
- 生没
- 1431年10月26日~1505年1月25日
- 父
- ニッコロ3世・デステ
- 母
- リッチャルダ・デル・ヴァスト
- 妻
- エレオノーラ・ダラゴーナ
- 女
- ルドヴィーカ・コンドルミエーリ
イザベッラ・アルドゥイーノ - 子
- ルクレツィア・デステ
イザベッラ・デステ
ベアトリーチェ・デステ
アルフォンソ1世・デステ
フェッランテ・デステ
ジューリオ・デステ
イッポーリト・デステ
シジスモンド・デステ
概要
エルコーレ1世・デステは、フェッラーラの男性、政治家、イタリアの傭兵隊長。
在位
モデナ公 1471年~1505年
先代:ボルソ・デステ
次代:アルフォンソ1世・デステ
レッジョ公 1471年~1505年
先代:ボルソ・デステ
次代:アルフォンソ1世・デステ
性格
理性的で、その楽しみ事においてさえ慎重であり、性来宗教的で吝嗇の傾きがあり、ルネサンス型というよりむしろ中世的な厳格な型の人物。
年表
ルドヴィーコ・イル・モーロ様に我が娘イザベッラ・デステをお望みになり、ミラノ公母后ボーナ・ディ・サヴォイアとルドヴィーコ・イル・モーロ殿下が大使ガブリエーレ・タッシーノをお寄越しになったことを、お知らせいたします。閣下とご長男との間で縁談についてすでに交渉中のため、残念ながら不可能であると返答しました。しかしながら、1歳ほど若く、ナポリ王フェッランテ・ダラゴーナ陛下が養女として迎え入れた別の娘がナポリにいるため、陛下にこの方々のご希望をお伝えする手紙を書き、ベアトリーチェ・デステの処遇については陛下にお伺いしないわけには参りませんので、ルドヴィーコ・イル・モーロ様を親族として受け入れることにご同意になるか尋ねました。陛下がこの婚姻を承認されたことを受けて、上記の方々も満足を表明され、私もこれに応じて異論がないことをお伝えしました。閣下との間の長い密接な連帯と同盟を思えば、お喜びになってくださるでしょう。今はまだこの件に関してご内密にお願い申し上げます。
高名なる閣下、親愛なる兄へ。長男アルフォンソ1世・デステがロマーニャ・ヴァレンティーノ公の妹ルクレツィア・ボルジアと結婚し、実施上の配慮によって、我が家と聖下の家との同盟に同意することを決定したことをお伝えしました。主に聖下に同意を迫られたせいで、結婚契約の全ての条項に聖下が同意なさるであろう条件でです。結果として、聖下と我々は同意に達し、キリスト教の王に執拗に契約を執行するよう迫られました。フランス大使と実際に出席した教皇代理たちを用いて、神の名の下に結婚し、今朝公表されました。急ぎ閣下にお伝えしましたのは、我々の相互関係と愛により、私共の懸念する全てのことに精通なさるべきだと考えるからであり、あなたのご都合のよいように振舞いたいと思います。
我々は何ら合意に達することがなかったので、ミケーレ・レモリネスがここから出立した後、アレクサンデル6世へのマクシミリアン1世の態度について聖下に何ら申し上げはしなかった。皇帝と会談した信用に足る人物から、皇帝がとても不愉快に感じていて、我々と同盟を結んだ聖下のことを遠慮のない言葉で批評されている。この手紙と一緒に送った写しを読めば分かるが、婚約以前の我々宛ての手紙でも同盟を結ばないように助言されていた。それらの手紙は、ここに駐在している聖下の大使に提示され、読まれた。だが、我々のことに関する限り、良識に従っているために、皇帝の姿勢に我々はそれほど重要な位置を占めてはおらず、日に日に我々に有利になると考え始めており、聖下との関係の観点から、我々の立場を報告するのは、このような次第ではあるが適切であるように思える。
それ故、教皇に全てを伝え、もしそれがいいと思えるなら写しを見せなさい。だが、我々が手紙を捏造したのではないことをくれぐれも申し上げておかなくてはならないし、我々が執着する特に重要な手紙だから写しを送ったのではないということも申し上げなければならない。
聖下、ご主人様。ルクレツィア・ボルジアがいらっしゃる前、歓迎することを固く決意し、対面した時には親しみと誠実さをもって、どんなに好意を持っているか示そうと思っておりました。そして今ここにいらっしゃり、彼女の美徳と長所を見るにつけ、ますますその決意を固めるばかりでなく、以前にするつもりであったことよりも、そして聖下の自筆のお手紙でお尋ねになっていたことよりも、もっと多くのことをしてさしあげようという決心することになりました。彼女を世界で最も価値のある宝石のように思っていることを聖下がお分かりになるように待遇するのですから、聖下には何のご心配には及びません。
ジャンジョルジョへ。アレクサンデル6世の死を我々がどう受け止めたかよく聞かれると思うが、気を悪くさせられるというようなことはないと言っておこう。神の僕、キリスト教世界の長に、神がその美徳と先見の明をもって立派な羊飼いをお与えになってくださっていたら、ひどい醜聞は免れていただろうにと、一度は考えた。個人的には何も求めることはないが、主として神の僕、長の幸福を心配している。付け加えるなら、しかし、この教皇ほど我々が利益を受け取ったことはなかったし、それは同盟を結んだ後でもだ。約束させたことを引き出すのに相当苦労したが、それ以上のことは何もしてはくれなかった。これにはロマーニャ公がその責を負うものと考えており、彼の思う通りにはできなかったにせよ、我々をまるで見ず知らずの他人のように扱った。一度たりと率直になったことはなく、いつも我々は伝えていたにもかかわらず、その計画を打ち明けることもなかった。最終的にはスペインに傾き、我々はフランスにこれまで通りついていたので、教皇とフランス王のどちらからもほとんど期待できなかった。そのため、上記の公爵の出世からは不道徳のみ予期しているのと同じように、教皇の死は少しの悲しみしかもたらさない。以上をシャルル・ダンボワーズへの内密の発言として、本意を隠し立てしたくはないので、一言一句伝えるよう。ただ他の者へは注意して話すよう。そうしたら、この手紙を信頼する顧問ジャンルカ・カステッリーニに返すのです。
淑女。親愛なる義理の娘、我が娘へ。あなたの手紙と、コゼンツァ枢機卿フランチェスコ・ボルジア猊下があなたに送られて、私に送ってくださったものを受け取りました。手紙と一緒に送り返し、私の他は誰も読んではおりません。あなたと枢機卿の合意に気付いております。彼の助言は心遣いに満ちており、愛情と知恵によるものであることはたちどころに明白です。全てを注意深く考慮し、あなたが猊下の指示に従うことができ、またそうすべきであるように思えます。事実、あなたと枢機卿に託されていると聞き及んでおりますあなたの息子ロドリゴ・ダラゴーナに対して示されている愛情のためからなる彼の助言に、あなたは従ざわるを得ないでしょう。ロドリゴ・ダラゴーナが遠く離れてしまいますが、近くで危険に晒されるよりも、枢機卿がそうお考えになっているように、遠くで安全である方がよろしいでしょう。別離によって、あなた方のお互いへの愛情が薄れることはありますまい。彼が成長した時、状況次第で、イタリアに帰ってくるか離れているか自分で決めることができるでしょう。枢機卿が何としてもなさりたいとおっしゃっている、ロドリゴ・ダラゴーナを支え収入を増やすために、ご自身の所有物をお金に変えるというご提案は、よいお考えです。短く言えば、そう言ったように、一番良い意見の一致を得ているように思えます。とは言え、これを決断なさるのに非の打ちどころなく適任なあなたが、別の方法をお決めになるのなら、全く従うつもりです。さようなら。

肖像
居住
埋葬地
関連項目
チェーザレ・ボルジア数
子アルフォンソ1世・デステ→妻ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
エルコレ1世、エルコレ公、フェッラーラ公エルコレ・デステ
外部リンク
ウィキペディア
世界帝王事典
Condottieri di ventura
Genealogy.EU
Project Gutenberg - Beatrice d'Este, Duchess of Milan, 1475-1497 by Julia Cartwright
kleio.org
THE BORGIAS wiki
Treccani
trionfi
参考文献
『イタリア史』
『イタリア・ルネサンスの文化』
『君主論』
『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
『フィレンツェ史』
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『メディチ家』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの歴史』
『ルネサンスの女たち』
『ルネサンス舞踊紀行』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
『ルネサンスの華』
『Lucretia Borgia』
『The Life of Cesare Borgia』
記載日
2005年5月29日以前
更新日
2020年1月9日