Jacopo Trotti

ヤコポ・トロッティ

概要

 ヤコポ・トロッティはミラノ駐在フェッラーラ公国大使。

年表

1492年8月28日
ミラノにて、フェッラーラ公エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。ミラノ駐在ヴェネツィア大使が、教皇位は聖職売買と詐欺で売られたのであり、新教皇アレクサンデル6世の極悪さを知ればフランスとスペインは教皇に従うことを拒否するだろうとヴェネツィアの貴族は考えていると公けに宣言。
1494年6月11日
ミラノにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。1494年6月11日、アスカーニオ・マリーア・スフォルツァからルドヴィーコ・イル・モーロ宛ての手紙が届けられる。それにはジョヴァンニ・スフォルツァが、ルクレツィア・ボルジアジューリア・ファルネーゼヴァノッツァ・デイ・カッタネイを伴い、ローマを出発しペーザロへ向かったこと、アレクサンデル6世ジューリア・ファルネーゼに早く帰ってきてくれと懇願していたことが書かれていた。
1494年12月21日
ミラノにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。

 ジューリア・ファルネーゼアドリアーナ・デル・ミラを教皇アレクサンデル6世に引き渡してしまったことで、ルドヴィーコ・イル・モーロは、アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ枢機卿とフェデリーコ・サンセヴェリーノ枢機卿をひどく非難しておられました。この婦人たちは教皇の「心と目」であり、彼女たちなしでは生きていけないことから、意のままにできる最高の鞭となっただろうにと。彼女たちを捕らえたフランス兵はたったの3千ドゥカートを身代金として受け取りましたが、教皇は5千ドゥカートかそれ以上でも、彼女たちを取り戻すためなら払ったでしょう、公爵はローマからのと、フィレンツェのアンジェロからの報告を受け取り、それによりますと、婦人たちが帰還した時、聖下は金の絹織物のついた黒いダブレット(ファルセット、プールポワン)を着て、スペイン風の美しいベルトを巻き、剣と短剣を差した姿で出迎えたそうです。スペインのブーツを履いてビレタ(司祭が被る四角形の帽子)を被り、非常な伊達男だったとか。公爵は笑いながらそれについて私にどう思うか尋ねられました。私がもしミラノ公爵なら、フランス王の助けでも何でも得て、平和を実現させるための口実の下に聖下を罠にかけるよう努めるでしょう。聖下ご自身がよくやるようにうまい言葉で、聖下と枢機卿たちを捕虜にするのは簡単でしょうと答えました。召使いもいれば、ご自分の住まいでもあり、荷馬車と雄牛だってあります。カトゥルスの詩にもTu quoque fac simile: ars deluditur arte.「汝もまた模倣する、技術は技術をもって弄ばる」とあるでしょう、と。
1494年12月24日
ミラノにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。ルドヴィーコ・イル・モーロが彼の大臣に公然と「教皇は3人の女の来訪を許した。1人はヴァレンシアの修道女、1人はカスティーリャ人、3番目は15、6歳の美しいヴェネツィア人だ」と話した。「ここミラノでは、教皇アレクサンデル6世に関する醜聞がフェッラーラでと同じくらい話題となっています」
1494年12月28日
エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。「教皇アレクサンデル6世が捕らえられ斬首されたという報告を持った特使を連れたバルトロメオ・ダ・カルコの到着を今か今かと待っていると、ルドヴィーコ・イル・モーロは申されていました」
1497年6月23日
エルコーレ1世・デステ宛てに手紙を書く。ルクレツィア・ボルジアが近親相姦を犯しているとの噂を始めたのがジョヴァンニ・スフォルツァであったことが、この手紙から分かる。

別表記

 ジャーコモ・トロッティ、Giacomo Trotti

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2013年4月16日