ゴッフレード・カエターニ Goffredo Caetani
- 生没
- 12??年~1275年
- 父
- マッティア・カエターニ
- 妻
- エミーリア・コンティ
- 子
- ゴッフレード・カエターニ
ボニファティウス8世
?・カエターニ
?・カエターニ
?・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
概要
ゴッフレード・カエターニは、13世紀のイタリアの男性。
在位
トーディのポデスタ 1274年/1275年
外部リンク
ゴッフレード・カエターニ Goffredo Caetani
- 生没
- 1225年頃~1296年5月以前
- 父
- ゴッフレード・カエターニ
- 母
- エミーリア・コンティ
- 妻
- エリザベッタ・オルシーニ
- 子
- ピエトロ・カエターニ
フランチェスコ・カエターニ
概要
ゴッフレード・カエターニは、13世紀のイタリアの男性。
在位
カルヴィ、ヴァイラーノ、ノルマ領主 1282年~
トーディのポデスタ 1282年12月/1283年5月
初代カゼルタ伯 1288年~1296年
ドゥセンタ、アティーノ、プレゼンツァーノ、フォンターナ、ヴァイラーノ、カルヴィ領主 1290年2月10日/20日~
ローマ元老院議員 1290年/1292年
年表
1283年8月1日
セルヴァモッレ購入。
1291年1月4日
シチリア王によってヴァイラーノ領主として承認される。
1295年9月14日
トーレ購入。
別表記
Roffredo
外部リンク
ボニファティウス8世 Bonifatius VIII
- 生没
- 1230年頃~1303年10月11日
- 没地
- ローマ
- 父
- ゴッフレード・カエターニ
- 母
- エミーリア・コンティ
概要
ベネデット・カエターニは、13世紀から14世紀のイタリアの男性、聖職者。第193代教皇ボニファキウス8世。
学問への関心が高く、ジョットーなど芸術家を庇護したり、ローマ大学を創設したり、一族の利益を追求したり、極めて傲慢だったりと、ルネサンス型教皇の先駆けのような人物だった。
この教皇が1300年に大聖年を制定し、免罪符を販売。あまり信仰心がなかったような発言も多々あるようで、ダンテ・アリギエーリは『神曲』の中で地獄に落としている。
在位
枢機卿 1281年4月12日~1294年
第193代教皇 1294年~1303年
先代:ケレスティヌス5世
次代:ベネディクトゥス11世
年表
1230年頃
生(1240年頃)。
1303年
アナーニ事件、教皇敗退。
墓
本名
ベネデット・カエターニ、Benedetto Caetani
別表記
ボニファチオ8世、ボニファキウス8世、ベネデット・ガエターニ、Bonifacius VIII
外部リンク
ウィキペディア
檸檬
Find A Grave
GCatholic.com
Genealogy.EU
Kirchengeschichte bei Vatican-History
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Paradoxplace
The Cardinals of the Holy Roman Church
Treccani.it
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『サロメの乳母の話』
『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
『世界大百科事典』
『メディチ家』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの歴史』
『ローマ教皇検死録』
ピエトロ・カエターニ Pietro Caetani
- 生没
- 12??年~1308年10月
- 没地
- チェッカーノ
- 父
- ゴッフレード・カエターニ
- 母
- エリザベッタ・オルシーニ
- 妻
- ジョヴァンナ・コンティ
- 子
- ベネデット・カエターニ
ゴッフレード・カエターニ
概要
ピエトロ・カエターニは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。
在位
セルモネータのサンタ・マリア支部検察官 1282年?9月12日
ナポリ王顧問、従者 1296年1月8日
オルヴィエートのポデスタ 1296年7月1日~
第2代カゼルタ伯 1296年~1308年10月
マルカ・ダンコーナ侯 1296年~1303年?
セルモネータ領主 1299年9月28日/10月2日~
年表
1296年
カエターニ家の領地の中核となるカンパーニャの封土の大部分を購入(1309年3月)。
1306年
カゼルタ領、割譲。
1300年10月2日
セルモネータ、バッシアーノ、サン・ドナートの土地の購入について教皇の承認を得る(1300年10月3日)。
1302年1月28日
サン・フェリーチェを購入。
1304年
トッレ・アストゥーラの半分を売却。
1308年10月
チェッカーノで暗殺。
外部リンク
ベネデット・カエターニ Benedetto Caetani
- 生没
- 1265年以前~1332年8月末
- 没地
- マルトラーノ
- 父
- ピエトロ・カエターニ
- 母
- ジョヴァンナ・コンティ
- 妻
- フランチェスカ
ルイジア・コンティ
ジョヴァンナ・オルシーニ
イラリア・ディ・スス - 子
- ボニファチオ・カエターニ
フランチェスカ・カエターニ
レッラ・カエターニ
ルクレツィア・カエターニ
ミオツィア・カエターニ
フランチェスコ・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
概要
ベネデット・カエターニは、13世紀から14世紀のイタリアの男性、ローマ貴族。
在位
ラテラノ宮殿の宮中伯 1302年4月以前
サンタ・フィオーラ伯 1302年4月/1304年~1313年4月1日
カンパーニャ・ロマーナ、マリッティマのレットーレ 1314年~
オルヴィエートのポデスタ 1324年1月1日
トーレ・デッラ・ミリツィア、ニンファ、セルモネータ、バッシアーノ、ノルマ、サン・フェリーチェ、コッレメディオ、スグルゴーラ、モンテロンゴ共同領主 1319年11月24日~
シエナのポデスタ 1329年7月1日~
年表
1298年9月8日
ニンファの領地を購入。
13??年
アンセドーニア、ポルト・エルコーレ、モンテジーリオ、ジャヌトリ島、オルベテッロの島をサンタナスタージオ修道院から長期貸与。
1308年3月頃
ジョヴァンナ・オルシーニと結婚。
1317年
イラリア・ディ・ススと結婚。
13??年
ヴァイラーノの領地を所有し、バルトロメオ・ディ・カプアに売却。
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
ゴッフレード・カエターニ Goffredo Caetani
- 生没
- 12??年~1335年6月
- 父
- ピエトロ・カエターニ
- 母
- ジョヴァンナ・コンティ
- 妻
- マルゲリータ・アルドブランデスキ
ジョヴァンナ・デッラクイラ
カテリーナ・デッラ・ラッタ - 子
- ニッコロ・カエターニ
フランチェスカ・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
チーノ・カエターニ
概要
ゴッフレード・カエターニは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。
在位
サント・ステファノ・ディ・スグルゴーラ律修司祭 1288年2月28日(放棄)
トラエット、スイオ領主 1299年~
フォンディ伯 1299年10月16日~
セルモネータ、ノルマ、ニンファ、バッシアーノ、サン・ドナート他領主 1308年~
ポーフィ、セルヴァモッレ、トッレ、トリヴィリアーノ、トレヴィ、フィレッティーノ、ヴァッレピエトラ、カルピーノ領主 1317年~
カンパーニャ、マリッティマ修道院長 1300年/1303年
アンジョイーニ代表 1314年頃
シエナのポデスタ 1322年1月22日
スペルロンガ、カステッランマーレ・ディ・スタービア総司令官 1324年8月10日
年表
1296年9月19日
マルゲリータ・アルドブランデスキと結婚。
1299年10月初め
フォンディ伯リッカルド・デッラクイラとカタンツァーロ伯ヤコパ・ルッフォの娘であり相続人であるジョヴァンナ・デッラクイラと結婚。
1299年10月19日
トラエット、スイオ領主(1299年10月20日)。
1317年11月24日
割譲により、ポーフィ、セルヴァモッレ、トッレ、トリヴィリアーノ、トレヴィ、フィレッティーノ、ヴァッレピエトラ、カルピーノを取得。
1317年
妻ジョヴァンナ・デッラクイラ、死(1307年)。
1317年10月
カテリーナ・デッラ・ラッタと結婚。
1335年6月
死(1335年4月)。
別表記
Roffredo、il Conticello
外部リンク
ボニファチオ・カエターニ Bonifacio Caetani
- 生没
- 1???年~1329年5月25日
- 父
- ベネデット・カエターニ
- 妻
- マリーア・コンティ
- 子
- ベネデット・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
ニッコロ・カエターニ
リータ・カエターニ
トマジッキア・カエターニ
概要
ボニファチオ・カエターニは、14世紀頃のイタリアの男性。母親はオルシーニ家親族のフランチェスカ、又はルイジア・コンティ。
在位
宮中伯
ニンファ、ノルマ、スグルゴーラ、トリヴィリアーノ領主 1308年~
トーレ・デッラ・ミリツィア共同領主 1308年~
アナーニのポデスタ 1315年
年表
13??年
アナーニにモンテ・ロンゴを割譲。
1320年以前
マリーア・コンティと結婚。
1329年5月25日
死(1328年5月2日)。
外部リンク
ニッコロ・カエターニ Niccolò Caetani
- 生没
- 1310年~1348年
- 父
- ゴッフレード・カエターニ
- 母
- ジョヴァンナ・デッラクイラ
- 妻
- ヴィオランテ・デッラ・ラッタ
ヤコパ・オルシーニ - 子
- オノラート・カエターニ
サンチャ・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
アンジェレッラ・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
フランチェスカ・カエターニ
概要
ニッコロ・カエターニは、14世紀のイタリアの男性。
在位
第2代フォンディ伯
セルモネータ、ノルマ、ニンファ、セッツェ、トラエット、ピペルノ他領主 1335/1345年~
ナポリ王国筆頭侍従
年表
外部リンク
ベネデット・カエターニ Benedetto Caetani
- 生没
- 1320年頃~1342年5月
- 父
- ボニファチオ・カエターニ
- 母
- マリーア・コンティ
- 子
- マリーア・カエターニ
ボニファチオ・カエターニ
ニッコロ・カエターニ
マビーリア・カエターニ
概要
ベネデット・カエターニは、14世紀のイタリアの男性。
在位
ポーフィ、トレヴィ領主 1333年~
アナーニ領主 1340年/1342年
年表
1320年頃
生(1319年以降)。
1340年3月27日
セッセ征服。
1342年5月
死(1340年2月)。
外部リンク
ヤコポ・カエターニ Jacopo Caetani
- 生没
- 1338年頃~1423年1月末
- 父
- ニッコロ・カエターニ
- 母
- ヤコパ・オルシーニ
- 妻
- スヴェヴァ・サンセヴェリーノ
- 子
- ヤコベッロ・カエターニ
クリストフォロ・カエターニ
アントーニオ・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
アンジェラ・カエターニ
ニコラ・カエターニ
概要
ヤコポ・カエターニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、ローマ貴族。
在位
アナーニ領主 1358年9月21日~
スピーノ領主 ~1378年11月22日
セルモネータ、バッシアーノ、サン・フェリーチェ、ニンファ共同領主 ~1378年11月22日
ロッカライノーラ、アイラーノ、サント・パードレ、プルケリーニ領主 1381年~
ピエディモンテ、カザル・ピネート領主 1383年~
年表
1360年頃
ピエディモンテ領主スヴェヴァ・サンセヴェリーノと結婚。
1378年11月22日
スピーノ、セルモネータ、バッシアーノ、サン・フェリーチェ、ニンファが教皇によって没収される。
1381年12月4日
ロッカライノーラ、アイラーノ、サント・パードレ、プルケリーニ領主となる。
1382年5月22日
ロッカライノーラ、アイラーノ、サント・パードレ、プルケリーニ領主となる。
1382年10月15日
ナポリ王により、ロッカライノーラ、アイラーノ、サント・パードレ、プルケリーニ領主として承認される。
1382年10月24日
ナポリ王により、ロッカライノーラ、アイラーノ、サント・パードレ、プルケリーニ領主として承認される。
1383年8月9日
ピエディモンテとカザル・ピネートの4分の1を封される。
1384年
ナポリ王国の封土を没収される。
1387年4月17日
ナポリ王国の封土が返却され、ロッカマンドルフィ、ブッソ、サン・マッシーモの一部が封される(1384年8月10日兄弟によって寄贈されていた)。
1401年2月13日
教皇によりセルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマの城と領土を封される。以降この領地は恒久的にカエターニ家に帰属。
1410年1月10日
教皇によりサン・フェリーチェ、トレヴィ、ザンネート、ソンニーノの半分を取得。
1411年12月18日
アクアプッツァの城を取得。
1413年7月14日
ナポリ王によりアクアプッツァを没収される。
1418年
ナポリ王国の領地の一部を子クリストフォロ・カエターニに譲渡(1420年)。
別表記
Giacomo Gaetani dell'Aquila
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
フランチェスカ・カエターニ Francesca Caetani
- 生没
- 13??年~
- 父
- ニッコロ・カエターニ
- 母
- ヤコパ・オルシーニ
- 夫
- ジョヴァンニ1世・デッラングイッラーラ
概要
フランチェスカ・カエターニは、14世紀頃のイタリアの女性。
外部リンク
マビーリア・カエターニ Mabilia Caetani
- 生没
- 13??年~1357年以降
- 父
- ベネデット・カエターニ
- 夫
- アルドブランディーノ1世・オルシーニ
- 子
- ベルトルド・オルシーニ
グイド・オルシーニ
イザベッラ・オルシーニ
コスタンツァ・オルシーニ
概要
マビーリア・カエターニは、14世紀のイタリアの女性。
年表
外部リンク
ヤコベッロ・カエターニ Jacobello Caetani
- 生没
- 1360年頃~1408年6月22日以前
- 父
- ヤコポ・カエターニ
- 母
- スヴェヴァ・サンセヴェリーノ
- 妻
- ロアージア・デボリ
- 子
- ルッジェーロ・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
スヴェヴァ・カエターニ
フランチェスコ・カエターニ
ジョヴァンネッラ・カエターニ
ルドヴィーコ・カエターニ
概要
ヤコベッロ・カエターニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。
年表
1390年以前
ロアージア・デボリと結婚。
別表記
Iacobello
外部リンク
クリストフォロ・カエターニ Cristoforo Caetani
- 生没
- 13??年~1439年10月18日
- 没地
- ナポリ王国ナポリ
- 父
- ヤコポ・カエターニ
- 母
- スヴェヴァ・サンセヴェリーノ
- 妻
- イザベッラ・デ・ピッツティス
ジョヴァンネッラ・デル・フォルノ - 子
- オノラート2世・カエターニ
ジョルダーノ・カエターニ
コラントーニオ・カエターニ
アニェゼッラ・カエターニ
ボニファチオ・カエターニ
アルフォンソ・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
テリーナ・カエターニ
ガスパーレ・カエターニ
ヤコベッラ・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
メルキオッレ・カエターニ
フェルディナンド・カエターニ
概要
クリストフォロ・カエターニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、ナポリの貴族。
在位
第5フォンディ伯爵
ピエディモンテ領主 1418年~
初代モルコーネ伯 1402年~
カンパーニャ、モリーゼ総督 1406年8月6日
ナポリ王代理ローマ守護者 1408年6月24日~1408年8月
ローマ知事 1410年9月~1413年
アブルッツィ総督、アクイラ長官 1419年/1420年
ナポリ王国首席書記官、国務長官 1420年9月20日
ナポリ市長 1421年9月20日
年表
1402年2月17日
母親からモルコーネをもらう。
1406年
イントロボーニ要塞とロラティーノ城を売却。
1418年11月4日
ピエディモンテ領を王室の同意を得て母スヴェヴァ・サンセヴェリーノから譲渡される。
1421年10月25日
ピエディモンテ領を王室の同意を得て母スヴェヴァ・サンセヴェリーノから譲渡される。
1423年3月18日
マリーノの領地と城をコロンナ家に売却。
1435年
妻イザベッラ・デ・ピッツティス、死。
1436年3月20日
ジョヴァンネッラ・デル・フォルノと結婚。
彼女との子を嫡出子化。
1439年10月18日
ナポリ攻囲戦で殺される。
別表記
Cristoforo Gaetani dell’Aquila
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
ルッジェーロ・カエターニ Ruggero Caetani
- 生没
- 1390年頃~1436年2月27日以前
- 父
- ヤコベッロ・カエターニ
- 母
- ロアージア・デボリ
- 妻
- フランチェスカ・コンティ
- 子
- アントネッロ・カエターニ
オノラート・カエターニ
ジョヴァンニ・カエターニ
スヴェヴァ・カエターニ
クリストフォロ・カエターニ
概要
ルッジェーロ・カエターニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。
在位
ナポリ王国筆頭侍従 1420年~
セルモネータ共同領主 ~1426年1月15日
トラエット領主
年表
1408年6月
ローマにて、フランチェスカ・コンティと婚約。
1426年1月15日
兄弟ヤコポ・カエターニと共にセルモネータ領主だったが、その権利を甥に譲る。
1436年2月27日以前
おじクリストフォロ・カエターニに暗殺される(1435年2月27日以前)。
外部リンク
ヤコポ・カエターニ Jacopo Caetani
- 生没
- 1390年頃~1433年
- 父
- ヤコベッロ・カエターニ
- 母
- ロアージア・デボリ
- 妻
- ジョヴァンネッラ・オルシーニ
アンジェラ・オルシーニ - 子
- ヤコベッラ・カエターニ
オノラート・カエターニ
ベアトリーチェ・カエターニ
概要
ヤコポ・カエターニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。
在位
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ領主
チステルナ領主 1420年~
アブルッツォ副王 1421年7月21日~
トレヴィ領主 1424年3月21日~
年表
1390年頃
生。
1418年9月以前
ジョヴァンネッラ・オルシーニとの結婚契約調印。
1420年9月12日
ジョヴァンネッラ・オルシーニと結婚。
1420年
チステルナ城を占領。後に子孫により失われる。
1433年
死。
別表記
Giacomo
外部リンク
スヴェヴァ・カエターニ Sveva Caetani
- 生没
- 1404年以前~1455年10月1日以降
- 父
- ヤコベッロ・カエターニ
- 母
- ロアージア・デボリ
- 夫
- ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
- 子
- オドアルド・コロンナ
アントーニオ・コロンナ
アンナ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
カテリーナ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
イッポーリタ・コロンナ
概要
スヴェヴァ・カエターニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1411年以前
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナと結婚。
外部リンク
オノラート2世・カエターニ Onorato II Caetani
- 生没
- 1414年~1491年4月25日
- 父
- クリストフォロ・カエターニ
- 母
- ジョヴァンネッラ・デル・フォルノ
- 妻
- フランチェスカ・ディ・カプア
カテリーナ・ピニャテッリ - 子
- スヴェヴァ・カエターニ
バルダッサーレ・カエターニ
ジョヴァンネッラ・カエターニ
マンデッラ・カエターニ
カテリーナ・カエターニ
ピエルベルナルディーノ・カエターニ
ルクレツィア・カエターニ
ニコラントーニオ・カエターニ
アントーニオ・カエターニ
概要
オノラート2世・カエターニは、15世紀のイタリアの男性、ナポリ貴族。
在位
第6代フォンディ伯
アリーフェ、ピエディモンテ、ヴァッレコルサ、モンティチェッリ、サン・ロレンツォ、カイヴァーノ、スピーニョ、カステルフォルテ、ドラゴーネ、レ・フラッテ、カステルヌオーヴォ、イトリ、スペルロンガ、レノーラ、パステーネ、カステッロノラート領主 1439年~
モルコーネ伯 ~1437年
スグルゴーラ、サルヴァテッラ、ポーフィ領主
年表
1414年
生(1425年)。
1432年7月28日
結婚前に生まれ、教皇マルティヌス5世により、嫡出子とされる(1432年7月29日)。
1466年
フェッランテ・ダラゴーナより、家名にアラゴンを加える権利を与えられ、紋章にも追加される。
1482年2月7日
ダクイーノからアルヴィニャーノの領地を総額1千6百ドゥカートで購入。この日イトリにて、アルヴィニャーノをクザーノの領地と交換で、王立評議員ベルナルド・デ・クラヴェリスに譲渡。
1482年3月27日
アルヴィニャーノとクザーノの領地交換がナポリ王国に承認される。
1428年
フランチェスカ・ディ・カプアと結婚。持参金2千ドゥカート。
1469年
カテリーナ・ピニャテッリと結婚。
肖像
埋葬地
サン・フランチェスコ・ディ・フォンディ
別表記
Onorato Gaetani dell’Aquila d'Aragona
外部リンク
ジョルダーノ・カエターニ Giordano Caetani
- 生没
- 1418年頃~1496年10月13日
- 没地
- ナポリ
- 父
- クリストフォロ・カエターニ
- 母
- ジョヴァンネッラ・デル・フォルノ
概要
ジョルダーノ・カエターニは、15世紀のイタリアの男性、ナポリ貴族。
在位
カプア大司教 1447年4月17日~1496年10月13日
アンティオキア総主教 1485年1月19日~1496年10月13日
サン・マーニョ修道院長 1440年?/1469年
年表
埋葬地
サンタ・ルチア・ディ・カプア
別表記
Giordano Gaetano
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Wikipedia
参考文献
スヴェヴァ・カエターニ Sveva Caetani
- 生没
- 1???年~14??年
- 父
- ルッジェーロ・カエターニ
- 夫
- ヤコベッロ・オルシーニ
- 子
- ライモンド・オルシーニ
マルゲリータ・オルシーニ
概要
スヴェヴァ・カエターニは、15世紀頃のイタリアの女性、庶子。
年表
1432年
ヤコベッロ・オルシーニと結婚。
外部リンク
オノラート・カエターニ Onorato Caetani
- 生没
- 1421年頃~1479年頃
- 父
- ヤコポ・カエターニ
- 母
- ジョヴァンネッラ・オルシーニ
- 妻
- カテリーナ・オルシーニ
- 子
- ニコラ・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
グリエルモ・カエターニ
ヤコペッラ・カエターニ
ポリッセーナ・カエターニ
概要
オノラート・カエターニは、15世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
在位
セルモネータ領主 1433年~1479年
年表
1421年頃
生。
1433年~
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ領主。
1437年2月
カテリーナ・オルシーニと結婚。
1444年~
この年から、アックアプッツァを幾度も失う。
1461年6月18日~
ナポリ王国首席書記官、国務長官。アンジュー家により任命され、後アラゴン家により解任される。
1464年10月12日
チステルナを購入。
1479年1月頃
この年の1月頃、死(1490年)。
別表記
Honoratus II
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
RootsWeb.com
参考文献
バルダッサーレ・カエターニ Baldassare Caetani
- 生没
- 1443年以前~1480年頃
- 父
- オノラート2世・カエターニ
- 母
- フランチェスカ・ディ・カプア
- 妻
- アントネッラ・カラッチオーロ
- 子
- ベアトリーチェ・カエターニ
ラウラ・カエターニ
マンデッラ・カエターニ
アロニャーザ・カエターニ?
概要
バルダッサーレ・カエターニは、15世紀のイタリアの男性、ナポリ貴族。
在位
モルコーネ伯 1443年10月28日~
初代トラエット伯
年表
1443年6月28日
アントネッラ・カラッチオーロと結婚。
別表記
Baldassarre
外部リンク
ピエルベルナルディーノ・カエターニ Pierbernardino Caetani
- 生没
- 1458年~1492年以降
- 父
- オノラート2世・カエターニ
- 母
- フランチェスカ・ディ・カプア
- 妻
- コスタンツァ・オルシーニ
- 子
- カミッラ・カエターニ
オノラート3世・カエターニ
ヤコポ・カエターニ
ルイジ・カエターニ
概要
ピエルベルナルディーノ・カエターニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1492年
ナポリのオーヴォ城に投獄される。
別表記
Pietro Bernardino Caetani
外部リンク
ニコラ・カエターニ Nicola Caetani
- 生没
- 1440年頃~1494年7月26日
- 没地
- セルモネータ
- 父
- オノラート・カエターニ
- 母
- カテリーナ・オルシーニ
- 妻
- エレオノーラ・オルシーニ
- 子
- ベルナルディーノ・カエターニ
ロアザ・カエターニ
概要
ニコラ・カエターニは、15世紀のイタリアの男性、教皇庁首席書記官、傭兵隊長。
在位
セルモネータ領主 1479年~
年表
1440年頃
生。
1464年~
ナポリ王フェッランテ・ダラゴーナにより、マッキア・ディゼルニアとモンテロドゥーニの封建領主に封ぜられる。
1478年
この年以前、エレオノーラ・オルシーニと結婚。
1479年~
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート領主。
1494年7月26日
セルモネータに戻る途中、ラテラノ教会の参事マッテオ・ダ・ペーザロによって毒殺される。
外部リンク
Condottieri di ventura
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
ジョヴァンナ・カエターニ Giovanna Caetani
- 生没
- 1442年頃~
- 父
- オノラート・カエターニ
- 母
- カテリーナ・オルシーニ
- 夫
- ピエル・ルイジ・ファルネーゼ
- 子
- アンジェロ・ファルネーゼ
ジローラマ・ファルネーゼ
パウルス3世
バルトロメオ・ファルネーゼ
ジューリア・ファルネーゼ
概要
ジョヴァンナ・カエターニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1464年3月
イスキアにて、ピエル・ルイジ・ファルネーゼと結婚。
1487年
投獄される。
1493年10月
カポディモンテの城で主催するファルネーゼ家の集まりに教皇アレクサンデル6世とチェーザレ・ボルジア枢機卿を招待。この集まりが実際に行われたのかは不明。アレクサンデル6世は10月末にはヴィテルボにいた。
1493年10月26日
カポディモンテにて、娘婿の兄弟ロレンツォ・プッチとジャンノッツォ・プッチ宛てに手紙をしたため、息子アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿が到着し、娘ジローラマ・ファルネーゼを待っていることを伝える。
15??年
死。
別表記
ジョヴァンナ・ガエターニ・ディ・シモネッタ、Giovanella
外部リンク
JDA's Family Tree
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Google Books
RootsWeb.com
参考文献
ヤコポ・カエターニ Jacopo Caetani
- 生没
- 1449年12月25日~1500年7月5日
- 父
- オノラート・カエターニ
- 母
- カテリーナ・オルシーニ
概要
ヤコポ・カエターニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、教皇庁首席書記官。
年表
1499年9月22日
アレクサンデル6世により、破門される。教皇庁での地位の剥奪され、資産を没収される。
1499年
1499年11月23日
ヤコポ・カエターニと弟グリエルモ・カエターニに対する裁判が開始される。判事は、ローマ知事、レッジョ大司教ピエトロ・イスヴァリエス、ノチェーラ司教マッテオ・バルデスキ、元老院議員ジューリオ・スコルツィアーリ。先の教皇勅書には含まれていなかったが、兄ニコラ・カエターニを毒殺したという告発も行われる。ヤコポ・カエターニは拷問を受けて告白。後にローマの公証人に秘密裏に送った声明で撤回。
1500年1月29日
判決は、弟グリエルモ・カエターニは死刑、ヤコポ・カエターニは自白により終身刑に減刑される。
1500年7月5日
サンタンジェロ城にて、毒殺(1500年7月9日)。
母カテリーナ・オルシーニと妹たちによって、テヴェレ川の島にあるサン・バルトロメオに葬られる。
別表記
Giacomo Gaetani
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
グリエルモ・カエターニ Guglielmo Caetani
- 生没
- 1465年~1519年12月
- 出身
- ローマ
- 没地
- ローマ
- 父
- オノラート・カエターニ
- 母
- カテリーナ・オルシーニ
- 妻
- フランチェスカ・コンティ
- 子
- ジローラモ・カエターニ
カミッロ・カエターニ
エルシーリア・カエターニ
オノラート・カエターニ
概要
グリエルモ・カエターニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長、ナポリ貴族。
在位
ティヴェーラ、サン・フェリーチェ領主
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート共同領主 1494年~1499年
セルモネータ公 1504年1月24日~1519年
年表
1465年
生(1462年以降、1475年頃)。
1482年
傭兵隊長としてシクストゥス4世に年俸4百80フィオリーノで雇われる。
1484年8月12日
シクストゥス4世、死。
1485年6月
1485年6月28日
チヴィタ・ラティーナの戦いに参加し、パオロ・ヴィテッリ指揮下のオルシーニ軍に敗北。
1485年
カエターニの領地であるチステルナ、ニンファ、セルモネータが侵略され、約1万2千頭の牛が略奪される。
インノケンティウス8世の融和的介入により休戦に同意。
1485年9月4日
兄ニコラ・カエターニ、ヤコポ・カエターニと共に、プロスペロ・コロンナ及びファブリツィオ1世・コロンナと同盟。
1487年12月18日
花嫁のおじであるマッサ司教ジローラモ・コンティが代理人を務め、フランチェスカ・コンティと代理結婚。
1490年1月10日
フランチェスカ・コンティと結婚式。持参金は4千ドゥカート。
1494年7月26日
兄ニコラ・カエターニ、暗殺される。
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート領主。甥ベルナルディーノ・カエターニと共同。
1494年7月29日
アレクサンデル6世により、故ニコラ・カエターニの兵士60名の傭兵契約を帰属される。
1494年10月
アレクサンデル6世により、ローマに向かっているアルフォンソ2世・ダラゴーナ軍の指揮下に入るよう命じられる。また、セルモネータが行軍中の軍への物資、大砲輸送のための水牛と、ポンティーノ湿原を横断するために必要な工事の人夫を提供するよう命じられる。
149?年
1495年
シャルル8世がナポリから撤退している間、グリエルモ・カエターニはフランス軍の帰還を阻止する教皇軍に属す。
フォルノーヴォの戦い後、プロスペロ・コロンナとファブリツィオ1世・コロンナとフアン・ボルジアの指揮下で教皇軍の作戦に参加し、ナポリ王国に残ったジルベール・ド・ブルボン指揮のフランス守備隊に対する長期ゲリラ戦をアラゴン軍と共に戦う。
1497年4月
アレクサンデル6世の不興を買い、深刻な経済的困難に陥った甥アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿に銀製品を貸し出す。
1499年
セルモネータとバッシアーノの家臣を脅かすセッツェに対して、グリエルモ自身が軍を率いて反撃。
アレクサンデル6世はラグサ大司教ジョヴァンニ・サッコを介して、停戦させる。しかし一方で、セッツェ市民に再び反乱を起こすように促す。
停戦協定が破られたことを兄ヤコポ・カエターニがアレクサンデル6世に訴えると、自己防衛を助言される。
兵5百を率いてセッツェの住民を虐殺。
1499年9月22日
アレクサンデル6世により、破門される。封建的特権が剥奪され、資産を没収される。
1499年
教皇庁の役人であるジェレミア・ダ・ヴォルテッラによって封地を没収される。
カエターニ城で教皇軍と対峙するが、防戦に失敗。
長男ジローラモ・カエターニは教皇軍に殺害される。
母カテリーナ・オルシーニと妻フランチェスカ・コンティはローマに留まる。
次男カミッロ・カエターニはピティリアーノへ逃亡。
甥ベルナルディーノ・カエターニは、ナポリ王国のモンテロドゥーニにあるカエターニ家が所有していた城に避難。
1499年11月23日
グリエルモ・カエターニとヤコポ・カエターニに対する裁判が開始される。判事は、ローマ知事、レッジョ大司教ピエトロ・イスヴァリエス、ノチェーラ司教マッテオ・バルデスキ、元老院議員ジューリオ・スコルツィアーリ。先の教皇勅書には含まれていなかったが、兄ニコラ・カエターニを毒殺したという告発も行われる。
1500年1月29日
判決は、グリエルモ・カエターニは死刑、ヤコポ・カエターニは自白により終身刑に減刑される。
1500年2月
没収されたセルモネータがルクレツィア・ボルジアに売却される。
最終的に、本家没落の影響から、分家であるマエンツァのカエターニ家、フィレッティーノのカエターニ家、チェッカーノ、ソンニーノ、ファルバテッラのカエターニ・ダラゴーナ家の領地も教皇の統治下となる。
1500年5月25日
ヴェネツィア共和国に雇傭されようとしたようで、この日のマリン・サヌードの記録によれば、アレクサンデル6世はヴェネツィア共和国の外交官にグリエルモ・カエターニを解雇するよう要請している。
150?年
アレクサンデル6世はマントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガに圧力をかけるが、侯爵は要求に応じず。
1501年2月
アレクサンデル6世はルイ12世の介入を要求し、フランチェスコ2世・ゴンザーガはグリエルモ・カエターニの領土滞在を拒絶せざるを得ず。
1501年
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の宮廷を新しい避難所として選んだ際、フランチェスコ2世・ゴンザーガは手紙を書き、「彼は何の罪も犯しておらず、教皇領の相続財産を奪われ、惨めで屈辱的な状況にある」とグリエルモ・カエターニのの安全を推薦。
1503年2月
この時までにマントヴァの宮廷に戻る。甥ベルナルディーノ・カエターニの死を知る。セルモネータの支配権を継承することが確定。
1503年8月18日
アレクサンデル6世、死。
1503年8月31日
母カテリーナ・オルシーニと妻フランチェスカ・コンティが家臣によってセルモネータに呼び戻される。
娘とセルモネータ公ロドリゴ・ダラゴーナを結婚させ、セルモネータを獲得しようとしたプロスペロ・コロンナの試みは無駄に終わる。
1503年9月6日
セルモネータに凱旋。
1503年
マントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガ指揮下のフランス軍とゴンザロ・デ・コルドバ指揮下のスペイン軍がナポリ王国国境に駐留したことにより、自分の立場を明確にすることを余儀なくされ、マントヴァ侯への恩義のためフランスを支持。
1503年12月29日
1503年~1504年
ナポリ王国の親類、ガエターニ・ダラゴーナ、多数のマントヴァ人を含むフランス軍の敗残兵をセルモネータに迎え入れ、助ける。
ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ枢機卿を教皇に推挙するため、甥アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿の影響力を利用。
1504年1月24日
教皇ユリウス2世により、有罪判決が無効にされ、カエターニ家の全資産が回復され、セルモネータ公として復帰(1503年、1512年)。
1504~1519年
ユリウス2世の軍事行動が頻繁に行われる間、多くのローマ貴族は教皇軍に従事するが、グリエルモ・カエターニは政治的な闘争から距離を置く。
セルモネータ近くのサン・フランチェスコ修道院を聖別し、おそらく建設。
セルモネータ公国に新法を発布。行政を再編し、近隣諸国との関係を調整。
チステルナに住民を移住させる。
サン・フェリーチェ・チルチェーオの沿岸部を海賊の襲撃から守るために要塞を建設。
開墾と農業の経営改善のために重要な措置を講じる。
1506年
荒廃したサン・フェリーチェに住民の一部を連れ戻し、町の再建を試みる。
1510年
メザーニェの境界をめぐってセッツェと争う。
1512年
前セルモネータ公ロドリゴ・ダラゴーナ、死。
1513年10月
ポンティーノ湿原の干拓に関与し、教皇レオ10世及びテッラチーナと協定を締結。教皇庁主導の湿地開発計画の支援を約束。
1514年
レオ10世はポンティーノ湿原を収用し、開発にかかる費用とその利益を弟ジュリアーノ・デ・メディチに割り当てる。
1515年
セルモネータのヴァルヴィシオーロ修道院の所有者 ピエトロ・カエターニ・ディ・マエンツァ を中心とするマエンツァのカエターニ家が、セルモネータに対する古い権利を主張。カエターニ城を占領し、グリエルモ・カエターニとカミッロ・カエターニを暗殺しようと企む。
1516年頃
フォリアーノ近くの漁場に関してマエンツァのカエターニ家との武力衝突。
1516年1月21日
セルモネータにて、遺言書を作成し、カエターニ家の名が続くよう男系継承を指示。遺言執行者は、フランチェスコ・アルメッリーニ枢機卿と、甥アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿。
1517年
政争から距離を置き、賢明な統治をしたことで財政状況を大幅に向上。キージ家と連携して銀行業を展開。
この年、レオ10世と、6千ドゥカート相当のメディチ家の宝飾品を担保に、4千ドゥカートの貸金契約を結ぶ。
その他、アレッサンドロ・チェザリーニ枢機卿、甥アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿、傭兵隊長アンニーバレ・ランゴーニ、ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレに融資。
1517年
マエンツァのカエターニ家がカエターニ城を占領し、グリエルモ・カエターニとカミッロ・カエターニを暗殺しようと企む。
1519年11月
マエンツァのカエターニ家がカエターニ城を占領し、グリエルモ・カエターニとカミッロ・カエターニを暗殺しようと企む。領土の境界問題など対立するスペイン派のコロンナ家のプロスペロ・コロンナもこれに参加。
コロンナ家の武力介入の問題について枢機卿団に直接関与するよう要請し、ジューリオ・デ・メディチ枢機卿が担当。
1519年12月
ローマに行く。
裁判が終わる前に、死。事件は不問にされる。
外部リンク
JDA's Family Tree
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
RootsWeb.com
Treccani
Wikipedia
参考文献
『ルネサンスの華』
『Lucretia Borgia』
ヤコペッラ・カエターニ Jacopella Caetani
- 生没
- 14??年~1504年1月以降
- 父
- オノラート・カエターニ
- 母
- カテリーナ・オルシーニ
- 夫
- パオロ・マルガーニ
概要
ヤコペッラ・カエターニは、15世紀から16世紀のイタリアの女性。
年表
1484年5月
パオロ・マルガーニと結婚(1484年12月)。
別表記
Iacobella Gaetani dell'Aquila
外部リンク
Claudio Valerio Gaetani
Google Books
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
マンデッラ・カエターニ Mandella Caetani
- 生没
- 14??年~1487年9月7日以降
- 父
- バルダッサーレ・カエターニ
- 母
- アントネッラ・カラッチオーロ
- 夫
- ジローラモ・サンセヴェリーノ
- 子
- ゴッツォリーナ・サンセヴェリーノ
ベルナルディーノ・サンセヴェリーノ
ヤコポ・サンセヴェリーノ
オノラート・サンセヴェリーノ
トンマーゾ・サンセヴェリーノ
ラウラ・サンセヴェリーノ
スヴェヴァ・サンセヴェリーノ
?・サンセヴェリーノ
概要
マンデッラ・カエターニは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1465年
マンデッラ・カエターニと結婚。持参金1万2千ドゥカート。
別表記
Giovannella、Banella
外部リンク
オノラート3世・カエターニ Onorato III Caetani
- 生没
- 14??年~1528年
- 父
- ピエルベルナルディーノ・カエターニ
- 母
- コスタンツァ・オルシーニ
- 妻
- ルクレツィア・ダラゴーナ
- 子
- フェデリーコ・カエターニ
ルイジ・カエターニ
ニコラ・カエターニ
イザベッラ・カエターニ
ポルツィア・カエターニ
ベアトリーチェ・カエターニ
フェルディナンド・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
概要
オノラート3世・カエターニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
年表
1493年11月
ナポリにて、ルクレツィア・ダラゴーナと結婚。
外部リンク
Condottieri di ventura
Genealogy.EU
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
ベルナルディーノ・カエターニ Bernardino Caetani
- 生没
- 14??年~1502年
- 父
- ニコラ・カエターニ
- 母
- エレオノーラ・オルシーニ
概要
ベルナルディーノ・カエターニは、15世紀のイタリアの男性。
在位
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート共同領主 1494年~1499年
年表
1494年?~
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート領主。叔父グリエルモ・カエターニと共同。
1499年9月22日
アレクサンデル6世により、破門される。封建的特権が剥奪され、資産を没収される。
1499年
ナポリ王国のモンテロドゥーニにあるカエターニ家が所有していた城に避難。
1502年
チェーザレ・ボルジアの命により、殺害される(1500年5月下旬)。
別表記
ベルナルディノ・ガエタニ、Bernardino Maria
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『Lucretia Borgia』
カミッロ・カエターニ Camillo Caetani
- 生没
- 1494年?~1550年10月7日
- 没地
- セルモネータ
- 父
- グリエルモ・カエターニ
- 母
- フランチェスカ・コンティ
- 妻
- ベアトリーチェ・カエターニ
フラミーニア・サヴェッリ - 子
- ボニファチオ1世・カエターニ
グリエルモ・カエターニ
ニッコロ・カエターニ
アッティーリオ・カエターニ
概要
カミッロ・カエターニは、16世紀のイタリアの男性。
年表
外部リンク
ベアトリーチェ・カエターニ Beatrice Caetani
- 生没
- 14??年~1523年以前
- 父
- オノラート3世・カエターニ
- 母
- ルクレツィア・ダラゴーナ
- 夫
- カミッロ・カエターニ
- 子
- ボニファチオ1世・カエターニ
グリエルモ・カエターニ
概要
ベアトリーチェ・カエターニは、15世紀から16世紀のイタリアの女性。
年表
1513年1月
カミッロ・カエターニと結婚(1514年2月1日以前)。
外部リンク
ボニファチオ1世・カエターニ Bonifacio I Caetani
- 生没
- 1516年頃~1574年3月1日
- 父
- カミッロ・カエターニ
- 母
- ベアトリーチェ・カエターニ
- 妻
- カテリーナ・ピオ
コスタンツァ・ガッディ - 子
- オノラート4世・カエターニ
ジョヴァンナ・カエターニ
エンリコ1世・カエターニ
カミッロ2世・カエターニ
ベアトリーチェ・カエターニ
チェチーリア・カエターニ
イザベッラ・カエターニ
概要
ボニファチオ1世・カエターニは、16世紀のイタリアの男性。
年表
別表記
Bonifazio I
外部リンク
オノラート4世・カエターニ Onorato IV Caetani
- 生没
- 1542年~1592年11月9日
- 父
- ボニファチオ1世・カエターニ
- 母
- カテリーナ・ピオ
- 妻
- アニェーゼ・コロンナ
- 子
- ピエトロ3世・カエターニ
フィリッポ1世・カエターニ
アントーニオ・カエターニ
ボニファチオ2世・カエターニ
グレゴーリオ・カエターニ
グリエルモ・カエターニ
ルッジェーロ・カエターニ
ベネデット・カエターニ
概要
オノラート4世・カエターニは、16世紀のイタリアの男性。
年表
外部リンク
ピエトロ3世・カエターニ Pietro III Caetani
- 生没
- 1562年頃~1614年8月12日
- 父
- オノラート4世・カエターニ
- 母
- アニェーゼ・コロンナ
- 妻
- フェリーチェ・マリーア・オルシーニ
概要
ピエトロ3世・カエターニは、16世紀から17世紀のイタリアの男性。
年表
1593年6月
外部リンク
ミケランジェロ1世・カエターニ Michelangelo I Caetani
- 生没
- 1685年5月8日~1759年12月21日
- 出身
- ローマ
- 没地
- チステルナ・ディ・ラティーナ
- 父
- ガエターノ・フランチェスコ・カエターニ
- 母
- コスタンツァ・バルベリーニ
- 妻
- アンナ・マリーア・ストロッツィ
エレーナ・アルバーニ
カルロッタ・オンデデイ - 子
- フィリッポ・カエターニ
コスタンツァ・カエターニ
フランチェスコ・カエターニ
フランチェスコ5世・カエターニ
エンリコ・アントーニオ・カエターニ
オノラート・カエターニ
エンリケッタ・カエターニ
マリーア・カエターニ
マリアンナ・カエターニ
概要
ミケランジェロ1世・カエターニは、17世紀~18世紀のイタリアの男性。
在位
第10代セルモネータ公
外部リンク
オノラート・カエターニ Onorato Caetani
- 生没
- 1742年12月17日~1797年6月26日
- 出身
- ローマ
- 没地
- ローマ
- 父
- ミケランジェロ1世・カエターニ
- 母
- カルロッタ・オンデデイ
概要
オノラート・カエターニは、16世紀のイタリアの男性、ローマの貴族。
在位
ヴァルヴィスチオーロ修道院長 1764年7月1日~
ソプラヌメラーリオ教会首席書記官 1772年7月19日~
マルタ騎士団騎士 1779年3月~
年表
1742年12月17日
ローマにて、生(1742年12月23日)。
1769年
クレメンス14世のコンクラーヴェで、フェルディナンド・ガリアーニと初めて出会い、それ以来、古代のメダルや骨董品に関する共通の興味を持つ友人として関係を築く。
1781年5月23日
スペイン大使グリマルディ侯爵のローマの宮殿でフェルディナンド・ガリアーニを訪問し、ボルジア猊下がナポリで見たというチェーザレ・ボルジアの剣について尋ね、見せてもらう。
1787年10月30日
1787年11月17日
ローマにて、フェルディナンド・ガリアーニの遺言執行者であるフランチェスコ・アッツァーリティ宛てに手紙を書く。同時にチェーザレ・ボルジアの剣の購入代金3百ナポリ・ドゥカートを郵送人に持たせる。
チェーザレ・ボルジアの剣はセルモネータのカエターニ城に保管すると約束していたが、ローマのマッテイ・カエターニ宮殿に置かれたままとなる。
別表記
Onorato VI Caetani
外部リンク
ミケランジェロ・カエターニ Michelangelo Caetani
- 生没
- 1804年3月20日~1882年12月12日
- 出身
- ローマ
- 没地
- ローマ
- 父
- エンリコ・カエターニ
- 母
- テレーザ・デ・ロッシ
- 妻
- カリクスタ・ジェヴスカ
マーガレット・ナイト
ハリエット・エリス - 子
- エルシーリア・カエターニ
オノラート・カエターニ
概要
ミケランジェロ・カエターニは、19世紀のイタリアの男性。
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Wikipedia
参考文献
記載日
2010年9月28日
更新日
2023年10月29日