フィリッポ・パンドルフィーニ Filippo Pandolfini
- 生没
- 13??年~
- 父
- ジョヴァンニ・パンドルフィーニ
- 妻
- ドーラ・ボスコリ
- 子
- アニョーロ・パンドルフィーニ
カテリーナ・パンドルフィーニ
概要
フィリッポ・パンドルフィーニは、14世紀頃のイタリアの男性。
外部リンク
アニョーロ・パンドルフィーニ Agnolo Pandolfini
- 生没
- 1363年~1446年1月
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- フィリッポ・パンドルフィーニ
- 母
- ドーラ・ボスコリ
- 妻
- ジネヴラ・ストロッツィ
- 子
- カルロ・パンドルフィーニ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
概要
アニョーロ・パンドルフィーニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、外交官、人文主義者。
在職
正義の旗手 1415年1月~2月、1420年5月~6月、1431年9月~10月
年表
1363年
フィレンツェにて、生(1360年)。
1393年
ジネヴラ・ストロッツィと結婚。
1398年
妻ジネヴラ・ストロッツィ、死。
1411年
和平交渉のため、ラディスラオ1世・ダンジオのもとへ派遣される。
1415年1月~2月
1416年12月
アンドレア・フォルテブラッチとマラテスタ家の調停者として、アニョーロ・ピエロ・グイッチャルディーニと共に活動。
1420年
1424年2月12日
アクイラ攻囲中のアンドレア・フォルテブラッチのもとに、フィレンツェ共和国にとって脅威であるロマーニャに分隊を増員するよう説得するため、アニョーロ・パンドルフィーニとアニョーロ・ピエロ・グイッチャルディーニが派遣される。
1424年2月
アンドレア・フォルテブラッチは同意したものの、アクイラを征服するまではロマーニャに向かうことには首肯せず。
1424年6月5日
1431年
1433年
ローマへ向かうのにフィレンツェ領内通行許可を出さず、怒りを買ったジギスムント・フォン・ルクセンブルクを宥めるため、派遣される。
1446年1月
死。
著作
家斉論(Governo della famiglia)
別表記
アニョロ・パンドルフィーニ、アーニョロ・パンドルフィーニ
外部リンク
Geneanet
Google Books
Italian Women Writers
Lastra a Signa
Treccani
Treccani.it
Wikipedia
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『メディチ家の人びと』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
カテリーナ・パンドルフィーニ Caterina Pandolfini
- 生没
- 13??年~
- 父
- フィリッポ・パンドルフィーニ
- 母
- ドーラ・ボスコリ
- 夫
- パオロ・ルチェッライ
- 子
- ジョヴァンニ・ルチェッライ
概要
カテリーナ・パンドルフィーニは、14世紀頃のイタリアの女性。
外部リンク
カルロ・パンドルフィーニ Carlo Pandolfini
- 生没
- 1394年~1470年
- 父
- アニョーロ・パンドルフィーニ
- 子
- メーリオ・パンドルフィーニ
ドメニコ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ
概要
カルロ・パンドルフィーニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。
年表
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ Giannozzo Pandolfini
- 生没
- 1396年~1456年
- 父
- アニョーロ・パンドルフィーニ
- 妻
- ナンナ・ヴァローリ
- 子
- パンドルフォ・パンドルフィーニ
ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ
プリオーレ・パンドルフィーニ
ニッコロ・パンドルフィーニ
ヤコポ・パンドルフィーニ
バッティスタ・パンドルフィーニ
マッダレーナ・パンドルフィーニ
マリエッタ・パンドルフィーニ
ドーラ・パンドルフィーニ
概要
ジャンノッツォ・パンドルフィーニは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。
年表
1396年
生。
1420年
ナンナ・ヴァローリと結婚。
1450年
アルフォンソ5世・デ・アラゴンと和を結ぶため、派遣される。
この時、アルフォンソ5世・デ・アラゴンにより、花瓶に3本の菫の紋章を下賜される。
1452年7月14日
対アルフォンソ5世・デ・アラゴン戦のため、ジャンノッツォ・パンドルフィーニ、ルカ・ピッティ、ピエロ・ルチェッライ、ベルナルド・リドルフィらを委員とする新十人委員会を編成。
1452年
対アルフォンソ5世・デ・アラゴン戦のコッミッサーリオ・ジェネラーレ。
1452年8月
十人委員会の任期が5年間に延長される。
1455年
恭順の意を表するため、カリストゥス3世のもとへ大使として派遣される。
1456年10月29日
フィレンツェの邸宅にて、遺言書を作成。公証人はピエロ・ディ・カルロ・デル・ヴィヴァ。第1証言者はヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチ。
1456年
死。
シニョーリアによる厳粛な葬儀が行われ、ジャンノッツォ・マネッティが追悼の辞を読む。
墓
別表記
ジャノッツォ・パンドルフィーニ
外部リンク
Google Books - Istoria genealogica delle famiglie nobili toscane
Google Books
Luca Boschetto
Pro Loco Signa
ドメニコ・パンドルフィーニ Domenico Pandolfini
- 生没
- 1444年~1510年
- 父
- カルロ・パンドルフィーニ
概要
ドメニコ・パンドルフィーニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。
年表
1444年
生。
1459年
1465年
1471年
1472年
1480年
フィレンツェ共和国に対する破門の赦免を請うため、教皇シクストゥス4世への使節として派遣される。使節は11人で、ドメニコ・パンドルフィーニ、フランチェスコ・ソデリーニ、ルイジ・グイッチャルディーニ、ボンジャンニ・ジャンフィリアッツィ、ピエロ・ミネルベッティ、グイダントーニオ・ヴェスプッチ、ジーノ・カッポーニ、アントーニオ・デ・メディチ、ヤコポ・ランフレディーニ、ピエロ・メッリーニ。
1482年
1492年5月~6月
1494年11月
ピエロ・イル・ファトゥオが追われると、ドメニコ・パンドルフィーニもフィレンツェ共和国の公務から排斥される。
1510年
死。
別表記
パンドルフィニ
参考文献
『フィレンツェ史』
パンドルフォ・パンドルフィーニ Pandolfo Pandolfini
- 生没
- 1424年~1465年
- 没地
- ナポリ王国ナポリ
- 父
- ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
- 母
- ナンナ・ヴァローリ
- 妻
- コスタンツァ・グイッチャルディーニ
- 子
- ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ
バッティスタ・パンドルフィーニ
ジョヴァンニ・パンドルフィーニ
ルクレツィア・パンドルフィーニ
アンジョリーナ・パンドルフィーニ
概要
パンドルフォ・パンドルフィーニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
埋葬地
外部リンク
ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ Pierfilippo Pandolfini
- 生没
- 1437年6月1日~1497年9月5日
- 出身
- フィレンツェ
- 父
- ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
- 母
- ナンナ・ヴァローリ
- 妻
- マリーア・ネローニ
カッサンドラ・リカーゾリ - 子
- ニッコロ・パンドルフィーニ
アレッサンドロ・パンドルフィーニ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ
マッダレーナ・パンドルフィーニ
概要
ピエルフィリッポ・パンドルフィーニは、15世紀のイタリアの男性。
在位
正義の旗手 1482年5月~1482年6月
年表
1460年
マリーア・ネローニと結婚。
1478年
この頃までに?、フィレンツェ共和国は、シクストゥス4世とフェッランテ・ダラゴーナの措置に対処すべく、ロレンツォ・イル・マニーフィコ、トンマーゾ・ソデリーニら10名の委員からなるバーリアを設置。
さらにヴェネツィアにピエルフィリッポ・パンドルフィーニ、ミラノにジローラモ・モレッリを特使として送って同盟に基づく支援を要請すると共に、キリスト教諸国、諸権力者にシクストゥス4世の所業を説く使節を送る。
1478年6月8日~1479年1月12日
ヴェネツィアへ特使として派遣される。
1479年2月19日~1479年6月9日
ローマ。
1479年12月20日~1480年8月1日
ミラノ。
1482年3月31日
ウルビーノでロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの計画及び占星術に関する懸念について。
1482年4月12日
ウルビーノでロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの計画及び占星術に関する懸念について。
1491年10月8日
カッサンドラ・リカーゾリと再婚。
別表記
ピエロ・フィリッポ・デ・パンドルフィーニ、Pier Filippo Pandolfini
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『フィレンツェ史』
『メディチ家の人びと』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
ドーラ・パンドルフィーニ Dora Pandolfini
- 生没
- 14??年~
- 父
- ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
- 母
- ナンナ・ヴァローリ
- 夫
- ヴァンニ・ストロッツィ
- 子
- アンドレイナ・ストロッツィ
アントーニオ・ストロッツィ
ベネデット・ストロッツィ
コジモ・ストロッツィ
フランチェスコ・ストロッツィ
ガブリエッレ・ストロッツィ
ジャンノッツォ・ストロッツィ
概要
ドーラ・パンドルフィーニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
外部リンク
バッティスタ・パンドルフィーニ Battista Pandolfini
- 生没
- 1454年6月22日~1511年
- 出身
- フィレンツェ
- 父
- パンドルフォ・パンドルフィーニ
- 母
- コスタンツァ・グイッチャルディーニ
- 妻
- カテリーナ・ストロッツィ
概要
バッティスタ・パンドルフィーニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、四男。
年表
1481年
オスマン・トルコの脅威による莫大な戦争費用の補填をナポリ王フェッランテ・ダラゴーナに求められ、貸し付ける。信用保証として、266冊の本を与えられる。
1491年
カテリーナ・ストロッツィと結婚。
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
フランチェスコ・パンドルフィーニ Francesco Pandolfini
- 生没
- 1466年10月26日~1520年7月2日
- 出身
- フィレンツェ
- 没地
- フィレンツェ
- 父
- ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ
- 母
- マリーア・ネローニ
- 妻
- イッポーリタ・ネルリ
概要
フランチェスコ・パンドルフィーニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
在職
正義の旗手 1519年9月~10月
年表
1501年3月6日
イッポーリタ・ネルリと結婚。持参金2千フィオリーノ。6人の子をもうける。
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
ヤコポ・パンドルフィーニ Jacopo Pandolfini
- 生没
- 14??年~
概要
ヤコポ・パンドルフィーニは、15世紀頃のイタリアの男性。
年表
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
記載日
2005年5月29日以前
更新日
2022年12月19日