Szapolyai János

サポヤイ・ヤーノシュ

生没:1487年2月2日~1540年7月22日

概要

 サポヤイ・ヤーノシュは、15世紀~16世紀の男性。

年表

1526年11月10日
ハンガリー最大の貴族ザポリア家のサポヤイ・ヤーノシュ(1487年~:ハンガリー王在位1526年~1540年)は、Tokayの国会で大多数の貴族の支持によりハンガリー王に選出される。
1527年9月26日
ハンガリーの貴族の大多数が王としてサポヤイ・ヤーノシュを推戴する中でウィーンの東に接する帯状地帯を支配するに留まっていたフェルディナンドは、Tokayサポヤイ・ヤーノシュ軍を破る。サポヤイ・ヤーノシュはポーランドに逃げる。
1528年2月24日
サポヤイ・ヤーノシュスレイマン1世と協定を結んでその庇護下に入り、共にフェルディナンド及びハプスブルク家の牽制、攻撃を目指す。
1528年10月23日
サポヤイ・ヤーノシュフランソワ1世サポヤイ・ヤーノシュフェルディナンドに対抗するためフランソワ1世から支援を得ることを、フランソワ1世サポヤイ・ヤーノシュにハプスブルク家を牽制させることを狙い、協定。
1529年8月
サポヤイ・ヤーノシュ、ウィーンに向かって進軍するスレイマン1世をモハーチで迎えて会見し、彼よりハンガリー王位のシンボル聖イシトヴァン宝冠などを与えられる。
1533年6月22日
イスタンブール(コンスタンティノポリス)のスレイマン1世宮廷に使節を送って休戦交渉を行っていたフェルディナンド、ウィーンに初めてスレイマン1世の使節を迎え、スレイマン1世を父、その大宰相Ibrāhim Paşaを兄と呼ぶこと、フェルディナンドに追われてスレイマン1世の庇護を得て来た(1528年~)前ハンガリー王サポヤイ・ヤーノシュにハンガリー王国の大部分を与え、自分はスレイマン1世への貢納を代償として現支配領のハンガリー王国西北部を支配することを約する同盟を締結。
1540年7月22日
ハンガリー王サポヤイ・ヤーノシュ死(1487年~:在位1526年~)。
1541年8月26日
大軍によってフェルディナンド軍を敗走させたスレイマン1世、自らブダに入り、この地を含むハンガリー王国中央部を自身の直轄領とし、東部を、自身への貢献を条件としてサポヤイ・ヤーノシュの遺志János Zsigmondの支配領とする。これによりハンガリー王国、フェルディナンドの支配する西北部を含め三分割される。

外部リンク

 ウィキペディア

別表記

 ザポリア、ヤノシュ・ザポヤイ、サーポヤイ=ヤーノシュ、János ZápolyaZápolya János

参考文献

 『血の伯爵夫人エリザベート・バートリ』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2006年10月27日以前