Caterina Sforza

カテリーナ・スフォルツァ

Ritratto di Caterina Sforza Lorenzo di Credi
生没:1463年~1509年5月28日
出身:ミラノ
没地:フィレンツェ
在位:イーモラフォルリの摂政
        1488年~1499年
父:ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
母:ルクレツィア・ランドリアーニ
夫:ジローラモ・リアリオ
  ヤコポ・フェオ
  ジョヴァンニ・イル・ポポラーノ
子:ビアンカ・リアリオ
  オッタヴィアーノ・リアリオ
  チェーザレ・リアリオ
  ジョヴァンニ・リヴィオ・リアリオ
  フランチェスコ・スフォルツィーノ・リアリオ
  ガレアッツォ・リアリオ
  ジョヴァンニ・ダッレ・バンデ・ネーレ

概要

 カテリーナ・スフォルツァは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

年表

1473年1月14日
ミラノでジローラモ・リアリオと結婚(1477年1月14日)。チッコ・シモネッタが2人の結婚式を取り仕切る。
1476年12月26日(木)
サント・ステファノの日。父ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが暗殺される。
1488年4月14日
圧政により民衆の憎悪、怨恨の的ともなっていた夫ジローラモ・リアリオが彼の役人チェッコ・オルシら3名の主導により殺害される(1488年4月15日)。カテリーナ・スフォルツァは持ち前の勇猛心と機転を発揮し、かつルドヴィーコ・イル・モーロからも援軍を得て城塞を叛徒から守る。
1488年4月25日
幼子オッタヴィアーノ・リアリオフォルリイーモラを継承させてカテリーナ・スフォルツァはその摂政となり、支配権を掌握。
1490年
この年頃までに、亡夫ジローラモ・リアリオの下級の臣ヤコポ・フェオと事実上、再婚。
1495年8月27日
ヤコポ・フェオが、亡夫ジローラモ・リアリオとの子オッタヴィアーノ・リアリオの重臣たちに殺害される。
1497年
ジョヴァンニ・イル・ポポラーノと結婚。
1499年
オッタヴィアーノ・リアリオ以外の子供たちをフィレンツェに向かわせる。
1499年12月
フォルリの意思を確かめるため弟アレッサンドロ・ディ・ガレアッツォ・スフォルツァを派遣。アンツィアーニ評議会は街を明け渡すことを決定し、40人評議会(Consiglio dei Quaranta)は意見が分かれたとの報告を受け、ラヴァルディーノ城だけを守ることを決意。
1499年12月14日
オッタヴィアーノ・リアリオフィレンツェに向かわせる。フォルリの主要市民たちであるルッフォ・ヌーマイ、アントーニオ・テオドーリ、バルトロメオ・マラティーニを捜索。ルッフォ・ヌーマイは逃亡しており、広場に武装した市民たちに囲まれ夜を明かす。
1499年12月15日
他の市民を捜索するが、「ポーポロ!ポーポロ!」という叫びが発せられ、警護していた門を市民たちに奪われる。一般評議会が各地区から5人ずつ20人のアンツィアーニを選出し、チェーザレ・ボルジアフォルリを明け渡すことを決定。
1499年12月
アンツィアーニ評議会議長ニッコロ・トルニエッリ、ルドヴィーコ・エルコラーニを逮捕。市庁舎を砲撃し、塔を破壊。
1499年12月25日
ラヴァルディーノ城の塔にマルコの獅子の旗を掲げヴェネツィアの保護があるかのように見せるが、戦場にいるヴェネツィア人傭兵隊長には見破られていた。
1499年12月26日
堀からのチェーザレ・ボルジアの呼びかけに応じ外に出るが、事前に彼が足をかけるや否や跳ね橋を上げるように城主ジョヴァンニ・ダ・カザーレに命令、しかし上げるのが早すぎたため失敗に終わる。
1500年1月12日
チェーザレ・ボルジアフォルリを制圧される。
カテリーナ・スフォルツァは家臣と共に勇敢に抵抗したが、市民がいち早くチェーザレ・ボルジアに忠誠を誓ったこともあって敗北し捕らえられ、ローマに送られて一時サンタンジェロ城に幽閉される。
1500年1月23日
チェーザレ・ボルジア軍と共にフォルリ出発。カテリーナ・スフォルツァはチェーザレ・ボルジアイヴ・ダレーグルに挟まれ、トルコの黒い服で葦毛の馬に騎乗。
1500年1月23日
夜、チェゼーナ到着。チェゼーナの要塞に幽閉される。
1500年1月30日
チェゼーナ出発。
1500年2月26日(水)
チェーザレ・ボルジアローマに連行され、ベルヴェデーレ小宮殿に軟禁される。フランス王ルイ12世への配慮から、チェーザレ・ボルジアの凱旋式にカテリーナ・スフォルツァが捕虜として誇示されるということはなかった。
1500年6月
逃亡を試みるも失敗。サンタンジェロ城に移される。
1501年6月26日
サンタンジェロ城から釈放(1500年、1501年5月)。フィレンツェ領で子供たちと再会、隠遁。
1509年5月28日
フィレンツェ領で死(1509年5月29日)。

肖像

Ritratto di Caterina Sforza Lorenzo di Credi
ロレンツォ・ディ・クレディ
カテリーナ・スフォルツァの肖像

関連項目

 The Borgias: 103, 107

別表記

 カテリーナスフォルツァ、カテリーナ・リアーリオ

異名

 フォルリの牝虎(ティグレ)、フォルリ女伯、イタリアの女傑(La virago d'Italia)

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 歴史データベース
 Genealogy.EU
 HighBeam Research
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Making Up the Renaissance
 RootsWeb.com
 THE BORGIAS wiki
 Visitare Imola

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『君主論』
 『世界悪女大全』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネッサンス百科事典』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『At the Court of the Borgia
 『Dizionario di Erudizione Storico-Ecclesiastica
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年10月1日以前
スフォルツァ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで