Cappelle Medicee

メディチ家礼拝堂

コムーネ:フィレンツェ

概要

 メディチ家礼拝堂は、フィレンツェにある建物。



所蔵品

新聖具室


ミケランジェロ
ジュリアーノ・デ・メディチ霊廟

ミケランジェロ
ロレンツォ・デ・メディチの霊廟

ミケランジェロ
聖コスマスと聖ダミアヌスと聖母像

地下室


素描

素描

素描

素描

素描

素描

素描

素描

新聖具室 Sagrestia Nuova

 メディチ家礼拝堂の新聖具室は、メディチ家から選出された教皇レオ10世の要請によって、ミケランジェロによって制作された。ちょうど1世紀前に、同じようにサン・ロレンツォ教会に建造された聖具室に対応する形で作られたため、こちらを新聖具室と呼ぶ。

地下室

 「ロレンツォ・デ・メディチの霊廟」を左に行くと、隠し部屋へと繋がる階段がある。床につけられた跳ね上げ式で開く入口から階段が下に続いていて、数段下りたところ左側には小さな扉がついている。この中には扉を開いたまま固定しておくための重りがぶら下がっている。これはおそらく当時のものである。頭を打たないように注意深く降りて行くと、四方の壁に素描が描かれた、隅に小さな窓が1つあるだけの薄暗い地下室に出る。



 1955年まで館内の暖房には炭が用いられており、この地下室は長らく炭置き場に使われていた。電気ストーブが導入されて、冬の辛い炭運びの仕事もなくなると、床の扉の上には衣装棚が載せられ全く見えなくなってしまう。それから20年後の1975年、パオロ・ダル・ポッゲット館長が、聖具室にやってくる観光客を円滑に出口に誘導する方法はないかと考え始めた時、久々にこの場所が陽の目を見ることになった。実際この入口を広くして、下に出口を作ることが計画された。
 同時期に聖具室では、主祭壇に向かって右の部屋で発見された壁の素描が修復されていた。そこで地下室の壁も調査されることになり、巨大な素描が描かれている下層部分が存在することが分かった。1975年11月14日、地下室の漆喰を外科用のメスで慎重に剥がす作業を始めた。1976年の元旦には漆喰の半分が剥がされ、テレビでは特番が組まれた。1976年3月には全てが露わにされ、1976年5月5日に正式な会見が行なわれた。あらゆるメディアがこの世紀の発見を報じた。というのも資料からこの素描は、ミケランジェロのものではないかとされたからだ。
 フィレンツェでは1527年に民衆の暴動が起き、メディチ家が追放される。ミケランジェロにとってメディチ家は庇護者だったが、民衆と足並みをそろえ裏切った。1530年、共和国の最後に立ち会った後、メディチ家の人々からお尋ね者のように扱われ、約2か月間どこかに隠れていたと言われる。それがこの地下室だというのである。
 しかしながら、当時有名だったミケランジェロが、わざわざ地下室に身を潜める必要があっただろうか。部屋の端には井戸も備えていたとは言え、このような生活しにくいところに隠れていなくとも、喜んで匿ってくれるような人々は大勢いただろう。素描が描かれた時期についても、1520年代だったのではないか。建設中の新聖具室で煉瓦を積んだり、大理石を切ったりする仕事の合間に、ミケランジェロと弟子たちが一息ついていた時のものかもしれない。1つ1つの作者を特定することはほぼ不可能で、一部の作品はミケランジェロにしては下手だという意見が大半を占めている。完成を目指していたものに加え、すでに完成した傑作と同じものも含むこれらの作品のいくつかは確かにミケランジェロのものかもしれないが、弟子たちが芸術的な難題を解決するため、あるいは休憩時間の単なる暇つぶしのため、壁に絵を描いていた可能性が高いだろう。
 ただし、巨匠とその弟子や助手たちの作業風景をじかに感じることができる、これらの作品の価値や発見の重要性は、たとえ作者が分からなくても、変わらない。素描は炭を使って、まさに今描いたばかりのような生々しい筆跡を残している。ここには1966年の洪水で、大量の水が入り込んだが、素描の上に塗られていた漆喰が保存のために良い働きをしてくれたのである。

素描

 突き当たりの壁に炭で描かれた人の後ろ姿は、システィーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの絵画「天体と植物の創造」に似ている。立ち姿の女性は、「最後の審判」のイヴとも言われる。

素描

 ミケランジェロによる未完の作品「ダヴィデ像」の姿態を連想させる。

素描

 ミケランジェロの素描「キリストの復活」と似ている。

素描

 ミケランジェロの素描「パエトンの墜落」に描かれた人物と驚くほどよく似ている。

素描

 ギリシャ神話を題材にしたミケランジェロの素描の模写とされている「レダと白鳥」を鏡に映したようなデッサン。

素描

 左壁にはガラスで保護された、ミケランジェロではないかと言われる大きな顔の素描がある。ミケランジェロに影響を与えた古代ギリシャの「ラオコーン群像」を思い起こさせる髭面も描かれている。

素描

 地下室の壁に描かれていた腕。ミケランジェロの代表作「ダヴィデ像」の腕に似ている。

素描

 右壁には、さまざまなポーズの足も描かれている。座っている足の絵は、「ジュリアーノ・デ・メディチ霊廟」の彫刻のデッサンに見える。

被葬者

 ジュリアーノ・ディ・ピエロ・デ・メディチ
 ロレンツォ・イル・マニーフィコ
 ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
 ロレンツォ・デ・メディチ
 ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ
 アレッサンドロ・デ・メディチ
 マリーア・ディ・ヤコポ・サルヴィアーティ
 エレオノーラ・ディ・トレド

関連項目

 『イコノロジー研究6 新プラトン主義運動とミケランジェロ

別表記

 メディチ礼拝堂

外部リンク

 ナショナルジオグラフィック
 Google Maps
 Wikipedia
 Wikipedia
 Web Gallery of Art

記載日

 2009年1月3日