ルイジ・グイッチャルディーニ Luigi Guicciardini

- 生没
- 1346年頃~1403年2月3日
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ピエロ・ディ・ギーノ・グイッチャルディーニ
- 母
- テッサ・バルディ
- 妻
- コスタンツァ・ストロッツィ
- 子
- ニッコロ・グイッチャルディーニ
ピエロ・グイッチャルディーニ
ジョヴァンニ・グイッチャルディーニ
マルゲリータ・グイッチャルディーニ
カテリーナ・グイッチャルディーニ
テッサ・グイッチャルディーニ
マリーア・グイッチャルディーニ
概要
ルイジ・グイッチャルディーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
在職
正義の旗手 1378年7月~8月、1387年11月~12月、1401年11月~12月
年表
1403年2月3日
フィレンツェにて、死(1402年)。
別表記
ルイジ・ディ・ピエロ・グイッチャルディーニ
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『イタリア史』
ピエロ・グイッチャルディーニ Piero Guicciardini

- 生没
- 1376年~1441年
- 出身
- フィレンツェ
- 父
- ルイジ・グイッチャルディーニ
- 母
- コスタンツァ・ストロッツィ
- 妻
- ラウドミア・アッチャイウオリ
ジョヴァンナ・ヴァローリ
アニョーラ・ブォンデルモンティ - 子
- ルイジ・グイッチャルディーニ
ヤコポ・グイッチャルディーニ
ニッコロ・グイッチャルディーニ
マッダレーナ・グイッチャルディーニ
ラウドミア・グイッチャルディーニ
コスタンツァ・グイッチャルディーニ
概要
ピエロ・グイッチャルディーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
在職
正義の旗手 1421年11月~12月、1435年11月~12月、1439年3月~4月
年表
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
ジョヴァンニ・グイッチャルディーニ Giovanni Guicciardini

- 生没
- 1385年10月1日~1435年4月
- 出身
- フィレンツェ
- 父
- ルイジ・グイッチャルディーニ
- 母
- コスタンツァ・ストロッツィ
- 妻
- エリザベッタ・ソデリーニ
レーナ・アルビッツィ - 子
- ニッコロ・グイッチャルディーニ
ミケーレ・グイッチャルディーニ
フランチェスコ・グイッチャルディーニ
ガブリエーレ・グイッチャルディーニ
ルイジ・グイッチャルディーニ
ディアノーラ・グイッチャルディーニ
コスタンツァ・グイッチャルディーニ
レーナ・グイッチャルディーニ
エリザベッタ・グイッチャルディーニ
概要
ジョヴァンニ・グイッチャルディーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
外部リンク
カテリーナ・グイッチャルディーニ Caterina Guicciardini

- 生没
- 13??年~
- 父
- ルイジ・グイッチャルディーニ
- 母
- コスタンツァ・ストロッツィ
- 夫
- ?・グイデッティ
ロレンツォ・リドルフィ
概要
カテリーナ・グイッチャルディーニは、14世紀頃のイタリアの女性。
年表
1396年
ロレンツォ・リドルフィと結婚。
ルイジ・グイッチャルディーニ Luigi Guicciardini

- 生没
- 1407年5月25日~1487年
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ピエロ・グイッチャルディーニ
- 母
- アニョーラ・ブオンデルモンティ
- 妻
- ニコローザ・ペルッツィ
ピッパ・パレンティ
ナンナ・ヴェスプッチ
ルドヴィーカ・ヴェンチュリ - 子
- コーザ・グイッチャルディーニ
アニョーラ・グイッチャルディーニ
ビアンカ・グイッチャルディーニ
リニエーリ・グイッチャルディーニ
概要
ルイジ・グイッチャルディーニは、15世紀のイタリアの男性。
在職
正義の旗手 1453年3月~4月、1457年11月~12月、1473年3月~4月
年表
1466年3月8日
フランチェスコ1世・スフォルツァが没し、ミラノで政変が起こる可能性が危惧されたため、ベルナルド・ジューニと共にミラノへ派遣される。無事に新ミラノ公となったガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと外交折衝し、ミラノ公国の最も安定した収入源を提供することを担保に貸付金を送るよう要請する書簡をピエロ・イル・ゴットーソに届ける。
1426年
ニコローザ・ペルッツィと結婚。
1448年
ピッパ・パレンティと結婚。
14??年
ナンナ・ヴェスプッチと結婚。
1484年
ルドヴィーカ・ヴェンチュリと結婚。
埋葬地
フィレンツェ、サンタ・フェリーチタ教会
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
ヤコポ・グイッチャルディーニ Jacopo Guicciardini

- 生没
- 1422年1月23日~1490年5月17日
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ピエロ・グイッチャルディーニ
- 母
- アニョーラ・ブォンデルモンティ
- 妻
- グリエルメッタ・デ・ネルリ
- 子
- ピエロ・グイッチャルディーニ
マッダレーナ・グイッチャルディーニ
概要
ヤコポ・グイッチャルディーニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1422年1月23日
フィレンツェにて、生(1397年)。
1482年
フィレンツェに宮殿を購入。
1485年12月21日
1486年9月30日
この日までミラノに駐在。
148?年
ピエロ・ヴェットーリと共に、サルザーナのコッミッサーリオに任命される。
1487年6月22日
サルザーナがフィレンツェ共和国に降伏。
関連項目
外部リンク
参考文献
『逆光のメディチ』
『フィレンツェ史』
コスタンツァ・グイッチャルディーニ Costanza Guicciardini

- 生没
- 14??年~
- 父
- ジョヴァンニ・グイッチャルディーニ
- 夫
- ベルナルド・ペルッツィ
概要
コスタンツァ・グイッチャルディーニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1429~1434年
ベルナルド・ペルッツィと結婚。
別表記
Gostanza
外部リンク
コーザ・グイッチャルディーニ Cosa Guicciardini

- 生没
- 14??年~1530年4月25日
- 父
- ルイジ・グイッチャルディーニ
- 夫
- ピエロ・カッポーニ
- 子
- ニッコロ・カッポーニ
ジュリアーノ・カッポーニ
ジーノ・カッポーニ
マッダレーナ・カッポーニ
カミッラ・カッポーニ
概要
コーザ・グイッチャルディーニは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1466年7月5日
コーザ・グイッチャルディーニと結婚。
別表記
Nicolosa di Luigi Guicciardini
外部リンク
Google Books - Tavole cronologiche e sincrone della storia Fiorentina
ピエロ・グイッチャルディーニ Piero Guicciardini

- 生没
- 1454年6月9日~1513年12月21日
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ヤコポ・グイッチャルディーニ
- 母
- グリエルメッタ・デ・ネルリ
- 妻
- シモーナ・ジャンフィリアッツィ
- 子
- ルイジ・グイッチャルディーニ
コスタンツァ・グイッチャルディーニ
マッダレーナ・グイッチャルディーニ
ヤコポ・グイッチャルディーニ
ボンジャンニ・グイッチャルディーニ
ボンジャンニ・グイッチャルディーニ
ジローラモ・グイッチャルディーニ
ディアノーラ・グイッチャルディーニ
フランチェスコ・グイッチャルディーニ
概要
ピエロ・グイッチャルディーニは、1人息子。妻シモーナ・ジャンフィリアッツィとの間に10人の子をもうける。
年表
1475年
シモーナ・ジャンフィリアッツィと結婚。
1502年
十人委員会委員。
1509年10月下旬
ヴェローナに後退したマクシミリアン1世から軍資金を求められたため、彼のもとへ使節としてピエロ・ソデリーニの弟ジョヴァンニ・ヴェットーリオ・ソデリーニとピエロ・グイッチャルディーニを派遣。1509年10月24日2度に渡って献金することで合意し、即日、第1回分を献納。次回は1509年11月15日、マントヴァで献納することとなる。
1513年3月
ジョヴァンニ・デ・メディチの教皇即位の祝賀行事が市を挙げて盛大かつ華麗に繰り広げられる。
新教皇レオ10世に祝意と恭順の意を表する使節を派遣することにし、教皇の弟ジュリアーノ・デ・メディチ、大司教コジモ・デ・パッツィ、Giovanni Tornabuoni、ジョヴァンニ・バッティスタ・リドルフィ、ベルナルド・ルチェッライ、フィリッポ・ブォンデルモンティ、ベネデット・デ・ネルリ、ピエロ・グイッチャルディーニ、ロレンツォ・モレッリ、ネリ・カッポーニ(1452年~1519年)、ルカ・ダントーニオ・デリ・アルビッツィ、ルイジ・デッラ・ストゥファの12名が選出される。
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
ルイジ・グイッチャルディーニ Luigi Guicciardini

- 生没
- 1478年7月5日~1551年
- 出身
- フィレンツェ
- 父
- ピエロ・グイッチャルディーニ
- 母
- シモーナ・ジャンフィリアッツィ
- 妻
- イザベッラ・サッケッティ
- 子
- シモーナ・グイッチャルディーニ
ニッコロ・グイッチャルディーニ
ロレンツォ・グイッチャルディーニ
ピエロ・グイッチャルディーニ
マルゲリータ・グイッチャルディーニ
概要
ルイジ・グイッチャルディーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
在職
正義の旗手 1527年3月~4月
年表
1478年
政治家、政論家、ニッコロ・マキアヴェッリの友人ルイジ・グイッチャルディーニ、フィレンツェに生(1478年~1551年)。
1527年4月26日
「金曜日の騒乱」
午前:反メディチ派が、シニョーリア広場に集合し、市民への武器貸与を求めて気勢を上げる。正義の旗手でフランチェスコ・グイッチャルディーニの兄ルイジ・グイッチャルディーニは、市民が午後に規律を保ってシニョーリア広場に集まるなら武器を貸与すると布告。
コニャック同盟軍がフィレンツェ郊外に近づいたとの報が広まる。
正午:シルヴィオ・パッセリーニは、自身と同じくクレメンス7世の代理的地位を占める2人の枢機卿ニッコロ・リドルフィ、インノチェンツォ・チーボとイッポーリト・デ・メディチを同道して市外の同盟軍のもとに駆けつけ支援を求める。
午後:市内にシルヴィオ・パッセリーニが逃亡したとの噂広まり、急進的な青年ら数百名に続いて多数の市民が政庁宮を急襲。
ニッコロ・カッポーニやピエロ・サルヴィアーティらに率いられた市民の威圧の下で召集されたシニョーリアは、メディチ家の追放、全政治犯の赦免、解放、1512年以前の共和政への復帰を決議し布告。
夕刻~夜:1527年4月23日にフィレンツェに戻っていたフランチェスコ・グイッチャルディーニは、教皇の全権委員として、まず、同盟軍導入、叛徒攻撃の強硬意見を主張するFederico da Bozzoloに、強硬方針は事態をクレメンス7世にも同盟軍にも不利に導くと説き、人心を鎮静化する策をとることを認めさせる。次いで、彼と共にシルヴィオ・パッセリーニにも同様に説き、フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレら同盟軍指揮官らの協力も得て、シルヴィオ・パッセリーニに人心鎮静策を認めさせる。
フランチェスコ・グイッチャルディーニが作成し、フランチェスコ・ヴェットーリが手を加えた、降伏を申し出る叛徒はその罪を問われないとする条項を、市外に待機する圧倒的に強大な同盟軍の前に非力さを覚える反乱貴族、市民も受諾し、ヴェッキオ宮殿から退出。市民の武装蜂起を恐れるメディチ派も条項を受諾。シルヴィオ・パッセリーニや同盟軍指揮官らが条項に署名。
シニョーリアは午前の決議、布告を取り消し、共和政はあえなく終息。
1534年6月27日
アレッサンドロ・デ・メディチ、ルイジ・グイッチャルディーニ、フランチェスコ・グイッチャルディーニ兄弟にクレメンス7世亡き後のフィレンツェ支配体制の保全策を諮問。
1534年
アレッサンドロ・デ・メディチ、クレメンス7世死後の支配体制を固めるためルイジ・グイッチャルディーニ、フランチェスコ・グイッチャルディーニ兄弟、ロベルト・アッチャイウオリ、フランチェスコ・ヴェットーリを側近としてフィレンツェに集める。
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
『メディチ家の人々』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『Lost Girls』
ヤコポ・グイッチャルディーニ Jacopo Guicciardini

- 生没
- 1480年10月2日~1552年
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ピエロ・グイッチャルディーニ
- 母
- シモーナ・ジャンフィリアッツィ
- 妻
- カミッラ・バルディ
- 子
- マリーア・グイッチャルディーニ
イザベッラ・グイッチャルディーニ
アルジェンティーナ・グイッチャルディーニ
アニョーロ・グイッチャルディーニ
ジョヴァンニ・バッティスタ・グイッチャルディーニ
ロレンツォ・グイッチャルディーニ
ラッファエーレ・グイッチャルディーニ
ヴィンチェンツォ・グイッチャルディーニ
ルドヴィーコ・グイッチャルディーニ
ピエロ・グイッチャルディーニ
ロベルト・グイッチャルディーニ
概要
ヤコポ・グイッチャルディーニは、次男。
年表
1504年
カミッラ・バルディと結婚。
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
シモーナ・グイッチャルディーニ Simona Guicciardini

- 生没
- 1512年4月14日~
- 父
- フランチェスコ・グイッチャルディーニ
- 母
- マリーア・サルヴィアーティ
- 夫
- ピエロ・カッポーニ
概要
シモーナ・グイッチャルディーニは、16世紀頃のイタリアの女性。
年表
1528年
ピエロ・カッポーニと結婚(1527年)。
別表記
シモーネ、Simona Margherita Romola
外部リンク
Google Books - Storie fiorentine dal 1378 al 1509 - Francesco Guicciardini
Google Books - Marietta de'Ricci ovvero Firenze al tempo dell'assedio racconto storico
ラウドミア・グイッチャルディーニ Laudomia Guicciardini

- 生没
- 15??年~1541年8月8日
- 父
- フランチェスコ・グイッチャルディーニ
- 夫
- パンドルフォ・プッチ
- 子
- オラツィオ・プッチ
ロベルト・プッチ
ディアノーラ・プッチ
ヴィルジーニア・プッチ
ポルツィア・プッチ
概要
ラウドミア・グイッチャルディーニは、16世紀のイタリアの女性。
年表
1534年
パンドルフォ・プッチと結婚(1533年)。
エリザベッタ・グイッチャルディーニ Elisabetta Guicciardini

- 生没
- 1520年4月28日~
- 父
- フランチェスコ・グイッチャルディーニ
- 母
- マリーア・サルヴィアーティ
- 夫
- アレッサンドロ・カッポーニ
- 子
- カッサンドラ・カッポーニ
ジュリアーノ・カッポーニ
ルカ・カッポーニ
ピエロ・カッポーニ
フランチェスコ・カッポーニ
概要
エリザベッタ・グイッチャルディーニは、16世紀頃のフィレンツェの女性。
年表
1539年11月
アレッサンドロ・カッポーニと結婚(1537年)。
別表記
Lisabetta
外部リンク
カテリーナ・グイッチャルディーニ Caterina Guicciardini

- 生没
- ~14??年
- 父
- ダルダーノ・グイッチャルディーニ
- 母
- ティータ・ベニーノ
- 夫
- グレゴーリオ・ダーティ
スキアッタ・リドルフィ - 子
- アントーニオ・ダーティ
概要
カテリーナ・グイッチャルディーニは、14世紀頃のイタリアの女性。
年表
1421年2月3日(月)
持参金6百フィオリーノで、グレゴーリオ・ダーティと婚約。
1421年3月30日(日)
夫グレゴーリオ・ダーティの住居に、結婚式なしに嫁ぐ。
1435年9月17日
夫グレゴーリオ・ダーティ、死。
1436年
スキアッタ・リドルフィと結婚。
著作権切れ文献
外部リンク
記載日
2005年5月29日以前
更新日
2021年11月30日