Colonna

コロンナ家

オッドーネ・コロンナ Oddone Colonna

生没
~1152年以降
ピエトロ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
ランドルフォ・コロンナ
マビーリア・コロンナ
概要

 オッドーネ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
~1188年以降
オッドーネ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ
概要

 ジョルダーノ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子ジョルダーノ・コロンナ→子ランドルフォ・コロンナ→子フランチェスコ・コロンナ→子ランドルフォ・コロンナ→子アントーニオ・コロンナ→子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

オッドーネ・コロンナ
グレゴーリオ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
グイド・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
概要

 ピエトロ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
11??年~1252年以降
ジョルダーノ・コロンナ
フランチェスカ・コンティ
オッドーネ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
マッテオ・コロンナ
ランドルフォ・コロンナ
マルゲリータ・コロンナ
概要

 ジョルダーノ・コロンナは、12世紀~13世紀のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子ランドルフォ・コロンナ→子フランチェスコ・コロンナ→子ランドルフォ・コロンナ→子アントーニオ・コロンナ→子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

グレゴーリオ・コロンナ Gregorio Colonna

生没
11??年~1213年以降
ピエトロ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
概要

 グレゴーリオ・コロンナは、12世紀~13世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
~1293年
ジョルダーノ・コロンナ
フランチェスカ・コンティ
?・コンティ
アガピート・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
ヤコポ・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ランドルフォ・コロンナ Landolfo Colonna

生没
12??年~1301年4月22日以前
ジョルダーノ・コロンナ
フランチェスカ・コンティ
ランドルフォ・コロンナ
フランチェスコ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
マルゲリータ・コロンナ
アニェーゼ・コロンナ
ペルナ・コロンナ
マッテオ・コロンナ
概要

 ランドルフォ・コロンナは、13世紀~14世紀のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子フランチェスコ・コロンナ→子ランドルフォ・コロンナ→子アントーニオ・コロンナ→子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
~1252年以降
グレゴーリオ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
チェチーリア・コロンナ
ステファノ・コロンナ
アンニーバレ・コロンナ
エジーディオ・コロンナ
概要

 ピエトロ・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アガピート・コロンナ Agapito Colonna

生没
1250年頃~1300年頃
ジョヴァンニ・コロンナ
?・コンティ
マビーリア・サヴェッリ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ・コロンナ
概要

 アガピート・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ Stefano Colonna

生没
~1349年頃
ジョヴァンニ・コロンナ
?・コンティ
カルチェランダ・デ・インスーラ
ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ
ピエトロ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
アガピート・コロンナ
ヤコポ・コロンナ
エンリコ・コロンナ
概要

 ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオは、14世紀頃のイタリアの男性。
 コーラ・ディ・リエンツォが、金モールつきの絹の制服を創案し、白馬に跨り、百名の武装騎兵に護衛させたのを見て、ステファノ・コロンナはそれを嘲笑った。そのため、逮捕される。鎖に繋いでカンピドリオの丘に引き立てられ、人民議会に死刑が要請される。承認が得られた後、しかしコーラ・ディ・リエンツォの気が変わって赦免され、その上官職に任命されかけるが、逃亡し、コーラ・ディ・リエンツォを打倒するために軍勢を糾合する。
 カンピドリオの丘の上で行われたフランチェスコ・ペトラルカの桂冠授賞式で、彼に桂冠を授け、祝辞を述べた。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Treccani
 Wikipedia

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
13??年~
ランドルフォ・コロンナ
シモネッタ・デ・カピッリス
ランドルフォ・コロンナ
アンドレア・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ヤコポ・コロンナ
概要

 フランチェスコ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子ランドルフォ・コロンナ→子アントーニオ・コロンナ→子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

エジーディオ・コロンナ Egidio Colonna

生没
1243年~1316年12月22日
出身
ローマ
没地
アヴィニョン
ピエトロ・コロンナ
概要

 13世紀末の哲人。ベネディクトゥス14世により堅牢博士とされる。

在位

 ブールジュ大司教 1295年4月25日~1316年12月22日

別表記

 エギディウス、エジディウス、エギディウス・ロマヌス、Egidio RomanoGiles of Rome

外部リンク

 教えて!HMV
 CATHOLIC ENCYCLOPEDIA
 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Treccani
 Treccani
 Treccani
 Treccani
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『快楽の中世史』  『戦闘技術の歴史2 中世編』

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
12??年~1312年以降
アガピート・コロンナ
マビーリア・サヴェッリ
マルゲリータ・カポッチ
ピエトロ・コロンナ
概要

 ジョルダーノ・コロンナは、13世紀~14世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ Stefano Colonna

生没
~1347年
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
ジョヴァンニ・コロンナ
ステファネッロ・コロンナ
ヤコポ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
概要

 ステファノ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

別表記

 Stefano Colonna the Younger

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia
 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンスの歴史』

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
1295年頃~1348年7月3日
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、13世紀~14世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。フランチェスコ・ペトラルカが仕えたことで知られる。

在位

 枢機卿 1327年12月18日~1348年7月3日
     任命した教皇:ヨハネス22世

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『ルネサンスの歴史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』

ランドルフォ・コロンナ Landolfo Colonna

生没
13??年~1406年以降
フランチェスコ・コロンナ
シモネッタ・デ・カピッリス
アントーニオ・コロンナ
概要

 ランドルフォ・コロンナは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子アントーニオ・コロンナ→子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
~1373年6月15日以降
ジョルダーノ・コロンナ
マルゲリータ・カポッチ
レティツィア・コンティ
アガピート・コロンナ
ファブリツィオ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
リータ・コロンナ
フランチェスカ・コロンナ
ジャコベッラ・コロンナ
概要

 ピエトロ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

年表

1373年6月15日
遺言書を作成。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファネッロ・コロンナ Stefanello Colonna

生没
~1368年
ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ
サンチャ・カエターニ
ジョヴァンニ・コロンナ
ニッコロ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
アガティーナコロンナ
概要

 ステファネッロ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1368年
死(1366年)。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アントーニオ・コロンナ Antonio Colonna

生没
~1432年以降
ランドルフォ・コロンナ
ガスパーレ・コロンナ
カテリーナ・コロンナ
ヤコポ・ラノルフォ・コロンナ
ジャナンドレア・コロンナ
概要

 アントーニオ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

チェーザレ・ボルジア数

 子ジャナンドレア・コロンナ→子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アガピート・コロンナ Agapito Colonna

生没
1340年頃~1398年5月23日以降
ピエトロ・コロンナ
レティツィア・コンティ
カテリーナ・コンティ
ジョルダーノ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
シキアッラ・コロンナ
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
マルティヌス5世
パオラ・コロンナ
タルシア・コロンナ
レッラ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
概要

 アガピート・コロンナは、14世紀のイタリアの男性。

年表

1374年
Lord of Genazzano, Palestrina Capranica, San Vito and Ciciliano and Noble Roman

外部リンク

 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ニッコロ・コロンナ Niccolò Colonna

生没
13??年~1410年10月22日
没地
パレストリーナ
ステファネッロ・コロンナ
サンチャ・カエターニ
ヤコパ・コンティ
クラリーナ・コンティ
ヤコポ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
シアッラ・コロンナ
マリーア・コロンナ
概要

 ニッコロ・コロンナは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1387年頃
ヤコパ・コンティと結婚。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジャナンドレア・コロンナ Gianandrea Colonna

生没
~14??年
アントーニオ・コロンナ
アンブロジーナ・アスタッリ
ファウスティーナ・トリンチ
アントーニオ・コロンナ
ゴディーナ・コロンナ
ルドヴィーカ・コロンナ
トラディータ・コロンナ
概要

 ジャナンドレア・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

年表

1425年
ファウスティーナ・トリンチと結婚。

チェーザレ・ボルジア数

 子ゴディーナ・コロンナ→子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ Lorenzo Onofrio Colonna

生没
1365年頃~1423年
アガピート・コロンナ
カテリーナ・コンティ
スヴェヴァ・カエターニ
オドアルド・コロンナ
アントーニオ・コロンナ
アンナ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
カテリーナ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
イッポーリタ・コロンナ
概要

 ロレンツォ・オノフリオ・コロンナは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主 1417年~1423年

外部リンク

 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

マルティヌス5世 Martinus V

生没
1368年~1431年2月20日
アガピート・コロンナ
カテリーナ・コンティ
概要

 オッドーネ・コロンナは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、聖職者。第206代教皇マルティヌス5世。

在位

 枢機卿 1405年6月12日~1417年
 第206代教皇 1417年~1431年
  先代:グレゴリウス12世
  次代:エウゲニウス4世

年表

1368年
誕生。
1426年秋
この頃?、ヴェネツィア・フィレンツェ同盟陣営の強化とフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの苦境を見て使節Niccolò Albergati枢機卿をヴェネツィアに送り、和平を勧奨させると共にそのための両陣営の仲介を行わせる。
1428年8月2日
未明ボローニャで、教会の支配に対する貴族及びその配下の市民の武装反乱、発生。
1428年9月半ば
派遣した教皇軍、ボローニャ領に入る。
1428年12月
教皇軍、ボローニャ市内突入を図るが反乱軍に撃退される。
1429年8月30日
ボローニャの反乱、教会から若干の譲歩を得て収束。しかし政情不安なお続く。
1431年2月20日
没。

本名

 オッドーネ・コロンナ、オットーネ・コロンナ、Oddone Colonna

別表記

 マルチヌス5世

任命した枢機卿

1423年7月23日 ドメニコ・カプラーニカ
1426年5月24日 プロスペロ・コロンナ

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』
 『メディチ家』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

パオラ・コロンナ Paola Colonna

生没
1378年~1450年11月3日
出身
ローマ
没地
ピオンビーノ又はローマ
アガピート・コロンナ
ゲラルド・ダッピアーノ
ヤコポ2世・ダッピアーノ
カテリーナ・ダッピアーノ
ヴィオランテ・ダッピアーノ
ポリッセーナ・ダッピアーノ
概要

 パオラ・コロンナは、14世紀~15世紀のイタリアの女性。

在位

 ピオンビーノ領主 1441年~1445年

年表

1378年
生(1379年)。
1396年6月18日
ローマでゲラルド・ダッピアーノと結婚。
1450年11月3日
死(1445年11月30日)。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファノ・コロンナ Stefano Colonna

生没
~1433年4月17日
没地
ジェナッツァーノ
ニッコロ・コロンナ
クラリーナ・コンティ
スヴェヴァ・オルシーニ
フランチェスカ・コロンナ
インペリアーレ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
概要

 ステファノ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1433年4月17日
甥サルヴァトーレ・コロンナに殺害される。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ゴディーナ・コロンナ Godina Colonna

生没
14??年~1502年
ジャナンドレア・コロンナ
アンブロジーナ・アスタッリ
ガブリエーレ・チェザリーニ
ジャナンドレア・チェザリーニ
ジュリアーノ・チェザリーニ
ジャン・ジョルジョ・チェザリーニ
概要

 ゴディーナ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。

チェーザレ・ボルジア数

 子ジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 GiuliaGiulianaGulinaGudina

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『Casa Cesarini. Ricerche e documenti
 『Lucretia Borgia

オドアルド・コロンナ Odoardo Colonna

生没
1405年頃~1503年
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
コヴェッラ・ディ・チェラーノ
フィリッパ・コンティ
ジョヴァンニ・コロンナ
ルチオ・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
ファブリツィオ・コロンナ
ロレンツォ・オッドーネ・コロンナ
ルドヴィーコ・コロンナ
概要

 オドアルド・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主 1423年~1485年

年表

1419年10月3日
コヴェッラ・ディ・チェラーノと結婚。
1503年
死(1485年)。

別表記

 エドアルド、Edoardo

外部リンク

 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

アントーニオ・コロンナ Antonio Colonna

生没
1408年~1471年2月21日
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
ジョヴァンネッラ・ルッフォ
アントネッラ・カンテルモ
インペリアーレ・コロンナ
ピエトロ・アントーニオ・コロンナ
ジローラモ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
トンマーゾ・コロンナ
概要

 アントーニオ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 サレルノの君主 1422年~
 パリアーノの君主 1423年~1471年
 コトローネ侯
  先代:ジョヴァンネッラ・ルッフォ
  次代:エンリチェッタ・ルッフォ

年表

1435年

外部リンク

 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani

アンナ・コロンナ Anna Colonna

生没
1410年頃~14??年
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
ジャナントーニオ・オルシーニ・デル・バルツォ
概要

 アンナ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1417年

外部リンク

 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

プロスペロ・コロンナ Prospero Colonna

生没
1410年頃~1463年5月24日
没地
ローマ
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
概要

 プロスペロ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主 1423年~1463年
 枢機卿 1426年5月24日~1463年
     任命した教皇:マルティヌス5世

年表

1431年3月3日
エウゲニウス4世が教皇に即位。
エウゲニウス4世は即位後直ちに、反ミラノ、反ヴィスコンティの姿勢を示すと共に、自身の即位を推進したオルシーニ一族の意を体し、そのライヴァルで前教皇マルティヌス5世の出自コロンナ一族の掃討に着手。マルティヌス5世の甥であるプロスペロ・コロンナ枢機卿はローマから逃亡。
1431年4月23日
コロンナ一族は、軍を率いてローマを襲うが市内に同調の動き出ず、退散。教皇エウゲニウス4世はナポリ女王ジョヴァンナ2世・ダンジオに援軍の派遣を要請。ジョヴァンナ2世・ダンジオは間もなく援軍を派遣。
1431年9月22日
プロスペロ・コロンナらコロンナ一族は、エウゲニウス4世に譲歩して一応、和を取り結ぶ。
1463年5月24日
ローマにて、死(1463年3月24日)。

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

カテリーナ・コロンナ Caterina Colonna

生没
~1438年10月9日
出身
フォンディ
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
ピエトロ・ダ・モンテフェルトロ
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
オッダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
ヴィオランテ・ダ・モンテフェルトロ
スヴェヴァ・ダ・モンテフェルトロ
ラッファエーレ・マリーア・ダ・モンテフェルトロ
概要

 カテリーナ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1424年1月23日

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

ヴィットーリア・コロンナ Vittoria Colonna

生没
~1465年
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
スヴェヴァ・カエターニ
カルロ2世・マラテスタ
概要

 ヴィットーリア・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1465年
死(1463年3月24日以降)。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファノ・コロンナ Stefano Colonna

生没
1433年5月~1490年
出身
カステルヌオーヴォ
ステファノ・コロンナ
スヴェヴァ・オルシーニ
エウジェーニア・ファルネーゼ
フランチェスコ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
概要

 ステファノ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1490年
死(1482年、1485年頃)。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

オドアルド・コロンナ
フィリッパ・コンティ
カテリーナ・デ・バシイス
カテリーナ・イザベッラ・デル・バルツォ
アントーニア・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
ロレンツォ・コロンナ
外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ファブリツィオ・コロンナ Fabrizio Colonna

生没
1450~60年~1520年3月18日
オドアルド・コロンナ
フィリッパ・コンティ
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
ヴィットーリア・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ
アスカーニオ1世・コロンナ
フェルディナンド・コロンナ
カミッロ・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
シアッラ・コロンナ
ベアトリーチェ・コロンナ
概要

 ファブリツィオ・コロンナはイタリアの傭兵隊長。

在位

 パリアーノの君主 1485年~1519年
 初代パリアーノ公 1519年~1520年

年表

1488年
1501年1月
ナポリ駐在。
1501年3月
プロスペロ・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。
1501年
1501年7月24日
チェーザレ・ボルジア含むルイ12世軍の前にカプア陥落(1501年7月25日)。ファブリツィオ・コロンナ捕らえられる。
1501年
フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。
1512年1月26日
ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍(フェルナンド2世・デ・アラゴン軍及び教皇代理ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿と傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナ、ファブリツィオ・コロンナらを含むユリウス2世軍)、ボローニャを包囲。
1512年4月11日
ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。
完敗した同盟軍はライモンド・ディ・カルドーナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。
ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。
ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。
1512年6月下旬
ルイ12世軍の敗退で孤立したアルフォンソ1世・デステ、姉イザベッラ・デステの夫フランチェスコ2世・ゴンザーガや自分が捕らえていたファブリツィオ・コロンナらの仲介でユリウス2世から自身及び領国の安全を保証されローマに向かう。
1512年7月4日
アルフォンソ1世・デステローマ着。ユリウス2世に拝謁を許され、ルイ12世との同盟について許しを乞う。後、ユリウス2世からフェッラーラの放棄、譲渡を求められるがこれを拒絶して怒りを買い、ファブリツィオ・コロンナ、マルカントーニオ・コロンナ兄弟らの協力により変装して、1512年7月19日ローマを逃亡、フェッラーラに向かう。
ユリウス2世は、すでにアルフォンソ1世・デステの領国の一つレッジョを占領。

別表記

 ファブリーツィオ・ディ・オドアルド・コロンナ、ファブリッツィオ、Fabrizio di Odoardo ColonnaFabricio Colonna

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ピエトロ・アントーニオ・コロンナ Pietro Antonio Colonna

アントーニオ・コロンナ
インペリアーレ・コロンナ
ベルナルディーナ・コンティ
マルカントーニオ・コロンナ
外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジローラモ・コロンナ Girolamo Colonna

生没
14??年~1482年4月3日
没地
ローマ
アントーニオ・コロンナ
ヴィットーリア・コンティ
マルチェッロ・コロンナ
ポルツィア・コロンナ
ジューリオ・コロンナ
ポンペーオ・コロンナ
オッタヴィアーノ・コロンナ
ピエルフランチェスコ・コロンナ
概要

 ジローラモ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性、庶子。

年表

1482年4月3日
夜、ジローラモ・リアリオから提供された武装兵2百を率いたジョルジョ・サンタクローチェにヴァッレ宮殿が襲撃され、ジローラモ・コロンナが殺される。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンニ・コロンナ Giovannni Colonna

生没
1456年~1508年9月26日
出身
ローマ
没地
ローマ
アントーニオ・コロンナ
インペリアーレ・コロンナ
概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1480年5月15日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1482年4月3日
1482年6月2日
枢機卿会議にて、フェッラーラ戦争時にコロンナ家の大半の者がナポリフェッランテ・ダラゴーナに与し、教皇シクストゥス4世に敵対的態度を取り続けているとして、ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリと共に告発される。
親族の行動に責任はないと弁明するが、ヴァティカン内で逮捕され、サンタンジェロ城に投獄される。
1483年11月15日
釈放される。
この日の枢機卿会議に出席。
1493年6月12日

関連項目

 The Borgias: 101, 103, 108

別表記

 サヴェッリ枢機卿

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

プロスペロ・コロンナ Prospero Colonna

生没
1460年頃?~1523年12月30日
没地
ミラノ
アントーニオ・コロンナ
インペリアーレ・コロンナ
コヴェッラ・サンセヴェリーノ
イザベッラ・カラーファ
ヴェスパシアーノ・コロンナ
エルシリア・コロンナ
概要

 プロスペロ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

在位

 初代トラエット公
  次代:ヴェスパシアーノ・コロンナ

戦歴

 カンポモルトの戦い、ナポリ軍、敗戦

年表

1501年1月・1501年2月
1501年3月
ファブリツィオ・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。
1501年6月
マリーノとロッカ・ディ・パーパを任せ、ナポリ防衛のために出発。
ロベール・スチュアート・ドオービニイと戦うが、ゴンザロ・デ・コルドバの指示により、あまり強く抵抗せず。
2千人と共に降伏。イスキアへ逃亡したフェデリーコ・ダラゴーナを追うが、フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。
1503年8月22日
ローマにて、チェーザレ・ボルジアと協定を結ぶ。
1503年9月1日
チェーザレ・ボルジア、フランス王ルイ12世と新たに協定を結ぶ。
1503年9月2日
サンタンジェロ城に幽閉されていたサンチャ・ダラゴーナに伴い、ナポリへ向けローマ出発。
1515年
この頃?、レオ10世の強い支持を得て対フランス同盟側についていたジェノヴァのドージェ・オッタヴィアーノ・フレゴーソフランソワ1世によるイタリア侵攻軍の目覚しい強化、結集に怯えて彼と秘密裡に協定を結ぶが、すぐ露見。
傭兵隊長プロスペロ・コロンナ指揮のミラノ軍が、スイス連邦軍と共にジェノヴァ攻撃に向かうが、オッタヴィアーノ・フレゴーソの訴えを受け入れたレオ10世に制止される。
1515年8月12日
フランソワ1世軍は、ミラノ軍、スイス連邦軍をヴィッラフランカで撃破し、その指揮官プロスペロ・コロンナを捕虜とする。後、カルロ・ディ・サヴォイアの盛大な歓迎を受けてトリノに軍を結集。
1521年8月1日
第二次イタリア戦争:レオ10世は、マントヴァ候フェデリーコ2世・ゴンザーガ指揮の自軍とペスカーラ候フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロス(1490年~)指揮のカール5世をボローニャに集めて同盟軍を結成し、その総指揮官にプロスペロ・コロンナを、前線総監にフランチェスコ・グィッチャルディーニを当て、間もなくジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ指揮の軍も加え、フランソワ1世のミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワに宣戦布告。フランソワ1世カール5世のヨーロッパ覇権を巡る対立、イタリアでも公然たる戦争に発展し、第二次イタリア戦争始まる(~1559年)。
1521年8月29日~9月2日
プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(教会軍、フィレンツェ軍、カール5世軍)は、パルマを攻撃し一時、支配するが、新たにフェッラーラ軍の支援を受けたミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍を前にして後退。
1521年11月19日
プロスペロ・コロンナやペスカーラ候フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロスらに指揮され、教皇特使ジューリオ・デ・メディチを加えた同盟軍の進撃を前に、ミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍及びTeodoro Trivulzio(1474年~1551年)ら指揮のヴェネツィア軍は、城塞に守備隊を残してミラノを撤退。同盟軍は、ミラノ公フランチェスコ・マリーア・スフォルツァの名でミラノを制圧。
以後、同盟軍は、ナヴァーラ、アスティ、アレッサンドリア、パヴィア、ローディ、クレモーナ、パルマ、ピアチェンツァを相次いで占領し、パルマ、ピアチェンツァを教会領に併合。
1522年3月初旬
本国から援軍を得たロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍は、ヴェネツィア軍をも加えて、ミラノを奪還すべくロンバルディアに出撃。プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(主力はカール5世軍)と各地で激戦を展開。
1522年5月25/26日
同盟軍は、クレモーナを攻撃。守備していたフランソワ1世軍はやむなく同盟軍指揮官プロスペロ・コロンナと協定を結び、クレモーナ、ミラノ、ノヴァーラの3市の城塞を保持する他はロンバルディアから全面的に撤退することを約束。プロスペロ・コロンナはフランソワ1世軍の帰国の安全を保証。
1522年5月30日
同盟軍は、1513年ジェノヴァから追放されたジローラモ・アドルノ(1483/1489年~1500年代前半)、アントニオット・アドルノ兄弟を同道してジェノヴァを攻略。ジェノヴァはフランスの支配を脱し、新たにアントニオット・アドルノをドージェに選出(在位~1527年)。
1523年9月上旬~中旬
Guillaume de Bonnivet指揮のフランソワ1世軍は、アルプスを経てアスティ、アレッサンドリア、ノヴァーラを占領した後、1523年9月半ば、ロンバルディアに進軍してミラノに迫る。病身のプロスペロ・コロンナが指揮する同盟軍が、急ぎミラノ防衛態勢をとる。
1523年12月30日
プロスペロ・コロンナ死。彼に代わる同盟軍の指揮官にカール5世によって任命されたそのナポリ総督Charles de Lannoyは、すでに12月半ばロンバルディアに到着。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『The Life of Cesare Borgia

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
1453年~1538年
ステファノ・コロンナ
エウジェーニア・ファルネーゼ
オルシーナ・オルシーニ
ステファノ・コロンナ
ルクレツィア・コロンナ
アレッサンドロ・コロンナ
概要

 フランチェスコ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Google Books - Los jardines del sueño
 Google Books - Papal Genealogy
 Google Books - The Real Rule of Four
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『Lucretia Borgia

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
~1482年以降
ステファノ・コロンナ
エウジェーニア・ファルネーゼ
ジュスティーナ・オルシーニ
ラヴィーニア・コロンナ
概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1462年

別表記

 Stefano Giovanni

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
14??年~1501年9月17日以降
ステファノ・コロンナ
エウジェーニア・ファルネーゼ
カテリーナ・サヴェッリ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジューリア・コロンナ
概要

 ピエトロ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、ローマの貴族。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ロレンツォ・コロンナ Lorenzo Colonna

生没
~1484年6月29日
没地
ローマ
ジョルダーノ・コロンナ
ムツィオ・コロンナ
概要

 ロレンツォ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

年表

1484年5月30日
兵2百を率いたジローラモ・リアリオヴィルジーニオ・オルシーニにヴェネツィア広場そばにあるコロンナ邸が襲撃され、ロレンツォ・コロンナが捕らえられる。
1484年6月29日
斬首刑に処される(1484年6月30日)。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE THIRD MILLENNIUM LIBRARY

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ヴィットーリア・コロンナ Vittoria Colonna

生没
1490年4月~1547年2月25日
出身
マリーノ
ファブリツィオ・コロンナ
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロス
概要

 ヴィットーリア・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの女性、詩人、ペスカーラ侯夫人、ミケランジェロのプラトニックな恋人。

年表

1490/1492年
ローマ近郊マリーノに生。
1509年
1534年
この年頃ナポリに移住したJ. de Valdésを中心として教会改革と霊的再生を求める人々の小サークルが結成される。彼の死(1541年)までにジューリア・ゴンザーガヴィットーリア・コロンナカテリーナ・チーボConstanza d'Avalosら君侯夫人・寡婦、M. A. Flaminio人文主義者G. SeripandoB. OchinoP. M. VermigliPietro Carnesecchiら聖職者が集い、イタリアにおける教会改革運動の拠点の観を呈する。後、第三者は新教を信仰し宗教改革運動に従事。
1536年
この年頃、ミケランジェロヴィットーリア・コロンナと出会い、友情・愛情に結ばれる。
1538年10月
ミケランジェロヴィットーリア・コロンナの友情・愛情、ヴィットーリア・コロンナローマ滞在を機に深まり、以後、両者のプラトニックな交友、ヴィットーリア・コロンナの死まで続く。
1541年2月25日
パウルス3世、対オスマン・トルコ軍事費のためとして加重した塩税の納入を拒否していた(1537年~)コロンナ家の統領Ascanio Colonna(1490年代~1557年)に、3日以内に出頭しその未納について弁明するよう命令。
しかしAscanio Colonna、これを拒否しコジモ1世・デ・メディチに支援を求める。これに対しパウルス3世、直ちにピエル・ルイジ・ファルネーゼ指揮の軍をローマに結集。
以後、ペドロ・デ・トレドカール5世の特使としてローマに入って両者の仲介を、ヴィットーリア・コロンナローマに帰り両者の交渉の進展を、それぞれ試みるが実らず。
1541年
ミケランジェロヴィットーリア・コロンナのプラトニックな愛情、深く続く。
1547年1月18日
ヴィットーリア・コロンナローマで死(1490/1492年~)。ミケランジェロ、打ちのめされる。

別表記

 ヴィットリア

関連項目

 The Borgias: 201

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE BORGIAS wiki
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

アスカーニオ1世・コロンナ Ascanio I Colonna

生没
149?年~1557年3月24日
没地
ナポリ
ファブリツィオ・コロンナ
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
ファブリツィオ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
マルカントーニオ2世・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
ジローラマ・コロンナ
アニェーゼ・コロンナ
概要

 アスカーニオ1世・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

在位

 第2代パリアーノ公 1520年~1557年

年表

1518年11月11日
ジョヴァンナ・ダラゴーナと婚約。
1521年6月5日
ジョヴァンナ・ダラゴーナと結婚。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani

マルカントーニオ・コロンナ Marcantonio Colonna

生没
1478年9月3日~1522年3月頃
没地
ミラノ
ピエトロ・アントーニオ・コロンナ
ルクレツィア・ガラ
ポルツィア・コロンナ
オルテンシア・コロンナ
アルテミシア・コロンナ
リヴィア・コロンナ
概要

 マルカントーニオ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主 1485年~1522年

年表

1505年6月
この頃?、ムツィオ・コロンナと共に、フィレンツェ共和国に傭兵隊長として雇われる。
1505年8月17日
バルトロメオ・ダルヴィアーノ指揮のフィレンツェ攻撃軍は、Antonio Giacomini Tebalducciを前線総監としエルコーレ・ベンティヴォーリオ(1459年~?)、マルカントーニオ・コロンナヤコポ・サヴェッリら傭兵隊長を指揮官とするフィレンツェ軍にサン・ヴィンチェンツォで撃破される。バルトロメオ・ダルヴィアーノはシエナに敗走。
1506年8月
ユリウス2世から、マルカントーニオ・コロンナ指揮のフィレンツェ傭兵軍が教会国家再建のためのペルージア、ボローニャ征討を支援するよう求められる。これに対して時間を稼ぎ引き延ばしをするためニッコロ・マキアヴェッリユリウス2世のもとに派遣。
1507年1月2日
ローマでルクレツィア・ガラと結婚。
1510年7月
ユリウス2世、すでにフィレンツェの傭兵隊長の任を離れたマルカントーニオ・コロンナの指揮する陸軍をフィレンツェ領経由で送り、ヴェネツィアの水軍と協同でジェノヴァを攻撃。しかし、期待した市内での市民の反乱生じず、ルイ12世軍により撃退される。
ユリウス2世フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレの指揮する自己の大軍にフェッラーラ攻撃の、スイス連邦軍にミラノ攻撃の態勢をそれぞれ整えさせる。
1510年12月23日
1508年にピエロ・イル・ファトゥオの娘クラリーチェ・デ・メディチを妻としたフィリッポ・ストロッツィ、熱烈なメディチ派で教皇庁に使えている青年Prinzivalle della Stufa(1484年~1561年)からユリウス2世の傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナの兵10名を得てピエロ・ソデリーニ殺害の機を窺っていると打ち明けられ、同族に相談の上これをピエロ・ソデリーニに通報。Prinzivalle della Stufaはシエナに逃亡。
1512年1月26日
ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍(フェルナンド2世・デ・アラゴン軍及び教皇代理ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿と傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナ(1450~1460年~1520年)、ファブリツィオ・コロンナらを含むユリウス2世軍)、ボローニャを包囲。
1512年4月11日
ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。
完敗した同盟軍はライモンド・ディ・カルドーナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。
ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。
ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。
1512年7月4日
アルフォンソ1世・デステローマ着。ユリウス2世に拝謁を許され、ルイ12世との同盟について許しを乞う。後、ユリウス2世からフェッラーラの放棄、譲渡を求められるがこれを拒絶して怒りを買い、ファブリツィオ・コロンナマルカントーニオ・コロンナ兄弟らの協力により変装して、1512年7月19日ローマを逃亡、フェッラーラに向かう。
ユリウス2世は、すでにアルフォンソ1世・デステの領国の一つレッジョを占領。
1516年3月初旬
マクシミリアン1世マルカントーニオ・コロンナ指揮の自軍が守るヴェローナ、ブレッシャなどを支援、確保するため、スイス人傭兵を含む小軍を率いてイタリアに侵攻し、トレントに到着。
1516年3月25日
マクシミリアン1世軍が、ミラノに迫る。マルカントーニオ・コロンナ指揮の軍はローディを制圧。しかしマクシミリアン1世軍はスイス人傭兵が戦闘を拒否したためすぐローディに撤退。さらにトレントに撤退。
1516年春~10月半ば
ヴェローナ、ブレッシャを巡ってフランソワ1世軍及びヴェネツィア軍、とりわけヴェローナ奪回を急ぐヴェネツィア軍と、マルカントーニオ・コロンナ指揮のマクシミリアン1世軍及びカルロス1世軍との間に戦闘続く。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia

ポンペーオ・コロンナ Pompeo Colonna

生没
1479年5月12日~1532年6月28日
ジローラモ・コロンナ
ヴィットーリア・コンティ
ジューリア・ディ・フォンディ
ジョヴァンニ・コロンナ
概要

 ポンペーオ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1517年7月1日~1532年
     任命した教皇:レオ10世

年表

1526年9月20~21日
コロンナ一族は、ウーゴ・デ・モンカーダ指揮の軍と共にローマを急襲しヴァティカン宮殿を略奪。クレメンス7世サンタンジェロ城に逃亡。かねてからクレメンス7世に敵対していた枢機卿ポンペーオ・コロンナ(1479年~1532:枢機卿在位1517年~1532年)がクレメンス7世を廃して教皇位を襲うための行動と広く信じられる。
1526年9月21日
やむなくウーゴ・デ・モンカーダと、4ヶ月間の休戦、ロンバルディアにある教皇軍のポー河以南への撤退、コロンナ家の赦免、カール5世軍、コロンナ家軍のローマ及び教会領からナポリへの撤退などを協定。
この後、クレメンス7世、直ちに密かに軍を集め、コロンナ家領及びナポリへの侵攻態勢を整えると共にコロンナ一族を教会に対する反逆者と宣言し、ポンペーオ・コロンナの枢機卿位を剥奪。
他方でクレメンス7世、ロンバルディアの同盟軍に書簡を送り、4ヶ月の休戦期間終了後はこれまで以上にカール5世と戦うと告げる。
1526年11月21日
1526年9月のコロンナ一族によるヴァティカン宮殿襲撃の参加者の処罰を進めてきた教皇庁は、召喚にも応じないポンペーオ・コロンナの聖職剥奪を宣言。
1527年3月15/16日
軍資金に窮して自軍の兵士の憤懣、脱走を止められない中でシャルル・ド・ブルボン指揮のカール5世軍の南下を見たクレメンス7世、やむなくCharles de Lannoyと8ヶ月間の休戦協定を結び、自軍のナポリ領及びコロンナ家領からの撤退、コロンナ家の赦免、ポンペーオ・コロンナの枢機卿への復位、カール5世軍への資金の提供、カール5世軍の教会領及びフィレンツェ領からの撤退、ヴェネツィア及びフランスによる本協定承認後のカール5世軍のイタリアからの撤退を約定。
これによりクレメンス7世は形式上コニャック同盟から離脱。

別表記

 ポンペオ、ポンペイオ

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンスの女たち』
 『イタリア史Ⅴ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ヴェスパシアーノ・コロンナ Vespasiano Colonna

生没
1480年頃~1528年3月13日
没地
パリアーノ
プロスペロ・コロンナ
コヴェッラ・サンセヴェリーノ
ベアトリーチェ・ダッピアーノ
ジューリア・ゴンザーガ
イザベッラ・コロンナ
概要

 ヴェスパシアーノ・コロンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

在位

 パリアーノの君主 1522年~1528年
 トラエット公
  先代:プロスペロ・コロンナ

年表

1498年
1526年7月26日
フォンディにてジューリア・ゴンザーガと結婚。
1526年8月20日
クレメンス7世と、ローマにおけるその最後の強敵でカール5世と結んだコロンナ一族との抗争について、クレメンス7世ヴェスパシアーノ・コロンナ及びカール5世ナポリ総督代理ウーゴ・デ・モンカーダ(1476年頃~1528年)との間で、クレメンス7世コロンナ家領を侵攻しないこと、コロンナ家はその軍をローマ近郊からナポリに撤退させることなどについて協定。

外部リンク

 Geneanet
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ラヴィーニア・コロンナ Lavinia Colonna

ジョヴァンニ・コロンナ
ジュスティーナ・オルシーニ
アストッレ・バリオーニ
別表記

 ラヴィーニャ

外部リンク

 Geni.com
 Sketches and Studies in Italy and Greece, Third series - Project Gutenberg

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』

ジューリア・コロンナ Giulia Colonna

生没
~1571年
ピエトロ・コロンナ
カテリーナ・サヴェッリ
ピエトロ・マルガーニ
プロスペロ・コロンナ
概要

 ジューリア・コロンナは、16世紀頃のイタリアの女性、ローマの貴族。

外部リンク

 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ムツィオ・コロンナ Muzio Colonna

生没
~1528年10月
ロレンツォ・コロンナ
ラウラ・フランジパーネ
ジネヴラ・ダ・ヴァラーノ
カミッロ・コロンナ
アルフォンソ・コロンナ
概要

 ムツィオ・コロンナはイタリアの傭兵隊長。

年表

1503年1月
ナポリ王国からローマに帰還。
シルヴィオ・サヴェッリのパロンバーラ・サビーナ征服に参加し、オルシーニ家を支援してボルジア家に対抗。
1505年6月
この頃?、マルカントーニオ・コロンナと共に、フィレンツェ共和国に傭兵隊長として雇われる。
1528年10月
死(1516年10月)。

別表記

 Mutius Colonna

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マルカントーニオ2世・コロンナ Marcantonio II Colonna

生没
1535年2月25日~1585年8月1日
出身
チヴィタ・ラヴィニア
没地
メディナセリ
アスカーニオ1世・コロンナ
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
フェリーチェ・オルシーニ
コスタンツァ・コロンナ
ファブリツィオ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ
アスカーニオ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
概要

 マルカントーニオ2世・コロンナは、16世紀のイタリアの男性。

在位

 第3代パリアーノ公 1557年~1585年

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

イザベッラ・コロンナ Isabella Colonna

生没
1513年~1570年4月11日
没地
フォンディ
ヴェスパシアーノ・コロンナ
ベアトリーチェ・ダッピアーノ
ルドヴィーコ・ゴンザーガ
フィリッポ・デ・ランノイ
ヴェスパシアーノ・ゴンザーガ
オラツィオ・デ・ランノイ
マリーア・デ・ランノイ
カルロ・デ・ランノイ
プロスペロ・デ・ランノイ
ポンペーオ・デ・ランノイ
概要

 イザベッラ・コロンナは、16世紀のイタリアの女性。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』

ファブリツィオ・コロンナ Fabrizio Colonna

生没
1557年~1580年11月1日
マルカントーニオ2世・コロンナ
フェリーチェ・オルシーニ
アンナ・ボッロメオ
マルカントーニオ3世・コロンナ
フィリッポ1世・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ
概要

 ファブリツィオ・コロンナは、16世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンナ・コロンナ Giovanna Colonna

生没
1579年頃~1620年
没地
ジェノヴァ
ファブリツィオ・コロンナ
アンナ・ボッロメオ
アンドレア2世・ドーリア
アルテミシア・マリーア・ドーリア
アンナ・ドーリア
ジョヴァンニ・アンドレア・ドーリア
ゼノービア・ドーリア
ジョヴァンニ・アンドレア2世・ドーリア
フェリーチア・ドーリア
ファブリツィオ・ドーリア
アンドレア・ドーリア
コスタンツァ・ドーリア
ヴィットーリア・ドーリア
ジローラマ・ドーリア
概要

 ジョヴァンナ・コロンナは、16世紀~17世紀のイタリアの女性。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
1433年~1525年
出身
トレヴィーゾ
没地
ヴェネツィア
概要

 フランチェスコ・コロンナは、15世紀~16世紀の男性、著作家、ドミニコ会修道士。

著作

 『ポリフィーロの夢

年表

1433年
トレヴィーゾに誕生。(1434年)
1499年
1525年
ヴェネツィアで死(1527年)。

別表記

 フランチェスコ・デ・コロンナ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンスの光と闇』

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2021年6月20日