Ulászló II Jagiełło

ウラースロー2世・ヤギェウォ

生没:1456年3月1日~1516年3月13日
在位:ボヘミア王ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー 1471年~1516年
   ハンガリー王 1490年~1516年
    先代:マティアス・コルヴィヌス
    次代:ラヨシュ2世
妻:ベアトリーチェ・ダラゴーナ
子:ラヨシュ2世
  アンナ・ヤギェウォ

概要

 ウラースロー2世・ヤギェウォは、15世紀~16世紀の男性。

年表

1490年4月4/6日
マティアス・コルヴィヌス、後継者を残さず死(1440/1443年~1490年:ハンガリー王在位1458年~1490年:ボヘミア(共同)王在位1469(1478年)年~1490年)。ボヘミア(共同)王Vladislav IIウラースロー2世・ヤギェウォとしてハンガリー王に即位。
1491年11月7日
マクシミリアン1世、ボヘミア(共同)王ウラースロー2世・ヤギェウォのハンガリー王即位(1490年)を、後継者がない場合はハプスブルク家がボヘミア及びハンガリーの王位を継承するとの条件つきで承認(Preßburg協定)。
1508年12月10日
カンブレー同盟:ユリウス2世の呼びかけでマクシミリアン1世ルイ12世、それぞれ代理として娘マルグリット・ドートリッシュ、宰相ジョルジュ・ダンボワーズをカンブレーに送り、表向き対オスマン・トルコを装って対ヴェネツィア同盟を締結。
後にフェルナンド2世・デ・アラゴン、イングランド王ヘンリー7世、ハンガリー王ウラースロー2世・ヤギェウォフェッラーラアルフォンソ1世・デステ、マントヴァ候フランチェスコ2世・ゴンザーガ、サヴォイア公カルロ2世も加盟。ユリウス2世は翌1509年ようやく正式に加盟。
1515年5月20日
ハンガリー・ボヘミアの領有を企むマクシミリアン1世、孫フェルディナンド1世(1503年~1564年:ボヘミア王在位1526年~1564年:ハンガリー王在位1526年~1564年:神聖ローマ皇帝在位1558年~1564年)をハンガリー・ボヘミア王ウラースロー2世・ヤギェウォの娘アンナ・ヤギェウォ(?~1547年)と、また孫マリア・フォン・ハプスブルク(1505年~1558年:ネーデルラント総督在位1531年~1555年)をウラースロー2世・ヤギェウォラヨシュ2世(1506年~1526年:在位1516年~1526年)と婚約させる。1515年7月22日ウィーンで正式に協定。

別表記

 ラディスラス、ラディスラウス、Vladislav IILadislao VII Jagellone

外部リンク

 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Find A Grave
 Genealogy.EU

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2010年10月22日