Pucci

プッチ家

プッチョ・プッチ Puccio Pucci

生没
1389年9月1日~1449年5月7日
出身
フィレンツェ
アントーニオ・プッチ
バルトロメア・デル・ジョコンド
アントーニオ・プッチ
ディオニージオ・プッチ
概要

 プッチョ・プッチは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

在職

 正義の旗手 1447年9月~10月

年表

1433年9月29日
バーリアは、メディチ家の追放を具体的に決める。メディチ派リーダーのジョヴァンニ・プッチ、プッチョ・プッチをアクイラに10年追放とする。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アントーニオ・プッチ Antonio Pucci

生没
1418年3月8日~1484年11月
没地
ピサ
プッチョ・プッチ
ナンナ・マッテイ
マッダレーナ・ジーニ
ピエラ・マネッティ
ルクレツィア・プッチ
ジョヴァンニ・プッチ
セルヴァッジア・プッチ
プッチョ・プッチ
アレッサンドロ・プッチ
オレッタ・プッチ
ロレンツォ・プッチ
ジャンノッツォ・プッチ
ロベルト・プッチ
ピエロ・プッチ
レーナ・プッチ
ナンニーナ・プッチ
アレッサンドラ・プッチ
概要

 アントーニオ・プッチは、15世紀のイタリアの男性。

在職

 正義の旗手 1463年1月~2月、1481年1月~2月

年表

1458年8月
妻マッダレーナ・ジーニ、ロレンツォ・プッチ出産時に死。
1459年

別表記

 エ・アントーニオ・ディ・プッチョ、e Antonio di Puccio

外部リンク

 Images and identity in fifteenth-century Florence
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『Lucretia Borgia

ジョヴァンニ・プッチ Giovanni Pucci

アントーニオ・プッチ
バルトロメア・デル・ジョコンド
フランチェスコ・プッチ
ヤコポ・プッチ
概要

 ジョヴァンニ・プッチは、14~15世紀頃のイタリアの男性、メディチ派リーダー。

年表

1433年9月29日
バーリアは、メディチ家の追放を具体的に決める。メディチ派リーダーのジョヴァンニ・プッチ、プッチョ・プッチアクイラに10年追放とする。

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アレッサンドロ・プッチ Alessandro Pucci

生没
145?年~
アントーニオ・プッチ
マッダレーナ・ジーニ
シビッラ・サッセッティ
ラッファエーレ・プッチ
フランチェスコ・プッチ
アントーニオ・プッチ
概要

 アレッサンドロ・プッチは、15~16世紀頃のイタリアの男性。

年表

1481年

アントーニオ・プッチ Antonio Pucci

生没
1350年頃~1416年以降
プッチョ・プッチ
バルトロメア・デル・ジョコンド
ルチア・オルランディーニ
プッチョ・プッチ
ジョヴァンニ・プッチ
ニッコロ・プッチ
ベニンテンディ・プッチ
概要

 アントーニオ・プッチは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

年表

1384年
バルトロメア・デル・ジョコンドと結婚。
1401年
ルチア・オルランディーニと結婚。

外部リンク

 Wikipedia

エミリオ・プッチ Emilio Pucci

生没
1914年11月20日~1992年11月29日
ラウドミア・プッチ
概要

 エミリオ・プッチは、20世紀の男性。

外部リンク

 ウィキペディア
 Emilio Pucci

ジャンノッツォ・プッチ Giannozzo Pucci

生没
1460年~1497年8月21日
アントーニオ・プッチ
ピエラ・マネッティ
スメラルダ・デル・モンテ・サンタ・マリア
ルクレツィア・ビーニ
概要

 ジャンノッツォ・プッチは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1482年8月
妻スメラルダ・デル・モンテ・サンタ・マリア、死。
1483年
ルクレツィア・ビーニと結婚。
1497年8月5日
メディチ派の陰謀。メディチ家復辟の陰謀が発覚し、官職の指導的地位を占める有力者を含む多数の者が逮捕される。
陰謀の首謀者として死刑を宣告されたベルナルド・デル・ネロニッコロ・リドルフィ、ジャンノッツォ・プッチ、ロレンツォ・トルナブオーニジョヴァンニ・カンビの5名、1495年3月19日の法によりコンシーリオ・マッジョーレへ提訴。
緊迫した険悪な空気が広まる中で市民の陰謀への恐怖と首謀者への憎悪募り、その提訴権の否認、反逆者への復讐の声が高まる。

別表記

 ジャンノッツォ・ディ・アントーニオ・プッチ、ジァノッツォ・プッチ

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

パンドルフォ・プッチ Pandolfo Pucci

生没
1509年11月29日~1560年1月2日
出身
フィレンツェ
ロベルト・プッチ
ディアノーラ・レンツィ
ラウドミア・グィッチャルディーニ
カッサンドラ・ダ・ガリアーノ
オラツィオ・プッチ
ロベルト・プッチ
ディアノーラ・プッチ
ヴィルジーニア・プッチ
ポルツィア・プッチ・プッチ
エミリオ・プッチ・プッチ
アレッサンドロ・プッチ
アスカーニオ・プッチ
カッサンドラ・プッチ
概要

 パンドルフォ・プッチは、16世紀頃のイタリアの男性。

年表

1534年
ラウドミア・グィッチャルディーニと結婚(1533年)。
1543年4月18日
カッサンドラ・ダ・ガリアーノと結婚。
15??年
コジモ1世・デ・メディチの宮廷で、何らかの不道徳行為を指摘されて政界から追放される。一説には共和国制度の復活を訴えたためにコジモ1世・デ・メディチの反感を買ったとも言われる。
1559年
パウルス4世の死(1559年8月)後この頃までの間に、政界追放を根に持ち復讐するため、あるいは共和国政復活という政治イデオロギーに則ってコジモ1世・デ・メディチに対して陰謀を計画するが、露見。
1560年1月2日
絞首刑に処される。他、Stordo Cavalcantiら3名が斬首され、Bernardo CorbinelliIacopo Corbinelli兄弟が1560年叛徒として追放される。

外部リンク

 不埒な天国
 Treccani

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ロベルト・プッチ Roberto Pucci

生没
1464年5月29日~1547年1月17日
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
アントーニオ・プッチ
ピエラ・マネッティ
ディアノーラ・レンツィ
ジャンノッツォ・プッチ
パンドルフォ・プッチ
マリーア・プッチ
アントーニオ・プッチ
概要

 ロベルト・プッチは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1542年6月2日~

年表

1491年12月
ディアノーラ・レンツィと結婚。

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

プッチョ・プッチ Puccio Pucci

生没
1453年4月5日~1494年8月31日
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
アントーニオ・プッチ
マッダレーナ・ジーニ
ジローラマ・ファルネーゼ
概要

 プッチョ・プッチは、15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の弁護士。

年表

1453年4月5日
フィレンツェにて、生(1460年10月)。
サン・ジョヴァンニ地区の父の家に住む。
1483年
1485年
この頃から父から受け継いだ不動産管理を、兄弟ロレンツォ・プッチアレッサンドロ・プッチと共に共同で行う。
1492年8月11日
妻の妹ジューリア・ファルネーゼの教皇との関係から、この後すぐフィレンツェ共和国により、教皇に恭順を示すための全権大使として派遣される。
1493年春
ファエンツァコッミッサーリオとして派遣され、アストッレ3世・マンフレディ政権を維持するためファエンツァ政府を監視。
1493年5月21日
ファエンツァにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。謁見室に入ると、ヤコポ・フェオが窓台に腰掛けており、真紅の絹の上着に錦の外套を羽織り、明るい茶色の巻き毛が襟にかかっていた。カテリーナ・スフォルツァは背もたれの広い玉座に座し、白いダマスク織の絹を着て、黒い襟巻が彼女の白磁のような肌を強調。「2人だけの世界といった様子でした」。ベルナルディーノ・カルロ・フェオと跳ね回っていたフランチェスコ・スフォルツィーノ・リアリオがこけて膝と頭にけがを負い、ユダヤ人医師ラザルスに運ばれていった。
1493年5月22日
夜3刻、ファエンツァにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。カテリーナ・スフォルツァは恋人ヤコポ・フェオと一緒にいられるなら全てを犠牲にするつもりである。「カテリーナ・スフォルツァ伯爵夫人はヤコポ・フェオを失うくらいなら、子供たち、友好国、財産を葬り、悪魔に魂を売り、トルコに国を売ってしまうことでしょう。」
1493年5月24日
ファエンツァにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。カテリーナ・スフォルツァを取り巻く政治状況について考察。
1493年5月25日
夜7刻、ファエンツァにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。ヤコポ・フェオのせいで陥ったカテリーナ・スフォルツァの惨めな状況。何らかの事件が不可避。
1494年1月13日
この頃か少し以前、ローマへの大使に任命される。
1494年6月16日
ローマにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年7月13日
ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年8月11日
ローマにて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年8月31日
ローマで没(1494年9月)。

外部リンク

 Google Books - The Tigress of Forlì
 the borgias ITALIA
 Treccani

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2021年1月20日