Pandolfini

パンドルフィーニ家

アニョーロ・パンドルフィーニ Agnolo Pandolfini

生没
1363年~1446年1月
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
フィリッポ・パンドルフィーニ
ドーラ・ボスコリ
ジネヴラ・ストロッツィ
カルロ・パンドルフィーニ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ

概要

 アニョーロ・パンドルフィーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、外交官、人文主義者

在職

 正義の旗手 1415年1月~2月、1420年5月~6月、1431年9月~10月

年表

1363年

フィレンツェにて、生(1360年)。

1393年

ジネヴラ・ストロッツィと結婚。

1398年

妻ジネヴラ・ストロッツィ、死。

1411年

和平交渉のため、ラディスラオ1世・ダンジオのもとへ派遣される。

1415年1月~2月

正義の旗手

1416年12月

アンドレア・フォルテブラッチマラテスタ家の調停者として、アニョーロ・ピエロ・グイッチャルディーニと共に活動。

1420年

正義の旗手

1424年2月12日

アクイラ攻囲中のアンドレア・フォルテブラッチのもとに、フィレンツェ共和国にとって脅威であるロマーニャに分隊を増員するよう説得するため、アニョーロ・パンドルフィーニとアニョーロ・ピエロ・グイッチャルディーニが派遣される。

1424年2月

アンドレア・フォルテブラッチは同意したものの、アクイラを征服するまではロマーニャに向かうことには首肯せず。

1424年6月5日

アンドレア・フォルテブラッチ、死。

1431年

正義の旗手

1433年

ローマへ向かうのにフィレンツェ領内通行許可を出さず、怒りを買ったジギスムント・フォン・ルクセンブルクを宥めるため、派遣される。

1446年1月

死。

著作

 家斉論(Governo della famiglia

別表記

 アニョロ・パンドルフィーニ、アーニョロ・パンドルフィーニ

外部リンク

 Geneanet
 Google Books
 Italian Women Writers
 Lastra a Signa
 Treccani
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

カルロ・パンドルフィーニ Carlo Pandolfini

生没
1394年~1470年
アニョーロ・パンドルフィーニ
メーリオ・パンドルフィーニ
ドメニコ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ

概要

 カルロ・パンドルフィーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

年表

1394年

生。

1451年

フリードリヒ3世への外交官として、フェッラーラに派遣される。

1454年

教皇ニコラウス5世への大使として派遣される。

1461年9月~10月

正義の旗手

1464年

教皇即位の祝意を述べるため、パウルス2世のもとに派遣される。

1467年1月~2月

正義の旗手

1470年5月~6月

正義の旗手

1470年

死。

ジャンノッツォ・パンドルフィーニ Giannozzo Pandolfini

生没
1396年~1456年
アニョーロ・パンドルフィーニ
ナンナ・ヴァローリ
パンドルフォ・パンドルフィーニ
ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ
プリオーレ・パンドルフィーニ
ニッコロ・パンドルフィーニ
ヤコポ・パンドルフィーニ
バッティスタ・パンドルフィーニ
マッダレーナ・パンドルフィーニ
マリエッタ・パンドルフィーニ
ドーラ・パンドルフィーニ

概要

 ジャンノッツォ・パンドルフィーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

年表

1396年

生。

1420年

ナンナ・ヴァローリと結婚。

1450年

アルフォンソ5世・デ・アラゴンと和を結ぶため、派遣される。

この時、アルフォンソ5世・デ・アラゴンにより、花瓶に3本の菫の紋章を下賜される。

1452年7月14日

アルフォンソ5世・デ・アラゴン戦のため、ジャンノッツォ・パンドルフィーニルカ・ピッティ、ピエロ・ルチェッライ、ベルナルド・リドルフィらを委員とする新十人委員会を編成。

1452年

アルフォンソ5世・デ・アラゴン戦のコッミッサーリオ・ジェネラーレ。

1452年8月

十人委員会の任期が5年間に延長される。

1455年

恭順の意を表するため、カリストゥス3世のもとへ大使として派遣される。

1456年10月29日

フィレンツェの邸宅にて、遺言書を作成。公証人はピエロ・ディ・カルロ・デル・ヴィヴァ。第1証言者はヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチ

1456年

死。

シニョーリアによる厳粛な葬儀が行われ、ジャンノッツォ・マネッティが追悼の辞を読む。

別表記

 ジャノッツォ・パンドルフィーニ

外部リンク

 Google Books - Istoria genealogica delle famiglie nobili toscane
 Google Books
 Luca Boschetto
 Pro Loco Signa

ドメニコ・パンドルフィーニ Domenico Pandolfini

生没
1444年~1510年
カルロ・パンドルフィーニ

概要

 ドメニコ・パンドルフィーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1444年

生。

1459年

十二人の良き人々

1465年

プリオーレ。

1471年

プリオーレ。

1472年

八人委員会

1480年

フィレンツェ共和国に対する破門の赦免を請うため、教皇シクストゥス4世への使節として派遣される。使節は11人で、ドメニコ・パンドルフィーニ、フランチェスコ・ソデリーニルイジ・グイッチャルディーニボンジャンニ・ジャンフィリアッツィピエロ・ミネルベッティグイダントーニオ・ヴェスプッチジーノ・カッポーニアントーニオ・デ・メディチヤコポ・ランフレディーニ、ピエロ・メッリーニ。

1482年

八人委員会

1492年5月~6月

正義の旗手

1494年11月

ピエロ・イル・ファトゥオが追われると、ドメニコ・パンドルフィーニもフィレンツェ共和国の公務から排斥される。

1510年

死。

別表記

 パンドルフィニ

参考文献

 『フィレンツェ史』

パンドルフォ・パンドルフィーニ Pandolfo Pandolfini

生没
1424年~1465年
没地
ナポリ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
ナンナ・ヴァローリ
コスタンツァ・グイッチャルディーニ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ
バッティスタ・パンドルフィーニ
ジョヴァンニ・パンドルフィーニ
ルクレツィア・パンドルフィーニ
アンジョリーナ・パンドルフィーニ

概要

 パンドルフォ・パンドルフィーニは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1424年

生。

1454年

プリオーレ。

1459年

プリオーレ。

1465年2月

ナポリ王国におけるフェッランテ・ダラゴーナの権力再確立を祝うため、ナポリへ派遣される。

ナポリ駐在フィレンツェ大使として、ナポリに残る。

1465年秋

ナポリにて、死。

埋葬地

外部リンク

 Google Books

ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ Pierfilippo Pandolfini

生没
1437年6月1日~1497年9月5日
出身
フィレンツェ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
ナンナ・ヴァローリ
マリーア・ネローニ
カッサンドラ・リカゾーリ
ニッコロ・パンドルフィーニ
アレッサンドロ・パンドルフィーニ
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
フランチェスコ・パンドルフィーニ
マッダレーナ・パンドルフィーニ

概要

 ピエルフィリッポ・パンドルフィーニは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 正義の旗手 1482年5月~1482年6月

年表

1460年

マリーア・ネローニと結婚。

1478年

この頃までに?、フィレンツェ共和国は、シクストゥス4世フェッランテ・ダラゴーナの措置に対処すべく、ロレンツォ・イル・マニーフィコトンマーゾ・ソデリーニら10名の委員からなるバーリアを設置。

さらにヴェネツィアピエルフィリッポ・パンドルフィーニ、ミラノにジローラモ・モレッリを特使として送って同盟に基づく支援を要請すると共に、キリスト教諸国、諸権力者にシクストゥス4世の所業を説く使節を送る。

1478年6月8日~1479年1月12日

ヴェネツィアへ特使として派遣される。

1479年2月19日~1479年6月9日

ローマ

1479年12月20日~1480年8月1日

ミラノ

1482年3月31日

ウルビーノロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの計画及び占星術に関する懸念について。

1482年4月12日

ウルビーノロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの計画及び占星術に関する懸念について。

1491年10月8日

カッサンドラ・リカゾーリと再婚。

別表記

 ピエロ・フィリッポ・デ・パンドルフィーニ、Pier Filippo Pandolfini

外部リンク

 Google Books
 Treccani

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ドーラ・パンドルフィーニ Dora Pandolfini

生没
14??年~
ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
ナンナ・ヴァローリ
ヴァンニ・ストロッツィ
アンドレイナ・ストロッツィ
アントーニオ・ストロッツィ
ベネデット・ストロッツィ
コジモ・ストロッツィ
フランチェスコ・ストロッツィ
ガブリエッレ・ストロッツィ
ジャンノッツォ・ストロッツィ

概要

 ドーラ・パンドルフィーニは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1450年

ヴァンニ・ストロッツィと結婚。

1455年

アントーニオ・ストロッツィを出産。

外部リンク

 CORE
 Geneanet
 Google Books

バッティスタ・パンドルフィーニ Battista Pandolfini

生没
1454年6月22日~1511年
出身
フィレンツェ
パンドルフォ・パンドルフィーニ
コスタンツァ・グイッチャルディーニ
カテリーナ・ストロッツィ

概要

 バッティスタ・パンドルフィーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、四男。

年表

1481年

オスマン・トルコの脅威による莫大な戦争費用の補填をナポリフェッランテ・ダラゴーナに求められ、貸し付ける。信用保証として、266冊の本を与えられる。

1491年

カテリーナ・ストロッツィと結婚。

外部リンク

 Treccani

参考文献

 『フィレンツェ史』

フランチェスコ・パンドルフィーニ Francesco Pandolfini

生没
1466年10月26日~1520年7月2日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ
マリーア・ネローニ
イッポーリタ・ネルリ

概要

 フランチェスコ・パンドルフィーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。

在職

 正義の旗手 1519年9月~10月

年表

1501年3月6日

イッポーリタ・ネルリと結婚。持参金2千フィオリーノ。6人の子をもうける。

外部リンク

 Treccani

参考文献

 『フィレンツェ史』

ヤコポ・パンドルフィーニ Jacopo Pandolfini

生没
14??年~

概要

 ヤコポ・パンドルフィーニは、15世紀頃のイタリアの男性。

年表

1494年

十人委員会に選出される。

1498年

十人委員会に選出される。

外部リンク

 Google Books
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参考文献

 『フィレンツェ史』

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2021年11月20日