Artista

美術家 15世紀

バルトリーノ・ダ・ノヴァーラ Bartolino da Novara

生没
1???年~1410年
出身
ノヴァーラ
没地
フェッラーラ

概要

 バルトリーノ・ダ・ノヴァーラは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、軍事建築家、技師。

設計

年表

1406年~1410年

フェッラーラにて、死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

オッタヴィアーノ・ネッリ Ottaviano Nelli

生没
1375年~1444年
出身
グッビオ

概要

 オッタヴィアーノ・ネッリは、14世紀から15世紀のイタリアの画家、細密画家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

フィリッポ・ブルネッレスキ Filippo Brunelleschi

生没
1377年~1446年4月15日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
弟子
バロンチェリ

概要

 フィリッポ・ブルネッレスキは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、建築家、彫刻家。

職業組合

 金銀細工師の職業組合に所属し、絹織物業組合の親方としての地位を持っていた。金銀細工師は職業組合の中でも高い地位を保証されており、その所属は特別な名声を意味するものだった。

芸術競技

 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の西側にある、サン・ジョヴァンニ洗礼堂第2門扉の発注先を選定するため、1401年にフィレンツェで羅紗製造組合が大掛かりな美術競技を主催。
 課題は、旧約聖書に出てくる「イサクの犠牲」であったが、審査の結果、最後まで勝負を争ったのはロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネッレスキの作品であった。どちらも優劣つけがたい出来ばえだが、その作風には大きな違いがあった。物語的要素を重要視した絵画的手法で、繊細かつ工芸的で未だ中世ゴシック芸術の雰囲気を伝えるロレンツォ・ギベルティに対し、フィリッポ・ブルネッレスキの作品は近代的な激しい表現で、塊として把握された個々の像が力強く構成されている。

 一般には、フィリッポ・ブルネッレスキがロレンツォ・ギベルティに敗れたと言われることが多いが、それは正確ではない。当初、門扉はこの両者の平等な共同作業とすることが決められた。フィリッポ・ブルネッレスキは共作を辞退したため、ロレンツォ・ギベルティ1人に制作が委ねられることになったのである。2人の作風の違いから考えると、彼の辞退は当然と言えよう。この時フィリッポ・ブルネッレスキが単独で優勝していたら、あるいは彼は生涯彫刻家として活躍していたかもしれない。しかし、優勝を返上があったからこそ、建築家としてのフィリッポ・ブルネッレスキが誕生するのである。

古代の研究

 もともと金銀細工師であったフィリッポ・ブルネッレスキだが、美術競技の後、親友のドナテッロと一緒にローマへ旅に出かけ、古代の彫刻と遺跡を研究し、建築家を志すようになったと言われている。この逸話の確証はないが、後にフィレンツェを舞台として実現される建築家としての彼の作風は、古代都市ローマとの出会いなくしては語れないことは確かである。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の円蓋

 当時のフィレンツェの建築界における最も重要な問題は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の造営事業であった。13世紀末にアルノルフォ・デル・カンビオによって開始された大聖堂新築計画は、15世紀に完成に近づいていた。その最後の仕上げは、全体の建築計画の中で最も困難な部分であり、十字架形状の交差部分に円形のクーポラを建設するという難しい課題であった。
 1418年、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の造営委員会によって大円蓋の建設方法を競うことが公示される。さまざまな案の中からフィリッポ・ブルネッレスキの案だけが唯一実現可能なものであった。
 しかし、ここでまた17年前の宿命の対決が再現されることになった。建築の専門的知識のあまりなかった造営委員会は、当時フィレンツェ芸術界において最も名高いロレンツォ・ギベルティを、フィリッポ・ブルネッレスキと同じ資格で造営責任者に任命したのである。ロレンツォ・ギベルティは彫刻や金工制作においては確かに当代並ぶ者のない名手であったが、こと建築に関しては素人も同然であった。紆余曲折を経た後、ロレンツォ・ギベルティは実質的に建設工事から手を引き、ようやくフィリッポ・ブルネッレスキが1人で現場の総指揮を任せられることになった。
 直径42メートルにも及ぶ巨大な空間を、正方形から円形に移行しながら完全に覆うという難しい課題を、2つのお椀をすっぽり重ねたような二重構造とすることによって克服し、1436年に献堂式が行われた。力学上の難点を見事に解決したフィリッポ・ブルネッレスキの傑作であるばかりでなく、調和のあるしかも荘重な空間を志向するイタリア・ルネサンス建築の先駆となり、名声を不動のものとした。

建築作品

 この大円蓋の建設の他に、捨て子保育院やサン・ロレンツォ教会、サント・スピリト教会、サンタ・クローチェ聖堂パッツィ家礼拝堂など、数多くの革新的な作品をフィレンツェで見ることができる。
 完全な円形アーチを細い円柱で受け止め、アーチの直径と円柱の高さを同じにするなど、いずれも建物全体を明快な数学的規則に還元し、各部分の形態や大きさ、比例関係などを、単純で基本的なものに統一しているところがその特徴である。これらの諸要素は古代建築から学んだ形式を取り入れながらも、ルネサンスのみの持つ新しい力強さがみなぎっている。
 1401年の第1の美術競技は、若き彫刻家フィリッポ・ブルネッレスキを建築家に変え、1418年の第2の美術競技は初期ルネサンス最大の偉業達成への道を開いた。これらの2回の美術競技が人生の転機となったのである。
 今もサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の脇からフィリッポ・ブルネッレスキの像が誇らしげに見上げており、地下にはフィリッポ・ブルネッレスキの墓がある。そして徒歩2分のところには、このルネサンスの偉人の名を冠した四つ星のホテルがあるのであった。

作品

設計

年表

1401年

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の第2門扉の制作競技に参加。

1410年頃

線遠法発見。

1446年4月15日

フィレンツェで死。

肖像

埋葬地

別表記

 フィリッポ・ブルネレスキ、ブルネレスコ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『世界・美術の旅ガイド3 北イタリア』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

パオロ・ダ・グアルド・カッターネオ Paolo da Gualdo Cattaneo

生没
1380年以前~1417年以降
出身
グアルド・カッターネオ

概要

 パオロ・ダ・グアルド・カッターネオは、14世紀から15世紀のイタリアの彫刻家。

作品

外部リンク

 Treccani

ミケロッツォ Michelozzo

生没
1396年~1472年
ニッコロ・ミケロッツィ
ベルナルド・ミケロッツィ

概要

 ミケロッツォは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、彫刻家、建築家。

作品

年表

1444年

コジモ・イル・ヴェッキオに雇われ、サン・マルコ修道院・聖堂の再建を設計、指揮。

1444年

コジモ・イル・ヴェッキオに雇われ、ニッコロ・ニッコリの遺した古典書とコジモ・イル・ヴェッキオが収集した古典書(計800余巻?)収蔵の間をサン・マルコ修道院に設計。

1459年

コジモ・イル・ヴェッキオに雇われ、フィレンツェ市内の中心ラルガ通りに邸宅メディチ宮殿を完成(1444年~)。

別表記

 ミケロッツォ・ミケロッツィ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、Michelozzo Michelozzi

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

フランチェスコ・スクァルチョーネ Francesco Squarcione

生没
1397年頃~1468年
出身
パドヴァ
弟子
コズメ・トゥーラ
アンドレア・マンテーニャ
カルロ・クリヴェッリ

概要

 フランチェスコ・スクァルチョーネはイタリアの画家。

外部リンク

 ウィキペディア
 Treccani.it

参考文献

 『世界大百科事典』

ルカ・デッラ・ロッビア Luca della Robbia

生没
1399年~1482年2月2日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ

概要

 ルカ・デッラ・ロッビアは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、フィレンツェの彫刻家。1399年か1400年頃、フィレンツェの富裕な羊毛業者の三男として生まれた。富裕な市民の子として、良識に富み、知的な人であったとの証言もある。ジョルジョ・ヴァザーリによると、ルカは最初、金細工師の工房で訓練を受けたという。実際、ロレンツォ・ギベルティか、ナンニ・ディ・バンコのもとで彫刻を学んだことは間違いないようだ。
 1431年にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂管理組合から大聖堂の聖歌隊席の発注を受けた翌年、石工・木工師組合に入会している。この制作中の大作に圧倒されたレオン・バッティスタ・アルベルティが『絵画論』の序文を記したのである。
 聖歌隊席と並んでルカの名声を確かなものにしたのは、彼が創始した彩釉テラコッタ芸術である。単にテラコッタに顔料をつけるだけでなく、像の縮みを計算に入れた上で粘土像を焼き上げ、マルツァコット(融解性の高い透明なガラス性の物質)で覆った後、さらに釉薬を重ねて、低い温度で再び焼き上げるという技術を開拓した。
 このような技法は、フィレンツェで当時目にすることができたマヨルカ陶器やイスパノ・モレスク陶器、アラブ・イスラム陶器などに似たようなものがあったが、彫刻に応用し、独創的なものとして芸術性を高めたのはルカの功績である。
 大聖堂の聖具室扉の上を飾る「キリストの復活」「キリストの昇天」をはじめ、「りんごの聖母」「薔薇園の聖母」など、1440年代にたくさんの名作を作っている。
 ルカの作品にあふれる清新で明澄な世界は、フィレンツェ芸術の独創性を代表するものといえよう。

作品

年表

1399年

フィレンツェにて、生(1400年)。

1482年2月2日

フィレンツェにて、死。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

ヤコポ・ベッリーニ Jacopo Bellini

生没
1400年~1470/71年
出身
ヴェネツィア
師匠
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ
ニコロジア・ベッリーニ
ジェンティーレ・ベッリーニ
ジョヴァンニ・ベッリーニ

概要

 ヤコポ・ベッリーニは、イタリアの画家。

外部リンク

 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『世界大百科事典』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの歴史』

フラ・アンジェリコ Fra Angelico

生没
1400年?~1455年2月18日頃
出身
ヴィッキオ
没地
ローマ

概要

 フラ・アンジェリコは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

埋葬地

本名

 グイード・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro

別表記

 ベアート・アンジェリコ、Fra Giovani da FiesoleFra Beato Angelico

外部リンク

 ウィキペディア
 歴史データベース
 Art cyclopedia
 Web Gallery of Art

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン Rogier van der Weyden

生没
1400年頃~1464年

概要

 ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは、初期フランドル派の画家。

作品

外部リンク

 ウィキペディア
 Web Gallery of Art

フィラレテ Il Filarete

生没
1400年頃~1469年
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
師匠
ロレンツォ・ギベルティ
著作
建築論

概要

 フィラレテは、15世紀頃のイタリアの男性、建築家、彫刻家。

作品

年表

1464年

理想都市Sforzindaを描いた作品『建築論』を完成し、フランチェスコ1世・スフォルツァに献呈。

1469年

この年頃、ローマで死。

埋葬地

本名

 アントーニオ・アヴェルリーノ(Antonio Averlino

別表記

 アントーニオ・フィラレテ、アントニオ・フィラレーテ

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

マザッチオ Masaccio

生没
1401年12月21日~1428年秋
出身
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ(旧カステル・サン・ジョヴァンニ)
没地
ローマ

概要

 マザッチオは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

別表記

 マザッチョ、マサッチオ、マサッチョ

本名

 トンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ、Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『The Life of Cesare Borgia

レオン・バッティスタ・アルベルティ Leon Battista Alberti

生没
1404年2月18日~1472年4月25日
出身
ジェノヴァ
没地
ローマ
ロレンツォ・アルベルティ

概要

 レオン・バッティスタ・アルベルティは、15世紀のイタリアの男性、庶子、建築家、画家、芸術理論家、人文主義者

在職

 教皇書記官 1432年~1464年
 サン・マルティーノ・ア・ガンガランディ教区教会管理者 1432年~1472年

著作

 建築論

設計

 サンタンドレア聖堂

年表

1404年2月18日

ジェノヴァ?に生(1404年2月14日)。

1428年

ボローニャ大学で教会法の学位を取得。

1434年

教皇書記官としてエウゲニウス4世に従ってフィレンツェに入る。

1435年9月26日

コジモ・イル・ヴェッキオやその庇護を受ける文人、芸術家と交流を重ねながらDe pictura(絵画論)を執筆、公表。

1436年7月17日

De pictura(1435年)のイタリア語訳Della pitturaを公表。この中で線遠近法の理論を展開。

1436年

De statua(彫刻論)を執筆。

1437年9月30日

De jure(法について)をボローニャで執筆。(1499年頃フィレンツェで刊)

1439~1443年

Teogenio(市民生活論)を執筆。

1441年

この頃までに、Della famiglia(家族論)全4篇を完成。

1452年

建築論』10篇を完成し、ニコラウス5世に献呈。

1472年4月25日

ローマで死。

1485年

遺作『建築論』、アンジェロ・ポリツィアーノの序文を付してフィレンツェで初めて刊行され、ロレンツォ・イル・マニーフィコに献呈される。

1490年

この年?、遺作Teogenio(市民生活論)が、De republica, de vita civile et rusticana et de fortuna(国家、都市及び田園生活、富について)と改題され、フィレンツェで刊。(但し異説多し)

別表記

 レオン・バティスタ、レオン・バチスタ、レオン・バッチスタ・アルベルティ

外部リンク

 ウィキペディア
 note - taku_samejima
 trionfi
 Treccani.it

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『逆光のメディチ』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンス百科事典』
 『ルネッサンスの光と闇』

サノ・ディ・ピエトロ Sano di Pietro

生没
1405年~1481年
出身
シエナ
没地
シエナ

概要

 サノ・ディ・ピエトロは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス百科事典』

ロ・スケッジア Lo Scheggia

生没
1406年~1486年
出身
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ
没地
フィレンツェ

概要

 ロ・スケッジアは、イタリアの画家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

ベルナルド・ロッセリーノ Bernardo Rossellino

生没
1409年~1464年9月23日
出身
セッティニャーノ
没地
フィレンツェ

概要

 ベルナルド・ロッセリーノは、15世紀のイタリアの男性、彫刻家、建築家。

作品

設計

年表

1409年

フィレンツェ郊外セッティニャーノに生。

1452年

ニコラウス5世により、ローマサン・ピエトロ大聖堂の改築を命じられる。

1464年9月23日

フィレンツェで死。

本名

 ベルナルド・ディ・マッテオ・ディ・ドメニコ・ガンバレッリ、Bernardo di Matteo di Domenico Gambarelli

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia

参考文献

 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンス夜話』

シモーネ・ギーニ Simone Ghini

生没
1410年~
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
ジョヴァンニ・ギーニ
マリターナ
フランチェスカ・ギーニ

概要

 シモーネ・ギーニは、15世紀のイタリアの男性、金細工師。

作品

年表

1434~1435年

ローマに行く。

歴代教皇に仕える。

1464~1465年

婚外子フランチェスカ・ギーニ、生。

別表記

 Simone di Giovanni, de Florence

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

ドメニコ・ヴェネツィアーノ Domenico Veneziano

生没
1410年頃~1461年5月15日
出身
ヴェネツィア
没地
フィレンツェ
弟子
ピエロ・デッラ・フランチェスカ

概要

 ドメニコ・ヴェネツィアーノは、15世紀のイタリアの男性、画家。遠近法の大家。

作品

年表

1400年以降

ヴェネツィアで生(1410年頃)。

1461年5月15日

フィレンツェで死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

イザイア・ダ・ピサ Isaia da Pisa

生没
1410年頃~
出身
ピサ

概要

 イザイア・ダ・ピサは、15世紀頃のイタリアの男性、彫刻家。浮き彫りを専門とし、1447年から1464年まで主にローマとナポリで活動した。

作品

外部リンク

 Wikipedia

ヨース・ファン・ワッセンホフ Joos van Wassenhove

生没
1410年頃~1480年頃

概要

 ヨース・ファン・ワッセンホフは、初期フランドル派の画家。

作品

別表記

 ガンのユストゥス、ユストゥス・ファン・ヘント、ユスト・ディ・ガン、ジュスト・ダ・ガン

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia
 Привет.ру
 Web Gallery of Art

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

アントーニオ・フェデリギ Antonio Federighi

生没
1411年~1490年頃
出身
シエナ
没地
シエナ

概要

 アントーニオ・フェデリギは、イタリアの彫刻家、建築家。

作品

別表記

 アントニオ・フェデリギ

外部リンク

 Wikipedia

ジョルジョ・マルケージ Giorgio Marchesi

生没
1415年~1484年頃
出身
セッティニャーノ
没地
セッティニャーノ
マルコ・フランチェスコ・マルケージ
ディアノーラ
チェッコ・マルケージ
アントーニオ・マルケージ
ジュリアーノ・マルケージ

概要

 ジョルジョ・マルケージは、15世紀のイタリアの男性、建築家。

作品

年表

1470年6月10日~1471年6月頃

ピーノ3世・オルデラッフィの依頼で、ラヴァルディーノ要塞を建設。

1474年2月10日

ペーザロにて、コスタンツォ1世・スフォルツァの秘書ジョルジョ・ディ・バリニャーノとコスタンツァ要塞建設の契約を交わす。

1474年6月3日

一番石を据える厳粛な儀式を行い、建設開始。

1474年9月

コスタンツォ1世・スフォルツァが建設現場から2名のフィレンツェ人を追放。

1476年4月

ロレンツォ・イル・マニーフィコ宛てに手紙を書く。追放事件について説明。

1479年~1483年3月

ジローラモ・リアリオイーモラの城郭の建設を契約。

1480年

イーモラに家を購入し、3人の息子と共に住む。

別表記

 Giorgio Fiorentino

外部リンク

 Treccani

アントーニオ・ミッサーリア Antonio Missaglia

生没
1416年~1496年
出身
ミッサーリア
トンマーゾ・ミッサーリア
ジョヴァンナ・ダ・ヴェネーゴノ
アンジオーラ・ピアッティ
スザンナ・スタンパ
ジャナンジェロ・ミッサーリア
セバスティアーノ・ミッサーリア
トンマーゾ・ミッサーリア
フランチェスカ・ミッサーリア

概要

 アントーニオ・ミッサーリアは、15世紀のイタリアの男性、甲冑師。

作品

年表

1416年

ミッサーリアにて、生(1417年)。

1496年

死(1495年)。

別表記

 Antonio II MissàgliaAntonio Negroni

外部リンク

 刀剣ワールド
 Geneanet
 Google Books
 Google Books - The Armourer and His Craft
 Treccani
 Wikipedia

アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ Agostino di Duccio

生没
1418年~1481年頃
出身
フィレンツェ
没地
教皇領ペルージア

概要

 アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョは、彫刻家。

作品

外部リンク

 Art cyclopedia
 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

ベノッツォ・ゴッツォーリ Benozzo Gozzoli

生没
1420年~1497年10月4日
出身
フィレンツェ
没地
ピストイア
師匠
フラ・アンジェリコ

概要

 ベノッツォ・ゴッツォーリは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

別表記

 ベノッツォ・ゴッツォリ、ベノッツオ・ゴッツォリ

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia
 Web Gallery of Art

参考文献

 『快楽の中世史』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンス百科事典』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ボニファチオ・ベンボー Bonifacio Bembo

生没
1420年~1480年
出身
ブレッシア
没地
ミラノ公国ミラノ
ジョヴァンニ・ベンボー

概要

 ボニファチオ・ベンボーは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

外部リンク

 Art cyclopedia
 Treccani
 Web Gallery of Art
 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

ルチアーノ・ラウラーナ Luciano Laurana

生没
1420年頃~1479年2月12日以降
出身
ダルマチア、ザーラ
没地
教皇領ペーザロ

概要

 ルチアーノ・ラウラーナは、15世紀の建築家。

作品

年表

1420~1425年

ダルマチアのザーラに生まれる。

1479年2月12日以降

ペーザロにて、死。

別表記

 ルチャーノ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジャン・フーケ Jean Fouquet

生没
1420年頃~1481年頃
出身
フランス王国トゥール?
没地
フランス王国トゥール

概要

 ジャン・フーケは、15世紀のフランス人の画家、細密画家。

作品

外部リンク

 ウィキペディア

フラ・カルネヴァーレ Fra Carnevale

生没
1420/1425年頃~1484年
出身
ウルビーノ
没地
ウルビーノ

概要

 フラ・カルネヴァーレは、イタリアの画家。

外部リンク

 Wikipedia

アンドレア・デル・カスターニョ Andrea del Castagno

生没
1421年頃~1457年8月19日
出身
カスターニョまたはコレッラ
没地
フィレンツェ

概要

 アンドレア・デル・カスターニョは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

年表

1421年

フィレンツェ近郊ムジェッロ地区のカスターニョまたはコレッラに生まれる。(1423年)

1457年8月19日

フィレンツェで死。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『メディチ家』
 『傭兵の二千年史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

ペセッリーノ Pesellino

生没
1422年頃~1457年7月29日
出身
フィレンツェ
没地
フィレンツェ
ステファノ・ディ・フランチェスコ
師匠
フィリッポ・リッピ

概要

 ペセッリーノは、イタリアの画家。

作品

本名

 Francesco di Stefano

別表記

 ヤコポ・ペセリーノ、Francesco Pesellino

外部リンク

 Art cyclopedia
 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

バロンチェリ Baroncelli

生没
1???年~1453年10月
出身
フィレンツェ
没地
フェッラーラ
師匠
フィリッポ・ブルネッレスキ

概要

 バロンチェリは、15世紀頃のイタリアの彫刻家。

作品

年表

1453年10月24日~1453年10月29日

フェッラーラにて、死。

外部リンク

 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『傭兵の二千年史』
 『ルネサンス宮廷大全』

アントーニオ・ロッセリーノ Antonio Rossellino

生没
1427年~1479年
出身
セッティニャーノ
没地
フィレンツェ

概要

 アントーニオ・ロッセリーノは彫刻家。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

デジデリオ・ダ・セッティニャーノ Desiderio da Settignano

生没
1428年頃~1464年1月16日
出身
セッティニャーノ
没地
フィレンツェ

概要

 デジデリオ・ダ・セッティニャーノは、15世紀のイタリアの男性、彫刻家。胸像や肖像彫刻には女性や子どもを題材とした作品が多く、大理石がまるで蝋のように感じられるほどの写実主義に達しているが、優美な甘さがそれを和らげている。

作品

年表

1430年頃

セッティニャーノにて、生(1428年頃)。

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia
 Art Renewal Center
 Web Gallery of Art

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネッサンス夜話』

カルロ・クリヴェッリ Carlo Crivelli

生没
1430年~1493年
出身
ヴェネツィア
没地
アスコリ・ピチェーノ
師匠
フランチェスコ・スクァルチョーネ

概要

 カルロ・クリヴェッリは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

年表

1430~1435年

ヴェネツィアにて、生。

1493~1500年

マルケのアスコリ・ピチェーノで死。

別表記

 クリヴェリ

外部リンク

 アート at ドリアン
 ウィキペディア
 Treccani.it

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネッサンスの光と闇』

コズメ・トゥーラ Cosmè Tura

生没
1430年~1495年4月
出身
フェッラーラ
没地
フェッラーラ
師匠
フランチェスコ・スクァルチョーネ
弟子
フランチェスコ・デル・コッサ
フランチェスコ・ビアンキ

概要

 コズメ・トゥーラは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

年表

1430年

フェッラーラにて、生。

1456年

フェッラーラの宮廷画家となる。

1469年6月2日

オルガン扉絵」の代金を受け取る。

1485年12月24日

ベアトリーチェ・デステの顔と胸部の肖像画に対する支払いとして4金フィオリーノフェッラーラエルコーレ1世・デステからもらう。この絵は彼女の婚約者バーリルドヴィーコ・イル・モーロへカルロ・コンティンガが届けた。現存せず。

1495年4月

フェッラーラにて、死。

別表記

 コスメツーラ、Cosimo

外部リンク

 ウィキペディア
 Treccani.it
 Web Gallery of Art

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

アントネッロ・ダ・メッシーナ Antonello da Messina

生没
1430年頃~1479年2月14日
出身
メッシーナ
没地
メッシーナ

概要

 アントネッロ・ダ・メッシーナは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

年表

1430年

この年頃、シチリアのメッシーナに生。

14??年

ナポリの画家コラントーニオ?のもとで修業。

1475年8月

ヴェネツィア貴族のピエトロ・ボンから、サン・カッシアーノ聖堂のための祭壇画制作の依頼を受け、ヴェネツィアに滞在。

147?年

ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの招聘を受けてミラノ宮廷を訪れる。祭壇画の注文主であるピエトロ・ボンの意向により、作品が完成するまで招聘を延期せざるを得ない旨を伝える。

1476年

祭壇画完成。

1476年9月

娘の結婚式のためにメッシーナに帰る。

1476年12月26日(木)

ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが暗殺される。

1479年2月14日

シチリアのメッシーナで死(1479年2月15日)。

別表記

 アントネッロ・ダ・メッシナ、アントネロ・ダ・メッシーナ、アントネッロ・デッラ・メッシーナ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『世界大百科事典』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス百科事典』

ジュリアーノ・ダ・マイアーノ Giuliano da Maiano

生没
1432年~1490年10月17日
出身
マイアーノ
レオナルド・ディ・アントーニオ

概要

 ジュリアーノ・ダ・マイアーノは、15世紀の男性、彫刻家、建築家。

作品

本名

 Giuliano di Leonardo d'Antonio

別表記

 ジュリアーノ・ダ・マヤーノ、ジュリアーノ・ダ・マリアーノ、Giuliano da Majano

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ポッライオーロ Pollaiolo

アントーニオ・デル・ポッライオーロ
ピエロ・デル・ポッライオーロ

別表記

 Pollaiuolo、ポライウロ、ポライウォーロ

アントーニオ・デル・ポッライオーロ Antonio del Pollaiolo

生没
1433年1月17日~1498年2月4日
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
弟子
ボッティチェッリ

概要

 アントーニオ・デル・ポッライオーロは、15世紀のイタリアの男性、画家、版画家、彫刻家。15世紀後半の代表的自然主義者。
 初め金工家として出発しやがて青銅彫刻を学び、絵画制作にもたずさわるが、筋肉の躍動美を複雑な姿勢で表現した。

作品

年表

1433年1月17日

フィレンツェにて、生(1429年、1431年、1432年)。

1498年2月4日

ローマにて、死。

別表記

 アントニオ・ボライオーロ、ポッラユウォーロ

本名

 Antonio di Iacopo Benci

外部リンク

 ウィキペディア
 Web Gallery of Art

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

ザネット・ブガット Zanetto Bugatto

生没
1433年~1476年3月

概要

 ザネット・ブガットは、15世紀のイタリアの男性、宮廷肖像画家。

作品

年表

1460年~1463年

ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティによりブリュッセルに派遣され、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの工房で過ごす。

1468年

フランスへ行き、ボーナ・ディ・サヴォイアの肖像画を描く。

別表記

 ブガッティ

外部リンク

 kleio.org
 Wikipedia

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

フランチェスコ・デル・コッサ Francesco del Cossa

生没
1435年~1477年
出身
フィレンツェ
没地
ボローニャ
師匠
コズメ・トゥーラ

概要

 フランチェスコ・デル・コッサは、15世紀のイタリアの男性、画家。

作品

年表

1435年

この年頃、フィレンツェに生(1436年)。

1477年

ボローニャで死(1478年頃)。

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia
 Art Renewal Center
 CGFA
 Olga's Gallery
 Treccani.it
 Web Gallery of Art

参考文献

 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『ルネサンス百科事典』
 『ルネッサンス夜話』

ジョヴァンニ・サンティ Giovanni Santi

生没
1435年頃~1494年8月1日
ラッファエッロ

概要

 ジョヴァンニ・サンティは、15世紀のイタリアの画家。

作品

別表記

 ジョヴァンニ・サンツィ

外部リンク

 Art cyclopedia
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ベルトルド・ディ・ジョヴァンニ Bertoldo di Giovanni

生没
1435~40年~1491年12月28日

概要

 ベルトルド・ディ・ジョヴァンニは、彫刻家、メダル作家。

作品

外部リンク

 Art cyclopedia
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ハンス・メムリンク Hans Memling

生没
1436年頃~1494年8月11日

概要

 ハンス・メムリンク、15世紀のフランドルの画家。

作品

外部リンク

 ウィキペディア

フランチェスコ・フェルッチ Francesco Ferrucci

生没
1437年~1493年3月24日
出身
フィエーゾレ
没地
フィレンツェ
シモーネ・フェルッチ

概要

 フランチェスコ・フェルッチは、15世紀のイタリアの男性、彫刻家。デジデリオ・ダ・セッティニャーノヴェロッキオに影響を受けている。

作品

登場舞台

 宝塚歌劇団宙組『異人たちのルネサンス―ダ・ヴィンチが描いた記憶』

別表記

 Francesco di Simone Ferrucci

外部リンク

 Wikipedia

ドメニコ・ロッセッリ Domenico Rosselli

生没
1439年~1498年
出身
ピストイア
没地
フォッソンブローネ

概要

 ドメニコ・ロッセッリは、15世紀のイタリアの画家。

作品

年表

1498年

フォッソンブローネにて、死(1497年)。

外部リンク

 Wikipedia

ヤコポ・デル・セライオ Jacopo da Sellaio

生没
1441年頃~1493年
出身
フィレンツェ
師匠
フィリッポ・リッピ

概要

 ヤコポ・デル・セライオは、イタリアの画家。

作品

別表記

 ヤコボ・デル・セライオ

外部リンク

 Art cyclopedia
 Web Gallery of Art
 Wikipedia

ベネデット・ダ・マイアーノ Benedetto da Maiano

生没
1442年~1497年5月24日
レオナルド・ディ・アントーニオ
出身
マイアーノ
没地
フィレンツェ

概要

 ベネデット・ダ・マイアーノは建築家、彫刻家。

外部リンク

 ウィキペディア
 Art cyclopedia

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

バッチョ・ポンテッリ Baccio Pontelli

生没
1450年頃~1494年頃
出身
フィレンツェ
没地
ウルビーノ

概要

 バッチョ・ポンテッリは、15世紀のイタリアの男性、家具職人、特に要塞に精通した建築家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

エルコーレ・デ・ロベルティ Ercole de' Roberti

生没
1450年頃~1496年
出身
フェッラーラ
没地
フェッラーラ

概要

 エルコーレ・デ・ロベルティは、15世紀のイタリアの画家。

作品

年表

1450年

この年頃、フェッラーラに生(1451年)。

1496年6月

フェッラーラで死。

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』

ハンス・クロッカー Hans Klocker

生没
1450年頃~1500年頃
出身
ガイス
没地
ブレッサノーネ

概要

 ハンス・クロッカーは、15世紀頃の男性、彫刻家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

ヤコポ・ベディ Jacopo Bedi

生没
1???年~14??年
出身
グッビオ

概要

 ヤコポ・ベディは、1432年から1458年に活動していたイタリアの画家。

作品

外部リンク

 Wikipedia

ベルナルディーノ・ディ・ナンニ Bernardino di Nanni

生没
14??年~15??年

概要

 ベルナルディーノ・ディ・ナンニは、14世紀から15世紀頃のイタリアの画家。

作品

別表記

 Bernardino di Nanni dell’Eugenia

外部リンク

 Wikipedia

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2024年7月22日