Infante Romano

インファンテ・ロマーノ

生没:1498年3月~1547年11月
没地:ジェノヴァ
在位:ネピ・パレストリーナ公 1501年9月17日~1503年
   カメリーノ公 1502年9月2日~1503年
    次代:ジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ

概要

 インファンテ・ロマーノは、15世紀~16世紀の男性。おそらくルクレツィア・ボルジアペドロ・カルデロンの息子。

年表

1498年3月
1498年3月18日以前にローマで生(1498年9月)。
1506年2月25日
家庭教師としてバルタッサーレ・ボンフィーリオの名前が記録されている。
この時には、バーリにて、ロドリゴ・ダラゴーナと共に育てられている。
1506年10月24日
カルピのおそらくはピオ家の宮廷にいた。この日付でルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「ジョヴァンニ・ボルジアをフェッラーラに連れてきた船頭に支払」と記載あり。
1506年11月5日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「カルピのジョヴァンニ・ボルジアに何着か亜麻の服を送った」と記載あり。
1508年4月
この時には、バーリにいる。
1508年5月15日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「ジョヴァンニとロドリゴ・ダラゴーナに帽子」と記載あり。
1508年5月25日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「ジョヴァンニとロドリゴ・ダラゴーナに手袋の出費」と記載あり。
1508年10月16日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「家庭教師バルトロメオ・グロットが本の代金を支払うための出費」と記載あり。
1508年12月15日
ルクレツィア・ボルジアの家計簿に、「バルトロメオ・グロットがジョヴァンニに購入したウェルギリウスへの支払」と記載あり。
1517年12月
この時には、フェッラーラの宮廷にいる。
1518年4月27日
フランス王妃への贈り物として2つの金の腕輪の記録あり。
1518年11月14日
パリに行くアルフォンソ1世・デステに同行。ルクレツィア・ボルジアから渡された、フランス王フランソワ1世クロード・ド・フランスへの贈り物である2つの金の腕輪を持参。
1518年11月16日
フランソワ1世のもとに預けられる。しばらくフランス宮廷に残り、富を築こうとするが、失敗に終わる。
1527年8月19日
カメリーノジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ死。
1530年
ボローニャに滞在中のカール5世を訪れ、自らがカメリーノ公であることを主張し相談。教皇クレメンス7世を通して、しかるべきローマの法手続きを踏むことにより、権利を確保することに努めるよう助言を受ける。
1530年
ローマにて、アルフォンソ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。事情を説明し、エステ家の書庫にある自分に関する文書をもっと探してもらえるよう頼む。
1530年6月29日
ローマにて、エステ家の書記長を使ってアレクサンデル6世の時代からの文書を持ち出し、膨大な量の文書にて訴訟を起こす。その中で、自らをローマ第一書記、教皇の雄弁家と名乗る。
1530年
ローマのルオータから代償を払うよう訴えられる。
1532年6月7日
クレメンス7世から勅書にて、ジューリア・ダ・ヴァラーノとその母カテリーナ・チーボをこれ以上要求して困らせるのをやめるよう命令される。
1547年11月
ジェノヴァで死(1548年)。ヴァレンシアに数千ドゥカートを、ローマに少しの衣服、2頭の馬と3百ドゥカートの価値のある葡萄園を残した。遺言は残さず。

別表記

 ホアン、ジョヴァンニ・ボルジア

外部リンク

 世界帝王事典
 そらのお城
 Genealogy.EU
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前