Rocca

要塞

アッバツィアーレ要塞 Rocca Abbaziale

所在地
イタリア共和国ラツィオローマ県スビアーコ
概要

 アッバツィアーレ要塞は、スビアーコにある建物。

公式サイト

 Rocca Abbaziale di Subiaco (RM) Sito ufficiale

外部リンク

 Ethea
 Google Maps
 IL COLIBRÌ
 TesoriMagazine
 Tivoli e dintorni - Terre da scoprire
 Wikipedia

イーモラの要塞 Rocca di Imola

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャボローニャ県イーモラ
概要

 イーモラの要塞は、イーモラにある建物。


外部リンク

 Google Maps
 Wikipedia

コスタンツァ要塞 Rocca Costanza

所在地
イタリア共和国マルケペーザロ・エ・ウルビーノ県ペーザロ
設計
ルチアーノ・ラウラーナ
建設
1474年~1505年

概要

 コスタンツァ要塞は、ペーザロにある建物。
 1474年にコスタンツォ1世・スフォルツァによって街の防衛のために作られた城で、1505年にジョヴァンニ・スフォルツァの代に完成。建築家ルチアーノ・ラウラーナの作品。2004年には修復された。
 ペーザロルクレツィア・ボルジアの最初の夫ジョヴァンニ・スフォルツァの領地で、非常に短い期間だがルクレツィア・ボルジアもここコスタンツァ要塞で生活をしたことがある。ヴァティカン図書館に保管されている父教皇アレクサンデル6世に宛てたルクレツィア・ボルジアの手紙もここペーザロで書かれている。

別表記

 コンスタンツァ要塞、Rocca Constanza

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 ボルジア解体新書
 Framepool
 Google Maps
 Pesaro Cultura
 Provincia di Pesaro e Urbino

サン・レオ要塞 Rocca di San Leo

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャリーミニ県サン・レオ
概要

 サン・レオ要塞は、サン・レオにある建物。


別表記

 サン・レーオの要塞、サン・レオの要塞、サン・レーオ城、城塞サン・レオ、Forte di San Leo

外部リンク

 イタリア・マルケ州政府観光局公式日本語サイト
 Google Maps
 Wikipedia

ボルジア要塞 La Rocca dei Borgia

所在地
イタリア共和国マルケマチェラータ県カメリーノ
概要

 ボルジア要塞は、カメリーノにある建物。

外部リンク

 Google Maps
 Wikipedia

マラテスタ要塞 Rocca Malatestiana

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県チェゼーナ
概要

 マラテスタ要塞は、チェゼーナにある建物。


別表記

 palazzo di Malatesta Novello

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 Google Maps
 Wikipedia

ピア要塞 Rocca Pia

所在地
イタリア共和国ラツィオローマ県ティヴォリ

概要

 ピア要塞は、ティヴォリにある建物。1461年のこの要塞の建設により、ティヴォリにおける争いが終息し、ティヴォリにおける中世が終わりの時を迎える。グエルフィとギベッリーニの対立、またコロンナ家オルシーニ家の闘争によって引き裂かれた都市は、何世紀にもわたる独立自治への執着を捨て、15世紀半ばにようやく教皇の権力に屈することを余儀なくさせた。1461年7月、教皇ピウス2世ティヴォリを初めて訪れ、その忠誠心を確保するために建設を開始。1年後に完成。アレクサンデル6世の命で2つの小さな塔が付けられる。

別表記

 ロッカ・ピーア城

外部リンク

 Tibursuperbum
 Wikipedia

アルボルノツィアーナ要塞 Rocca Albornoziana

所在地
イタリア共和国ウンブリアペルージア県スポレート
建設
1363~1367年
設計
マッテオ・ガッタポーニ
概要

 アルボルノツィアーナ要塞は、スポレートにある建物。サンテリーアの丘に建つ要塞。
 中央イタリアの領土における教会の権威を軍事的に強化し、可視化するために、教皇インノケンティウス6世が構想。
 ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス枢機卿の監督の下、マッテオ・ガッタポーニが指揮し、1363~1367年に建設される。堅固で堂々とした要塞ながら、優雅で快適な住まいでもあり、高名な客人を迎え入れてきた。
 1392年に教皇ボニファキウス9世が、1449年に教皇ニコラウス5世ローマのペストを避けるため滞在。
 スポレートの統治を任されたルクレツィア・ボルジアは、1499年8月から2か月弱ここに居住している。後から到着した夫アルフォンソ・ダラゴーナと、つかの間の平穏な時を過ごした場所である。

塔の橋側から

Cortile delle Armi

Corte d'Onore

 アルボルノツィアーナ要塞には中庭が2箇所あり、こちらは奥の住居側。
 ジョルジョ・ヴァザーリによれば、二重の開廊は、ニコラウス5世によりスポレートに招かれたベルナルド・ロッセリーノが設計したものである。
 フレスコ画が描かれており、白い階段の真上の2階部分にはアレクサンデル6世の紋章が見られる。

Camara Pinta


別表記

 Rocca Albornoziana di Spoleto

外部リンク

 Google Maps
 Wikipedia

ネピの要塞 Rocca di Nepi

所在地
イタリア共和国ラツィオヴィテルボ県ネピ
概要

 ネピの要塞は、ネピにある建物。今では4本の塔がかろうじて残っているくらいの廃虚となっている。
 四角い塔は11世紀まで遡ることができ、本丸は14世紀に記録が見られる。1474年教皇シクストゥス4世が復元と修復を推進するが、抜本的に図面を変えてしまう一連の増改築が始まるのは1479年になってからのことである。1479年から1499の間に円筒形の塔が四隅に建てられ、ボルジア家の紋章がつけられる。また、2つの主要な塔を結ぶ壁に沿って開廊が建てられる。1499年から1503年にアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオが設計を担う。
 1450年代にロドリゴ・ボルジア枢機卿が教皇カリストゥス3世によりネピの知事に任命され、1483年には要塞の増築を委任されている。教皇となったアレクサンデル6世は、1495年1月1日にアスカーニオ・マリーア・スフォルツァ枢機卿にネピ知事の地位を与えるも、教皇の政策転換の結果、枢機卿は1499年7月13日にローマを逃亡。

 その後、夫アルフォンソ・ダラゴーナを亡くしたルクレツィア・ボルジアが、息子ロドリゴ・ダラゴーナと共に1500年に数か月の間居住している。なぜかルクレツィア・ボルジアは居住用の四角い塔ではなく、軍事用の丸い塔の方に住んでいた。また、1階下まで壁の一部がくり抜かれて吹き抜け状態になっていて、これは彼女がそこから下にいる侍女に話しかけるため空いている穴だそうである。しかしながら、彼女が過ごした部屋は残っていないという話もあって、真偽のほどは明らかではない。ちなみに、内部はかなり狭いのだとか。
 ネピは1501年にインファンテ・ロマーノに封ぜられている。1503年にはコンクラーヴェローマからの退去を求められ、マラリアの高熱はおさまったもののまだ衰弱していたチェーザレ・ボルジアが、ヴァノッツァ・デイ・カッタネイホフレ・ボルジアルイーズ・ボルジアロドリゴ・ダラゴーナネピインファンテ・ロマーノを伴って、1か月弱ネピの要塞に避難。
 1520年ベルナルド・アッコルティネピ公となる。これをパウルス3世が取り上げ、息子のピエル・ルイジ・ファルネーゼに1537年与え、ネピはカストロ公国の一部となる。ピエル・ルイジ・ファルネーゼはカストロ公国の全要塞を修復するため、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネを招いている。








別表記

 ボルジア要塞、ラ・ロッカ、La Rocca dei BorgiaRocca Borgiana

外部リンク

 Google Maps
 Wikipedia

ラヴァルディーノ城 Rocca di Ravaldino

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県フォルリ
概要

 ラヴァルディーノ城はフォルリの要塞。

南西

Rocca di Ravaldino

チェーザレ・ボルジアの紋章南西

Rocca di Ravaldino チェーザレ・ボルジアの紋章
 1500年1月12日、チェーザレ・ボルジアが大砲でラヴァルディーノ城の南西を突破。その後修復時にこの大理石で作られた紋章がつけられる。左側にランソル家の黒色の帯、右側にチーフ(上部3分の1幅の帯)でボルジア家の牡牛とフランスの百合、中央に教皇の紋章が重ねられている。紋章の下には次の銘が記されている。



C. BORGIA DE FRANCIA
VALEN. ROMANDIO LAEQ.
DUCIS AC S.R. E CONFA
ET CAP. GENERALIS

 修復は1501年夏頃に完了したが、レオナルド・ダ・ヴィンチが関与していたのではないかという話がある。

写真の上が北

Rocca di Ravaldino
 下の版画を見れば、現在木や草が生えているところ辺りが全て堀だったようだ。Google MapsICASTELLI.ORGを併せて参照してもらいたい。
 チェーザレ・ボルジアは南西の堀の外側に大砲を配置し、この壁が崩れると堀を埋めて、城内に突入、制圧した。

19世紀 版画 800年からカテリーナ・スフォルツァ時代
上が西南西

 出典不明の版画。忠実に再現しているというわけはないよう。

Rocca di Ravaldino

天守閣

Rocca di Ravaldino

カテリーナ・スフォルツァの碑文 位置不明

Rocca di Ravaldino カテリーナ・スフォルツァの碑文

外部リンク

 Autor Frederik Berger alias Fritz H. Gesing
 Corella, l'Ombra del Borgia il romanzo
 Flickr - FABIO CASADEI
 Google Maps
 ICASTELLI.ORG
 MIBAC
 Mondi medievali
 Mondo del Gusto
 Panoramio - Heinz H. Klier
 Panoramio - Heinz H. Klier
 Panoramio - Roberto Tomei
 TripAdvisor
 Wikipedia

参考文献

 『Dizionario di Erudizione Storico-Ecclesiastica

ロヴェレスカ要塞 Rocca Roveresca




所在地
イタリア共和国マルケアンコーナ県セニガッリア
設計
ルチアーノ・ラウラーナ、バッチョ・ポンテッリ
施主
ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレ
概要

 ロヴェレスカ要塞は、セニガッリアにある建物。少し北にはミーザ川が流れている。
 正方形の4つ角を塔が囲み、堀を渡す跳ね橋を備えた典型的なルネサンス様式の軍事建築。中には居住部分、小さな中庭、地下室がある。
 セニガッリア領主ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが、ルチアーノ・ラウラーナに元々あった要塞の建て直しを委嘱。1478年着工し、ルチアーノ・ラウラーナの死後はバッチョ・ポンテッリが引き継いで、1480年に完成させる。「ロヴェレスカ」は、「ローヴェレの」という意味である。
 ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレと妻ジョヴァンナ・ダ・モンテフェルトロ一家は、完成後はここに住んでいたであろう。

外部リンク

 イタリア・マルケ州政府観光局公式日本語サイト
 Google Maps
 Wikipedia

フォルリンポーポリ要塞 Rocca di Forlimpopoli

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県フォルリンポーポリ
建設
1360~1365年
施主
ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス
概要

 フォルリンポーポリ要塞は、フォルリンポーポリにある建物。


外部リンク

 Wikipedia

バニャーラ要塞 Rocca di Bagnara

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャラヴェンナ県バニャーラ・ディ・ロマーニャ
建設
1482年~1488年
施主
ジローラモ・リアリオカテリーナ・スフォルツァ
概要

 バニャーラ要塞は、バニャーラ・ディ・ロマーニャにある建物。
 かつてここにはベルナボ・ヴィスコンティが1354年に建てた城が存在していたが、1428年の戦闘で破壊された。そこにイーモラ領主ジローラモ・リアリオが建設を始め、彼の没後はカテリーナ・スフォルツァが完成させたのがこの要塞で、15世紀イタリアの軍事建築の傑作と評される。


外部リンク

 Wikipedia

記載日

 2006年7月17日

更新日

 2020年11月7日