Michele da Corella

ミケーレ・ダ・コレーリア

概要

 ミケーレ・ダ・コレーリアは、15世紀~16世紀の男性、チェーザレ・ボルジアの腹心、傭兵隊長。

年表

1500年8月18日
夕方、アルフォンソ・ダラゴーナ暗殺。
1502年10月15日
カルマッツォの戦いで負戦し、フォッソンブローネに敗退。
1502年10月
バリオーニに囲まれ、ペーザロ(タヴッリア)のモンテルロ城に籠城。
1502年10月31日
ペーザロにて、反逆者とみなした5人を宮殿の窓から吊る。
1503年8月18日(金)
晩課の時刻、教皇アレクサンデル6世、死。
大勢の部下を引き連れ、ヴァティカン宮殿の入口の全ての扉を閉める。部下の1人がハイメ・デ・カサノヴァ枢機卿に短剣を突きつけ、教皇の鍵と金を明け渡さなければ刺して窓から放り出すと脅し、枢機卿は鍵を渡す。見つけ得る限りの銀製品と、それぞれ10万ドゥカートが入った2つの櫃などを、教皇の寝室の裏にある部屋へ運ぶ。
8刻、再び扉を開け、教皇アレクサンデル6世の死が知れ渡る。
ローマ周辺を歩兵隊に占拠させ、枢機卿団による閲兵を行う。
1503年8月20日(日)
オルシーニ家ローマで蜂起したため、ポンテ地区のモンテ・ジョルダーノ宮殿に火を放つ。
1503年11月末頃
チェーザレ・ボルジア軍を指揮し、ロマーニャ進軍中、トスカーナジャンパオロ・バリオーニ指揮のフィレンツェ軍に敗退し、捕らえられる。
1504年1月9日
ユリウス2世の特派した兵によりローマに連行される。
1504年7月
元老院代表の前で引き出され、拷問台の上に載せられ、アルフォンソ・ダラゴーナを殺したのはアレクサンデル6世の命令によるものだった、など告白。
1506年4月1日
サンタンジェロ城を釈放され、フィレンツェ市民軍の指揮官として採用される。
1506年4月15日
トスカーナ全域の平定を指令される。
1507年2月27日
フィレンツェ市民軍の総指揮官に任命される。

別表記

 ドン・ミケロット、ドン・ミケレット、ドン・ミケーレ、ミゲル・デ・コレッラ、コレーラ、don MicheleCorella de MiguelMichieliMichelotto

関連項目

 The Borgias: 102, 103, 104, 105, 108, 109, 201

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 Condottieri di ventura
 THE BORGIAS wiki
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
傭兵隊長
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで