Jofré Borgia

ホフレ・ボルジア

生没年:1481年~1516/17年
在位:スクイッラーチェ公 1494年5月8日~1517年
    先代:ジャンフランチェスコ・マリーノ・ダ・マルツァーノナポリ
    次代:フランチェスコ・ボルジア
   カリアーティ伯 1494年5月8日~1517年
父:アレクサンデル6世
母:ヴァノッツァ・デイ・カッタネイ
妻:サンチャ・ダラゴーナ
  マリーア・デル・ミラ
子:フランチェスコ・ボルジア
  ルクレツィア・ボルジア
  マリーナ・ボルジア

概要

 ホフレ・ボルジアは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1481年
生(1482年)。ロドリゴ・ボルジアはホフレ・ボルジアを認知はしたものの、自分の子供とは信じず、ジョルジョ・デッラ・クローチェが父親だと考えていたようである。
1486年6月
この頃、アドリアーナ・デル・ミラに引き取られ、モンテ・ジョルダーノ宮殿に居住。
1490年
この頃、ヴァレンシア司教座聖堂参事会員及び助祭長。
1492年
いつからかは不明だが、この頃には姉ルクレツィア・ボルジアと共に、アドリアーナ・デル・ミラの家に住んでいる。
1493年6月12日
ルクレツィア・ボルジアジョヴァンニ・スフォルツァヴァティカン宮殿での結婚式に参列。ジョヴァンニ・スフォルツァ到着のすぐ後に、兄チェーザレ・ボルジアと共に、壁の中に開くようになっていた秘密の戸口からそっと忍び込むという、幾分芝居がかった形で入場。
1493年6月末
サンチャ・ダラゴーナとの結婚が提案される。
1493年8月16日
ヴァティカン宮殿にて、代理人を立てた、サンチャ・ダラゴーナとの婚姻契約書が作成される。
1494年
ローマ出発。ナポリ軍総司令官ヴィルジーニオ・オルシーニ、フェルランド・ディセールと、全く新しい家臣一同を引き連れる。
1494年5月7日
カステル・ヌオーヴォサンチャ・ダラゴーナとの婚礼の式を挙げる。ナポリフェッランテ・ダラゴーナ、花嫁の叔父フェデリーコ・ダラゴーナ、モンレアーレ枢機卿フアン・ランソル・イ・ボルハ、フェルランド・ディセールが参列。トロペア司教が式を執り行う。贈り物は真珠の首飾り、ルビー、ダイヤモンド、卵型真珠からなる装身具、ダイヤ、ルビー、トルコ石その他あらゆる種類の宝石をはめ込んだ14個の指輪、金の錦、絹、ビロードの織物。
ナポリに留まる。
1494年5月8日
アルフォンソ2世・ダラゴーナナポリ王戴冠式に参列。前に進み出ると、玉座の下に跪く。王は、宝石をちりばめた剣でもってホフレ・ボルジアの左耳に触れ、「神とサン・ジョルジョが汝を優れた騎士にせられんことを」と言う。そして、スクイッラーチェ公とカリアーティ伯に任じられ、アーミン皮の帯を授けられる。「裏切るよりはむしろ死を選ばんことを」(1494年5月7日)。
1494年5月11日
カステル・ヌオーヴォの礼拝堂でサンチャ・ダラゴーナとの結婚式を挙げる。サンチャ・ダラゴーナは、父アルフォンソ2世・ダラゴーナに導かれてカステル・ヌオーヴォの礼拝堂へ赴き、グラヴィーナ司教ピエトロ・マッテオ・ダクイーノがミサを唱える。司教はまず聖体を授けてから、助祭の口に接吻をし、助祭はそれを新郎に伝え、新郎は新婦にそれを伝える。降福式が終わると、一同は合奏会に行き、ついで長い宴会に移る。
日暮れ頃、カステル・ヌオーヴォからほんの数歩の位置に設けられた新しい住居へ行き、妻を待つ。新妻は王とフアン・ランソル・イ・ボルハ枢機卿に伴われて程なくやってくる。
夜の儀式の役割は最年長の女性たちに割り当てることが期待される。サンチャ・ダラゴーナの侍女たちは、新婦だけではなしに、新郎にも衣服を脱がせ、2人をベッドに入らせると、儀式の定めに従って、胸から腰までをむき出しにする。その時、アルフォンソ2世・ダラゴーナフアン・ランソル・イ・ボルハ枢機卿が入り、入れ違いに侍女たちは退場する。彼らは当時の慣習に基づいて、新郎新婦をからかって打ち興じ、いかに「新夫が男らしいか」を称えて面白がる。床入りが祝福され、夜明けにアルフォンソ2世・ダラゴーナフアン・ランソル・イ・ボルハが土砂降りの雨の中を帰る。
1495年2月21日
シャルル8世軍の入城を前にしたフェッランディーノ・ダラゴーナのナポリ逃亡に随行。
1496年5月20日
聖霊降臨節。妻サンチャ・ダラゴーナと共に10時頃ローマに到着。当時流行の、身体にぴったりの黒サテンの服を纏い、長い髪は赤銅色に輝き、その顔は南部の太陽の光線を浴びて褐色に見える。ラテラーノ門で供を連れた姉ルクレツィア・ボルジア、外交官、枢機卿、役人、貴族たちに出迎えられ、ヴァティカン宮殿へ付き添われる。サン・ピエトロ大聖堂で、11人の枢機卿に囲まれ玉座に座った父教皇アレクサンデル6世のもとへ行き、ホフレ・ボルジアはチェーザレ・ボルジアの隣に、ルクレツィア・ボルジアは教皇の右に、サンチャ・ダラゴーナは左に、クッションの上に座る。
サンタンジェロ城近くの故アルディチーノ・デッラ・ポルタの宮殿に居住。
1497年6月14日
ヴァノッツァ・デイ・カッタネイ主催の宴に出席。
1497年8月7日
アレクサンデル6世の命により、サンチャ・ダラゴーナと共にローマを出発しスクイッラーチェに向かう。
1499年
アレクサンデル6世チェーザレ・ボルジアのフランスとの同盟が確かなものとなった頃、騒ぎを引き起こし、スペイン兵たちを引き連れて夜間しばしば外出し、市民警備隊の夜間巡邏班をさえなぶったりする。
ある晩、25名ほどのスペイン兵を引率してサンタンジェロ橋を渡ろうとした時に、ホフレ・ボルジアは警備隊隊長を罵って警備隊の一兵士に錆びた矢を腿に射込まれ、すんでのところで「テヴェレ川の水面に発見する」ことになるところとなる。夫の状態を見たサンチャ・ダラゴーナヴァティカン宮殿アレクサンデル6世に不満を申し立てに行く。
1503年1月
オルシーニ家のモンテロトンドを占領。
しかし、オルシーニ家の反乱の鎮圧は果たせず。
1503年9月2日
この日か、この日以前にネピ到着。
1503年9月18日
ネピにて、フランチェスコ2世・ゴンザーガ宛てに手紙をしたためる。
1506年
サンチャ・ダラゴーナ死。
1506年10月末
スペイン王フェルディナンド・ダラゴーナナポリに到着。
1506年
サンチャ・ダラゴーナの死により権利を失ったアルヴィートを、フェルディナンド・ダラゴーナにより没収される。

関連項目

 The Borgias: 101, 104, 105, 106, 107, 109

チェーザレ・ボルジア数

 きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 ドン・ジュフレ、ジョッフレード、ジュフレード、Gioffredo

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 Genealogy.EU
 Google Books
 kleio.org
 THE BORGIAS wiki

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
ボルジア家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで