Pietro Bembo

ピエトロ・ベンボー

生没:1470年5月20日~1547年
出身:ヴェネツィア
在位:枢機卿 1538年12月20日~1547年
       任命した教皇:パウルス3世
父:ベルナルド・ベンボー
著作:書簡集
   アゾラーニ

概要

 ピエトロ・ベンボーは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、詩人、聖職者。

年表

1470年5月20日
ヴェネツィアに生。
1503年
フェッラーラを訪れる。
1503年8月21日
ルクレツィア・ボルジアを見舞う。
1503年8月22日
オステッラートにて、ルクレツィア・ボルジア宛てに手紙を書く。

 昨日あなたを訪れましたのは、訃報を聞いてどんなに悲しんでいるかを言うため、あなたをお慰めする努力をし、落ち着かせるためでしたが、それというのはあなたが計り知れないほどの悲しみに苦しんでいることを存じているからです。私にはどちらを果たせませんでした。暗い部屋で、喪服を着て、伏せって泣いていたあなたを見た時、自分の感情に打ち負かされて立ち尽くし、言葉を発することができず、何を言えばいいのか分かりませんでした。私自身も必要としていた同情を寄せる代わりに、あなたがお気づきになっていたかいなかったか、悲しい光景に完全に圧倒され、ぼそぼそと何か言うに言えず、立ち去りました。おそらくこういったことになったのは、あなたが同情やお悔やみを必要としていなかったからです。私の献身と忠誠をご存じなのだから、あなたの悲しみに対して私が感じる痛みをもお気づきになっているでしょうし、賢明なあなたは他でもないご自身の中にこそ慰めを見出されるでしょう。運命があなたの苦しみに勝る悲痛を私にもたらしはしないと言うことが、私がどんなに嘆いているかお伝えするのに最も相応しい。あなたの涙が伴うことよりも、私の魂を深く貫く打撃などございません。お悔やみのために私が唯一申し上げられることは、ご自身がそうお考えになられたに違いないように、時が我々の嘆き全てを宥め、緩和するのです。知性は高く評価され、ご人格の力強さを幾度も証明されてきたため、あなたが慰めを見出され、ひどく長い間嘆かれることはないと承知しております。今父君を亡くされましたが、運命自身がこれ以上優れたものを与えることはできない程あなたは崇高で、不吉で悪意のある天意から受けた初めての試練ではというわけではございませんでした。これまでにもたくさん苦しまれ、あなたの魂は不幸に慣れてしまっているに違いありません。目下の事情は、その上、この衝撃のためによりも、将来への心配のために心痛していると思われてはなりません。愚かにもこんな手紙を書いてしまいました。これで終わりにします。さようなら。
1504年8月1日
ルクレツィア・ボルジア宛てに手紙を書く。『アゾラーニ』を献辞。
1505年
アゾラーニ』をヴェネツィアで刊行。
1506年
ウルビーノに。
1525年9月
Prose della volgar lingua(俗語による散文集)をヴェネツィアで刊行し、トスカーナの俗語をもってイタリアの俗語を純化統一しかつそれを文学用語に高めることを企図。
1547年1月18日
ローマで死。
1551年
遺作Rerum venetarum historiae libri XII(ヴェネツィア共和国史12篇)、ヴェネツィアで刊。

肖像

 アテナイの学堂
 ピエトロ・ベンボー枢機卿の肖像
 ピエトロ・ベンボーの肖像

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前