Thomas Wolsey

トマス・ウルジー

生没:1471年~1530年11月29日
在位:枢機卿 1515年9月10日~1530年11月29日
       任命した教皇:レオ10世

概要

 トマス・ウルジーは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。

年表

1471年
生(1475年)。
1515年12月24日
枢機卿トマス・ウルジー(1475年頃~:在位1515年9月10日~)、イングランドの大法官に就任。以後、政教両界に君臨(~1529年)。
1518年10月2日
ロンドン協定:1518年8月のフランソワ1世主導の協定を見たイングランドの大法官・枢機卿トマス・ウルジーヘンリー8世フランソワ1世の間に平和協定を成立させ、ヘンリー8世の幼い娘メアリー1世(1516年~1558年:イングランド王1553年~1558年)とフランソワ1世の王太子フランソワ(1518年~1536年)の結婚を取り決めると共に、この協定へのマクシミリアン1世カール5世の加入の道を開く。これによりトマス・ウルジーは、レオ10世主導ではないヘンリー8世ないし自分主導のキリスト教諸国、諸権力者糾合をも視野に置く。
1524年1月24日
クレメンス7世トマス・ウルジーを終身教皇特使に任命。
1527年5月初頭
この頃?、ヘンリー8世、教皇特使(1524年~)としての(自分の大法官)トマス・ウルジーに、妻カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立を承認、宣言するよう求める。
1527年8月3~18日
ヘンリー8世の代理トマス・ウルジーと自ら登場してきたフランソワ1世は、フランス・ピカルディのAmiensで、フランソワ1世の2名の子息の釈放、クレメンス7世の釈放、教会領の保全、イタリア諸国の旧状復帰などを条件とする和解をカール5世に要求することを協定。しかしカール5世にこの要求を拒絶され、1527年8月18日に協定を公表すると共に、クレメンス7世の釈放、対カール5世戦争の完遂を改めて約定。
1529年5月31日
ヘンリー8世から出された彼とカテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立の訴えを審議するロンドンの教皇特使法廷が、ロレンツォ・カンペッジオトマス・ウルジーの主導下で開催される。
1529年10月17日
ヘンリー8世の婚姻不成立の訴えをクレメンス7世に認めさせることに失敗したトマス・ウルジー、イングランド法管轄下の訴訟を外国で行なうことを禁じたActs of Praemunire(上訴禁止法:1393年)に違反したかどで訴追され、失脚(在位1515年~)。
1530年11月29日
1530年11月4日に大逆罪の容疑で逮捕されたトマス・ウルジー、ロンドンに護送される途上Leicesterで病死(1530年11月28日)。

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『世界悪女大全』
 『世界大百科事典』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

記載日

 2008年5月21日