Georges d'Amboise

ジョルジュ・ダンボワーズ

生没:1460年~1510年
在位:枢機卿 1498年9月17日~1510年
       任命した教皇:アレクサンデル6世

概要

 ジョルジュ・ダンボワーズは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

年表

1500年5月10日
この日?、ピエロ・ソデリーニをミラノに派遣し、ルイ12世の宰相ジョルジュ・ダンボワーズに対してそのミラノ制圧、支配に祝意を表すると共に、1499年11月の約定に基づくピサ攻略へのフランス軍の派遣の具体的条件について交渉。王に多額の軍資金を支払うという条件を飲んで交渉、ようやく妥結。
1501年7月初め
ミラノ到着。
1501年10月13日
この日?、マクシミリアン1世ルイ12世(の代理、宰相ジョルジュ・ダンボワーズ)、イタリアの処置に関して秘密裡に協定。
1501年10月
この頃、マクシミリアン1世と協定を結んでミラノに帰ったジョルジュ・ダンボワーズのもとにアントーニオ・マレゴンネッレベネデット・デ・ネルリを派遣し、フィレンツェの防衛、保護を要請するが、何らの言質も与えられずに終わる。
1501年10/11月
この頃?、ヴォルテッラの司教フランチェスコ・ソデリーニルカ・ダントーニオ・デリ・アルビッツィルイ12世と宰相ジョルジュ・ダンボワーズのもとに送り、ブロワで、ナポリ攻略の成功に対する祝意を表すると共に、チェーザレ・ボルジアのトスカーナ攻略からフィレンツェを防衛してくれるよう懇請するが、冷たく拒絶される。
1508年12月10日
カンブレー同盟:ユリウス2世の呼びかけでマクシミリアン1世ルイ12世、それぞれ代理として娘マルグリット・ドートリッシュ、宰相ジョルジュ・ダンボワーズをカンブレーに送り、表向き対オスマン・トルコを装って対ヴェネツィア同盟を締結。
後にフェルナンド2世・デ・アラゴン、イングランド王ヘンリー7世、ハンガリー王ウラースロー2世・ヤギェウォフェッラーラアルフォンソ1世・デステ、マントヴァ候フランチェスコ2世・ゴンザーガ、サヴォイア公カルロ2世も加盟。ユリウス2世は翌1509年ようやく正式に加盟。
1510年1月
オスマン・トルコ、フランスルイ12世、ドイツマクシミリアン1世、スペインフェルナンド2世・デ・アラゴンへの、とりわけフランスルイ12世への対抗勢力として利用するためヴェネツィアを過度に弱めない方針をとることを決めた教皇は、対ヴェネツィア戦をさらに強く断行すべしとのルイ12世の宰相ジョルジュ・ダンボワーズの申し入れを拒絶。
1510年5月25日
ルイ12世の宰相、枢機卿ジョルジュ・ダンボワーズ、リヨンで死。
ルイ12世ユリウス2世と和解させることに努めてきたジョルジュ・ダンボワーズの死により、以後、両者の対立、より深刻化する。

別表記

 ダンボアーズ、ロアン枢機卿、monsignor di Roano

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前