
- 生没
- 1533年~1603年
- 父
- ヘンリー8世
- 母
- アン・ブーリン
概要
エリザベス1世は、16世紀から17世紀のイングランドの女性、イングランド王。
在位
イングランド王 1558年~1603年
年表
1533年9月7日
アン・ブーリン、女子エリザベスを出産。長年、正統後継男子を望んできたヘンリー8世は、女子の誕生に落胆。
1534年3月23日
「宗教改革議会」、ヘンリー8世とカテリーナ・ダラゴーナの子メアリー1世を非正統とし、アン・ブーリンとの子エリザベスを正統な王位継承者と認めると共に、この継承者に反対する者を反逆罪に問い、かつこの「内容と効果を支持する」誓約を義務付けることを定めた「王位継承法」を可決。
1553年末
1553年9月デヴォンシャー伯に任じられたばかりの故Edward IVの曾孫・好男子Edward Coutenay(1526年頃~1556年)と彼に気をひかれているエリザベスを結婚させ、2人をメアリー1世とフェリペ2世に代えて王位に就けようとする陰謀、固まる。
1554年3月18日
メアリー1世、逮捕したWyattの乱の指導者たちからエリザベスの乱への加担の証拠を得ようとして得られなかったものの、加担は明らかだとしてエリザベスをロンドン塔に幽閉。しかし、大法官S. Gardinerのエリザベス処刑論は斥ける。
1554年5月19日
メアリー1世、エリザベスをロンドン塔からウッドストック城に移す。
1554年12月25日
メアリー1世とフェリペ2世、クリスマスの祝いの席にエリザベスを招待。
1558年11月17日
朝メアリー1世死。
エリザベス、イングランド王に即位しエリザベス1世を名乗る。
これに対しアンリ2世、庶子エリザベス1世の王位継承にが疑義があるとし、自身の王太子フランソワ2世の妻メアリー・スチュアートこそ正統なイングランド王位継承権を有すると主張。以後フランソワ2世とメアリー・スチュアート、「イングランド・スコットランド・アイルランド王及び女王」の称号を用い続ける。
1559年1月15日
エリザベス1世の戴冠式カーライルの司教Oven Oglethorpe(?~1559年12月:在位1557年~1559年5月)の司会によりウェストミンスター大聖堂で、カトリックの儀式と改革派のそれとを折衷させた形式で挙行される。
1559年4月2日
アンリ2世とエリザベス1世、アンリ2世はカレーその他イングランドから奪った領地を8年間領有し、その後はエリザベス1世に返還するかエリザベス1世から改めて購入すること、などを協定。
1559年
信教統一令、国教会成立
1562年
フランス、ユグノー戦争(-98)
1563年
エリザベス1世、聖職者会議を開き、四十二箇条(1553年)を改定した信仰箇条Thirth-nine Articles(三十九箇条)を定めさせる。この中でエリザベス1世、礼拝形式や司教制度の維持などでローマ教会的な形式を留めながらも教義の上では明確にプロテスタントの福音主義の立場をとり、ローマ教皇から独立した国民国家教会の確立を目指す。
1568年5月13日
逃亡中のメアリー・スチュアート、グラスゴー近郊ラングサイドで、急ぎ結集した新教徒派政府軍を破り活路を開こうとするが完敗。2日後エリザベス1世に書簡を送って保護を求め、その翌1568年5月16日西部領国境界の川を釣りボートで越えてイングランドに入る。
1568年5月19日
1568年5月18日メアリー・スチュアートをイングランド中部カーライル城に移させたエリザベス1世、この日、彼女を満腔の敬意を込めて、しかし決して逃亡されぬよう遇せよと指令。メアリー・スチュアートの軟禁・幽閉生活、始まる(~1587年:1587年3月8日エリザベス1世暗殺を謀ったAnthony Babington——(メアリー・スチュアートの近習、1561年~1586年)——陰謀事件への参画により処刑される)。
1570年2月25日
ピウス5世、真実の教会の危機を救い背信の徒を罰する義務を負う教皇として、異端者エリザベス1世を破門し「自称」イングランド王の位に関わる権限を失わしめる、との勅書を発し、イングランドのカトリック教徒をエリザベス1世への忠誠義務から解放。
1600年
東インド会社設立
外部リンク
ウィキペディア
Famille de Carné
Find A Grave
Foundation for Medieval Genealogy
Genealogy.EU
参考文献
『オーランドー』
『新世紀ビジュアル大辞典』
『世界悪女大全』
『世界大百科事典』
『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
『性病の世界史』
『馬車の文化史』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『西洋拷問刑罰史』
『中世の食卓から』
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの歴史』
『ルネサンス百科事典』
『ルネサンス舞踊紀行』
『ローマ教皇検死録』
記載日
2005年5月29日以前