ジギスムント・フォン・ルクセンブルク Sigismund von Luxemburg
- 生没
- 1368年2月15日~1437年12月9日
- 出身
- プラハ
- 没地
- ズナイム、ボヘミア
概要
ジギスムント・フォン・ルクセンブルクは、14世紀~15世紀の男性、神聖ローマ帝国皇帝。
在位
ルクセンブルク公 1378年~1388年
ブランデンブルク選帝侯 1378年~1388年、1411年~1415年
神聖ローマ皇帝 1410年~1437年(1411年までヨープストと並立)
先代:ループレヒト
次代:アルブレヒト2世
ボヘミア王 1419年~1437年
ハンガリー王 1387年~1437年
年表
1430年
ボヘミアでの争乱を収拾。
1431年11月25日
ミラノのサンタンブロージオ聖堂で大司教Bartolomeo della Capraより王の冠を受け、間もなくローマに向かう。
1432年春
ローマで教皇から直接戴冠されることを望みローマに向かおうとするが、彼がコロンナ一族のローマ襲撃に加担している上フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティとも結んでいると信じる教皇エウゲニウス4世に、自身がローマに入らずパルマに滞在するなどして、そのローマ入りを巧みに妨害される。
ローマ入りをひとまず断念し、ミラノからピアツェンツァ、パルマを経て、フィレンツェ軍とシエナ、ルッカ及びフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ軍とが戦闘中のトスカーナに入る。
1432年5月31日
ルッカに入り、さらにシエナに向かう態勢を取る。
これに対しフィレンツェ共和国は、使節をルッカに送って表面上は敬意を表しながらも、そのシエナ入りを阻止すべく密かに画策。
1432年7月11日
フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ軍・シエナ軍に守られてシエナに入る。この地に逗留し(~1433年5月)、ローマ入りとその地での戴冠を実現すべく引き続き画策。
1432年
ジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガにマントヴァ侯位を約束。
1433年5月21日
ローマに入る。ローマで教皇の手から戴冠することを希願し続けてエウゲニウス4世と裏面で折衝を重ねる。
1433年5月31日
ヴァティカン宮殿でエウゲニウス4世より戴冠。これにより神聖ローマ皇帝の称号を用いる正統性をようやく得る。
1433年9月9日
ローマからの帰途上マントヴァに入る。
1433年9月22日
マントヴァの大聖堂でジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガにマントヴァ侯位を受け、盛大な祝賀行事が繰り広げられる。
1434年5月30日
ボヘミアのフス派急進派、カトリックと連合したフス派穏健派に殲滅される。
1434年10月
エウゲニウス4世の逃亡後、無秩序状態が続き教皇帰還を求める動きが活発化したローマに、エウゲニウス4世の使節ジョヴァンニ・ヴィテレスキが到着し、市民に歓呼をもって迎えられる。以後ジョヴァンニ・ヴィテレスキは、教会支配の復活を準備。
1434年夏以降敗戦の続くフィレンツェ、大金を払ってフランチェスコ1世・スフォルツァと傭兵契約を交わし、彼とその軍をヴェネツィア・フィレンツェ同盟軍に加える。
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク、16か条からなる帝国改革計画を公表して帝国諸身分の意見を求めると共に、次の帝国議会で帝国改革について議決するよう提案。
しかし、諸侯も都市の意見が対立し、帝国改革計画は実行を挙げ得ずに終わる。
1436年7月5日
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク出席の下で開かれたイフラヴァの帝国議会で、ジギスムント・フォン・ルクセンブルク、フス派穏健派、バーゼル分離公会議の代表者の3者、協定を締結(イフラヴァ協約)。フス戦争、ようやく終結し(1419年~)、フス派はジギスムント・フォン・ルクセンブルクをボヘミア王として承認。
1437年12月9日
神聖ローマ皇帝ジギスムント・フォン・ルクセンブルク死(1368年~:皇帝在位1411年~:ハンガリー王在位1387年~:ボヘミア王在位1419年~)。
別表記
シギスムント1世
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『戦闘技術の歴史2 中世編』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの歴史』
ヴェンツェル Wenzel
- 生没
- 1361年2月26日~1419年8月16日
- 出身
- ニュルンベルク
- 没地
- プラハ
- 父
- カール4世
- 母
- アンナ・シフィドニツカ
- 妻
- ヨハンナ・フォン・バイエルン
ゾフィー・フォン・バイエルン
在位
ローマ王 1376年~1400年
ボヘミア王ヴァーツラフ4世 1378年~1419年
ルクセンブルク公ヴェンツェル2世 1383年~1388年
ブランデンブルク選帝侯 1373年~1378年
年表
1395年
外部リンク
ハインリヒ5世 Heinrich V

- 生没
- 1086年8月11日~1125年5月23日
在位
神聖ローマ皇帝 1111年~1125年
別表記
ハインリッヒ5世
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『修道院』
ループレヒト Ruprecht

- 生没
- 1352年5月5日~1410年5月18日
- 妻
- エリーザベト・フォン・ツォレルン
在位
神聖ローマ皇帝 1400年~1410年
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
オットー1世 Otto I
- 生没
- 912年11月23日~973年5月7日
概要
オットー1世は、10世紀の男性。
在位
神聖ローマ帝国初代皇帝 962年~973年
東フランク王 936年~962年
別表記
オットー大帝、オットーネ・イル・グランデ
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス宮廷大全』
『Lucretia Borgia』
カール4世 Karl IV
- 生没
- 1316年5月14日~1378年11月29日
- 出身
- ボヘミア王国プラハ
- 没地
- ボヘミア王国プラハ
- 父
- ヨハン・フォン・ルクセンブルク
- 母
- エリシュカ・プシェミスロヴナ
- 妻
- ブランシュ・ド・ヴァロワ
アンナ・フォン・デア・プファルツ
アンナ・シフィドニツカ
エリーザベト・フォン・ポンメルン - 子
- マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク
カタリーナ・フォン・ルクセンブルク
ヴェンツェル・フォン・ルクセンブルク
エリーザベト・フォン・ルクセンブルク
ヴェンツェル
アンナ・フォン・ルクセンブルク
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク
ヨハン・フォン・ルクセンブルク
カール・フォン・ルクセンブルク
マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク
ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク
概要
カール4世は、14世紀の男性、神聖ローマ帝国皇帝。
在位
神聖ローマ皇帝 1347年~1378年
年表
1356年
金印勅書。
別表記
カルル4世
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『君主論』
『世界大百科事典』
『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
フリードリヒ1世 Friedrich I
- 生没
- 1123年~1190年6月10日
概要
フリードリヒ1世は、12世紀の男性。
在位
ドイツ国王 1152年~1169年
神聖ローマ皇帝 1152年~1190年(皇帝戴冠1155年)
イタリア王 1155年~1190年
別表記
フレデリック皇帝、Federico Barbarossa
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『世界大百科事典』
『戦闘技術の歴史2 中世編』
『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
『メディチ家』
『傭兵の二千年史』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス宮廷大全』
ルートヴィヒ4世 Ludwig IV
- 生没
- 1282年~1347年10月11日
- 父
- ルートヴィヒ2世
概要
ルートヴィヒ4世は、13世紀~14世紀の男性。
在位
ドイツ王 1314年~1347年
神聖ローマ皇帝 1328年~1347年
先代:ハインリヒ7世
次代:フリードリヒ3世
外部リンク
参考文献
『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
ハインリヒ7世 Heinrich VII

- 生没
- 1270年?~1313年
- 妻
- マルゲリータ・ディ・ブラバント
概要
ハインリヒ7世は、13世紀~14世紀の男性。
在位
神聖ローマ皇帝 1308年~1313年
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『サロメの乳母の話』
『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
『ルネサンス宮廷大全』
フリードリヒ2世 Friedrich II
- 生没
- 1194年~1250年
- 父
- ハインリヒ6世
- 母
- コンスタンツ
- 子
- ハインリヒ7世
コンラート4世
マンフレディ
エンツォ
概要
フリードリヒ2世は、12世紀~13世紀の男性。
在位
シチリア王フリードリヒ1世 1198年~1250年
シュヴァーベン公 1212年~1216年年
神聖ローマ皇帝 1215年~1250年
年表
1212年
ドイツ王。
1228年
エルサレム王。
1237年11月27日
フィリードリッヒ2世が、コルテヌオーヴァの戦いで第2次ロンバルディア都市同盟軍を破る。
1240年8月
ラヴェンナを占領する。
1248年2月18日
第2次ロンバルディア都市同盟に敗れる。
1250年
死去
別表記
フリードリッヒ、フリードリヒ・ホーエンシュタウフェン、フォン・シュヴァーヴェン
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『サイレント・マイノリティ』
『世界大百科事典』
『戦闘技術の歴史2 中世編』
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
『傭兵の二千年史』
『ルネサンス宮廷大全』
記載日
2005年5月29日以前