ Matteo Bandello

生没
1485年~1561年
出身
カステルヌオーヴォ・スクリーヴィア
没地
アジャン
概要

 マッテオ・バンデッロは、15世紀~16世紀の男性、小説家。

年表

1485年
トルトーナのCastel Scriviaに生。
1554年
Novelle(短編小説集)、第1~3巻をルッカで刊行。(第4巻、1573年リヨンで刊)
1561年9月13日
この日?、フランス南西部アジャンで死。

別表記

 マテオ、マッテーオ・バンデロ

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』

マイケル・スコット Michael Scot

生没
1175年~1232年頃
概要

 マイケル・スコットは、12世紀~13世紀の男性。

著作

 Astrologia cum Figuris
 Super Auctorem Spherae
 De Sole et Luna
 De Chiromantia
 De Physiognomia et de Hominis Procreatione

外部リンク

 ウィキペディア

ミシェル・ド・モンテーニュ Michel de Montaigne

生没
1533年2月28日~1592年9月13日
概要

 ミシェル・ド・モンテーニュは、16世紀の男性。

正式名

 ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『情報エネルギー化社会』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『Eros the Bittersweet

ミゲル・デ・セルバンテス Miguel de Cervantes

生没
1547年9月29日~1616年4月23日
出身
アルカラ・デ・エナーレス
概要

 ミゲル・デ・セルバンテスは小説家。

年表

1547年9月29日/10月9日
マドリード近郊アルカラ・デ・エナーレスに生。

著作

 『才知溢れる郷土ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Elingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha)、第1部1605年、第2部1615年、共にマドリードで刊。

別表記

 Miguel de Cervantes Saavedra

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

オッピアヌス ὀππιανός

生没
2世紀
概要

 オッピアヌスは、2世紀の男性。

著書

 『狩猟法

別表記

 Oppianus

外部リンク

 Wikipedia

パーリデ・ダ・チェレザーラ Paride da Ceresara

生没
1466年2月10日~1532年
出身
チェレザーラ
没地
マントヴァ
概要

 パーリデ・ダ・チェレザーラは、15世紀~16世紀の男性、人文主義者、詩人、占星術師。

別表記

 パリデ・ダ・チェレサラ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンスの華』

パスクアーレ・ヴィッラーリ Pasquale Villari

生没
1827年10月3日~1917年12月11日
概要

 パスクアーレ・ヴィッラーリは、19世紀~20世紀の男性。

別表記

 パスクアーレ・ヴィラーリ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

タキトゥス Publies Cornelius Tacitus

生没
55年?~120年?
概要

 タキトゥスは、1世紀~2世紀の男性。

著書

 『ゲルマニア』

別表記

 Publius

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

ペッレグリーノ・プリシアーノ Pellegrino Prisciano

生没
1435年頃~1518年
出身
フェッラーラ
没地
フェッラーラ
概要

 ペッレグリーノ・プリシアーノは、15世紀~16世紀の男性。

別表記

 プリッシャーノ、プリシャーニ

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』

ピエール・ド・ロンサール Pierre de Ronsard

生没
1524年9月11日~1585年12月27日
概要

 ピエール・ド・ロンサールは、16世紀の男性。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

プラウトゥス Plautus

生没
紀元前254年~紀元前184年
概要

 プラウトゥスは、紀元前3世紀~紀元前2世紀の男性。

著作

 『アントルピオ』Amphitryo
 『ロバ物語』Asinaria
 『黄金の壺』Aulularia
 『バッキス姉妹』Bacchides
 『捕虜Captivi
 『カシナ』Casina
 『小箱の話』Cistellaria
 『クルクリオ』Curculio
 『エピディクス』Epidicus
 『メナエクムス兄弟Menaechmi
 『商人Mercator
 『ほら吹き兵士Miles Gloriosus
 『幽霊屋敷』Mostellaria
 『ペルシア人』Persa
 『カルタゴ人』Poenulus
 『プセウドルス』Pseudolus
 『綱引き』Rudens
 『スティクス』Stichus
 『三文銭』Trinummus
 『トルクレントゥス』Truculentus
 『旅行かばん』Vidularia

関連項目

 The Borgias: 104

別表記

 プラウトゥース、プラウトウス、プラウティス

外部リンク

 ウィキペディア
 オシテオサレテ
 Project Gutenberg - Beatrice d'Este, Duchess of Milan, 1475-1497 by Julia Cartwright

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

プルデンティウス Prudentius

生没
348年~413年頃
概要

 プルデンティウスは、4世紀~5世紀の男性。

著作

 『霊魂の戦い

別表記

 アウレリウス・プルデンティウス、Aurelius Prudentius Clemens

外部リンク

 Wikipedia

プビリウス・テレンティウス・アフェル Publius Terentius Afer

生没
紀元前195/紀元前185年~紀元前159年
概要

 プビリウス・テレンティウス・アフェルは、紀元前2世紀の男性。

著作

 『アンドロス島の女』Andria
 『義母』Hecyra
 『自虐者』Heauton Timorumenos
 『宦官』Eununchus
 『ポルミオー』Phormio
 『兄弟』Adelphoe

関連項目

 The Borgias: 104

英語

 Terence

外部リンク

 ウィキペディア
 オシテオサレテ

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『Lucretia Borgia

ラバヌス・マウルス Rabanus Maurus

生没
780年頃~856年2月4日
出身
マインツ
没地
マインツ
概要

 ラバヌス・マウルスは、8世紀~9世紀の男性。

著作

 『百科全書

参考文献

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Wikipedia

レミギウス Remigius

生没
841年頃~908年
概要

 レミギウスは、9世紀~10世紀の男性。

著作

 『マルティアヌス・カペラについての注解

別表記

 RémiRémy

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究

ロバート・バートン Robert Burton

生没
1577年~1640年
概要

 ロバート・バートンは、16世紀~17世紀の男性。

別表記

 ロバートバートン

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『オーランドー』

ロバート・グリーン Robert Greene

生没
1558年6月11日~1592年9月3日
概要

 ロバート・グリーンは、16世紀の男性。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『オーランドー』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ロベルト・ヴァルトゥリオ Roberto Valturio

生没
1405年~1475年
概要

 ロベルト・ヴァルトゥリオは著作家。

年表

1472年
印刷業者Giovanni da Verona、ヴェローナに開設した印刷所から初の印刷本、ロベルト・ヴァルトゥリオのDe re militari(軍事論:1460年執筆)を刊行。

外部リンク

 De re militari - Google Books
 Ingenious
 The Metropolitan Museum of Art
 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

セバスティアーノ・セルリオ Sebastiano Serlio

生没
1475年9月6日~1554年頃
概要

 セバスティアーノ・セルリオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

著作

 建築論

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

セラフィーノ・アクイラーノ Serafino Aquilano

生没
1466年~1500年8月10日
出身
アクイラ
没地
ローマ
概要

 セラフィーノ・アクイラーノは宮廷詩人。

年表

1466年
1500年8月10日
ローマで死。

別表記

 Serafino de' CiminelliSerafino Cimino da Aquila

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

セクストゥス・アウレリウス・プロペルティウス 
Sextus Aurelius Propertius

生没
紀元前50年頃~紀元前15年頃
没地
ローマ
概要

 セクストゥス・アウレリウス・プロペルティウスは、紀元前1世紀の男性、ラテン語のエレギア詩人。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究

シジスモンド・デ・コンティ Sigismondo de' Conti

生没
1432年~1512年2月23日
出身
フォリーニョ
没地
ローマ
概要

 シジスモンド・デ・コンティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

スタティウス Statius

生没
45年頃~96年頃
出身
ナポリ
没地
ナポリ
クラウディア
概要

 スタティウスは、1世紀のローマの男性、詩人。

著作

 『テーバイド』
 『シルウァエ』
 『アキレイス』

外部リンク

 Enciclopedia Britannica
 Wikipedia

ステファノ・インフェスーラ Stefano Infessura

生没
1435年頃~1500年頃
出身
ローマ
概要

 ステファノ・インフェスーラは、15世紀頃のイタリアの男性、法律家、年代記作者。ローマ元老院の秘書官という地位に長期間就いていたため、ローマを巡る情報や噂に通じていた。

別表記

 インフェッスラ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

スティーヴン・ホーズ Stephen Hawes

生没
1474年頃~1523年
出身
サフォーク?
概要

 スティーヴン・ホーズは、15世紀~16世紀の男性。

著作

 『快楽の戯れ

外部リンク

 Wikipedia

トマズィン・フォン・ツェルクラエレ Thomasîn von Zerclaere

生没
1186年頃~1245年頃
出身
フリウリ
没地
アクイレイア
概要

 トマズィン・フォン・ツェルクラエレは、12世紀~13世紀の男性。

著作

 『イタリア人客

別表記

 トマス・フォン・ツェルクラエレ、トマジン、トーマジン、トマスィン・フォン・ツィルクレーレ、Thomasin von Zerclaere

外部リンク

 Wikipedia

ウゴリーノ・ヴェリーノ Ugolino Verino

生没
1438年~1516年5月10日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
概要

 ウゴリーノ・ヴェリーノは、15世紀~16世紀の男性、イタリアの詩人。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『ルネサンス精神の深層』

ウェルギリウス Vergilius

生没
紀元前70年10月15日~紀元前19年
概要

 ウェルギリウスは、紀元前1世紀の男性。

著作

 『アエネイス
 『田園詩』
 『農耕詩』

正式名

 プブリウス・ウェルギリウス・マロ、Publius Vergilius Maro

別表記

 ヴィルジリオ、VirgilVergil

関連項目

 The Borgias: 104

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネサンス精神の深層』
 『イコノロジー研究
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ヴェロニカ・ガンバラ Veronica Gambara

生没
1485年6月30日~1550年
出身
プラルボイーノ
概要

 ヴェロニカ・ガンバラは、詩人。

年表

1485年6月30日
ブレッシャ近郊プラルボイーノに生。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ヴィンチェンツォ・コッリ Vincenzo Colli

生没
1460年頃~1508年
没地
ローマ
概要

 ヴィンチェンツォ・コッリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、詩人、文芸評論家。

年表

1500年7月16日
トンマーゾ・アルバネーゼを匿っていたヴィンチェンツォ・コッリは、この頃、ウルビーノ公爵夫人エリザベッタ・ゴンザーガ宛てに手紙を書く。アルフォンソ・ダラゴーナ暗殺未遂事件について。
1503年1月
チェーザレ・ボルジアコッミッサーリオとしてフェルモに派遣される。

別表記

 イル・カルメータ、ヴィンチェンツォ・カルメータ、Vincenzo Calmetail Calmeta

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『The Life of Cesare Borgia

ウィトルウィウス Vitruvius

生没
紀元前80年/70年~紀元前25年
概要

 ウィトルウィウスは、紀元前1世紀の男性。

著作

 『建築について

正式名

 マルクス・ウィトルウィウス・ポリオ(Marcus Vitruvius Pollio

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『戦闘技術の歴史2 中世編』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare

生没
1564年4月26日~1616年
出身
ストラトフォード・アポン・エイヴォン
没地
ストラトフォード・アポン・エイヴォン
概要

 ウィリアム・シェイクスピアは、詩人、劇作家。

著作

 冬物語
 ルークリースの凌辱
 夏の夜の夢
 ロミオとジュリエット

年表

1564年4月26日
イングランド中部ストラトフォード・アポン・エイヴォンに生。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イコノロジー研究
 『サイレント・マイノリティ』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ローマ教皇検死録』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

アグリッパ・フォン・ネッテスハイム Agrippa von Nettesheim

生没
1486年9月14日~1535年2月18日
概要

 アグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、15世紀~16世紀の男性、医師、哲学者、錬金術研究者。

著作

 『学問及び芸術の不確かさと虚しさ』
 『秘密の哲学について』
 『神秘哲学論』

年表

1486年9月14日
ドイツ、ケルンに生。
1530年
De incertitudine et vanitate scientiarum et artium(学問及び芸術の不確かさと虚しさ)をAntwerpenで刊行。
1533年
De occulta philosophia(神秘哲学)をバーゼルで(?)刊行。
1535年2月18日
フランス南東部グルノーブルまたはリヨンで死。

正式名

 ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム
 Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『魔女狩り』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アラマンノ・リヌッチーニ Alamanno Rinuccini

生没
1426年5月22日~1499年5月12日
出身
フィレンツェ
フィリッポ・リヌッチーニ
テッサ・ヴェットーリ
リーサ・カッポーニ
ピエロ・リヌッチーニ
アレッサンドラ・リーサ・リヌッチーニ
フィリッポ・マリーア・リヌッチーニ
ジネヴラ・チェチーリア・リヌッチーニ
概要

 アラマンノ・リヌッチーニは、15世紀のイタリアの男性、人文主義者。

年表

1426年5月22日
1479年4月
Dialogus de libertate(自由についての対話)においてロレンツォ・イル・マニーフィコをフィレンツェの専制君主、自由の抑圧者と糾弾し、1478年のパッツィ家の決起を断固として弁護。
1499年

外部リンク

 Treccani

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベネデット・アッコルティ Benedetto Accolti

生没
1415年~1464年9月26日
出身
アレッツォ
没地
フィレンツェ
ミケーレ・アッコルティ
ミケーレ・アッコルティ
ロゼッロ・アッコルティ
ベネデット・アッコルティ
ピエトロ・アッコルティ
ベルナルド・アッコルティ
エリザベッタ・アッコルティ
カテリーナ・アッコルティ
ルクレツィア・アッコルティ
概要

 ベネデット・アッコルティは人文主義者、法学者。

年表

1464年9月26日
フィレンツェで死(1466年)。
1532年
遺作De bello a christianis contra barbaros gesto pro Christi sepulchro et Iudaea recuperandis(キリスト教徒によるキリストの墳墓およびユダヤ地方奪回戦争について)、ヴェネツィアで刊。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベルナルド・アッコルティ Bernardo Accolti

生没
1458年9月11日~1535年2月28日頃
出身
アレッツォ
没地
ローマ
ベネデット・アッコルティ
アルフォンソ・アッコルティ
ヴィルジーニア・アッコルティ
概要

 ベルナルド・アッコルティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1458年9月11日
アレッツォにて、生。
1520年~1534年
教皇レオ10世により、ネピ公を封与される(1521年~)。
1534年
教皇パウルス3世により、ネピ公の地位を剥奪される。
1535年2月28日頃
ローマにて、生。

別表記

 ベルナルディーノ、アレティーノ

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』

エヴァンジェリスタ・マッダレーニ・カポディフェッロ Evangelista Maddaleni Capodiferro

ニッコロ・マッダレーニ・カポディフェッロ
アンブロジーナ
ジューリア・マッダレーニ・カポディフェッロ
別表記

 ファウスト・エヴァンジェリスタ・カポディフェルロ

外部リンク

 JDA's Family Tree
 New Advent
 Treccani.it

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

フェルナンデス・デ・ナバッレテ Fernandèz de Navarrete

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ジャンノッツォ・マネッティ Giannozzo Manetti

生没
1396年~1459年10月27日
出身
フィレンツェ
没地
ナポリ
ベルナルド・マネッティ
ピエラ・マネッティ
概要

 ジャンノッツォ・マネッティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、政治家、人文主義者。

著作

 人間の尊厳と優越について

年表

1452年
人間の尊厳と優越について』を完成(1451年~1452年)し、アルフォンソ5世・デ・アラゴンに献呈。
1459年10月27日
ナポリで死。
1532年
バーゼルで『人間の尊厳と優越について』刊行。

別表記

 ジァノッツォ・マネッティ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

ジローラモ・フラカストロ Girolamo Fracastoro

生没
1478年~1553年
概要

 ジローラモ・フラカストロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、自然科学者、医師、詩人。

年表

1478年
ヴェローナに生。
1530年
Syphilis sive morbus gallicus(シフィリス、またはフランス病)をヴェローナで刊行。
1546年
De Contagione et contagiosis morbis et curatione(伝染病と治療)をヴェネツィアで刊行。
1553年8月8日
ヴェローナ近郊Incaffiで死。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『性病の世界史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ヨハネス・アルギュロプロス Johannes Argyropulos

生没
1415年頃~1487年
概要

 ヨハネス・アルギュロプロスは、15世紀の男性。

別表記

 ヤノス・アルギュロプーロス、John Argyropulos

外部リンク

 みんなの知恵蔵
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『ルネサンス精神の深層』
 『Lucretia Borgia

ルドヴィーコ・アリオスト Ludovico Ariosto

生没
1474年9月8日~1533年7月6日
出身
レッジョ・エミリア
没地
フェッラーラ
ニッコロ・アリオスト
概要

 ルドヴィーコ・アリオストは、15世紀~16世紀の男性、詩人、劇作家。

年表

1516年4月
Orlando furioso(狂えるオルランド、狂乱のオルランド)をフェッラーラで刊行。イッポーリト・デステ枢機卿に献呈。

外部リンク

 ウィキペディア

別表記

 ルドヴィコ

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ルイジ・ダ・ポルト Luigi da Porto

生没
1485年~1529年
概要

 ルイジ・ダ・ポルトは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、散文作家。

年表

1485年8月10日
ヴィチェンツァに生。
1510年3月16日
手紙を書く。バルダッサーレ・ディ・スキピオーネが、「スペイン両王フェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャに安全保障を約束されていたにもかかわらず、チェーザレ・ボルジアをナポリで拘留し、王権に不名誉と汚名をもたらした」ことを否定するスペイン人は誰であれ決闘すると、「全キリスト教界」の公共場に挑戦状を掲示したこと。
1524年
Giulietta e Romeo(ロメオとジゥリエッタ)執筆。
1529年5月10日
ヴィチェンツァで死。
1530年
Giulietta e Romeo(ロメオとジゥリエッタ)ヴェネツィアで刊。

別表記

 ルイジ・ダ・ポルトゥ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『The Life of Cesare Borgia

マルカントーニオ・サベリコ Marcantonio Sabellico

生没
1436頃~1506年
出身
ヴィコヴァーロ
没地
ヴェネツィア
概要

 マルカントーニオ・サベリコは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、歴史家。

年表

1436年
この年頃、ローマ近郊ヴィコヴァーロに生。
1487年
Rerum Venetarum ab urbe condita(ヴェネツィア誌)をヴェネツィアで刊行。
1498年
Enneades sive Rapsodiae historiarum(真の世界史)92篇の刊行をヴェネツィアで開始(1498年~1504年)。
1506年4月18日

本名

 Marcantonio Coccio

別表記

 マルコ・アントーニオ・サベリコ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マッテオ・パルミエリ Matteo Palmieri

生没
1406年~1475年
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
概要

 マッテオ・パルミエリは、15世紀のイタリアの男性、人文主義者、政治家。

年表

1438~1439年
主著Della vita civile(市民生活について)を執筆。(1529年フィレンツェで刊)。
1464~1466年
マッテオ・パルミエリ、俗語詩La città di vita(生命の都)を執筆。(1529年フィレンツェで刊)。
1466年9月末
ピエロ・イル・ゴットーソ、陰謀、反乱の平定を告知するためヴェネツィア、ミラノのガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ、ボローニャのジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオ、ナポリのフェッランテ・ダラゴーナに使節を派遣。この後ボローニャにはマッテオ・パルミエリを派遣し、反乱をいち早く通報してくれたことへの謝意をも表明。
1475年4月13日

別表記

 マテオ・パルミエーリ

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ミケーレ・フェルノ Michele Ferno

生没
1465年~1513年
概要

 ミケーレ・フェルノは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、アレクサンデル6世の追従者。

外部リンク

 Treccani.it

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ピエトロ・パオロ・ポンピリオ Pietro Paolo Pompilio

生没
1454年頃~1491年
出身
ローマ
没地
ローマ
プロティア
概要

 ピエトロ・パオロ・ポンピリオは、15世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Repertorium Pomponianum
 Repertorium Pomponianum
 Treccani

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

トンマーゾ・カンパネッラ Tommaso Campanella

生没
1568年9月5日~1639年5月21日
出身
スティーロ
概要

 トンマーゾ・カンパネッラは哲学者、ドミニコ会修道士。

著作

 『スペイン王国論』(Monarchia di Spagna)
 『政治警句集』Aforismi politici)
 『天文学』Astronomia)
 『救世主王国論』Monarchia del Messia)
 『克服されたる無神論』Atheismus triumphatus)
 『イタリア諸侯に捧げる辞』Discorsi ai Principi d'Itaria)
 『諸物の感覚および魔術』Senso delle cose e lamagia)
 『ガリレオの弁明』Apologia pro Galolaeo) 1616年

年表

1568年9月5日
カラブリアのスティーロに生。
1602年
La città del sole(太陽の都)執筆。
1623年
La città del soleのラテン語訳Civitas solis、フランクフルトで刊。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』

ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチ Vespasiano da Bisticci

生没
1421年~1498年7月28日
概要

 ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチは、書籍商。

著作

 ウルビーノ公フェデリーコ伝

年表

1421年
フィレンツェ近郊リニャーノ・スッラルノのビスティッチに生。
1480年
書籍商を辞める。
1482年
生業を辞めて以来籠もっていたフィレンツェ郊外アンテッラの農園でLe vite di uomini illustri del secolo XV(十五世紀著名人列伝)の執筆を開始。
1498年7月28日
フィレンツェ郊外アンテッラで死。
1839年
Le vite di uomini illustri del secolo XVローマで刊。

別表記

 ヴェスパジアーノ・フィオレンティーノ、Vespasiano Florent.

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス百科事典』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジョヴァンニ・ボッカッチョ Giovanni Boccaccio

生没
1313年6月16日~1375年12月21日
没地
チェルタルド
ボッカッシーノ・ディ・ケッリーノ
概要

 ジョヴァンニ・ボッカッチョは、14世紀のイタリアの男性、詩人、散文作家、人文主義者フィレンツェ商人の庶子として育ったが文学に傾倒し、ダンテ・アリギエーリベアトリーチェ・ポルティナーリに倣ってナポリでフィアンメッタという女性に愛を捧げ、詩作を行った。ダンテ・アリギエーリとの違いは、愛が成就してしまったことである。ただ、あっという間に喧嘩別れとなった。失意のうちにフィレンツェに戻った彼は当時流行していたフィレンツェ散文に興味をうつし、小説のようなものを書き始めた。
 こうして不朽の名作と呼ばれる『デカメロン』が生まれる。時に1348年。イタリア、フランスは恐るべきペスト渦に打ちのめされていた。黒死病と呼ばれ恐れられたこの病気は、幾度もヨーロッパを襲い、惨渦をもたらした。イタリアは人口の3分の1近くを失ったという。
 話はペスト禍のさなかのフィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ教会前から始まる。ここで7人の美女が来合わせた3人の青年と意気投合し、ペストの来ない清浄な田舎に逃げ出そうと相談がまとまる。そこで1日1人が暇つぶしに話をすれば10日で100の話ができることになる。ダンテ・アリギエーリの『神曲』が3ずくしだったように『デカメロン』は10ずくしの構成をとっている。
 場合によっては卑猥で低俗になるが、実に生き生きとした筆の運びで当時の世風を描ききっている。ジョヴァンニ・ボッカッチョ自身は後にこの小説を書いたことを恥じ、襟を正して厳めしく高尚な本を書こうと精を出したが、結局『デカメロン』以上のものは書けなかった。
 老後は幻滅して暮らしていたがダンテ・アリギエーリに対する礼賛の心だけは失わず、『神曲註解』や『ダンテ礼賛』などの著作を残している。またフィレンツェ市に働きかけ、ダンテ研究講座を開かせ彼自身が講師を務めた。

著作

 『異教神系譜論

年表

1313年6月16日
生。出生地はフィレンツェかチェルタルドかはっきりしない。チェルタルドは一族の故郷ではある。
1348年
イタリアで黒死病、14世紀から15世紀へ続く
1353年
『デカメロン』完成
1472年3月21日
印刷業者Bartolommeo di Valdezoccho、パドヴァに開設した印刷所で初の印刷本、詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313年~1375年)のElegia di madonna Fiametta(フィアメッタの悲劇)を刊行。
1472年
法学者Pietro Adamo De Micheliマントヴァに開設した印刷所から初の印刷本、ジョヴァンニ・ボッカッチョDecamerone(デカメロン)を刊行。

別表記

 ボッカチオ

関連項目

 The Borgias: 107

外部リンク

 ウィキペディア
 歴史データベース

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『君主論』
 『新世紀ビジュアル大辞典』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『マキアヴェリ』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョルダーノ・ブルーノ Giordano Bruno

生没
1548年~1600年2月17日
概要

 ジョルダーノ・ブルーノは、16世紀~17世紀のイタリアの男性、哲学者、ドミニコ会修道士。

年表

1548年1月
この月?、ナポリ近郊ノーラに生。
1584年
De l' infinito universo e mondi(無限宇宙と諸世界について)をロンドンで刊。
1584年
De la causa, principio et uno(原因、原理及び一者について)をロンドンで刊。
1600年2月17日
異端としてローマカンポ・デ・フィオーリで火刑死。

肖像


エットーレ・フェッラーリ
ジョルダーノ・ブルーノ像

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

ミケーレ・サヴォナローラ Michele Savonarola

生没
1384年~1468年
出身
パドヴァ
没地
フェッラーラ
ジョヴァンニ・サヴォナローラ
カテリーナ・ダ・ベルガモ
カテリーナ・ペルヌーミア
ニッコロ・サヴォナローラ
概要

 ミケーレ・サヴォナローラは、14世紀~15世紀の男性、医師、パドヴァ大学教授、フェッラーラ大学教授、エステ家宮廷筆頭侍医、トマス・アクイナスの信奉者。

年表

1384年
パドヴァにて、生(1385年)。
1414年
カテリーナ・ペルヌーミアと結婚。
1440年6月末
主著Opus medicinae seu pratica de aegritudinibus de capite usque ad pedes(医学概論または頭から足までの病気への対応)を執筆、公表。
1440年初秋
ニッコロ3世・デステの招請を受け、エステ家筆頭侍医、フェッラーラ大学教授として家族と共にフェッラーラに転居。
1452年9月21日
ジローラモ・サヴォナローラ、フェッラーラに生。
1452年
ジローラモ・サヴォナローラの養育の手引きとしてその母エレーナ・ボナコッシのため、『医学概論または頭から足までの病気への対応』の一部を一般向けに俗語で書き改めた小著Ad mulieres Ferrarienses de regimine praegnatium et noviter natorum usque ad septennium(妊婦と誕生から7歳までの幼児の摂生について)を執筆。
1465年
Speculum phisionomiae((人間を見る)鏡としての人相)を刊行。
1468年
1479年
遺作Opus medicinae seu pratica de aegritudinibus de capite usque ad pedes(医学概論または頭から足までの病気への対応)、フィレンツェ近郊Colle Valdelsaで刊。以後この著、この世紀及び翌16世紀にヴェネツィア及びボローニャで版を改めて刊行され、イタリア及びドイツで普及。
1485年
遺作Pratica canonica de febribus(熱への正しい対応)、Liber de balneis et thermis naturalibus omnibus Italiae sicque totius mundi(イタリア及び全世界の天然温泉についての書)、フェッラーラで刊。
1487年
遺作Summa de pulsibus urinis et egestionibus(脈、尿及び排泄物についての全書)、フェッラーラで刊。

著作

 『医学概論または頭から足までの病気への対応』
 『妊婦と誕生から7歳までの幼児の摂生について』
 『(人間を見る)鏡としての人相』
 『熱への正しい対応』
 『イタリア及び全世界の天然温泉についての書』
 『脈、尿及び排泄物についての全書』

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンス夜話』
 『Lucretia Borgia

ジョヴァンニ・シモネッタ Giovanni Simonetta

生没
1420年~1490年
出身
カックーリ
没地
ヴェルチェッリ
アントーニオ・シモネッタ
概要

 ジョヴァンニ・シモネッタは、15世紀のイタリアの男性。

著作

 『フランチェスコ・スフォルツァの生涯』

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

グァリーノ・ダ・ヴェローナ Guarino da Verona

生没
1374年~1460年12月4日
出身
ヴェローナ
没地
フェッラーラ
バッティスタ・グァリーノ
概要

 グァリーノ・ダ・ヴェローナは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、人文主義者、古典学者。

著作

 『ホメロス伝』

別表記

 グアリーノ・ダ・ヴェローナ、ジョヴァンニ・グァリーノ

外部リンク

 エステ大辞典
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンス百科事典』
 『Lucretia Borgia

ジローラモ・カルダーノ Girolamo Cardano

生没
1501年9月24日~1576年
概要

 ジローラモ・カルダーノは、16世紀のイタリアの男性、数学者、医学者、自然科学者。

著作

 『外科の歴史』

年表

1501年9月24日
パヴィアに生。
1539年
Pratica arithmetica et mensurandi singularis(実用算術・測量論)をミラノで刊行。
1545年
Artis magnae, sive de regulis algebracis(大学問の、もしくは代数学の規則)をニュルンベルクで刊行。
1550年
Desubtilitate rerum(事物の微妙さについて)をニュルンベルクで刊行。
1557年
De rerum varietate(事物の諸相)をバーゼルで刊行。

別表記

 ジェロラモ、Gerolamo Cardano

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『錬金術』
 『ローマ教皇検死録』

ジローラモ・ベニヴィエーニ Girolamo Benivieni

生没
1453~1542年
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
概要

 ジローラモ・ベニヴィエーニは、詩人、著作家、哲学者、ジローラモ・サヴォナローラの信奉者で著書翻訳者。

年表

1453年2月6日
1496年10月31日
ジローラモ・サヴォナローラDe semplicitate christianae vitae(クリスト信徒の質素な生活について)の俗語、イタリア語版Della semplicità della vita cristiana(クリスト信徒の質素な生活について)を、詩人、著作家、哲学者でジローラモ・サヴォナローラの教説にいち早く改心した中心的信徒ジローラモ・ベニヴィエーニの訳により、Lorenzo Morgiani e Johann Petri書房から刊行。(以後、この書、フィレンツェで1528年、1529年、ヴェネツィアで1533年、1547年に刊行される)。
1542年8月

別表記

 ベニヴィエニ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』

フランチェスコ・サンソヴィーノ Francesco Sansovino

生没
1521年~1586年
出身
ローマ
ヤコポ・サンソヴィーノ
概要

 フランチェスコ・サンソヴィーノは、16世紀のイタリアの男性、著作家。

年表

1521年
ローマに生(~1586年)。
1561年
Del governo dei regni e del le repubbiche cosi antiche come moderne(古今の諸王国・共和国の統治について)をヴェネツィアで刊行。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マルシリオ・フィチーノ Marsilio Ficino

生没
1433年10月19日~1499年10月1日
出身
フィリーネ・ヴァルダルノ
没地
カレッジ
概要

 マルシリオ・フィチーノは、15世紀のイタリアの男性、哲学者、人文主義者。

著作

 プラトン神学
 愛について
 弁明
 三重の生について
 キリスト教論
 フェッランテ王に宛てたアルフォンソ王の予言

翻訳

 エネアデス

年表

1433年10月19日
フィレンツェ近郊フィリーネ・ヴァルダルノに誕生。(1433年10月9日)
1456年
フェッラーラ・フィレンツェ公会議(1438年~1439年)に出席したギリシアの人文主義者Ioannes Argyropoulos(1415年頃~1487年)をフィレンツェ大学及び自分の息子らの師として招いたコジモ・イル・ヴェッキオ、公会議後に着想を得た哲学及び哲学的討論に関心を抱く有能な若者たちの集いアカデミア・プラトニカの実現に向かう。自分の侍医の息子で1451年頃からプラトン哲学を学ばせておいた最も有能な23歳の青年マルシリオ・フィチーノをその中心メンバーと想定。
1459年
この頃、コジモ・イル・ヴェッキオ、マルシリオ・フィチーノにプラトンの著作のラテン語への翻訳、註解を指示し、そのための支援を始める。
1462年
コジモ・イル・ヴェッキオは、マルシリオ・フィチーノにプラトンの著作のラテン語への翻訳・註解の場としてカレッジの自分の別荘を提供。プラトン・アカデミーは、以後この別荘でマルシリオ・フィチーノを中心に発展。
1463年4月
『ヘルメス文書』をラテン語に翻訳。(1471年刊行)。
1469年
プラトンの『饗宴』への注釈を完了。
1470年
この年頃、プラトンの著作(対話篇)のラテン語訳を完成。1484年以降刊。
1474年
キリスト教論』を執筆。(1476年刊)。
1482年11月25日
1489年12月3日
1490年1月
この月?、ミケランジェロロレンツォ・イル・マニーフィコに招かれてメディチ宮殿に住み(1490年~1492年)、Bertoldo di Giovanniに彫刻を学び始める。以後ここでマルシリオ・フィチーノ、アンジェロ・ポリツィアーノジョヴァンニ・ピコらと交流。
1492年5月7日
この日までにギリシア哲学者プロティノス(205年頃~79年)の作品の翻訳をフィレンツェで印刷。
1499年10月1日
フィレンツェ郊外カレッジのメディチ家別荘で死。

肖像

別表記

 マルシーリオ・フィツィーノ

外部リンク

 ウィキペディア
 フィチーノ研究のラウンジ
 早稲田大学図書館
 魔術人名録
 Renaissance Astrology
 Treccani.it

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネッサンス夜話』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『The Life of Cesare Borgia

マッテオ・マリーア・ボイアルド Matteo Maria Boiardo

生没
1434年頃~1494年12月20日
出身
スカンディアーノまたはその近郊
没地
レッジョ・エミリア
ジョヴァンニ・ボイアルド
ルチア・ストロッツィ
概要

 マッテオ・マリーア・ボイアルドは、15世紀のイタリアの男性、詩人。

著作

 『恋するオルランド』

年表

1441年5月21日~6月21日
レッジョ近郊スカンディアーノに生(1441年~1494年)。(但し1440年生まれの少数異説あり)。
1473年
1483年
Orlando innamorato(恋するオルランド)1・2篇をレッジョで刊行。
1494年12月19日
レッジョで死(1441年~)。Orlando innamorato(恋するオルランド)の3篇、未完のままに終わる。
1499年
マッテオ・マリーア・ボイアルドの遺作Amorum libri tres(愛について3篇)刊。

別表記

 マテオ・マリア・ボヤルド

外部リンク

 ウィキペディア
 Treccani.it

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ピエトロ・ポンポナッツィ Pietro Pomponazzi

生没
1462年9月16日~1525年5月18日
概要

 ピエトロ・ポンポナッツィは哲学者。

年表

1462年9月16日
1516年11月6日
霊魂の不滅姓を合理的に証明することは不可能とするDe immortalitate animae(霊魂不滅論)をボローニャで刊行。大きな反響・非難を招く。
1517年11月13日
1516年の作に対するかつての弟子G. Contariniの否定論に答えるApologia contro Contarenum(コンタリーニへの弁明)3篇を執筆。
1518年2月3日
1517年執筆のApologia(弁明)をボローニャで刊行。
1519月5月18日
Defensorium adversus Augustium Niphum(アゴスティーノ・ニーフォへの弁明)をボローニャで刊行。
1525年5月18日
ローマで死(1462年~)。
1556年
ピエトロ・ポンポナッツィの遺作De naturalium et effectuum admirandorum causis, sive de incatationibus(自然の驚くべき事実の原因について、あるいは魔術について)、バーゼルで刊。

別表記

 ペレット

外部リンク

 オシテオサレテ
 人生の謎學
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ピエトロ・マルティレ・ダンギエーラ Pietro Martire d'Anghiera

生没
1457年2月2日~1526年10月
出身
アローナ
没地
グラナダ
概要

 ピエトロ・マルティレ・ダンギエーラは、15世紀~16世紀のイタリア出身の男性、大航海時代の歴史家。

年表

1457年2月2日
ミラノ公国アローナにて、生。
14??年
1478年頃
20歳の時、ローマに到着。
14??年
ローマにて、ポンポーニオ・レートに出会う。
1487年8月
ローマ駐在スペイン大使ロペス・デ・メンドーサに随行してサラゴサに行く(1486年)。
1488年
サラマンカにて、教鞭をとる。
1492年
この年以降、スペイン宮廷の若い貴族の教育を担当。
1501年
スペイン大使としてエジプトに派遣される。
1503年11月10日
スペインのセゴビアにて、手紙を書く。「その潤沢な財産を手に入れようと教皇アレクサンデル6世は、毒を盛る目的でアドリアーノ・ダ・カステッレジ枢機卿を招待。チェーザレ・ボルジアが指定した瓶から枢機卿に葡萄酒を注がせるために執事を買収。チェーザレ・ボルジアが出る。ややあって、不注意にも執事が食卓の上に毒入り葡萄酒を残して出る。教皇が入る。喉が渇いて、葡萄酒を求める。召使は急いで、もちろんそれと知らずに、その瓶を取り上げ、教皇に注いだ。教皇が飲んでいる間に戻ってきたチェーザレ・ボルジアも渇きを癒すため、何の疑いもせず腰掛けて同じものを飲む。瓶に目印をつけておかなかったのである。」
当時イタリアにさえいなかったこのピエトロ・マルティレ・ダンギエーラの書いたものが、まるで事実であるかのように広まる。

別表記

 Pedro Mártir de AngleríaPeter Martyr d'AnghieraPetrus Martyr AngleriusPeter Martyr of AngleriaPier Martire da Anghiera

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

ヤコポ・ゲラルディ Jacopo Gherardi

生没
1434年7月25日~1516年9月
出身
ヴォルテッラ
没地
ローマ
ニッコロ・ゲラルディ
概要

 ヤコポ・ゲラルディは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者。1479年から1484年に日記を残す。

年表

1434年7月25日
1445年7月
親類であるフィレンツェのスピネッリ家に居候し、おそらく銀行業に触れる。
14??年
シエナへ。
1458年
ローマへ。
14??年
フランチェスコ・トデスキーニ司教に雇われる。
1463年
ヤコポ・アンマンナーティ枢機卿の秘書になる。彼の死まで在職。
1479年9月10日
1516年9月
ローマで死。

別表記

 ジャーコモ・ゲラルディ、ヴォルテッラ、Jacopo of Volterra

外部リンク

 Wikipedia
 Wikipedia
 Treccani

参考文献

 『ボルジア家ー悪徳と策謀の一族』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ルイジ・アラマンニ Luigi Alamanni

生没
1495年3月6日~1556年4月18日
出身
フィレンツェ
没地
アンボワーズ
ピエロ・アラマンニ
ジネヴラ・パガネッリ
アレッサンドラ・セッリストーリ
ジョヴァンニ・バッティスタ・アラマンニ
概要

 ルイジ・アラマンニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、詩人。

別表記

 ルイジ・ディ・ピエロ・アラマンニ

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス Gaius Valerius Catullus

生没
紀元前84年頃~紀元前54年頃
概要

 ガイウス・ウァレリウス・カトゥルスは、紀元前1世紀の男性。

別表記

 カトゥッルス

外部リンク

 ウィキペディア
 Catullus Translations

レオーネ・コベッリ Leone Cobelli

生没
1425年~1500年5月14日
出身
フォルリ
バッティスタ・コベッリ
概要

 レオーネ・コベッリは、15世紀のイタリアの男性、画家、年代記作者。

著作

 『フォルリ年代記』

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

大ピロストラトス Φιλόστρατος

生没
190年頃~230年頃
出身
ローマ帝国レムノス島
概要

 ピロストラトスは、2世紀~3世紀のギリシアの男性、著述家、弁論家、第2次ソフィスト。

著作

 『エイコネス』第1巻

別表記

 フィロストラトス、フィロストラトゥス

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『西洋美術解読事典』
 『ルネッサンスの光と闇』

ルキアノス Λουκιανός

生没
120年頃~180年以後
出身
ローマ帝国シリア属州サモサタ
没地
アテナイ
概要

 ルキアノスは、2世紀の男性。

著作

 『神々の対話』
 『死者の対話』

別表記

 サモサタのルキアノス、ルキアーノス、ルシアン、Lucianos, Lucianus, LucinusLucian of Samosata

外部リンク

 ウィキペディア

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2021年7月10日