Piero del Pollaiolo

ピエロ・デル・ポッライオーロ

生没
1441年頃~1496年
出身
フィレンツェ
没地
ローマ

概要

 ピエロ・デル・ポッライオーロは、画家。アントーニオ・デル・ポッライオーロの弟、共同制作者。

作品

年表

1441年頃

フィレンツェに生(1443年)。

1496年

ローマで死。

若い婦人の横顔 

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1465年頃
媒材
油彩、ポプラの板
寸法
52.5 cm×横36.5 cm
所蔵
ベルリン絵画館

概要

 「若い婦人の横顔」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。

題材

 ルクレツィア・ランドリアーニ

別表記

 Profile Portrait of a Young Lady

外部リンク

 Wikimedia Commons

貴婦人の肖像 Ritratto di Dama

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年頃
媒材
テンペラ、油彩、板
寸法
32,7 cm × 45,5 cm
所蔵
ポルディ・ペッツォーリ美術館

概要

 「貴婦人の肖像」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。

Piero del Pollaiolo Ritratto di Dama

備考

 2014年あべのハルカス美術館、華麗なる貴族コレクション出品作品

公式サイト

 Museo Poldi Pezzoli

外部リンク

 Wikipedia

七つの美徳 Sette Virtù

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロボッティチェッリ
制作
1470年
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「七つの美徳」は、7点の連作絵画。「剛毅」のみボッティチェッリ作で、「節制」「信仰」「慈愛」「希望」「正義」「貞節」はピエロ・デル・ポッライオーロ作である。1469年にシニョーリア広場に所在する商業裁判所の調停委員会が発注。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 フィレンツェ公認観光ガイド 加藤まり子

節制 Temperanza

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「節制」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

信仰 Fede

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「信仰」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

慈愛 Carità

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「慈愛」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

希望 Speranza

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「慈愛」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

正義 Giustizia

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「正義」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

貞節 Prudenza

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1470年
媒材
油彩、檜の板
寸法
167 cm×横88 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「貞節」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画。連作「七つの美徳」の1つ。

題材

 七つの美徳

外部リンク

 Wikipedia

ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの肖像 Ritratto di Galeazzo Maria Sforza

作者
ピエロ・デル・ポッライオーロ
制作
1471年頃
媒材
テンペラ、板
寸法
42 cm、縦65 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの肖像」は、ピエロ・デル・ポッライオーロ作の絵画、肖像画。

Galeazzo Maria Sforza Piero del Pollaiolo

背景

 ロレンツォ・イル・マニーフィコとの政治的提携を強化するため、ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァフィレンツェに今回3度目となる訪問を果たす。年代記には1471年3月13日に公が市内に入る様子が書かれているが、この絵のとおり「青い百合の錦織、フランス風の服装と甲冑」を着ていたという。
 1994年に修復され、その際、フラマン式に下地なしに直接板に肖像画が描かれていることが発見された。おそらく元々は二連板で、蝶番で繋がった片方にはウルビーノ伯フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像が描かれていたであろうと推測されている。1492年のメディチ宮殿の目録には、「ロレンツォの部屋」にその2つの作品が置かれていたことが記録されているためである。

内容

 暗い背景に、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが自然な様子で4分の3ほど右に向いている。髪は彼が好んだ髪型に波打っており、鷲鼻、際立った顎で、自信に満ちた断固たる表情である。フランス風の服で、緑の生地にフランスの百合の紋章が入っている。ボーナ・ディ・サヴォイアとの婚姻時に使用を許された紋章である。首にはハート形の赤い宝石のついた金の鎖がかかり、右手に薄い手袋をし、左手の手袋を持ちながら、人差し指が右を差している。

別表記

 Portrait of Galeazzo Maria Sforza

題材

 ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ

外部リンク

 Uffizi Gallery
 Wikipedia

参考文献

 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』

別表記

 ピエトロ・ポライウォーロ、ピエーロ・ポッライウオーロ

外部リンク

 ウィキペディア
 Web Gallery of Art

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2024年7月4日