Rocca

要塞

アッバツィアーレ要塞 Rocca Abbaziale

所在地
イタリア共和国ラツィオローマ県スビアーコ
概要

 アッバツィアーレ要塞は、スビアーコにある建物。

公式サイト

 Rocca Abbaziale di Subiaco (RM) Sito ufficiale

外部リンク

 Ethea
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 IL COLIBRÌ
 TesoriMagazine
 Tivoli e dintorni - Terre da scoprire
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イーモラの要塞 Rocca di Imola

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャボローニャ県イーモラ
概要

 イーモラの要塞は、イーモラにある建物。



外部リンク

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コスタンツァ要塞 Rocca Costanza

所在地
イタリア共和国マルケペーザロ・エ・ウルビーノ県ペーザロ
設計
ルチアーノ・ラウラーナ
建設
1474年~1483年
概要

 コスタンツァ要塞は、ペーザロにある建物。


 1474年にコスタンツォ1世・スフォルツァによって街の防衛のためにジョルジョ・マルケージに委託され建設が開始される。数か月後からはルチアーノ・ラウラーナが引き継ぐが、1479年に彼が亡くなるとケルビーノ・ダ・ミラノの監督下において進められた。ペストの流行によって遅延するものの、1483年に完成。
 ジョヴァンニ・スフォルツァの妻となったルクレツィア・ボルジアは1494年6月から非常に短い期間ながら、ここコスタンツァ要塞で生活をしたことがある。
 1500年10月、ジョヴァンニ・スフォルツァは逃亡し、チェーザレ・ボルジアペーザロを占領。レオナルド・ダ・ヴィンチの助言によるものか、堀にアドリア海の海水を引き入れる。
 1503年にジョヴァンニ・スフォルツァが堀を完成。また、居住空間の手配や修復を行ってもいる。ジョヴァンニ・スフォルツァが1510年に死亡すると、1513年、弟ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァが新領主フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレに2千スクードで売却。教皇領に移譲後の1657年、修復される。
 1864年から1989年までは刑務所として使われていた。2004年に修復され、夏の間、行事や祭り、劇やダンスがここで開催されている。

別表記

 コンスタンツァ要塞、Rocca Constanza

公式サイト

 Comune di Pesaro

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 ボルジア解体新書
 Framepool
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 Pesaro Cultura
 Provincia di Pesaro e Urbino

サン・レオ要塞 Rocca di San Leo

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャリーミニ県サン・レオ
概要

 サン・レオ要塞は、サン・レオにある建物。



別表記

 サン・レーオの要塞、サン・レオの要塞、サン・レーオ城、城塞サン・レオ、Forte di San Leo

外部リンク

 イタリア・マルケ州政府観光局公式日本語サイト
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ボルジア要塞 La Rocca dei Borgia

所在地
イタリア共和国マルケマチェラータ県カメリーノ
概要

 ボルジア要塞は、カメリーノにある建物。

外部リンク

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マラテスタ要塞 Rocca Malatestiana

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県チェゼーナ
概要

 マラテスタ要塞は、チェゼーナにある建物。


別表記

 palazzo di Malatesta Novello

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
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ピア要塞 Rocca Pia

所在地
イタリア共和国ラツィオローマ県ティヴォリ
概要

 ピア要塞は、ティヴォリにある建物。1461年のこの要塞の建設により、ティヴォリにおける争いが終息し、ティヴォリにおける中世が終わりの時を迎える。グエルフィとギベッリーニの対立、またコロンナ家オルシーニ家の闘争によって引き裂かれた都市は、何世紀にもわたる独立自治への執着を捨て、15世紀半ばにようやく教皇の権力に屈することを余儀なくさせた。1461年7月、教皇ピウス2世ティヴォリを初めて訪れ、その忠誠心を確保するために建設を開始。1年後に完成。アレクサンデル6世の命で2つの小さな塔が付けられる。

別表記

 ロッカ・ピーア城

外部リンク

 Tibursuperbum
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アルボルノツィアーナ要塞 Rocca Albornoziana

所在地
イタリア共和国ウンブリアペルージア県スポレート
建設
1363~1367年
設計
マッテオ・ガッタポーニ
概要

 アルボルノツィアーナ要塞は、スポレートにある建物。サンテリーアの丘に建つ要塞。
 中央イタリアの領土における教会の権威を軍事的に強化し、可視化するために、教皇インノケンティウス6世が構想。
 ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス枢機卿の監督の下、マッテオ・ガッタポーニが指揮し、1363~1367年に建設される。堅固で堂々とした要塞ながら、優雅で快適な住まいでもあり、高名な客人を迎え入れてきた。
 1392年に教皇ボニファキウス9世が、1449年に教皇ニコラウス5世ローマのペストを避けるため滞在。
 スポレートの統治を任されたルクレツィア・ボルジアは、1499年8月から2か月弱ここに居住している。後から到着した夫アルフォンソ・ダラゴーナと、つかの間の平穏な時を過ごした場所である。



塔の橋側から

Cortile delle Armi

Corte d'Onore

 アルボルノツィアーナ要塞には中庭が2箇所あり、こちらは奥の住居側。
 ジョルジョ・ヴァザーリによれば、二重の開廊は、ニコラウス5世によりスポレートに招かれたベルナルド・ロッセリーノが設計したものである。
 フレスコ画が描かれており、白い階段の真上の2階部分にはアレクサンデル6世の紋章が見られる。



Camara Pinta


別表記

 Rocca Albornoziana di Spoleto

外部リンク

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ネピの要塞 Rocca di Nepi

所在地
イタリア共和国ラツィオヴィテルボ県ネピ
概要

 ネピの要塞は、ネピにある建物。今では4本の塔がかろうじて残っているくらいの廃虚となっている。
 四角い塔は11世紀まで遡ることができ、本丸は14世紀に記録が見られる。1474年教皇シクストゥス4世が復元と修復を推進するが、抜本的に図面を変えてしまう一連の増改築が始まるのは1479年になってからのことである。1479年から1499の間に円筒形の塔が四隅に建てられ、ボルジア家の紋章がつけられる。また、2つの主要な塔を結ぶ壁に沿って開廊が建てられる。1499年から1503年にアントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオが設計を担う。
 1450年代にロドリゴ・ボルジア枢機卿が教皇カリストゥス3世によりネピの知事に任命され、1483年には要塞の増築を委任されている。教皇となったアレクサンデル6世は、1495年1月1日にアスカーニオ・マリーア・スフォルツァ枢機卿にネピ知事の地位を与えるも、教皇の政策転換の結果、枢機卿は1499年7月13日にローマを逃亡。

 その後、夫アルフォンソ・ダラゴーナを亡くしたルクレツィア・ボルジアが、息子ロドリゴ・ダラゴーナと共に1500年に数か月の間居住している。なぜかルクレツィア・ボルジアは居住用の四角い塔ではなく、軍事用の丸い塔の方に住んでいた。また、1階下まで壁の一部がくり抜かれて吹き抜け状態になっていて、これは彼女がそこから下にいる侍女に話しかけるため空いている穴だそうである。しかしながら、彼女が過ごした部屋は残っていないという話もあって、真偽のほどは明らかではない。ちなみに、内部はかなり狭いのだとか。
 ネピは1501年にインファンテ・ロマーノに封ぜられている。1503年にはコンクラーヴェローマからの退去を求められ、マラリアの高熱はおさまったもののまだ衰弱していたチェーザレ・ボルジアが、ヴァノッツァ・デイ・カッタネイホフレ・ボルジアルイーズ・ボルジアロドリゴ・ダラゴーナネピインファンテ・ロマーノを伴って、1か月弱ネピの要塞に避難。
 1520年ベルナルド・アッコルティネピ公となる。これをパウルス3世が取り上げ、息子のピエル・ルイジ・ファルネーゼに1537年与え、ネピはカストロ公国の一部となる。ピエル・ルイジ・ファルネーゼはカストロ公国の全要塞を修復するため、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネを招いている。















別表記

 ボルジア要塞、ラ・ロッカ、La Rocca dei BorgiaRocca Borgiana

外部リンク

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ロヴェレスカ要塞 Rocca Roveresca




所在地
イタリア共和国マルケアンコーナ県セニガッリア
設計
ルチアーノ・ラウラーナ、バッチョ・ポンテッリ
施主
ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレ
概要

 ロヴェレスカ要塞は、セニガッリアにある建物。少し北にはミーザ川が流れている。
 正方形の4つ角を塔が囲み、堀を渡す跳ね橋を備えた典型的なルネサンス様式の軍事建築。中には居住部分、小さな中庭、地下室がある。
 セニガッリア領主ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが、ルチアーノ・ラウラーナに元々あった要塞の建て直しを委嘱。1478年着工し、ルチアーノ・ラウラーナの死後はバッチョ・ポンテッリが引き継いで、1480年に完成させる。「ロヴェレスカ」は、「ローヴェレの」という意味である。
 ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレと妻ジョヴァンナ・ダ・モンテフェルトロ一家は、完成後はここに住んでいたであろう。

外部リンク

 イタリア・マルケ州政府観光局公式日本語サイト
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フォルリンポーポリ要塞 Rocca di Forlimpopoli

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県フォルリンポーポリ
建設
1360~1365年
施主
ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス
概要

 フォルリンポーポリ要塞は、フォルリンポーポリにある建物。



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バニャーラ要塞 Rocca di Bagnara

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャラヴェンナ県バニャーラ・ディ・ロマーニャ
建設
1482年~1488年
施主
ジローラモ・リアリオカテリーナ・スフォルツァ
概要

 バニャーラ要塞は、バニャーラ・ディ・ロマーニャにある建物。
 かつてここにはベルナボ・ヴィスコンティが1354年に建てた城が存在していたが、1428年の戦闘で破壊された。そこにイーモラ領主ジローラモ・リアリオが建設を始め、彼の没後はカテリーナ・スフォルツァが完成させたのがこの要塞で、15世紀イタリアの軍事建築の傑作と評される。



外部リンク

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ラヴァルディーノ要塞 Rocca di Ravaldino

所在地
イタリア共和国エミリア・ロマーニャフォルリ・チェゼーナ県フォルリ
概要

 ラヴァルディーノ要塞は、フォルリにある建物。中世に建てられたが、ピーノ3世・オルデラッフィジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノスによって、14世紀に再建、強化され、15世紀に拡張された。


 ラヴァルディーノという名前はボンザニーノと呼ばれる要塞の存在に由来し、おそらく、同名の門の領域に立っていた一種の初歩的な要塞である堡塁(rivellino)だった。1360年から1371年の間に建設された砦によって防御機能が強化された。1472年ピーノ3世・オルデラッフィの命で、建築家ジョルジョ・マルケージが現在までほとんど変わらず残っている防御施設を設計。


1、ロッカ 2、チッタデッラ 3、パラディーソ宮殿 4、囲われた庭

 1481年にロッカが建設され、1481~1483年にチッタデッラが建設された。チッタデッラはフォルリの新しい領主であるジローラモ・リアリオジョルジョ・マルケージに仕事を委託し、北東に壁を拡張し、騎兵の収容、訓練を行える広い空間を作った。また、チッタデッラの外側の2側面に、コトゥーニの堡塁とチェゼーナの堡塁が追加された。したがって、掘、橋、壁の複雑な組み合わせに囲まれた、いくつかの別々の塊で構成されていた。
 1496年、ジローラモ・リアリオの未亡人で息子オッタヴィアーノ・リアリオの摂政カテリーナ・スフォルツァは、建築資材と既成の建築構造を入手するためにシニョーリア宮殿を破壊し、14世紀の砦の跡に居住のためのパラディーソ宮殿と壁で囲った庭を建設。この庭で彼女は野菜や花や薬草を育てていた。さらに、南の境界に沿って、動物園と果樹園を兼ねた庭を設けた。
 砲兵力の増加と攻城技術の変化に伴い、要塞は軍事施設としての機能を失って、徐々に刑務所に用途が変化していった。有名な囚人の中には、16世紀初頭の最初の囚人の1人であったアストルフォ・グイドロッキがいる。刑務所自体は、19世紀の終わりにチッタデッラ部分に建てられ、今も使用されている。
 現在、要塞は低い円筒形の塔と太いマスキオを備えた、堂々たる正方形の建築物として残っている。



天守 Maschio

 他の塔より高く、要塞の中核を担う塔をマスキオ又はマスティオという。マスキオの地階にはよく牢獄がある。

チェーザレ・ボルジアの紋章



 1500年1月12日、チェーザレ・ボルジアはラヴァルディーノ要塞の南西の堀の外側に大砲を配置し、この壁が崩れると堀を埋めて、城内に突入、制圧した。
 その後修復時にこの大理石で作られた紋章がつけられる。左側にランソル家の黒色の帯、右側にチーフ(上部3分の1幅の帯)でボルジア家の牡牛とフランスの百合、中央に教皇の紋章が重ねられている。紋章の下には次の銘が記されている。

C. BORGIA DE FRANCIA
VALEN. ROMANDIO LAEQ.
DUCIS AC S.R. E CONFA
ET CAP. GENERALIS

 修復は1501年夏頃に完了したが、レオナルド・ダ・ヴィンチが関与していたのではないかとも言われている。

800年からカテリーナ・スフォルツァ時代

 出典不明の19世紀の版画。上が西南西。忠実に再現しているというわけはないよう。

カテリーナ・スフォルツァの碑文 位置不明

別表記

 ラヴァルディーノ城

外部リンク

 Autor Frederik Berger alias Fritz H. Gesing
 Corella, l'Ombra del Borgia il romanzo
 Flickr - FABIO CASADEI
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参考文献

 『Dizionario di Erudizione Storico-Ecclesiastica

記載日

 2006年7月17日

更新日

 2021年8月25日