Thomas More

トマス・モア

生没:1478年2月7日~1535年7月6日
出身:ロンドン
妻:ジェーン・コルト
  アリス・ミドルトン
子:マーガレット・モア
  エリザベス・モア
  シスリー・モア
  ジョン・モア

概要

 トマス・モアは、15世紀~16世紀の男性、思想家、政治家。

年表

1477年2月6/7日
ロンドンに生(1478年)。
1509年8月
エラスムスEncomium moriae(痴愚神礼讃)の稿をトマス・モアに献呈。
1516年6月
トマス・モアUtopia(ユートピア)を完成し、1516年12月ネーデルランド・ブラバントのブリュッセル近郊ルーヴェンで刊行。
1520年6月7日~1520年6月24日
フランソワ1世カール5世に対抗する同盟者を得るべく、Calais近郊Ardresの豪華な装飾を施した陣屋(「金襴の陣屋」)に参議会員トマス・モアらを従えたヘンリー8世を招いて会見し、盟約を求めるが合意に達せずに終わる。
1521年7/8月
ヘンリー8世トマス・モアの助力を得てマルティン・ルターDe captivitate Babylonica ecclesiae praeludium(教会のバビロニア捕囚)を反駁するAssertio septem sacramentorum(七秘蹟擁護論)を執筆。これにより1521年10月、レオ10世より信仰の擁護者(Fidei defensor)の称号を受ける。
1523年5月
トマス・モアヘンリー8世Assertio septem sacramentorum(1521年)を擁護すべく匿名の論文Responsio da Lutherum(ルター駁論)をロンドンで刊行。
1527年3月30日
エラスムストマス・モアに書簡を送り、自説を展開した上、マルティン・ルターに対する反論の続編を執筆する意図を披瀝。
1529年6月
トマス・モア、1528年執筆したA dialogue concerning hercies and matters of religion, against Tyndale(異端に着いたの対話、ティンダル駁論)をロンドンで刊行。この中でW. Tyndaleの英語訳聖書(1525年)やマルティン・ルターの福音主義的信仰を異端と批判。
1529年10月26日
トマス・モアヘンリー8世より、貴族でも聖職者でもないものとしては初めて大法官に任命される。(在位~1532年)。
1529年11月3/4日
宗教改革議会:ヘンリー8世、議会の反ローマ教会的立法によってクレメンス7世を脅かし、カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立を承認させるべく、第五議会を招集。トマス・モアが開会の辞を述べる。以後、この議会は彼の当初の目的を超えた立法を重ね、イングランドの主権国家としての自立の、さらには宗教改革の幕を開く。
1532年5月16日
トマス・モア、「聖職者の服従」がカンタベリー大司教Wiliam Warham(1450年頃~1532年:在位1504年~1532年)からヘンリー8世に報告されたこの日、これを首肯できず健康状態が思わしくないとの理由を挙げて大法官を辞任(1529年~)。
1534年4月13日
王位継承法の「内容と効果を支持する」誓約を行なうよう求められたトマス・モアCambridge大学総長・Rochesterの司教John Fisher(1469年~:在位1504年~)、誓約は教皇至上権を否定することになると考え、拒否。
1534年4月17日
王位継承法支持の誓約を改めて拒否したトマス・モアJohn Fisherヘンリー8世の命によりロンドン塔に投獄される。
1534年11月18日
イングランド国教会成立:宗教改革議会、王及びその継承者を「Anglicana Ecclesiaと呼ばれるイングランドの教会の地上における唯一最高の首長と解し、認め、かつみなす」とする国王至上法(首長令)を承認。これによりAnglicana Ecclesiaローマ教会から分離し、王を首長とするイングランド国教会として独立。教皇の一切の支配権を一掃してイングランドを王が聖俗両界で一元的に支配する完全な主権国家(empire)としようとするThomas Cromwellの意志、実現される。
さらに宗教改革議会、国王至上法に反する言行を処罰する反逆法と、「不忠者」トマス・モア及びJohn Fisherの私権剥奪法を承認。
1535年7月6日
イングランド国教会における王の至上権を否認し反逆法に違反したとして有罪判決を受けた(1535年7月1日)トマス・モアヘンリー8世の命により斬首される(1477年~)。
1535年7月26日
パウルス3世John Fisherの処刑に抗議する書簡をキリスト教各国に送る。さらに1535年7月末、トマス・モアの処刑の報に激怒。
この他、John Fisher及びトマス・モア処刑の報、カール5世をも含む各君侯などヨーロッパ各地・各陣営に大きな反響を呼び起こす。これを鎮めるべくThomas Cromwellローマを初め各地に、彼ら両名は王ヘンリー8世の寛容・忍耐にもかかわらず王に反抗した王を打倒しようとしたと処刑を正当化する書簡を送る。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

記載日

 2008年5月20日