- 作者
- エルコーレ・デイ・フェデーリ
- 制作
- 1498年頃
- 所蔵
- マッテイ・カエターニ宮殿
概要
「チェーザレ・ボルジアの剣」は、エルコーレ・デイ・フェデーリ作の剣。剣の女王とまで呼ばれるほど美しい装飾がなされている。
チンクエディア
剣の種類でチンクエディアという部類に属する。チンクエディアとはルネサンス期に特に北イタリアで流行した背負って携帯した短剣で、刀身を長くして片手剣として使用する場合もあった。名の由来は、身幅の広さが5本指ほどであったことから、5本の指を表すイタリア語「cinque dita」(チンクエ・ディータ)が訛ったもの。その特徴は名の通りの三角形をなした広い刀身と刻まれた溝であり、溝が5本3本2本と3段階に分かれていたものと、そのような区分がなく鍔元から切先まで一貫して2本になったものとの2種類があった。刀身や柄、鞘には、金箔や銅鍍金などで装飾が施されていた。
「チェーザレ・ボルジアの剣」は、刀身が長い片手剣で、溝が2本のチンクエディアである。非常に凝った意匠が施されていることから明らかに実戦用ではなく、社会的地位を誇示するよう儀式や公的な場所で身に着けるためか、宝剣として部屋に飾るつもりであつらえたのだろう。
制作時期
刀身に「CES. BORG. CAR. VALENT」(ヴァレンティーノ枢機卿チェーザレ・ボルジア)と刻まれている。チェーザレ・ボルジアの枢機卿時代は1493年~1498年で、1498年8月18日に還俗。ヴァレンティーノ公になったのは1498年8月22日である。ヴァレンシア枢機卿ではなくヴァレンティーノ枢機卿という敬称は矛盾しているものの、よって1498年という説が有力のようである。
所有者
アレクサンデル6世崩御の後カエターニ家がセルモネータを取り戻した時に城に残されており、自動的にカエターニ家のものになった。
現在はカエターニ財団の所有でマッテイ・カエターニ宮殿にあり、一般公開はされていないが展覧会などに出品されることもあるよう。
主題
この剣の刀身の両面には6つの古典的な主題が刻まれている。うち3つはガイウス・ユリウス・カエサルの一生を表したもので、表に2つ、裏に1つある。残りはもっと象徴的な題材で「信頼」「ローマの平和」「愛の崇拝」となっている。
1、祭壇の上にのる雄牛(表)
祭壇の上に載っている牛の生贄か崇拝を表現している。台座には「D.O.M. HOSTIA (Deo optiom maximo hostia)」(偉大な神への生贄)と彫られ、その周りには供物を捧げもった穢れなき乙女たちが半裸身で踊っている。また下の方には「CUM NUMINE CAESARIS OMEN」という文字が彫られ、これは「カエサルの偉大な前兆と共に」という意味にとれる。
2、ルビコンを渡るカエサル(表)
ここではガイウス・ユリウス・カエサルがルビコン川を渡る場面を示している。そしてすぐ下には彼の非常に有名な言葉である「IACTA EST ALEA」(賽は投げられた)が刻まれている。
3、カエサルのローマ凱旋(裏)
裏面には三番目はガイウス・ユリウス・カエサルの偉業を示している。戦車に乗ったガイウス・ユリウス・カエサルのところに「D. CESARE (Divus Caesar)」(神のごときカエサル)と彫りこまれている。これはまたチェーザレのスペイン風の呼び方Don Césarともかけていると考えられる。 下のほうには「BENEMERENT」(十分に値するために)という言葉をみることもできる。
4、信頼(裏)
凱旋を祝う神々の図。「FIDES PRAEV ALET ARMIS」が刻まれ、これは「信頼は武器に勝る」という意味がある。
5、ローマの平和(裏)
崩れた円柱の上に地球が安置され、それを羽を広げた大鷲が抱いており、 円柱の下には鹿が座り、その周りを回復された平和への喜びを祝う踊りが繰り広げられている。
6、愛の崇拝(表)
男女が描かれ「AMOR」(愛)の文字が見れる。
解釈
表は「力による勝利」を、裏は「力よりもっと高い調和のなかでの生の賛美」を表していると考えられる。ガイウス・ユリウス・カエサルの生涯を表現した場面は、同名の彼にあやかって、枢機卿放棄と現世での偉業を希望するという象徴である。「武力は権力(支配)を導くもの」と考え、「CUM NUMINE CAESARIS OMEN」(カエサルの偉大な前兆と共に)のモットーと共に、チェーザレ・ボルジアを守り新しい活躍の手助けになることを願ったものだと解釈されている。
しかしながら、このような解釈は注文主であろうチェーザレ・ボルジアが意匠考案者に自ら指示を出していたという前提によるものである。単に名前が同じだからという安易な理由でこのような意匠にしたという可能性も十分あり得、ガイウス・ユリウス・カエサルに思い入れがあったという証拠にはならない。還俗の意志を込めるなら「CES. BORG. CAR. VALENT」(ヴァレンシア枢機卿チェーザレ・ボルジア)などという銘を刻ませるだろうか。
また、お気に入りの剣であったなら、当時の外交官による手紙や報告書の中にこの豪華で目立ったであろう剣について少しも触れられていないのはどういうわけか。セルモネータに残されていたということは、ローマに持ち帰っていないということで、遠征に携行せず、普段の行事などの機会に装飾品として身に着けていたわけでもなかったのだろうか。防水加工が施され錆を防ぐ役割もあった鞘に納まっていなかったことも不可思議である。
現代人が勝手に深読みするほどには、彼はこの剣に愛着を持っていなかったのかもしれない。
チェーザレ・ボルジアの剣の鞘
- 作者
- エルコーレ・デイ・フェデーリ
- 制作
- 1498年頃
- 媒材
- 子牛の革
- 寸法
- 長さ83.5 cm、幅8.5 cm、厚み0.5 cm、重さ0.34 kg
- 所蔵
- ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
経緯
鞘は剣とは別の場所にあり、現在ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵。1787年からローマのカエターニ家から所有していたらしいが、それ以前の経緯については不明。
表
崇拝を受けている裸体の女神は平和の女神かウェヌスだと考えられ、ウェヌスならば金星と金牛宮と結びつき、ボルジア家の紋章の牡牛を想起させるのだという。
裏
「CESAR」「MATERIAM SUPERABIT OPUS.(努力は物理を凌駕する)」の銘、炎、個人紋章がある。
未完成
最初に湿らせ、1つずつ細かい部分の作業をし、最後に熱した工具で固まらせたのだと考えられている。おそらく裏面に裂け目が生じたため表の細工が途中になっており、この鞘が使われたことはなかったらしい。もし他に鞘があったとしたら剣と一緒に発見されたであろうから、改めて別に作られたとは考えられにくい。完成品を催促しなかったのは、剣を帯びる意志がなかったからだろうか。
だが未完成にもかかわらず、1869年にこの作品が購入された時、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の創始者であるヘンリー・コールは「知られている革製品で最高級の芸術品」と称賛した。
鞘に関する論文
Blair, C., Cesare Borgia`s Sword-scabbard (Victora and Albert Museum, London, 1969)
別表記
La regina delle spade、Regina della spada、La spada del Duca Valentino
外部リンク
Arte e Arti
La fototeca di Emporium
Medievalists.net
Mediaeval Sword
Wormwood Scrubs
myArmoury.com
the borgias ITALIA
Flickr - Andrea Carloni
Project 1400
MTH Melbars Tröpfelhandel
Google Books - Alcuni ricordi di Michelangelo Caetani
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鞘
著作権切れ文献
『Alcuni ricordi di Michelangelo Caetani, duca di Sermoneta』
参考文献
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
記載日
2017年4月4日
更新日
2021年12月16日