Trastámara

トラスタマラ家

フアン・デ・トラスタマラ・イ・グレア Juan de Trastámara

生没
1498年~1530年11月25日
アロンソ・デ・トラスタマラ
アナ・デ・グレア
概要

 フアン・デ・トラスタマラは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。

在位

 サラゴサ大司教 1520年3月28日~1530年11月25日

別表記

 ホアン・デ・アラゴン、フアン・ダラゴーナ、Juan d'AragonaJuan de Aragón

外部リンク

 GCatholic.com
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

アロンソ・デ・トラスタマラ Alonso de Trastámara

生没
1470年3月10日~1520年2月23日
出身
サルベーラ
没地
レセラ
フェルナンド2世・デ・アラゴン
アルドンザ・ローチ
アナ・デ・グレア
マルティン・デ・トラスタマラ
フアン・デ・トラスタマラ・イ・グレア
フェルナンド・デ・トラスタマラ
アルフォンソ・デ・トラスタマラ
フアナ・デ・トラスタマラ・イ・グレア
アナ・デ・トラスタマラ
アントーニオ・デ・トラスタマラ
概要

 アロンソ・デ・トラスタマラは、15世紀~16世紀のスペインの男性、聖職者。

在位

 ヴァレンシア大司教 1512年1月23日~1520年2月24日
  先代:ペドロ・ルイス・ランソル

別表記

 アルフォンソ・ダラゴーナ

外部リンク

 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Foundation for Medieval Genealogy
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ジョヴァンニ・ダラゴーナ Giovanni d'Aragona

生没
1456年6月25日~1485年10月17日
出身
ナポリ
フェッランテ・ダラゴーナ
イザベッラ・ディ・キアロモンテ
概要

 ジョヴァンニ・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1477年12月10日~1485年10月17日
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1465年
Abate commendatario di Montevergine
1471年
Abate di Ceva e Montecassino
 Protonotario Apostolico, Cardinale Diacono (Diacono di Sant’Adriano 12-12-1477 e di San Lorenzo in Lucina 10-9-1483) e Arcivescovo di Taranto dal 10-12-1477
1483年9月10日
Cardinale Vescovo di Sabina

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンナ・ダラゴーナ Giovanna d'Aragona

生没
1455年~1475年
フェッランテ・ダラゴーナ
ディアーナ・グアルダート
レオナルド・デッラ・ローヴェレ
年表

1472年
1475年
死(1501年)。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

ルクレツィア・ダラゴーナ Lucrezia d'Aragona

生没
~1549年
フェッランテ・ダラゴーナ
エウラーリア・ラヴィニャーノ
オノラート・カエターニ
概要

 ルクレツィア・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

年表

1493年11月

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

コーリア・ダラゴーナ Colia d'Aragona

生没
1423/24年~1473年
出身
ナポリ
没地
ピオンビーノ
アルフォンソ5世・デ・アラゴン
イッポーリタ・デ・ジューディチ
エマヌエレ・ダッピアーノ
概要

 コーリア・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの女性。

年表

1445年

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

マリーア・チェチーリア・ダラゴーナ Maria Cecilia d'Aragona

生没
1473年~1503年
フェッランテ・ダラゴーナ
Eulalia Ravignano
ジャン・ジョルダーノ・オルシーニ
概要

 マリーア・チェチーリア・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

年表

1503年1月
死(1503年2月、1513年)。

別表記

 マリア・チェチーリア・ダラゴナ

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史』
 『Lucretia Borgia

ジューリア・ダラゴーナ Giulia d'Aragona

生没
1492年~1542年3月10日
フェデリーコ・ダラゴーナ
ジョヴァンニ・ジョルジョ・パレオロゴ
概要

 ジューリア・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1492年
生。
1533年4月
1542年3月10日
ヴァレンツァにて死(1542年2月10日)。

別表記

 インファンタ・ジュリア

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』

マリーア・ダラゴーナ Maria d'Aragona

生没
1440年頃~1460年頃
フェッランテ・ダラゴーナ
ディアーナ・グアルダート
アントーニオ・トデスキーニ
イザベッラ・トデスキーニ
マリーア・トデスキーニ
ヴィットーリア・トデスキーニ
概要

 マリーア・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの女性。

年表

1458年

外部リンク

 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンナ・ダラゴーナ Giovanna d'Aragona

生没
1477年~1510年
エンリコ・ダラゴーナ
ポリッセーナ・デ・サンテーリャス
アルフォンソ・トデスキーニ
アントーニオ・ボローニャ
アルフォンソ2世・トデスキーニ
イザベッラ・トデスキーニ
概要

 ジョヴァンナ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

年表

1477年
生(1475年頃)。
1497年
1509年
アントーニオ・ボローニャと結婚。
1510年
ルドヴィーコ・ダラゴーナの命により暗殺される。

外部リンク

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レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス Leonor de Trastámara

生没
1430年頃~1478年
アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル
マリーア・フンケルス
ハイメ・デル・ミラ
概要

 レオノール・デ・トラスタマラは、15世紀の女性。

年表

1477年

チェーザレ・ボルジア数

 夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

外部リンク

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アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル Alonso de Trastámara

生没
1415年~1485年
出身
オルメド
没地
リナーレス
フアン2世・デ・アラゴン
レオノール・デ・エスコバル
レオノール・デ・ソトマヨル
マリーア・フンケルス
フアン・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス
レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス
フェルディナンド・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
マリーア・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
概要

 アロンソ・デ・トラスタマラは、15世紀の男性。

在位

 第1代ビジャエルモーサ公 1464年~1485年
  次代:アロンソ・デ・トラスタマラ

チェーザレ・ボルジア数

 子レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス→夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

外部リンク

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フアン・デ・トラスタマラ Juan de Trastámara

生没
1478年6月30日~1497年10月4日
フェルナンド2世・デ・アラゴン
イサベル1世・デ・カスティーリャ
マルグリット・ドートリッシュ
概要

 フアン・デ・トラスタマラは、15世紀の男性。

年表

1478年6月30日
生(1478年6月28日)。
1497年4月
1497年10月4日
死。

別表記

 フアン・ダラゴーナ、ホアン、Juan d'Aragona

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史Ⅴ』
 『世界悪女大全』
 『ハプスブルク家』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フアナ・ダラゴーナ Juana d'Aragona

生没
1455年6月16日~1517年1月9日
出身
バルセロナ
没地
ナポリ
フアン2世・デ・アラゴン
フアナ・エンリケス
フェッランテ・ダラゴーナ
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
カルロ・ダラゴーナ
概要

 フアナ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の女性。

チェーザレ・ボルジア数

 母フアナ・エンリケス→きょうだいエンリケ・エンリケス→子マリーア・エンリケス→夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいアロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル→子レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス→夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

別表記

 ジョヴァンナ・ダラゴナ(Giovannna d'Aragona)、ファナ

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史』
 『フィレンツェ史』
 『ルネサンスの華』

カルロッタ・ダラゴーナ Carlotta d'Aragona

生没
1479/80年頃~1506年
フェデリーコ・ダラゴーナ
アンナ・ディ・サヴォイア
ギー16世・ド・ラ・ローシュ
概要

 カルロッタ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1500年
ギー16世・ド・ラ・ローシュと結婚。

外部リンク

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参考文献

 『イタリア史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『フィレンツェ史』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンナ・ダラゴーナ Giovanna d'Aragona

生没
1478年~1518年
フェッランテ・ダラゴーナ
フアナ・ダラゴーナ
フェッランディーノ・ダラゴーナ
概要

 ジョヴァンナ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

チェーザレ・ボルジア数

 母フアナ・ダラゴーナ→母フアナ・エンリケス→きょうだいエンリケ・エンリケス→子マリーア・エンリケス→夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

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参考文献

 『イタリア史』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

エレオノーラ・ディアーナ・ダラゴーナ 
Eleonora Diana d'Aragona

アルフォンソ5世・デ・アラゴン
グエラルドーナ・カルリーノ
ジャンフランチェスコ・マリーノ・ダ・マルツァーノ
ルイーザ・ダ・マルツァーノ
ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・マルツァーノ
フランチェスカ・マルゲリータ・ダ・マルツァーノ
カテリーナ・ダ・マルツァーノ
カミッラ・ダ・マルツァーノ
マリーア・ダ・マルツァーノ
概要

 エレオノーラ・ディアーナ・ダラゴーナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1444年5月3日

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エンリコ・ダラゴーナ Enrico d'Aragona

生没
1431年頃~1478年11月21日
没地
テッラノーヴァ・ダ・シーバリ
フェッランテ・ダラゴーナ
ジョヴァンナ・カラッチオーロ
ポリッセーナ・デ・サンテーリャス
カテリーナ・ダラゴーナ
ルドヴィーコ・ダラゴーナ
イッポーリタ・ダラゴーナ
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
カルロ・ダラゴーナ
概要

 エンリコ・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 ジェラーチェ侯 1473年5月21日~1478年11月21日

年表

1431年頃
生(1451年頃)。
1478年11月21日
テッラノーヴァ・ダ・シーバリにて、毒茸を食して死(1478年5月11日)。

別表記

 Arrigo d'Aragona

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
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参考文献

 『イタリア史』

フェルディナンド・ダラゴーナ Ferdinando d'Aragona

生没
1488年12月15日~1550年10月26日
フェデリーコ・ダラゴーナ
概要

 フェルディナンド・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の男性。

在位

 カラブリア公

年表

1501年7月5日?~9月初旬
ゴンザロ・デ・コルドバ指揮のフェルナンド2世・デ・アラゴン軍、カラブリアのトロペーアに上陸。ナポリ分割のグラナダ協定の存在を知らなかったナポリ王フェデリーコ・ダラゴーナは、カラブリアの城塞を開けさせ、フェルナンド2世・デ・アラゴン軍を歓迎させる。フェルナンド2世・デ・アラゴン軍は、2ヶ月足らずでカラブリアを制圧。フェデリーコ・ダラゴーナの長子でカラブリア公フェルディナンド・ダラゴーナ(1488年~1559年)は捕らえられてスペインに送られる。

別表記

 Ferdinando d'Aragona

外部リンク

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参考文献

 『イタリア史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベアトリーチェ・ダラゴーナ Beatrice d'Aragona

生没
1457年9月14日~1508年9月23日
出身
ナポリ
没地
イスキア
フェッランテ・ダラゴーナ
イザベッラ・ディ・キアロモンテ
マティアス・コルヴィヌス
ウラースロー2世・ヤギェウォ
概要

 ベアトリーチェ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1457年9月14日
ナポリにて、生。
1475年
1476年10月
ハンガリーへ向かう途上、姉エレオノーラ・ダラゴーナのいるフェッラーラを訪れる。
1486年
イッポーリト・デステにエステルゴム教区長の地位を与える。
1490年10月4日
1508年9月23日
イスキアにて、死。

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『The Life of Cesare Borgia

フェルナンド1世・デ・アラゴン Ferdinando d'Aragona

生没
1380年11月27日~1416年4月2日
出身
メディーナ・デル・カンポ
没地
イグアラーダ
フアン1世
アルフォンソ5世・デ・アラゴン
マリーア・ダラゴーナ
フアン2世・デ・アラゴン
エンリケ・ダラゴーナ
レオノール・ダラゴーナ
ペドロ・ダラゴーナ
サンチョ・ダラゴーナ
概要

 フェルナンド1世・デ・アラゴンは、14世紀~15世紀のスペインの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子フアン2世・デ・アラゴン→子アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル→子レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス→夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

別表記

 フェルディナンド・ダラゴーナ

外部リンク

 ウィキペディア
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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史Ⅴ』
 『フィレンツェ史』

ルドヴィーコ・ダラゴーナ Ludovico d'Aragona

生没
1474年10月6日~1519年1月21日
出身
ナポリ
没地
ローマ
エンリコ・ダラゴーナ
ポリッセーナ・デ・サンテーリャス
バッティスティーナ・ウソディマーレ
トゥッリア・ダラゴーナ
概要

 ルドヴィーコ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

在位

 ジェラーチェ侯 1492年~1494年
 枢機卿 1494年5月~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1492年6月3日
ヴァティカン宮殿バッティスティーナ・ウソディマーレとの結婚式を挙げる(1489年)。
1494年
1503年9月10日
コンクラーヴェに参加するため、ローマ到着。

別表記

 ロドヴィーコ、ルイジ、アラゴナ枢機卿、LodovicoLuigi d'Aragona

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

レオノール・デ・トラスタマラ・イ・エヴルー Leonor de Trastámara

生没
1426年2月2日~1479年2月12日
出身
オリテ
没地
トゥデラ
フアン2世・デ・アラゴン
ブランカ1世・デ・エヴルー
ガストン4世・ド・フォワ
ガストン・ド・フォワ
ピエール・ド・フォワ
ジャン・ド・フォワ
ジャック・ド・フォワ
マリー・ド・フォワ
ジャンヌ・ド・フォワ
カトリーヌ・ド・フォワ
マルグリット・ド・フォワ
イザベル・ド・フォワ
エレオノール・ド・フォワ
アンヌ・ド・フォワ
概要

 レオノール・デ・トラスタマラは、15世紀のナヴァーラ王国の女性、ナヴァーラ王。

在位

 ナヴァーラ王国摂政 1455年~1479年
 ナヴァーラ王 1479年

外部リンク

 ウィキペディア

マリーア・ダラゴーナ Maria d'Aragona

生没
1425年~1449年12月9日
没地
フェッラーラ
アルフォンソ5世・デ・アラゴン
グエラルドーナ・カルリーノ
レオネッロ・デステ
概要

 マリーア・ダラゴーナは、15世紀の女性。

年表

1444年4月20日
1449年12月9日
フェッラーラにて死。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
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参考文献

 『Lucretia Borgia

フアナ・デ・トラスタマラ・イ・グレア Juana de Trastámara

生没
?~1521年
アロンソ・デ・トラスタマラ
アナ・デ・グレア
フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス
フランシスコ・デ・ボルハ
概要

 フアナ・デ・トラスタマラは、16世紀頃のスペインの女性。

年表

1509年1月31日
バリャドリードにて、フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケスと結婚。
1521年
死。

チェーザレ・ボルジア数

 夫フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス→父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 フアナ・ダラゴーナ、ファナ・ダラゴン、ホアナ・デ・アラゴン、Juana d'Aragona

外部リンク

 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

カテリーナ・ダラゴーナ Caterina d'Aragona

生没
1485年12月16日~1536年1月7日
フェルナンド2世・デ・アラゴン
イサベル1世・デ・カスティーリャ
アーサー
ヘンリー8世
メアリー1世
概要

 カテリーナ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1502年
アーサーと結婚。
1503年
アーサー没。
1509年6月3日
ヘンリー8世と結婚。
1527年5月初頭
この頃?、ヘンリー8世、教皇特使(1524年~)としての(自分の大法官)トマス・ウルジーに、妻カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立を承認、宣言するよう求める。
1528年6月
前年ヘンリー8世から出された妻カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立確認の訴えについて、カテリーナ・ダラゴーナの甥カール5世の監視下で自由な判定をなし得ないまま逃避的な態度を取り続けてきたクレメンス7世ヘンリー8世の執拗な要求の前に、イングランドで教皇使節法廷を開いて問題を審議、判定することをやむなく認め、使節として枢機卿ロレンツォ・カンペッジオを任命。
1529年5月31日
ヘンリー8世から出された彼とカテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立の訴えを審議するロンドンの教皇特使法廷が、ロレンツォ・カンペッジオトマス・ウルジーの主導下で開催される。
1529年7月16日
バルセロナ協定によってカール5世との関係を確立したクレメンス7世、婚姻不成立の訴えに関してヘンリー8世カテリーナ・ダラゴーナローマに召喚する令状に署名。
1529年11月3/4日
宗教改革議会:ヘンリー8世、議会の反ローマ教会的立法によってクレメンス7世を脅かし、カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立を承認させるべく、第五議会を招集。トマス・モアが開会の辞を述べる。以後、この議会は彼の当初の目的を超えた立法を重ね、イングランドの主権国家としての自立の、さらには宗教改革の幕を開く。
1533年5月23日
1533年1月10日ヘンリー8世にってカンタベリー大司教に任命されクレメンス7世の承認を得て1533年3月30日公式に叙階されたThomas Cranner(1489年~:在位~1553年)、ヘンリー8世カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻は無効と宣言。
1533年7月9日
もはやクレメンス7世が自分とカテリーナ・ダラゴーナとの婚姻を無効と認める可能性はないと見たヘンリー8世、1532年1月議会の制定した「初年度収入税上納制限法」を発効させる。
1533年7月11日
クレメンス7世ヘンリー8世アン・ブーリンとの結婚を無効と宣言すると共に、カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻は依然として有効であり、1533年9月までに彼女を正妻と認めなければその時をもって破門に処すと宣言。
1534年3月23/24日
クレメンス7世、秘密枢機卿会議でヘンリー8世カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻は有効であることを改めて最終的に確認し、ヘンリー8世にその婚姻に復帰するよう命令。(この報、1534年4月4日ロンドンに届く)。
1534年3月23日
「宗教改革議会」、ヘンリー8世カテリーナ・ダラゴーナの子メアリー1世を非正統とし、アン・ブーリンとの子エリザベスを正統な王位継承者と認めると共に、この継承者に反対する者を反逆罪に問い、かつこの「内容と効果を支持する」誓約を義務付けることを定めた「王位継承法」を可決。
1536年1月7日
婚姻無効宣言を下された(1533年)後も王妃の称号と権利の放棄を認めず軟禁状態に置かれていたカテリーナ・ダラゴーナ、失意の内に病(?)死(1485年~)。
これによりカール5世への対応の自由を得たヘンリー8世の心、この頃すでに現王妃アン・ブーリンを離れ、宮廷の女性Jane Seymour(1509年頃~1537年)に傾く。これをアラゴン家系貴族など反ブーリン家派、裏面から助長。

別表記

 キャサリン・オブ・アラゴン、カタリナ、Catherine of AragonCatalina d'AragonaCatarina

外部リンク

 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Find A Grave
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 The Medici Archive Project

参考文献

 『世界悪女大全』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家の人々』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

エンリケ4世 Enrique IV

生没
1425年1月25日~1474年12月11日
フアン2世
フアナ
概要

 エンリケ4世は、15世紀の男性、カスティーリャ王。

在位

 カスティーリア王 1454年~1474年
  次代:イサベル1世・デ・カスティーリャ

年表

1454年7月21日
カスティリア王ホアン2世、死。子エンリケ4世(1425年~1474年:カスティリア王在位1454年~1474年)、カスティリア王に即位。
1469年10月19日
カスティリア王エンリケ4世の妹イサベル1世・デ・カスティーリャ(1451年~1504年)、アラゴン・サルデーニャ王フアン2世・デ・アラゴンの長子で1468年シチリア王と宣言されたフェルナンド2世・デ・アラゴンと結婚。
1474年12月11日
エンリケ4世死(1425年~1474年:カスティリア王在位1454年~1474年)——2日後、妹でフェルナンド2世・デ・アラゴンの妻イサベル1世・デ・カスティーリャ、カスティリア王に即位(在位1474年~1504年)。
これに伴いフェルナンド2世・デ・アラゴン、カスティリア王Fernando Vとも名乗る。
1475年5月
故カスティリア王エンリケ4世の娘Juana (la Beltraneja)(1462年~1530年)とその夫ポルトガル王Afonso Vが、カスティリアの王位継承を主張。カスティリアは内乱状態に陥る(~1479年)。

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Genealogy.EU

参考文献

 『世界悪女大全』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フアナ1世・デ・トラスタマラ Juana I de Trastámara

生没
1479年11月6日~1555年4月12日
フェルナンド2世・デ・アラゴン
イサベル1世・デ・カスティーリャ
フェリペ1世
レオノール・デ・アウストリア
カール5世
フェルディナント1世
マリア・フォン・ハプスブルク
カタリナ・デ・アブスブルゴ
概要

 フアナ1世・デ・トラスタマラは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1496年10月21日
マクシミリアン1世の子でブルゴーニュ公フェリペ1世(1478年~1506年:在位1482年~:但し1494年まで父マクシミリアン1世が摂政)、フェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャ両王の娘フアナ1世・デ・トラスタマラ(1479年~1555年)と結婚。
1504年11月26日
両王の娘フアナ1世・デ・トラスタマラは、カスティーリア王位を継ぐが、フェルナンド2世・デ・アラゴンが摂政としてカスティーリアを統治(1504年~1506年)。これに対し、自ら摂政の位を望むフアナ1世・デ・トラスタマラの夫、ブルゴーニュ公フェリペ1世は不満を抱く。
1506年4月
病弱な妻フアナ1世・デ・トラスタマラの摂政としてカスティーリャを支配しようとするフェリペ1世、その位を求めて彼女と共にカスティーリャに到着。フェルナンド2世・デ・アラゴンに反感を抱く貴族たちの支持を受ける。

別表記

 ホアナ、ジョヴァンナ、Juana la Loca

外部リンク

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 世界帝王事典
 Find A Grave
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Medici Archive Project

参考文献

 『世界大百科事典』
 『ルネサンス百科事典』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『世界悪女大全』
 『ハプスブルク家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『フィレンツェ史』

フアン2世・デ・アラゴン Juan II de Aragón

生没
1397年6月29日~1479年1月20日
出身
メディナ・デル・カンポ
没地
バルセロナ
フェルナンド1世・デ・アラゴン
レオノール・デ・アルブルケルケ
ブランカ1世・デ・エヴルー
フアナ・エンリケス
アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル
フアン・デ・トラスタマラ
カルロス・デ・トラスタマラ
フアナ・デ・トラスタマラ
ブランカ・デ・トラスタマラ
レオノール・デ・トラスタマラ・イ・エヴルー
フェルナンド・デ・トラスタマラ
レオノール・デ・トラスタマラ・イ・アルヴァレス
マリーア・デ・トラスタマラ
レオノール・デ・トラスタマラ
フェルナンド2世・デ・アラゴン
フアナ・ダラゴーナ
概要

 フアン2世・デ・アラゴンは、14世紀~15世紀のスペインの男性。

在位

 ナヴァーラ王 1425年~1479年
 シチリア王 1458年~1468年
  次代:フェルナンド2世・デ・アラゴン
 アラゴン・サルデーニャ王 1458年~1479年

年表

1458年6月27日
アルフォンソ5世・デ・アラゴン死(1396年~1458年:アラゴン王在位1416年~1458年:シチリア・サルデーニャ王在位1420年~1458年:ナポリ王在位1443年~1458年)——遺言により、ナポリ王位は先にエウゲニウス4世及びニコラウス5世から正統継承者として認承された(1444年、1447年)庶出の長子フェッランテ・ダラゴーナ(在位~1494年)に、アラゴン、シチリア、サルデーニャ王位は次弟ナヴァーラ王フアン2世・デ・アラゴン(1397年~1479年:ナヴァーラ王在位1425年~:シチリア王在位1458年~1468年:アラゴン・サルデーニャ王在位1458年~1479年)に継承される。
1468年
アラゴン・シチリア・サルデーニャ王フアン2世・デ・アラゴン、長子フェルナンド2世・デ・アラゴン(1452年~1516年)のシチリア王即位を宣言(在位1468年~1516年)し、シチリア王位を退く(在位1458年~)。
1469年10月19日
カスティリア王エンリケ4世の妹イサベル1世・デ・カスティーリャ(1451年~1504年)、アラゴン・サルデーニャ王フアン2世・デ・アラゴンの長子で1468年シチリア王と宣言されたフェルナンド2世・デ・アラゴンと結婚。
1479年1月19日
フアン2世・デ・アラゴン死(1379年~:在位1458年~)——長子フェルナンド2世・デ・アラゴン、アラゴン王に即位(在位1479年~1516年)。
これによりフェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャの共同統治によるスペイン王国成立(1479年~1504年)。

チェーザレ・ボルジア数

 子アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル→子レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス→夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

別表記

 ファン2世、ホアン・デ・ナバラ、ジョヴァンニ、Juan II d'Aragona

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ロドリゴ・ダラゴーナ Rodorigo d'Aragona

生没
1499年10月31日~1512年8月28日
出身
ローマ
没地
バーリ
アルフォンソ・ダラゴーナ
ルクレツィア・ボルジア
概要

 ロドリゴ・ダラゴーナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

在位

 セルモネータ公 1501年9月17日~1504年1月24日
  次代:グリエルモ・カエターニ
 ビシェリエ公 1502年1月7日~
 コラート領主 1502年1月7日~

年表

1499年10月31日
夜から1499年11月1日にかけて、ローマで生。
1499年11月11日
洗礼式:16名の枢機卿とヨハン・ブルカルトサンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿に参集。アレッサンドリーノ式と呼ばれていた薄青いアネモネ色のビロードで飾られた部屋の、金糸の浮き模様を打ち出したサテン張りのベッドに母ルクレツィア・ボルジアは上半身を起こし、緋と青色の服を着ている。40名余の貴婦人、大公使、高位聖職者、友人らが居並ぶ。
館の礼拝堂から隣のシスティーナ礼拝堂へ移る。今日では『最後の審判』が掛けられている仕切り壁は、この日、金色の教会旗で覆われ、その前には金色の錦を掛けられた特別席が設けられる。床には、大きな絨毯が何枚も敷かれる。教皇の親衛隊、薔薇色のラシャの服を纏った侍従たち、鼓手、横笛吹きの楽士などがまず進み出る。その後、白貂の裏皮のついた金糸の錦に包まれた嬰児を腕に抱いたフアン・セルヴィロンが進む。2人ずつ組になって、金や宝石からなる聖器を捧げた従者らが続き、ローマの知事、各国の大公使、そして2列になった高位聖職者の列が長く延びる。祭壇の前に達すると、フアン・セルヴィロンは嬰児を代父のコゼンツァ大司教フランチェスコ・ボルジアに渡す。大司教は嬰児を銀の洗礼盤に近づけ、オリヴィエーロ・カラーファ枢機卿の手で洗礼を授けられ、祖父と同じくロドリゴ・ダラゴーナと名づけられる。儀式には、多数の夫人や淑女たちが参列していて、嬰児をよく見ようとして最前列の枢機卿席まで進み出ていたため、自分の席を占領されてしまった枢機卿たちは後列に下がり、厳しい寒さの中でむき出しの土間に立っていなければならなかった。
式が終わると、ロドリゴ・ダラゴーナは、教皇アレクサンデル6世オルシーニ家のより緊密な友情の新たな印としてパオロ・オルシーニに預けられる。それまで静かだったが、パオロ・オルシーニの腕の中にいる間中泣き続けた。
1501年9月17日
教皇アレクサンデル6世によりセルモネータ公に封ぜられる。
1502年1月7日
フェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャのローマ駐在大使フランチェスコ・デ・ロクサスにより、ビシェリエ公とコラートの領主として承認される(1502年5月20日)。
1503年8月18日
ナポリに残る。おそらく、伯母サンチャ・ダラゴーナに育てられる。
1505年3月26日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に「公妃はバーリのご子息ロドリゴに、贈り物としてダマスク織と絹織の服1着を送られた」と記載がある。
この時にはバーリにて、イザベッラ・ダラゴーナに育てられている。
1505年4月3日
ルクレツィア・ボルジアが、ナポリに来ていた家庭教師バルタッサーレ・ボンフィーリオを自分のもとへ返す。
1505年9月
ペドロ・ルイス・ランソル枢機卿とフランシスコ・デ・レモリンス枢機卿の管理の下、スペイン王フェルナンド2世・デ・アラゴンに忠誠の誓いを立てる。
1512年8月28日
バーリで死(1512年12月)。

チェーザレ・ボルジア数

 母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 Roderigo

外部リンク

 世界帝王事典
 そらのお城
 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

トゥッリア・ダラゴーナ Tullia d'Aragona

生没
1510年~1556年3月12日
出身
ローマ
没地
ローマ
ルドヴィーコ・ダラゴーナ
概要

 トゥッリア・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの女性、詩人。

年表

1510年
この年頃、ローマに生(1508年)。
1547年
抒情詩集Rime(リーメ)をヴェネツィアで刊行。
1549年
Dialogo della infintà di amore(愛の無限性についての対話)を刊行。
1556年3月12日
ローマで死(1556年3月13日)。
1560年
遺作・伝承詩集Guerino(グエリーノ)、ヴェネツィアで刊。

別表記

 トゥルリア・ダラゴーナ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マリア・デ・トラスタマラ Maria di Castiglia

アルフォンソ5世・デ・アラゴン
別表記

 マリア・ディ・カスティーリャ、マリーア・ディ・カスティーリア

外部リンク

 ウィキペディア
 Genealogy.EU

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』

フェッランディーノ・ダラゴーナ Ferrandino d'Aragona

生没
1469年8月26日~1496年9月7日
出身
ナポリ
アルフォンソ2世・ダラゴーナ
イッポーリタ・スフォルツァ
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
概要

 フェッランディーノ・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 ナポリ王 1495年~1496年
  先代:アルフォンソ2世・ダラゴーナ
  次代:フェデリーコ・ダラゴーナ

年表

1469年8月26日
ナポリに生(1467年6月26日)。
1494年
軍を率いてロマーニャに配置。
1494年9月5日
ナポリ軍を指揮してヴィッラフランカ(現フォルリのフラツィオーネ)到着。
1494年9月23日
バニャーラ要塞の外でカテリーナ・スフォルツァと会い、共同軍事行動に合意。
1494年10月17日
近くのモルダーノに進軍し、戦場に誘い込むよう挑発的な攻撃をフランスの野営地に繰り返し行う。
1495年1月23日
アルフォンソ2世・ダラゴーナが退位し、ナポリ王に即位。
1495年2月21日
シャルル8世軍の入城を前にナポリを逃亡。ホフレ・ボルジアも随行。
1495年5月
スペインのフェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャ両王、ゴンザロ・デ・コルドバ指揮の自軍にフェッランディーノ・ダラゴーナのためナポリ奪回の戦いを開始させる(1495年~96年)。
1495年7月7日
ナポリに復帰。
1495年
1496年7月20/21日
シャルル8世のナポリ総督モンパンシエ公ジルベール・ド・ブルボンは、アテッラでゴンザロ・デ・コルドバに降伏し、シャルル8世の残留軍はナポリより撤退。フェッランディーノ・ダラゴーナは、スペイン軍やヴェネツィア艦隊の支援を得てナポリ全土をほぼ回復。但しナポリ奪還の戦いに加わったヴェネツィアは、アドリア海沿岸のナポリ領5都市を占拠し続ける。
1496年9月7日
熱病で死(1496年10月5日)。

チェーザレ・ボルジア数

 妻ジョヴァンナ・ダラゴーナ→母フアナ・ダラゴーナ→母フアナ・エンリケス→きょうだいエンリケ・エンリケス→子マリーア・エンリケス→夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいアルフォンソ・ダラゴーナ→妻ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいサンチャ・ダラゴーナ→夫ホフレ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 フェランティノ、小フェランテ、フェルランド2世、カラブリア公フェルディナンド、フェルディナンド2世、フェランディーノ、Ferdinando II d'Aragona

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2019年12月1日